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ミッチー

皆さんは、〝ミッチー〟という愛称から誰を連想しますか?

私より年上の方なら三橋美智也さんや浅香光代さん、若い方なら及川光博さんあたりでしょうか。

かく言う私は同姓ってこともあるでしょうが、元総理候補だった人気政治家の名がまず頭に浮かびます。 今日は、その

 渡辺 美智雄 


の命日・二十三回忌にあたります。

渡辺氏は1923(大正12)年、千葉県習志野市に生まれました。

父親が軍人だったこともあって陸軍士官学校を受験するも不合格となり、1942年に東京商科大学(現・一橋大学)付属商学専門部に入学。

学徒出陣のため繰り上げ卒業した彼は、復員後進駐軍の通訳や読売新聞記者を経て、『マルムツ』 という会社を作って行商もしました。

1955(昭和30)年に自民党公認で栃木県議会選挙に立候補して見事当選し、政界入り。

そして1960年には衆院選に打って出ますが、落選。

河野一郎氏のもとに身を寄せ、捲土重来を期し1963年の衆院選で自民党公認で立候補し、初当選を果たします。


同期当選組には小渕恵三・橋本龍太郎・田中六助・藤尾正行ら錚々たるメンバーが居並ぶ中、河野一郎氏逝去後に中曽根派入り。

第3次佐藤内閣で農林政務次官を務めるなど農林族議員として頭角を現し、米価問題懇談会では中川一郎・湊徹郎と共に(イッチャン・ミッチャン・テッチャンの)3チャン艦隊と呼ばれ注目を集めました。

その後1976年には福田内閣で厚生大臣として初入閣を果たすと、大蔵・通産大臣の要職を歴任。

1987年には自民党政調会長に就任し、安倍・竹下・宮沢各氏と共にニューリーダーの1人として数えられように。

しかし翌年に発覚した 『リクルート事件』 に関与していたことが致命傷となり、1991年の自民党総裁選では次点で落選。

直後に発足した宮沢内閣では副総理兼外務大臣となりましたが、その後膵臓がんの手術を受けるなど健康面で問題が生じます。

野党に転落した後の自民党総裁選では14歳若い河野洋平氏に破れ、その焦りからか1994年には自民党離党を条件に小沢一郎氏から首相就任を打診され色気を見せるも派閥の亀裂を生じさせる結果となり、急速にその影響力は薄れていきました。

そして遂に総理大臣になることなく、1995(平成7)年9月15日に膵臓がんにより72歳でこの世を去ったのです。

       

栃木弁丸出しの叩き上げ政治家でしたが、一方でその饒舌さがたびたび舌禍事件を起こし、総理の椅子を遠ざけてしまったとも言えます。


たとえば、中国北部の黄土高原には自然の崖地に横穴を掘る〝靠崖(カオヤー)〟と呼ばれる住居があるのですが、これを指して


「中華人民共和国は政治が悪いから、穴を掘って住んでる人がいる」

・・・もし今の閣僚がこんなことを言ったら、即辞任クラスの暴言。

更には、(自民党セミナーの講演という非公開の場ではありますが)アメリカ人に関して


「日本人は破産というと夜逃げとか一家心中とか重大と考えるが、クレジットカードが盛んな向こうの連中は黒人だとかいっぱいいて、『うちはもう破産だ。明日から何も払わなくていい』、それだけなんだ。 

ケロケロケロ、アッケラカーのカーだよ。」


と発言。 これが人種差別発言だとアメリカの怒りを買い、当時の竹下首相が黒人議員協会に釈明の文書を送る羽目に。

確かに歯に衣着せぬ発言で多くの国民から支持されたものの、こういう脇の甘さでは国家のトップとしては危ういと言わざるを得ません。

口は災いの元、覆水盆に返らず、ですネ。

それでも、私はその政治理念とか人柄に共感していたのですが・・・。

あらためて、昭和時代の永田町で活躍したミッチーのご冥福をお祈り致します。笑3

・・・そういえば、長男の元・みんなの党代表だった長男・喜美氏は、最近パッとしないなァ。うー


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