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【特別増刊】 御 歌

先程、退位礼正殿の儀が執り行われました。

いよいよ平成時代が終わろうとする今、皆様に皇后陛下美智子様の御歌をお届けします。


 


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判 官

日本の歴史には数多くの武将が登場しますが・・・最も人々に愛され、数多くの伝説を残した人物といえば、おそらく


 源 九郎義経


ではないでしょうか。 


今日は、彼の命日・没後830周年にあたります。


       

               源義経像 (中尊寺・蔵)


河内源氏の当主・源義朝の九男として生まれた義経(幼名・牛若丸)。


平治の乱で父が敗死したものの、母が平清盛に命乞いをして許され、幼少時代は鞍馬寺に預けられました。


しかし僧侶になる事を拒み山中で武芸を磨き続けた義経は、異母兄・頼朝が打倒・平家の兵を挙げたことに呼応、下山して頼朝の許に馳せ参じます。


頼朝の命を受け、京都を支配していた従兄弟・木曽義仲を 『宇治川の戦い』 で撃破。 

さらに 『一ノ谷の戦い』 では、有名な〝鵯越の奇襲〟で平家本陣を大混乱に陥れて大勝利をもたらし、一気にその名を天下に知らしめました。(↓)



しかし鎌倉からの指示を無視したり、許可を得ずに朝廷から任官を受諾するなどの行動が頼朝を激怒させ、遂には朝敵として追われる身に。


京都を追われ、元服後に世話になった奥州・藤原氏を頼って平泉へと逃げますが・・・頼朝の権力を怖れた藤原泰衡に裏切られ、追い詰められた義経は1189(文治5)年4月30日に正妻と4歳の幼い娘を殺した後、自害して果てたのです。


まだ31歳の若さでした。


お互いに打倒・平家を目指し、嘗ては泣いて再会を喜び合った兄弟。 


その2人が何故対立し、追討命令が下されるまで憎しみ合う事となったのでしょう。


兄・頼朝が、義経の人気を単に妬んだだけなのか?

あるいは組織のトップとして、自らの命に背いた部下を身内とはいえ 「泣いて馬蜀を切る」 決断を下したからなのか?


また、慕った兄から追っ手を放たれ自害に追い込まれた弟・義経の心中は、いかばかりだったのか?


いずれにせよ 〝判官贔屓〟という言葉まで生んだ義経・・・これまた多くの謎に包まれている武蔵坊弁慶と共に、〝悲劇のヒーロー〟として永遠に語り継がれることでしょう。笑3


(※ちなみに、『義経=チンギス・ハン』説は、科学的に否定されているそうです・・・残念ながら。)あせあせ


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何 屋

今年1月末に葬儀屋を閉店した後、2月から再開したのはゴルフ・・・と、もうひとつ。

それは、ダイエット。

もちろんその動機は、ゴルフができる身体に絞るため。

その方法は、至ってシンプル。 

1日3食から2食・・・すなわち夕飯を抜くこと。

おかげで2月から4月中旬までの3ヶ月弱で9kgの減量に成功。

以前穿いていた綿パンも余裕で入るようになりました。


一体、今までどれだけ食べていたんだか・・・。

で、このダイエットの影響で、もうひとつ生活習慣が変わりました。

それは今まで夕食を摂っていたエネゴリ君の店に、ランチタイムに行くようになったこと。

そのランチコースで出てくるのが、こちら。(↓)

       

この小ぶりなパンが、妙に美味しいんです。
しっとりとパサパサの中間というか、独特の食感で。

「エネゴリ君ょ、スーパーとかで売ってるパンと食感が違うけど・・・。」

「店で焼いてるんですョ。」

「へぇ~、そうなんだ。 もしかして、キミが焼いてるの?」

「えぇ。」

「おぉ、そりゃ凄い。 美味しいょ、コレ。」

「そうですか。 別にお出ししたパテを乗せて召しあがってくださいネ。」


    

「何だョ、美味しいって褒めたのに、嬉しくなさそうじゃん。」

「えぇ、まぁ。」

「どうして?」

「だって自分、バン屋じゃないですから。」

「か、かわいくねぇ。」

「どうせかわいくないですょ~。」

「そう言うお前さんは、何屋なんだョ。」

「何屋っていうか、料理人ですから・・・。」

「じゃあ、褒めるならパンじゃなくてパテを褒めろってか?」

「えぇ、まぁ。」

「そう言われると、褒めたくなくなるナ。」

「そんなこと仰らず、褒めてくださいョ~。」

ホントはやはり彼手作りのパテも美味しかったんですけどネ。 

でも私の答えは、


「やだ、意地でも褒めない。」


・・・真っ昼間から、しょうもない会話。

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巨 体

今日・4月28日は、


 象 の 日

なのだそうな。

これはよくある語呂合わせではなく、今から290年前の今日・1729(享保14)年4月28日に、広南国(現・ベトナム北部)から清の商人が連れてきた象が、中御門天皇の御前で披露されたことに因むもの。

ただしこの象をオーダーしたのは第8代将軍・徳川吉宗で、長崎に上陸したのは前年6月のこと。

その時は7歳のオスと5歳のメス2頭が連れてこられたのですが、メスは長崎で死んでしまったため、残ったオスだけが陸路を歩いてゆっくり移動。


天皇に謁見した際は慣例により位階が必要だったため、彼には『広南従四位白象』という位と姓名が与えられたそうな。

拝謁した象は
前足を折って頭を下げる仕草をrすると、初めて象を見た中御門天皇は感銘し、


『時しあれは 人の国なる けたものも  けふ九重に  みるがうれしさ』


という和歌を残しています。


※その時京都で描かれた絵が、こちら。(↓)


