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懐 刀

幕末から明治維新にかけては、数多くの有能な人材が輩出しましたが、間違いなくこの方もその一人。

今日は、その水戸藩の頭脳、同藩の9代目当主にして第15代将軍・慶喜の実父であった徳川斉昭の懐刀と言われた


        とう こ

 藤田 東湖


の命日にあたります。


       

東湖は1806(文化3)年に水戸で生まれました。

父・藤田幽谷は幼少時より神童と謳われた秀才で水戸藩の儒臣を務めており、東湖もその才を受け継ぎ薫陶を受けて成長。

19歳で家督を相続し、進物番200石に。

その後 『彰考館』 総裁代役を務めるなど、水戸藩内でも頭角を現していきます。

1829年に水戸藩の第8代当主・徳川斉脩の継嗣問題が起きた際、東湖は斉脩の養子・斉昭を推し、斉脩の遺言によって斉昭が第9代当主となると、郡奉行→江戸通事御用役→御用調役と順調に昇進。


1840年には側用人として藩政改革にあたるなど、斉昭から絶大な信頼を得ました。

ところが、その斉昭が幕命により1844年に隠居謹慎処分を受けると、一蓮托生で失脚。

小石川藩邸に幽閉され、禄も剥奪されてしまいます。


しかし幽閉・蟄居中に認めた 『弘道館記述義』・『常陸帯』・『回天詩史』などの著作が、幕末の志士たちに大きな影響を与えました。

またこの期間に彼が作った 『正気の歌』 (正式名:『文天祥の正氣歌に和す』 ) は、多くの志士が暗唱したとか。


       

                 正気の歌


そして1852年に処分を解かれた東湖は、すぐ藩政に復帰。


それより先に禁を解かれ、1853年にペリーが浦賀に来航すると海防参与として幕政に関わっていた斉昭から召し出されると幕府海岸防禦御用掛として補佐し、1854年には側用人に復帰。

この年、評判を聞いて江戸藩邸に東湖を訪れた西郷隆盛は、その人格・胆力・見識に深い感銘を受けたといわれます。

尊王攘夷派の論客として全国にその名を轟かせた東湖でしたが、その最期は実に残念というか、呆気ないものでした。

彼の命を奪ったのは、襲撃でも病気でもなく・・・地震。


西郷隆盛と面談した1年半後の1855(安政2)年10月2日に起きた〝安政の大地震(安政江戸地震)〟は、マグニチュード6.9~7.1と推定され、江戸の震度は5強~6弱。

大名屋敷の多くは全壊し、死者は1万人近く出たといわれますが、この大地震に遭遇した東湖は、一旦脱出したものの火鉢の火を心配した母親が邸内に戻るとその後を追い、落下してきた梁から母親を守ろうと肩で受け止め母親を脱出させましたがそこで力尽き、圧死したといわれています。

親孝行のために命を落とすことは、誠に天晴れとも言えますが、水戸藩および志士たちにとっては、大きな損失となりました。

実際、この大地震で東湖とともに〝水戸の両田〟と呼ばれた戸田忠太夫をも失った水戸藩は、その後急速に力を失い、斉昭も再び謹慎を命じられるなど、幕末の歴史から急速に影響力を弱めていきましたから・・・。

親孝行のためとはいえ無念の最期を遂げた東湖の心中を慮りつつ、あらためて冥福を祈りたいと思います。笑3


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