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代表的日本人

かつて第35代アメリカ大統領にジョン・F・ケネディが就任した時、日本の新聞記者が日本で最も尊敬する政治家は誰か? と質問した際、

「それは上杉鷹山だ」

と彼は即答したのですが、逆に日本の記者たちでその名を知る者は誰もいなかった・・・という逸話は有名です。

日本でもあまり知られていなかった、この江戸時代に生きた米沢藩主を、なぜケネディが尊敬し影響を受けたのか? それは


 内村 鑑三

の著書を読んでいたからだ、と言われていますが・・・今日はケネディ大統領にまで影響を及ぼした、このキリスト教思想家の命日・没後90周年にあたります。

       


鑑三は1861(文久元)年に、高崎藩士・内村宜之の長男として江戸・小石川の武家長屋で生まれました。

幼少期に父から儒学を学んでいた彼でしたが、明治維新の廃藩置県によって父親が隠居すると英学校に入り、英語に親しむように。

そして1874年に東京外国語学校(後の東京大学予備門)に入学すると、そのまま在学すれば東京大学卒となるところを、学費の問題で官費生の特典が受けられる札幌農学校へ。

この間、新渡戸稲造や宮部金吾と同級だった彼は、入学後揃って(半ば強制的に?)洗礼を受け、キリスト教徒に。

       

       札幌農学校時代の左から新渡戸・宮部・内村(1883年)


卒業後、開拓使御用係、農商務省農務局水産課勤務を経て退職。

その直後に結婚したものの僅か3ヶ月で離婚した彼は、私費でアメリカに留学しアマコスト大学で回心(
自らの罪を認め、神に立ち返る個人的な信仰体験)。

帰国後、第一高等中学校(現・東京大学教養部他)で教鞭を取りましたが、その最中の1891年に、講堂で行われた教育勅語奉読式に於いて、彼が明治天皇親筆の署名に対し最敬礼をせず敬礼したのみで降壇したことを同僚・生徒らに非難されてしまいます。


間が悪いことに、ちょうどその頃悪性の流感に罹って寝込んでいる間に事態は悪化し、これが『不敬事件』として世間を騒がせるまで話が大きくなり、結局辞職することに。

しかしそれが却って彼の執筆活動を活発化させました。

後に『余は如何にして基督信徒となりし乎』として翻訳された“HOW I BECAME A CHRISTIAN”など多くの著作を発表。

1897年には新聞社に入社して 『万朗報』 英文蘭主筆となり、幸徳秋水らと共に社会評論家として頭角を現すと、足尾鉱毒事件の反対運動に参画。

しかし日露戦争直前から〝非戦論〟を展開したことで 『万朗報』 を退社。

その後は社会運動からキリスト教の活動に重点を置くように。

1900(明治33)年9月に 『聖書之研究』 を、また1901年に 『無教会』 を創刊し、無教会主義を創唱。


生涯、平信徒として聖書の研究と執筆活動を続けた彼が69歳の誕生日を迎えた直後に天に召されたのは、1930(昭和5年)3月28日のことでした。

さて、冒頭ご紹介したケネディ大統領が読んだとされる彼の著作は、(日清戦争中の1894年に刊行された“Japan and the Japanese

とそれを改訂して)1908年に再版された“Representative Men of Japan ”。

もちろん英語で書かれたものですが、これが後に和訳され 『代表的日本人』 として出版されました。

        

西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮の5人を取り上げており、新渡戸稲造の『武士道』と並び広く世界に日本(人)を紹介した名著ですので、是非ご一読をお勧めします。

今宵は、かつてケネディ大統領が読んだであろう上杉鷹山の項を久しぶりに読み返しつつ、著者の冥福を祈りたいと思います。
笑3


ところで、皆さんが 「日本を代表する5人を選べ」 と言われたら、誰の名を挙げますか?

私なら・・・昭和以降自分が存命中を知る人物であれば、松下幸之助・安岡正篤・田中角栄・東山魁夷・王貞治の各氏でしょうか。


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