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寵 臣

あまり日本史に詳しくない方でも、映画やTVドラマなどを通じて、この人物の名は聞き覚えがあるはず。


 柳沢 吉保


今日は、江戸・元禄時代に権勢を誇ったこの幕閣の命日・没後305周年にあたります。


       
                  
狩野常信・画


1658(万治元)年に上野国館林藩士・柳沢安忠の長男に生まれた吉保(保明)は、当時館林藩主だった綱吉に5歳の時初めて謁見した後、小姓として仕えます。


1680年、綱吉が将軍になると同時に彼も幕臣となって小納戸役を任ぜられると、その後は綱吉の信頼を一身に受けトントン拍子に出世。

1684年に老中・堀田正俊が暗殺されると、1688年には側用人に。

1694年1月に武蔵川越藩主、そして同年12月には老中格に、そして4年後には左近衛権少将に任じられます。


更に1701年、綱吉から一字を与えられて吉保と名乗り、その3年後には天領でもあった甲府藩15万石の藩主に任ぜられ、1706年には大老格にまで登り詰めます。


総理大臣秘書補佐(?)になってから僅か26年、48歳で副総理か官房長官の地位にまで出世したのは、偏に将軍・綱吉の寵愛があったればこそ・・・一体この2人はどういう関係だったんでしょうネ?


「吉保は綱吉の隠し子」 説もあるそうですが、その真偽の程は不明。


あるいは・・・あっ、その先は皆様のご想像にお任せ致します。


そんな吉保も1709年に綱吉が亡くなると、その僅か3ヶ月余り後には自ら役職を退き、長男に家督を譲って隠居してしまいます。


新将軍・家宣が新井白石を重用していることから権力の移行を察知して即座に身を引き、一族の安泰を図ったところは見事といえましょう。


1714(正徳4)年11月2日に57歳でこの世を去った柳沢吉保は、松の廊下で刃傷沙汰を起こした浅野長矩を十分な吟味もせずに即日切腹させるなど、江戸庶民の間には〝ヒール役〟のイメージが定着していました。


しかしかつて藩主を務めた川越藩では、着任半年で三富新田 (さんとめしんでん) の開発に着手し、また甲府では甲府城修築や城下町整備などを行うなど、地元民には大変評価された為政者だったとか。

吉保の生涯を詳しく知りたい方には、こちらのご一読をお勧めします。


 『将軍側近 柳沢吉保』 (福留真紀・著 新潮新書・刊)


       


政治家はイメーシではなく、あくまで実績と行動で評価されなければ、ご本人も浮かばれないですょネ。

以前拙ブログでご紹介した、やはり側用人の田沼意次も、然り。


映画・ドラマや小説だけでその人物像を決めつけるのは、危険です。


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