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平民将軍

ノルマンディー上陸作戦など、第二次世界大戦を描いた多くの映画にその名前が出てきますから、日本でも結構有名な軍人だと思います。 今日はその


 エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル

        Erwin Johannes Eugen Rommel


俗に〝ロンメル将軍〟と言われ、平民出身だったにも関わらず貴族主義だったドイツ陸軍を率いた名将の命日にあたります。


       

(※彼が身に着けているゴーグルは、砂漠で拾った英軍兵士のもの。 周囲の非難を気にせず彼は使い続け、これがトレードマークになりました。)


ロンメルは1891年にドイツ帝国領邦ヴェルテンベルク王国のウルム郊外で生まれました。

祖父・父とも教師で中産階級の出であった彼は、大人しく病弱な子供だったとか。


10歳代の時は飛行機の研究に没頭し、航空機のエンジニアを目指しましたが父親に反対され、仕方なく1910年に士官候補生としてヴュルテンベルク王国軍に入隊。

士官学校を経て1912年には歩兵連隊の少尉になり新兵教育などに携わりましたが、既にこの頃からカリスマ性を発揮していたようです。

第一次大戦では小隊長としてフランス戦線方面で活躍し、1915年には中尉に。

その後山岳猟兵大隊に転属し北イタリア戦線で活躍し、1917年にはカボレット要塞を僅か一個中隊のみを率いて敵の一個師団を攻略・撃退し、帝政ドイツ最高勲章の〝プール・ル・メリット〟を授与され、大尉に昇進。


戦後1933年にゴスラー駐屯第17歩兵連隊猟兵の大隊長となり少佐に昇進した彼の運命を大きく変えたのは、ヒトラーでした。

同年にドイツ首相になった彼を、1936年に開催されたナチスのニュルンベルク党大会で護衛する部隊を指揮したロンメルは、ヒトラー目当てに押し寄せる党幹部の車を見事に制止したことで彼に目をかけられるように。

その後1940年に第15装甲軍団主力第7機甲師団長に、そして翌年には中将に昇進しドイツ・アフリカ軍団司令官に就任。


同年8月には大将に昇進しアフリカ機甲軍司令官を務めると、1942年6月にはトゥブロク要塞攻略の戦功により元帥と、トントン拍子かつ異例の出世。


       


アフリカ戦線で連戦連勝してイギリス軍を追い詰め、チャーチルをして

「ロンメルは勇敢な、きわめて巧みな敵将だ。 戦争という行為は別として偉大な人物だ。」

とまで言わしめ、少ない兵力で勇敢かつ緻密な作戦を立案・実行して連合国軍から〝砂漠の狐〟と呼ばれ怖れられました・・・が、この時期が彼の絶頂期でした。

病気のため一時帰国した彼は、戦況悪化に伴い再びアフリカに帰任するも以前のような勢いは取り戻せず、敗退・撤退を余儀なくされます。

1944年にフランス方面B軍集団司令官に就任し連合軍のノルマンディー上陸作戦阻止の任に就くも、失敗。

※ノルマンディー上陸作戦に関する過去記事は、こちら。(↓)
 http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11189218275.html


その翌月にノルマンディーの前線近くで連合国軍戦闘機の機銃掃射に遭い、頭部に被弾して重傷を負って入院。

そしてその3日後に斜体文斜体文シゥタウフェンベルク参謀大佐主導のヒトラー暗殺未遂事件が起きたのですが、ロンメルにも関与した嫌疑がかけられました。

※この暗殺未遂事件に関する過去記事は、こちら。(↓)
 http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10548765908.html


そして今から73年前の今日・1944年10月14日・・・ヒトラーの使者としてやってきた2人の幹部将校から

「反逆罪で裁判を受けるか、名誉を守って自殺するか」


と二者択一を迫られた彼は、家族の身の安全を保証させた上で一人自宅近くの森の中に入り、服毒自殺を遂げたのです。

時に52歳・・・圧倒的な戦功で知られた彼の死は戦傷によるものとして発表され、祖国の英雄としてウルムで盛大な国葬が営まれましたが、ヒトラーは会葬しませんでした。


そんな彼の晩年を描いた映画があります。

 『ロンメル 第3帝国最後の英雄 (2012年公開)


       


ヒトラーに目をかけられ出世したものの終生ナチス党員にはならず、時には命令を無視したり戦況が悪化してからはヒトラーを公然と批判していたそうですが、暗殺計画に関わっていたかどうかは不明。

この映画をご覧になった上で、ご判断ください。

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