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石 庭

京都に旅行された殆どの方は、この名刹を訪れていることでしょう。

その世界遺産にも登録されている、京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院、

大雲山 龍安寺


が建立されたのが、今から570年前の今日・1450(宝徳2)年6月2日のことでした。

        


龍安寺の開基(創建者)は、室町時代の武将にして室町幕府の管領を務め、応仁の乱(1467-1477)で東軍の総大将だった、細川勝元(1430-1473)。


        


元々そこには円融天皇御願寺として984(円融元)年に建立された円融寺がありましたが徐々に衰退し、平安時代末期に藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地に山荘を建立。


この山荘を勝元が譲り受け、妙心寺八世住持の義天玄承を初代住職として迎えたのです。

その後勝元が指揮を執った応仁の乱の戦火に巻き込まれ焼失しますが、勝元の長男政元と4世住持・特芳禅傑によって1499(明応8)年に再興。

その後1797(寛政9)年の火災で方丈(本堂)・仏殿など主要伽藍が焼失したため、塔頭・西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈とし、現在に至っているとか。 (※仏殿は1981年に再建)


当初は南側に位置する鏡容池(きょうようち)に棲息するオシドリの名所として知られていたそうですが、現在は政元が再建した時分に作られたといわれる〝石庭〟が有名。

    


〝方丈庭園〟と呼ばれ堅牢な土塀に囲まれたこの石庭には、幅25m×奥行約10mの敷地に白砂が敷き詰められ、東から5・2・3・2・3個の合計15の大小の石が配置されています。

塀際の細長い石には〝小太郎・口二郎〟と刻まれていますが、この庭の作者であるかどうかは不明。

また石の配置に因んで、支那の説話から〝虎の子渡しの庭〟とか、古来より奇数がおめでたい数字であることから〝七五三の庭〟とも呼ばれていますが、その配置の意図も不明。

この謎だらけの石庭が国際的に有名になり、世界中から京都に観光客がやってくるキッカケを作ったのは、イギリスのエリザベス女王でした。


1975(昭和50)年にご主人と共に日本を公式訪問された際、女王自らが龍安寺の拝観を希望され、お目当ての石庭を見学して絶賛したことが報じられたことが、龍安寺の名を一気に有名にしたのだそうな。

        

ただ一説には、
石庭を見たエリザベス女王は「私にはわからない」と言ったのに、新聞が「エリザベス女王にも理解できない、東洋の神秘!」てな具合で報じ、それを見た読者が龍安寺の石庭に興味を示した・・・とも。

個人的には後者の説が本当っぽく感じますが、こういう印象操作報道なら許せますかネ?

とにもかくにも、1994年に『古都京都の文化財』として世界遺産に認定されたのは、エリザベス女王の訪問が少なからず貢献していることは確かでしょう。

私は中学生時代に修学旅行で訪問した・・・はずですが、残念ながら全く記憶に残っていません。


まぁバスケに熱中していた時期ですから、こんな庭を観ても面白くも何ともなかったんでしょう。

還暦を過ぎた今こそ再度訪れて、どこから眺めても石がひとつ見えない設計になっているというこの石庭の前に、1時間くらい佇んでみたいと思います。

年中無休で拝観できるそうですから、皆さんもいかがですか?


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