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路 線

今日は、まず最初にコレを聴いて下さい。




私のような昭和世代の方は、懐かしくて思わず涙ぐんでしまうかもしれません。

現在では殆ど使われなくなった、国鉄・JRの車内放送時に使われたチャイムですが、このメロディーの基となった

 鉄道唱歌

の第一集・東海道編が発売されたのが、今からちょうど120年前の今日・1900(明治33)年5月10日のことでした。

冒頭ご紹介したチャイムは、この東海道編に使われているメロディーを転用したもの。


汽笛一声新橋を   はや我汽車は離れたり

   愛宕の山に入り残る  月を旅路の友として〟


という歌詞は、有名ですょネ。


この唱歌は、大阪の出版社・昇文館を主宰する市田元造が企画し発売したものですが、当時既に同社の経営が悪化していたため宣伝もできず印刷部数は僅か3,000部に留まり、殆ど売れぬまま倒産。


このまま曲も消滅・・・かと思われましたが、救いの主が現れます。

それは大阪で楽器店(現・三木楽器)を営んでいた、三木佐助という人物。

       

鉄道唱歌の版権を市田から買い取った彼は、再度出版すると同時に楽団を乗せた列車を走らせるなど斬新な広告戦略を展開。

これが人々の関心を集め、曲は大流行。

同年末までに路線を拡大して第5集まで発売され、大正初期までの20年間に2,000万部を売る大ヒット商品となりました。


※実はこの鉄道唱歌、市田のアイデアを基に全て2通りの作曲が為され、消費者が好きな方を選べるよう出版されましたが、多梅稚が作曲した冒頭のメロディーが圧倒的に支持され、現在歌われたり演奏されるのは、殆どが彼の作品の方。



   

             発売当時の表紙と、その1ページ目


また「地理教育鐵道唱歌」と表紙に銘打たれている通り、元々は子供の地理の学習のために作られた曲でありました。


しかし詞の中に沿線の地理・歴史、民話・伝説、名産品の紹介を織り込んだことで、大人の間でも人気となっとのこと。


その後も類似の路線唱歌が発売されたことからも、その人気ぶりが伺えます。

それでは最後に、元祖というか本家・鉄道唱歌をご一緒に歌ってみてください。



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