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忠 臣

ニューリーダーと言われた政治家は数あれど、総理大臣の椅子に座れたのはごく一部。

多くは志半ばにして政界を引退して行ったのですが・・・今日は、個人的にはその実力を高く評価していたものの、結局はその大勢の仲間入りをしてしまった

 藤波 孝生 

の命日・没後10周年にあたります。


      

藤波氏は1932(昭和7)年に現在の伊勢市に生まれました。

早稲田大学在学中は多くの政治家を輩出した雄弁会で活躍したものの、卒業後は実家の老舗和菓子店に戻り、毎日菓子作りに精を出していたとか。

しかし政界に出る意思があったのでしょう・・・彼は自ら伊勢青年会議所を組織して副理事長に就任すると、これを選挙母体として1963年に三重県議会議員に当選。

その3年後に勲一等瑞宝章を受章した三重県の重鎮・浜地文平氏の引退に際し後継に指名され、1967年の衆院選で自民党から立候補し初当選。

温厚な性格と卓越した知識を買われて中曽根康弘氏の側近として重用されると、科学技術庁・文部政務次官、自民党文教部会長、労働大臣、官房長官、党国対委員長などを歴任し、ニューリーダーの一人として頭角を現しました。

しかし、ここで大きな躓きが・・・それは、リクルート事件。

中曽根前首相・竹下首相ら自民党の実力者が軒並みリクルートコスモスの未公開株を受領していたことが発覚し、政界に大激震を引き起こした同事件ですが、逆に未公開株の譲渡対象が広範で職務権限との関連性が薄かったため、大物政治家の立件ができませんでした。

しかし藤波氏は公務員採用時期を民間企業の就職協定の時期に合わせる旨の請託をリクルート社から受けたとして、自民党議員としてはただ1人だけ受託収賄罪で起訴されてしまいます。

その後自民党を離党し、落選 → 一審無罪 → 復党 → 当選 → 二審有罪 → 再離党 → 最高裁で有罪確定、と法廷闘争に労力を使い果たす形で、2003年に政界を引退。

2007年10月28日、肺炎による呼吸不全により、本懐を遂げられぬまま74歳でこの世を去りました。

タラレバを言っても詮無いですが、もしリクルート事件がなければ首相候補の最有力だったはず。

スポーツの世界もそうですが、頂点に立つためには実力に運が重ならないとダメですネ。

もうひとつ、藤波氏を私が高く評価したのは、親分の中曽根氏を守るために一切口をつぐんだこと。


       

その義理と口の堅さが、周囲から信頼された要因なのでしょうが、結局は彼自身が泥をかぶる形になってしまいました。

親分に忠義を立てた彼は、果たしてそれで満足だったのかどうかは分かりませんが。

それにしても、部下を身代わり(?)にした大勲位が99歳にして未だ存命中・・・トップに君臨するには、実力と運だけではなく、健康と図太い神経が必要のようです。うー


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