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裏 話

今年も、そろそろ始まります。
私にとって年に一度のお楽しみ・・・ベートーヴェン作曲、


 交響曲第9番 『合唱つき』


のコンサート・チケットの予約が・・・。(※N響は、今日から。)

このクラシック音楽の代表的な名曲が、なぜ日本では年末に集中して演奏されるのか?

それは1937年、ローゼンシュトックが新交響楽団 (N響の前身) の音楽監督に就任した際、「ドイツでは第九を大晦日に演奏している」 と紹介したことが発端だとか。


そして終戦間もない1940年代後半、収入が乏しい日本交響楽団 (N響の旧称) が楽団員の年末の生活を支えるため、大編成で合唱団も参加でき、また当時確実に集客が望めた数少ないこの大曲を年末に演奏。

これに他のオーケストラも追随するようになった・・・といわれています。

さて今日は、ブロ友のちずこママさんから教えていただきました、この『第九』 に関する著書をご紹介させていただきます。 

 『第九 ベートーヴェン最大の交響曲の神話』 

                       (中川右介・著 幻冬舎新書)


       


この曲の初演は、1824年5月7日。

会場はウィーンの
ケルンスナー・トーア劇場でした。

日本ではイギリス船が日本近海に出没し、翌年には江戸幕府が 『外国船打払令』 を出した頃のこと。


その栄えあるステージに〝総指揮者〟として立ったベートーヴェンですが、当時既に聴力を失っていた彼がまともに指揮など出来るわけはなし。

最初の出だしを合図した以外、オーケストラの団員は全員本当の指揮者・ウムラウフを見ており、ベートーヴェンはただ一心不乱に体を動かしていただけ。


       
            ウムラウフの横に立つベートーヴェン    


しかし、この初演は大成功!


万雷の拍手に会場は包まれましたが、それが全く聞こえないベートーベンは聴衆に背を向け、立ち尽くしたまま・・・。


それを見かねたアルト歌手・ウンガーが彼の手を取ってクルリと聴衆の方を向かせた・・・というエピソードはよく知られています。

しかしご紹介した著作には、これら有名なエビソード以外に数多の裏話が満載。

そのうちのいくつかをご紹介すると・・・


◆結果的にウィーンでの初演になかったが、その会場決定までにはロンドンやベルリンなど他候補地との紆余曲折があった。


◆女性独唱バートについては、初演前にベートーヴェンの自宅を表敬訪問した美人歌手2人を指名。
しかしその時彼は聴力がなく、彼女らの声を聴けなかったから実力より顔で選んだ?

◆ベートーヴェンはかなり財政的に逼迫しており、初演を急いだ。
しかし結果的に、初演はあまり儲からず、2度目のコンサートは赤字…大きく目論見が崩れた。

◆『第九』 の演奏を1日2回、入れ替えなしで同じ観客の前で演奏した事例がある。

◆当時の演奏会は大曲を何曲も演奏したため1回4~5時間もかかった。 
第九は唯でさえ長かったので、時にはメインの第4楽章を省略したことが・・・。

もし現代で第4楽章を省略したら、観客は絶対に「金返せ!」って怒るでしょうネ。

今はドル箱の 『第九』 も、当初は儲からなかった・・・そして当時は現代のような著作権・印税なんてものはありませんでしたから、ベートーヴェンの懐具合もかなり苦しかったはず。

そこで彼が編み出した新たな収入源とは・・・あっ、このくらいにしておきましょう。


後は本書をお読みください。

また高名な作曲家であるメンデルスゾーンやリスト、ワーグナー、更にはマーラーが様々な形で 『第九』 に関係していたことも分かって面白いですョ。

更にはこの曲をヒットラーが利用し、それがため音楽界に無用の混乱を引き起こしたことや、カラヤンの 「第九が1枚に収まるのが良い」 というツルの一声で、CDの直径が12cmに決まったとか・・・。

2001年にプロイセン国王に献呈された楽譜が世界遺産となった 『第九』 のコンサートに今年末行く方には、ご一読をおススメします。

ちずこママさん、良書のご紹介ありがとうございました。


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