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財界総理

「今時の政治家は小粒」なんて声を時々耳にしますが、財界もご同様かもしれません。

昔は政治家同様、大物といわれた財界人が何人もいましたが、今日はその中でもトップ・クラス・・・初めて〝財界総理〟と奉られ、経団連会長を4期12年務めた


 石坂 泰三 

の命日・没後45周年にあたります。


       


石坂氏は1886(明治19)年に東京で生まれました。

父親がサラリーマンのいわゆる中流家庭(東京)で育てられた彼は頭脳明晰で、旧制一高・法制科から東京帝国大学法科に進学し、1911年に卒業後逓信省に入省。

貯金局に配属されると、結婚後の1914年に高等官に昇進し、為替貯金局事務官補に。

そして法制局長官の紹介で第一生命保険相互会社の矢野恒太社長に紹介された縁で、1915年に逓信省を退官し、第一生命に入社。

矢野社長の秘書となり帝王学を学んだ後、1938年に52歳で同社取締役社長に就任。


この年に皇居のお堀端に完成した同社の本社ビルは、戦後GHQ本部に接収され、マッカーーサーは石坂氏が使っていた社長室の椅子に座ることに。

そして1947年に社長を辞任するまでに、同社は業界の中堅から大手に成長。

吉田茂氏から大蔵大臣就任を打診されたものの辞退した彼は、1948年に三井銀行の佐藤喜一郎頭取に懇願され、労働争議に揺れ倒産寸前だった東京芝浦電気に取締役として入社し、翌年社長に。

当時は下山事件などが起きた物騒な時代で、どの大企業も労組との軋轢に経営陣が苦しんでいましたが、石坂氏はその組合をねじ伏せるための切り札として白羽の矢を立てられたのです。

 ※下山事件に関する過去記事は、こちら。(↓)


石坂氏は社長就任が決まると、単身でふらりと組合の本部に姿を現し

「近く社長になる石坂です」

と挨拶して、労組幹部の度肝を抜いたとか。

そして 「会社が潰れては元も子もない」 と荒れ狂う労組を抑え込み、6,000人の人員削減を断行。

しかしその一方で、残った従業員の待遇改善に力を入れ、労働協定締結時には、

「諸君に英雄にさせてもらった」

と組合側に頭を下げたといいます。

同社の労働争議を鎮静化させた石坂氏は、その功績を認められて石川一郎・初代会長からバトンタッチされ、1956年に第2代・経団連会長に就任。

歴代最長の12年間も務め、冒頭の〝財界総理〟と呼ばれました。


そのポストと並行して、1957年にはアラビア石油会長、1960年には東京オリンピック資金財団会長、1963年には日本工業倶楽部理事長に就任。

ビジネス以外にも宮内庁参与やボーイスカウト日本連盟総裁を歴任、更には日本万国博覧会協会々長をも務め、無事大阪万博開催に漕ぎ着けた石坂氏が88歳で大往生を遂げたのは、1975(昭和50)年3月6日のことでした。

石坂氏は経団連会長時代に経団連会館建設のため国有地払い下げを申請し、何度も大蔵大臣を訪ねて頭を下げたそうですが、大手町の一等地は超人気物件・・・政治家も絡んで一向に払い下げが決まらず。

元々短気だった石坂氏は業を煮やして、時の水田三喜男蔵相を

「もう、君には頼まない!」

と怒鳴りつけたそうな。

今時蔵相を怒鳴りつけられる財界人はいないでしょうが、そんな豪気な石坂氏の生涯を詳しく知りたい方には、この一喝の言葉をそのままタイトルにした城山三郎さんの小説をお勧めします。

       

同書の〝あとがき〟で、著者は

「存在感のある人間が、いま求められている」

と記していますが、それは現代にも言えること。

これから先、〝財界総理〟などという敬称(?)を奉られる大物は、果たして現れるのでしょうか?


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