FC2ブログ
【海外遠征体験記 4】 おばあちゃん

様々な初体験の連続だったブラジル遠征。

最も印象深かったのは人の〝情〟に触れたことでした。


サンパウロはともかく、バスで転戦した地方都市はお世辞にも近代的とは言い難く、開拓地の雰囲気を色濃く残していました。


そんな環境の中でも、地元の日系人の方々は私たちに精一杯のもてなしをして下さったのです。


グラウンドは日本のそれに比べてかなり荒れていました()が、試合当日まで懸命に整備して下さり、食事も肉ばかり食べていた私たちを気遣ってか、現地では貴重なもち米と海苔を使って巻き寿司などの日本食を揃えて下さいました。


     ブラジル遠征

               地方球場にて  右・ナベちゃん


実は私、サンパウロ入りした時から不思議に思っていたことがあったのです。 


現地で配布されていた我々日本代表チームの紹介パンフレットには選手個々の顔写真と大学名が記載されていたのですが、もうひとつ・・・出身県が紹介されていたのです。

(なんで県名が?)


しかしそんな疑問は、転戦先で氷解しました。


バスで長距離移動した最初の地方都市では、到着してすぐに地元主催の歓迎レセプションが行われました。


本当に心の込もった料理の数々がテーブル狭しと並ぶ会場で、暫し歓談していた中・・・突然、


「お~い、渡辺さんはどこ~?」


という男性の大きな声。


「はい、ここにいますけど。」  と応えると、中年のおじさんが


「あぁ、いたいた。 ホラホラこっちだょ、こっち!」


と言いながら、80歳代と思しき小っちゃなおばあちゃんの手を引いて、私の目の前にこられたのです。


「ほら、おばあちゃん。 長野からわざわざ来てくれた渡辺さんだョ!」


そう言われたおばあちゃんは、

「おぉっ、おぉっ・・・」

と私の手を取って、ただただ嗚咽を漏らすばかり。


10歳代の頃に長野県から家族全員でブラジル移民として船に乗り地球を半周。 


※日本からブラジルへの移民が始まったのは、1908年から


あてがわれた土地を懸命に開拓してひたすら農作物を作り続け、気づけば60年以上祖国の地を踏みしめることはなかった・・・というおばあちゃん。

日本から大学生が親善試合でやって来る。

そしてその中に1人だけ長野県人がいる。


おばあちゃんは故郷の話を聞きたくて、私と会える日をそれは楽しみにしていらっしゃったとか。


しかも驚くべきことに、話しを聞くとこのおばあちゃんは、私の祖父と同じ村の出身だったのです! 


おばあちゃんは、私の祖父の名を憶えていらっしゃいました。


地球の裏側で、まさか祖父の名を聞くとは・・・再び手を握って涙を流すおばあちゃんを見て、私も、そして周囲の人々も只々もらい泣き。


家族以外に心の支えとなったのは、同郷の仲間達。
なぜ 『県人会』 という組織が強い絆で結ばれているのかを、初めて実感しました。

また別の試合会場での懇親会では、地元の方々のリクエストに応えて慶應の応援歌 『若き血』 や早稲田の選手と共に 『都の西北』 を壇上で声高らかに歌い、大きな声援と拍手をいただいたことも忘れられません。

試合日程を終了後したチーム一行は、その後リオ観光へ。


       
           現地でお世話になった西 功 弁護士と


帰路はロスに立ち寄りドジャースタジアムの見学などをして無事日本に帰ってきたのは、合宿所でチーム全員が顔合わせしてから20日後のことでした。


その翌月に日本で公開された007 『ムーンレイカー』 では、コルコバードの丘にそびえ立つキリスト像を観に行った際に乗ったロープウェーが出てきます。

私はボンドとジョーズがそのロープウェーで格闘するシーンを観るたびに、この遠征を・・・田舎町で出会ったおばあちゃんの、小さくてシワだらけでゴツゴツした手の感触を今でも思い出すのです。

先人達のご苦労と郷愁の深さを、心に刻んだ遠征でした。扇子


              人気ブログランキング

スポンサーサイト



コメント
コメント
私も
もらい泣き。
2017/09/10(日) 09:12:53 | URL | ちずこママ #- [ 編集 ]
◇ちずこママさん
もらい泣き、ありがとうございます。
私自身、40年近く経っていながらもコレを書きながら涙が出ました。(T_T)
2017/09/11(月) 03:42:18 | URL | ナベちゃん #- [ 編集 ]
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック