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白 熱

トーマス・エジソンの発明品は数多いですが、その中でも人々の生活を画期的に変えたのは

 白熱電球

といえましょうか。

「世界から夜が消えた」 とまで言わしめたこの実用的な白熱電球を彼が完成させたのが、今から138年前の今日のことでした。


     

しかし、白熱電球そのものを発明したのはエジソンではなく、ジョゼフ・ウィルスン・スワンSir Joseph Wilson Swan 1828-1914) という、イングランドの物理・化学者。

彼は1848年頃には白熱電球の実験に取り組み始め、1860年には試作品の発光に成功。

不完全真空・炭素フィラメント・白熱電球の特許をイギリスにおいて1878年に取得していましたが、いかんせんフィラメントの寿命が短かったのが欠点。


一方のエジソンも1877年頃から白熱電球の開発を開始し、1879年10月21日に白熱電球を完成させたのです。

時にエジソンは32歳。 その時に使用したフィラメントは木綿糸に煤とタールの混合物を塗布しそれを炭化したもの。

しかし連続点灯時間は45時間程だったため、エジソンはこの白熱電球の商品化を目指して耐久性に優れたフィラメントの素材探しに没頭。

友人のヒゲ(!)まで含め、約6,000種類もの素材を試したとか。

そんなある日、彼は研究所に転がっていた扇子が目に留まり、骨に使われていた竹を使ったところ、連続点灯時間が200時間を超えたのです。

この結果を見たエジソンは、10万ドルの費用をかけて20人の調査員を世界中に派遣し、約1,200種あるといわれる竹を全て集めようとしました。

その徹底ぶりには驚くばかりですが、その調査員の一人が1880年に来日。

彼は当時の伊藤博文首相や山形有朋外相と面会し、「竹ならば、京都が一番。」 という情報を入手。

現地入りした調査員は、更に槙村正直・京都府知事から 「嵯峨野か八幡の竹が良質」 と紹介され、八幡男山にある石清水八幡宮の境内の生えていた真竹を入手。

この真竹で作ったフィラメントが1,200時間という驚異的な連続点灯時間を記録し、商品化に漕ぎつけることができたのです。


             

              1880年頃の白熱電球 


この後、まさに白熱した開発競争を演じたエジソンとスワンは特許を巡って法廷闘争を続け、最終的にエジソン&スワン連合電灯会社を設立。

これが現在のガリバー企業ゼネラル・エレクトリック(GE)の前身となりました。

京都八幡の竹は、セルロースを使ったフィラメントが実用化される1894年まで同社に輸出され何百万個もの電球に利用されました。

しかし日本とエジソンの白熱電球とのつながりは、竹だけではありませんでした。

岩国藩(現在の山口県岩国市)に生まれ、工部大学校を首席で卒業した

 藤岡 市助 (1857-1918)

        


という優秀なエンジニアが1884(明治17)年、政府に命ぜられて電器産業や博覧会の視察のため渡米し、その際にエジソンの研究室を訪れて面談したのです。 その際彼から、

「電気器具を輸入するような国は滅びる。 まず電気器具の製造から手掛け、日本を自給自足の国にしなさい。」

とアドバイスを受けた市助は、帰国後1890(明治23)年4月に 『白熱舎』 を設立。

エジソンが京都八幡の竹を使っていると聞して竹の研究に没頭。

その4ヶ月後に日本で初めて白熱電球製造に成功しました。

この 『白熱舎』 が、大手電機メーカー 『東芝』 の前身なのです。

ですから、もし市助がエジソンからアドバイスをもらわなかったら、極端な話東芝という会社は生まれていなかったかも・・・。

そういう意味では、エジソンは日本と縁が深いといえるのです。扇子

然るに最近の東芝の低迷・迷走を草葉の陰から見守っている市助は、さぞ怒っているでしょうネ。うー


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