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早 熟
結婚式や披露宴の際、皆さんはこの『結婚行進曲』を耳にしてきたはず。




これは劇音楽 『夏の夜の夢』 全12曲の中の1曲なのですが、今日はこの作品を作曲した

 フェリックス・メンデルスゾーン

 Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy


の命日・没後170周年にあたります。

        

音楽室に彼の肖像画がシューマンやシューベルトの隣辺りに飾ってあったことをご記憶の方も多いと思いますが、実は彼は単なる作曲家ではなく、ピアノやオルガン、更にはヴァイオリンの名手であり、また指揮者としても名声を博した、当代一流の音楽家でした。

メンデルスゾーンは1809年、ドイツ・ハンブルグの富裕なユダヤ人銀行家の子として、4人姉弟の2番目に誕生。

姉のファニーも著名なピアニストであり、女流作曲家の先駆者だったそうですから、音楽家としての素養のある家系だったのでしょう。

彼が2歳の時、ナポレオンの大陸封鎖令を父親の銀行が破ろうとした報復を恐れ、一家はハンブルグからベルリンに移住。

両親がその移住先の自宅サロンに音楽家だけでなく画家や科学者などを頻繁に招くなど高いレベルの教育を施したことで、メンデルスゾーンはドイツ語だけでなくギリシャ語・ラテン語・イタリア語・フランス語・英語などの多言語を操る教養豊かな人物でした。


この辺は、貧困や複雑な家庭環境に育つなど過酷な人生を歩んだ多くの芸術家とはちょっと違っています。


しかし6歳の時に母からピアノの手ほどきを受けた彼は幼少時から〝神童〟と呼ばれており、その楽才については12歳当時の彼の演奏に接したあの文豪ゲーテ(1749-1832)が激賞する程。

冒頭の『夏の夜の夢』はゲーテの詩に曲を付けたものですが、その楽譜を引っ越しの際に紛失した彼は、それを完璧に書き直したという卓越した記憶力の持ち主でもありました。


1837年に聖職者の娘セシルと結婚し、5人の子供をもうけた彼は、生涯に5つの交響曲や3大協奏曲のひとつといわれる有名なヴァイオリン協奏曲などを含め、大小900余りの曲を残しています。



1827年にベートーヴェンの第九がシュテッティンで初演された際、彼は第一ブァイオリン奏者として演奏に加わり、以後は指揮者として何度も演奏して同曲が現在のような高い評価を得る礎を築きました。

また1829年には、祖母から贈られたバッハが作曲した『マタイ受難曲』の楽譜を編曲して自らピアノをきながら指揮を行い大評判に・・・これを機にこの埋もれていた大曲だけでなく、バッハそのものに脚光を浴びさせる一大センセーションをまき起こしています。

他にシューベルトの評価を高めた指揮者としての評判の高さから、シューマンやベルリオーズど当時の作曲家からの初演の引き合いや各地への演奏旅行、更には1843年にライプツィヒ音楽院も設立してシューマンを作曲・ビアノかの教授に迎え自ら学長に就任するなど、まさに八面六臂の活躍。

しかしあまりの多忙ぶりと、1847年5月に最愛の姉ファニーが亡くなったことに大きなショックを受け、神経障害を起こしてしまいます。

そして一旦は回復したものの、再び11月3日に意識を失うと、翌4日に38歳の若さでこの世を去りました。

(生前には特に病弱ではなく、父・姉とも似たように若くして突然逝去している事から、急死には何らかの遺伝的な要因があったとする説有り。)


早熟の天才であり、裕福な家庭に育ち音楽界に多大な貢献をした彼でしたが、ひとつだけ問題が・・・それは、彼がユダヤ系であったこと。

それ故に生前からいわれなき迫害を受けることがあり、それは彼がキリスト教徒になった後も続いたとか。

更に彼の死後ドイツでナチスが台頭すると、1933年には彼を含めたユダヤ人作曲家の作品演奏が禁じられたり、1936年には彼の銅像が引き倒されたりもしました。

もちろん現在ではそんな差別は有りませんが・・・。


それでは最後に、彼が姉ファニーへのレクイエムとして彼が遺した弦楽四重奏曲第6番(第一楽章)を聴きつつ、ロマン派を代表する大音楽家の冥福を祈りたいと思います。





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