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H21

世界で最も有名なスパイ・・・といえばジェームズ・ボンドでしょうが、あくまで彼は仮想の人物。

実在のスパイで、しかも女性となれば

 マタ・ハリ
  Mata Hari


でしょうか。 今日はその美貌で多くの軍人を篭絡したとされる彼女の命日・没後100周年にあたります。


       


本名をマルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレという彼女は、1876年にオランダ人の父とシャワ系の母の長女としてオランダフリースラント州・レーワルデンで生まれました。

幼少の頃は上級学校に通うなど裕福な暮らしをしていましたが、1889年に父親の破産が原因で両親が離婚。

父親が再婚するも母親が1891年に亡くなってからは生活が暗転、彼女は逃れるように叔父の家へ。


そして新聞広告で結婚相手を募集していた20歳も年上のオランダ軍将校と結婚し2児をもうけたものの、赴任先のインドネシアで現地女性と浮気したため、1902年に離婚。
(※子供は2歳と21歳の時に死亡)

パリに移り住んだ彼女は、1905年に〝ジャワ島からやってきた踊り巫女〟というフレコミでマタ・ハリ(※マレー語で太陽という意味)という芸名でダンサーに。

宝石をちりばめたブラジャーをつけてセクシーな踊りを披露する彼女は瞬く間に人気者となり、同時に政府要人や軍人相手の高級娼婦としても活躍(?)。

       

まぁこの美貌ならば、スケベな男性はイチコロでしょうが・・・その魅力に目を付けたのが、ドイツでした。

1915年にドイツのスパイになるよう依頼された彼女は、既に40歳近くなってダンサーとしての峠を越えていたこともあって、この話を承諾。

ドイツの〝セクション3〟という組織のチーフを務めるワルター・ニコライの指揮下に入ってスパイのノウハウを学び、マドリードのドイツ大使館に勤務するアーノルド・カーレ少佐の配下としてスパイ活動を開始。

この時につけられたコードネームが、007ならぬ “H21” でした。


彼女の諜報活動は、いわゆる色仕掛け(ハニートラップ)でしたが、彼女はさらにフランス人陸軍大尉からフランスのスパイになることをもちかけられ、多額の報酬を条件にそれを受諾・・・つまり二重スパイになってしまいます。

何人ものドイツやフランスの将校と夜を共にしたようですが、ドイツから与えられたH21というコードネームが彼女のものであることをフランス情報部に突き止められ、1917年2月に逮捕。


  
            拘留中に撮影された、マタ・ハリ最後の写真

フランスにおいて 「二重スパイとして第一次世界大戦で多くのドイツ人、およびフランス人兵士を死に至らしめた」 容疑で起訴され、僅か40分の裁判で死刑判決。

同年10月15日早朝、パリ郊外の古城で銃殺刑に処せられ、51歳の生涯に幕を下ろしました。

 

逮捕された際に素直に罪を認めたそうですから、彼女がスパイであったことは確かなようですが、果たしてどれほどの情報を得たのかは不明。

また当時戦況が不利だったフランスが、都合の悪い事実をすべて彼女のせいにしたことも否定できません。

ある意味、彼女は人身御供にされた部分もあったかと・・・。

スパイの運命は映画と違って実に過酷ですが、現在の日本ではスパイ防止法もなく、マタ・ハリ以上の優秀なスパイが何十人、いや何百人も大手を振って歩いていることは断言できます。うー


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