FC2ブログ
ワンマン

今日は、マッカーサーと互角に渡り合い、戦後日本の道筋をつけた大宰相、

 吉 田 茂 

の命日・没後50周年にあたります。

       


吉田氏は1878(明治11)年に、板垣退助の腹心だった竹内綱の五男として、現在の東京都千代田区で生まれました。

その後1881年に旧福井藩士の貿易商・吉田健三の養子となった彼は、養父がその数年後に亡くなったことで、莫大な遺産を相続。

しかし様々な学校を渡り歩いた末、商人には向いていないことを自ら悟って外交官の道を志した彼は、東京帝国大学卒業後1906年に外交官・領事館試験に合格し、外務省に入省。


入省後すぐに奉天に赴任した彼は、外交官生活20年のうち11年を中国大陸で過ごし、外務省内では傍流の道を歩みます。

そして1936年から3年間駐英大使を務めた彼は親英米派と見做され、日独伊三国協定にも強硬に反対し対米英戦開戦阻止に動いたことで軍部から睨まれ、外相就任を反故にされたことも。

また1945年2月には終戦案を画策したことが露見して憲兵隊に拘束されましたが、それらの事実が功を奏してGHQに信用される下地となりました。

終戦直後の1945年9月に東久邇宮内閣で外務大臣に就任。(翌年1月には終戦連絡事務局総裁を兼任し、その際同局の次長に白洲次郎を起用 )


同年12月に貴族院議員に勅選されると、翌年5月には日本自由党総裁に就任すると同時に内閣総理大臣に。

1947年、日本国憲法発布に伴い行われた第23回衆院選で高知全県区から立候補しトップ当選。

その後民主クラブと民主自由党が合併した民主自由党の党首になると、以降1954年10月まで第5次にわたる吉田内閣を率いて我が国を牽引。(5回も内閣総理大臣に指名されたのは、日本憲政史上吉田氏唯一人。)


その間、1951年9月8日にはサンフランシスコ講和条約(日本国との平和条約)を締結して連合国との戦争状態を終結されると同時に独立を取り戻し、同日にアメリカとの旧安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約)を締結。


       


これが戦後70年以上にわたる日本の平和維持につながりました。


1954年に造船疑獄が主因となって内閣総辞職すると、1963年10月の衆院解散時に立候補せず、政界を引退。

しかし大磯の私邸に引き篭もった後も隠然たる力を保持し、彼を慕う国会議員グループ・吉田学校からは池田勇人・佐藤栄作などの総理大臣を輩出し、1967(昭和42)年10月20日に89歳で大往生を遂げました。

亡くなる前日に 「富士山が見たい」 と病床で呟き、一日中飽かず快晴の富士山を眺めていたそうな。

        

ワンマンと言われ、気に入らない質問をした記者にはコップの水をかけたり、執拗な質問を繰り返した野党議員に思わず 「バカヤロー」 と口走って衆院解散に追い込まれるなどした吉田氏ですが、私には何故か嫌悪感はなく、むしろ親しみすら感じます。


それは彼の発言に漂う人間臭さと、イギリス仕込み(?)のユーモアがあったからでしょうか?


「先生はご長寿でいらっしゃいますね。 何か健康の秘訣でも?」


と財界人に尋ねられた吉田氏が、

「それは君、人を食ってるからさ。」


と煙に巻いたり、田中角栄氏が良寛和尚の書を見せびらかすと 「そりゃ偽物だろ。」 と腐し、「いや、本物です!」 と気色ばむ角さんに

「いくら本物でも、キミが持てば偽物になる。

偽物でもオレが持てば本物になるんだ。」

と言ってキャッキャッと笑った
・・・なんて切り返しは、まさに天下一品。


コンピューター付ブルドーサーと言われた角さんをも赤子のようにあしらうところ、さすがというしかありません。


これだけの余裕とウィットに富んだ切り返しが出来る政治家、今の永田町にはまずいないでしょうネ。

そんな吉田氏の政治信条や歴史観がよく分かるのが、こちらの2冊。


 『日本を決定した百年―附・思出す侭』  (中公文庫・刊) 右
 『宰相 吉田 茂』 (高坂正
尭・著 中公クラシックス・刊)  左


  

『日本を決定した~』 を読めば、吉田氏のバランスの取れた確固たる歴史観・大局観が分かり、学校で習うよりも遥かに日本の近代史を理解できると思います。


同書の中で吉田氏が語っている

〝中共のように、自分の国はいちばん偉いと思っているうぬぼれの強い国とつき合っていくことは難しい。〟

という支那観など、現代でも十分通用する指摘でしょう。


また、『宰相 吉田茂』 の中で高坂氏はこう述べています。

〝我々が彼(吉田氏)から学ぶべきであるのは、彼の作った体制ではなくて、彼が体制を作ったということである。

特に、あの激動の時代において、まったく微々たる国力にもかかわらず、彼がひとつの生き方を日本に与えることができたという事実である。〟


吉田首相の功績は、これに尽きるかもしれません。


現在の政治家とはあまりに違う、スケールの大きさ・・・あらためて、戦後日本を救った偉大なるワンマン宰相のご冥福をお祈り致します。笑3


              人気ブログランキング

スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック