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宗教画

下の絵画、皆さんも一度ならず見た記憶があると思います。

 

では、この名画『ヴィーナスの誕生』の作者は、誰? と聞かれたら、答えられる方はそんなに多くないかも。

正解は、


サンドロ・ボッティチェリ

  Sandro Botticell


今日は、このルネッサンス初期に最も業績を残した、この画家の命日・没後510周年にあたります。


        


ボッティチェリは、あのレオナルド・ダ・ヴィンチより7年早い1445年に、イタリアのフィレンツェで4人兄弟の末っ子として生まれました。

※本名は全く違う名で、ボッティチェリは兄が太っていたことから付けられた〝小さな樽〟という意味の渾名。


父親は皮なめし職人で一般的な家庭に育ったようですが、幼少期より病弱だったそうな。

そして金細工の仕事をしていた兄の工房に出入りしていた時に、芸術家としての初期教育を受けたと考えられます。

20歳前の1464年から3年程フィリッポ・リッピの工房に入り、プラート大聖堂のフレスコ画制作に関わり修業を開始。

その後アントニオ・デル・ボッライオーロやアンドレア・デル・ヴェッロッキオの工房に移り、それぞれから影響を受けた彼は24歳までに自ら家を持ち独立、1470年には自らの工房を構えます。


そして同年に初めて公的注文を受けて制作しフィレンツェ裁判所に納めた『剛毅』という作品で、早くも名声を手に入れます。


        


1472年にフィレンツェの画家信心会である聖ルカ組合に登録し、嘗ての師フィリッポ・リッピの息子にも登録を勧め、その結果彼は後年ボッティチェリの有力な支援者となりました。

その後生涯の殆どをフィレンツェで過ごし、冒頭の『ヴィーナスの誕生』(縦172.5cm×横278.5cm 1483年頃)などを制作。

※上部2枚目の自画像は、1475年頃に描かれた『東方三銃士』の中に描かれているもの。(下・右の赤矢印部分)


 


彼の作風は、ダ・ヴィンチやラファエロらの厳格な古典的リアリズムとは一線を画した異端的なものだそうな。

そして当時のフィレンツェの中心思想だった新プラトン主義と人文主義を示していますが、それ故にルネッサンスの華美と頽廃
を象徴するものとして、修道士サヴォナローラの批判を浴びることに。


しかし幸いなことに、彼の作品は運よく焼却から免れます。



そしてそのサヴァナローラが実権を握ると、彼の思想に感化されたボッティチェリの画風はガラリと変わったそうですが、サヴァナローラ没落後は絵画の制作をすることなく、1510年5月17日に65歳で寂しくこの世を去りました。


そんな経緯もあってか、彼の作品はその後400年に渡り全く忘れ去られていましたが、19世紀に入ってイギリスのラファエル前派に注目されたことから、再び名声が広まりました。

ボッティチェリは、自分の作品が日の目を見て、さぞホッとしているでしょうネ。


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