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南 海

戦後70年の節目に当たる2年前の2015年4月に天皇・皇后両陛下が訪問されたことで、この国の存在を知った日本人も少なくなかったと思います。

今日は、その


 パラオ共和国

  Republic of Palau


の独立記念日にあたります。


       

パラオは東京から飛行機で約5時間半、フィリピン諸島東の太平洋上に浮かぶサンゴ礁に囲まれた大小300の島々で構成されています。

全島の総面積は488㎢で、日本の屋久島とほぼ同じ。
人口約21,000人の小国。


  

この年間平均気温28℃という〝常夏の楽園〟は観光地として有名ですが、その歴史は苦難の連続でした。

不幸の始まりは、1500年代にスペイン人に発見されてしまったこと。

彼らが行った猛烈な搾取と持ち込んだ天然痘によって原住民は疲弊し、人口は従来の10%にまで落ち込んだとか。


そして1899年、米西戦争に敗れたスペインはドイツに売却。

同国はココナッツ・タピオカの栽培やリン鉱石の採掘などの産業振興には熱心だったものの、インフラ整備や現地人の教育などは全く行なわず。

そして第一次世界大戦が始まると、参戦した日本がパラオを含む南洋諸島を占領。

戦後1920年に、国際連盟からそのまま委任統治が認められた日本の統治は、ドイツと違いました。

殖産興業だけでなく原住民の教育にも熱心に取り組み、インフラ整備だけでなく多くの学校や病院を建設したのです。

そのおかげでパラオの経済は発展し、人口も2万人から5万人に増加・・・現地の人々は、日本に大きな恩義を感じるに至りました。

ですから第二次世界大戦末期にパラオが日米の戦場となった時、パラオの人々は 「日本と共に戦う」 と志願。

しかし日本軍はパラオの人々を疎開させるなどして、パラオの民間人を一人も死なせなかったといいます。

そして圧倒的な火力を有する米軍に果敢に立ち向かう日本兵の姿に感銘を受けたそうな。

しかし終戦後、パラオはアメリカの統治下に。


そのアメリカはパラオを単なる軍事基地と位置付け、日本が築いた建造物を徹底的に破壊・・・放置されたパラオの畑は、ジャングルに逆戻り。

そして住民を島に閉じ込める〝動物園政策〟を執って徹底的な反日教育をしたそうですが、パラオの人々には全く効果なし。

彼らは日本兵の遺体を手厚く葬り、現在に至るまでその墓を大切に守ってくれました。

ですから天皇皇后両陛下が戦没者慰霊のため訪問された際、今でも日本の歌を歌い、子供に日本人の名をつけ、教科書に日本統治時代の様子を大きく割いて教えるパラオの人々が熱烈に歓迎してくれたのです。

       

パラオの人々が親日である証拠・・・それは、同国の国旗を見れば分かります。

       

日の丸と同じデザイン・・・黄色の円は、日の丸の太陽に対して月を現わし、日本との友好を示しているのです。 (青は海を表現。)


そのパラオがアメリカから独立したのが、今から23年前の今日・1994年10月1日(国連加盟は同年12月)でした。

ベルリンの壁が壊されて東西冷戦が終結し、パラオに軍事施設を置く必要がなくなったこと・・・これがアメリカが独立を許した主たる要因。

その時の大統領は、日系人のクニオ・ナカムラ(中村國雄)氏でした。


私たち日本国民は、近くの反日大国より遠くの親日小国を気にかけ、もっと大事にすべきでしょう。扇子


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