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一枚の写真

1975~86年にかけて、久米宏さんが司会を務めた人気番組『ぴったしカンカン』に、ブログタイトルと同じコーナーがありましたが、今日はその話題ではありません。

今からちょぅど75年前の今日・1945年2月23日・・・その年のピューリッツァー賞を受賞した歴史に残る写真が、太平洋の無人島で撮影されました。


皆さんもご存じであろう、その1枚とは


     硫黄島の星条旗

   Raising the Flag on Iwojima


    


後に太平洋戦争のシンボルとしてアーリントン墓地に建てられた海兵隊戦争記念碑の元になった、有名な写真です。


我が母校・長野高等学校の大先輩であった栗林忠道中将(当時)率いる日本軍が死守せんとする硫黄島にアメリカ軍が上陸を開始したのが、同年2月19日。

 ※栗林中将に関する過去記事は、こちら。(↓)


激しい艦砲射撃や空爆に耐えた日本軍の必死の抵抗も虚しく、遂に米軍兵6名が擂鉢山頂上に日本軍の水道管をポールにして星条旗を掲げ、それを同行したAP通信社カメラマンのジョー・ローゼンタールが撮影したのです。


※しかし星条旗はその後2回にわたり夜間日本兵によって日章旗に取り換えられたとか・・・日本兵の執念が伝わってきます。


この写真は異例の速さでアメリカ本国に送られ、18時間半後には各新聞がこれを掲載。


米国民が熱狂する中、一人の政治家がある策略を巡らせます。

それは、時の大統領F・ルーズベルトでした。

        Franklin Delano Roosevelt  


彼は星条旗を掲げた国民的ヒーローの6人を帰国させ、売れ行きが伸び悩んでいた戦時国債のキャンペーンに利用することを思いついたのです。


結果的に3名がその後の戦闘で死亡し、残ったレイニー・ギャグノン、ジョン・ブラッドリー、アイラ・ヘイズの3名が大統領命令で帰国。

彼らはヒーローとして全国各地を巡り、ルーズベルトの企み通り国債売上に貢献。


実に目標額の2倍に当たる233億ドルを国庫にもたらしました。


私はこの史実を、C・イーストウッドがメガホンを取った映画


  『父親たちの星条旗』 2006年公開)      

   Flags of Our Fathers


を観て、初めて知りました。


       


そしてこの映画でも描かれていますが、本来なら平凡な帰還兵だったはずの3人は偶然旗を立てたことで国民的ヒーローとなり、またその後半生・・・いや、人間性までもが大きく変わってしまいます。


ギャグノンは早く結婚したものの、その後なかなか定職には就けず。

ヘイズは有名になった重圧からその後アルコール依存症に陥り、うつ病も併発。 

何度か留置場の出入りを繰り返した挙句、硫黄島の戦いから10年後に32歳の若さで過度のアルコール摂取により急死。

またブラッドリーも心に深い傷を負い、この一連の出来事を家族には話さなかったと言います。


しかし 「孫たちのために語り継いでほしい」 という妻の強い要請により、1985年に一度だけ過去を語ったそうですが、その話を元に彼の息子ジェームズ・ブラッドリーが関係者を訪問して調査・出版した同名の著書が、映画の原作となりました。


そして隠された事実が、もうひとつ。

この写真、実は2回目の掲揚の時のもの。
これ以前に一回り小さな星条旗が立てられていたのです。


しかし最初の旗を掲げたC・W・リンドバーグ伍長が帰国後周囲にその事実を話しても信じてもらえず、逆に嘘つき呼ばわりされたとか。ダメだぁ顔


もし最初の星条旗掲揚の写真が大々的に報じられていたら、リンドバーグ伍長が時の人となって逆に3人は平穏無事な後半生を送り、更にはイーストウッドの映画は制作されなかったかも・・・。

1枚の写真は、国政から兵士の人生までを大きく変えたのです。


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