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租 借

玄界灘にあって長崎県に属し、面積696.1㎢は日本第10位の島・・・といえば

 対 馬

国防・領海問題で注目されているのは沖縄の尖閣諸島ですが、歴史的にみて外敵から何度も襲われているのが、この対馬です。


 

ご覧の通り九州よりも朝鮮半島に近いですから、致し方ないところ。

古くは663年の『白村江の戦い』以降、国防のために防人が配置され、1019年の『刀伊の入寇』では襲撃されて1,200人余りの島民が高麗に連れ去られました。

 ※『刀伊の入寇』に関する過去記事は、こちら。(↓)



そして1274・81年の元寇でも襲撃され、軍は全滅。

島民の男性は殺され、女性は手に穴を開けて紐を通され船のヘリに矢玉除けとして吊るされたといいます。

そして江戸時代末期、今から160年近く前の今日起きたのが、


 ロシア軍艦対馬占領事件

ロシア艦隊の中国海域艦隊司令官イワン・リハチョーフ大佐は、不凍港確保のため対馬海峡に根拠地構築を提案したものの、日本との関係悪化を懸念したロシア政府は、これを却下。

しかし海軍大臣が対馬への艦隊派遣許可を取りつけ、ニコライ・ビリリョフ中尉が艦長を務めるポサドニック号が、
1861(文久元)年2月3日に突如対馬に来航し、
尾崎浦で投錨して測量を始めました。


       

                  ビリリョフ艦長


対馬藩主・宗義和は家臣を急派し速やかに退帆するよう抗議したものの、ビリリョフ艦長は

「船が難破して航行に耐えられないので、修理のために来航した

と回答し、
退去するどころか、修理工場の設営資材や食料・遊女までも要求したというから呆れます。

当然船の修繕なんてのは単なる口実・・・浅茅湾に入り込むと、3月4日には芋崎に無断上陸して兵舎を、更には船体修理を名目に工場・練兵場などを建設し始めたのです。

    


彼等は更に武力をちらつかせながら木材・牛馬・食料などを強奪・買収して備蓄を行ったり、沿岸を測量したり山野で野獣を捕獲したり、更には女性を追いかけたり・・・と、やりたい放題。

4月には大船越で略奪を行うなど、殺傷事件も起こしました。

現在の官僚同様、事を何とか穏便に処理しようとした藩主は何度もビリリョフ艦長に申し入れをしたものの、先方はすべて無視するどころか、逆に藩主に対し芋崎の租借を要求。

手に余った対馬藩が窮状を訴えると、幕府は外国奉行・小栗忠順を対馬に派遣。

咸臨丸に乗って現地入りした外国奉行でしたが、協議は不調に終わります。 (江戸に戻った小栗は、この一件の責任を取らされて外国奉行を辞任する羽目に。)


相変わらず強気に芋崎の租借を要求し続けたビリリョフ艦長でしたが、ここで救世主が現れました。

それは、イギリス。

実はイギリスも対馬の租借を考えていたため、ロシアを追い払おうとしたのです。

7月9日にイギリス公使オールコックと海軍中将ホープが幕府に対し、イギリス艦隊が圧力をかけてロシア軍艦を退去させると提案。

同月23日にイギリス軍艦2隻が対馬入りしロシア軍艦に厳重抗議を行うと、それまで静観していたロシア領事は形勢不利と判断。

対馬に他の軍艦を派遣しビリリョフ艦長を説得、ポサドニック号は入港から半年後の8月15日に退去しました。

結局幕府は何らの手を打てず、諸外国のパワーバランスに助けられた形・・・武力がないとどうにもならないのは、今も昔も変わらないようです。

この時はイギリスのおかげで事なきを得た対馬ですが、現在は朝鮮人観光客が我が物顔で闊歩するばかりか、土地まで買収されている始末。

無人島の尖閣と違い多くの日本人が住む対馬で、政府はそんな状況を許していて良いのでしょうか?

もうイギリスは助けてくれませんけど・・・。
うー



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