       


その後彼は江戸に向かい、5月27日には無事吉宗の御覧に供されたとか。

しかし 『象の日』 の由来とは言え、日本に象がやってきたのは、これが最初ではありませんでした。

文献に残っている象の日本初上陸は、これより120年前の1408(応永15)年6月。

室町幕府第4代将軍・足利義持への献上品として、現在の福井県小浜港にやってきたとのこと。

この象は京で将軍の御覧後、朝鮮に寄贈されたそうな。

次にやってきたのは、1575(天正3)年に大友宗麟に献上されたするため豊後国に。

更に1597(慶長2)年にはルソン総督から豊臣秀吉への献上品として、また1602(慶長7)年には交趾国(やはり現・ベトナム北部)から徳川家康への献上品として虎・孔雀とともに贈られています。


※秀吉献上の象が日本にやってきて来た時の様子を狩野内膳が描いた屏風図が、こちら。(↓)

 


小さくてよく分かりませんが、左下を拡大するとよく分かります。

       

さて、前述の吉宗が呼び寄せたオスの象は、その後どうなったのか?

当初は浜御殿で飼育されていたそうですが、あまりに餌代がかかるため持てあました幕府は、1741年4月に中野村(現・東京都中野区)に住む源助という農民に払い下げたとか。

そして翌年12月に、彼は21歳で病死・・・現在のインド象の寿命は約80年だそうですから、かなりの短命。

そりゃあ船に乗せられて異国の地に連れてこられ、長崎から江戸まで歩かされたんですから、かなりストレスが溜まったでしょうから、早死にしたのも無理からぬこと。

命日ではないですが、記念日の今日はおそらく象の歴史上(?)最も過酷な一生を送った彼の冥福を祈ってあげてくださいまし。
ゾウ


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対 話

「知っている哲学者は、誰?」


と聞かれれば、おそらく多くの方はこの人物の名を挙げることでしょう。

今日・4月27日は、古代ギリシャでその名を馳せた、


  ソクラテス
  Σωκράτης

の命日にあたります。

       


ソクラテスは孔子が亡くなってから9年後の紀元前470年頃、石工の父・ソプロニコスと助産婦の母・バイナレテの間にアテナイ(※アテネの古名)で生まれた、といわれています。

彼が青年期に過ごしたアテナイは民主制が花開いた時代で、あの有名なパルテノン神殿を建てさせた名将・ペリクレス(BC495-BC429)が統治した安定期。

ソクラテスも自然科学などの学問に励んだようですが、彼が30歳後半の時期にアテナイとスパルタの間でギリシャの主導権を争うペロポネソス戦争が勃発。(BC431~BC404)

彼も40歳から3回にわたり自前の武器を手に重装歩兵として従軍したと伝えられています。

その後のアテナイはペリクレス将軍の死去とペストの流行により衰退。


栄華と没落を短期間に味わった故郷で、優秀な戦士だったソクラテスは哲学者として生きていくことに。

ある時、彼の弟子カイレフォンがアポロンの神託所で巫女に 「ソクラテス以上の賢者はいるのか?」 と尋ねたところ、「彼以上の賢者は一人もいない」という答えが返ってきたとか。

それを聞いたソクラテスは、その意味を自問自答・・・そして

「知らないことを知っていると思い込んでいる人々よりは、知らないことを知らないと自覚している自分の方が賢く、知恵の上で少しは優っている」

つまり、無知であると自覚している分だけ私の方が賢い・・・いわゆる〝無知の知〟を悟ります。


その後彼は政治家を始めあらゆる知者・賢者といわれる人々との対話を始め、相手に無知であることを自覚させようとしました。

つまりソクラテスは、意見が違う者同士が対話することによって相手に矛盾を気付かせようという問答法(弁証法)を重視したわけです。

しかしこの手法は相手をやり込め言い負かして恥をかかせることにもなり、周囲の自分の評価を高めさせる効果がある反面、敵を多く作る結果に。

私が尊敬する政治家・田中角栄氏は生前、「上の地位に就きたければ、味方を作るよりも敵を減らすことだ」 という言葉を残していますが、ソクラテスはその教えの逆をやったわけです。


そして紀元前404年にアテナイがスパルタに負けて30人僭主体制となり、その指導者クリティアス(紀元前460年頃~紀元前403年)に反対する市民1,500人が裁判なしで処刑される事態に。


そのクリティアスの死後、彼と親友だったことでソクラテスは代わりに市民の怒りを買う形となり、「アテナイの国家が信じる神々とは違う神を信じ、若者を堕落させた」 と告発され、公開裁判にかけられることに。

しかし彼は自身の弁明を行い、自説を曲げず謝罪しなかったことから死刑判決を受けてしまいます。

旧友・クリトンらに脱獄・逃亡を勧められ、また彼に同情した牢番もカギを開けっぱなしにして彼の逃亡を助けようとしましたが、

「悪法も法なり」

とするソクラテスは、紀元前399年4月27日に、潔く自ら毒ニンジンを口にしてこの世を去りました。


彼が刑死を遂げた後になって、アテナイ市民は不当な裁判によって偉大なる哲学者を亡くしたと後悔し、告訴人を裁判なしで処刑したそうですが、後の祭り・・・。

そのソクラテスといえば、まず頭に浮かぶ書籍は、


 『ソクラテスの弁明』

       


これは、私が小学校6年生の頃に背伸びして買った、我が家に現存する最も古い岩波文庫。

ただしソクラテス自身は全く著作を残しておらず、この本の著者であるプラトンら弟子の手によって彼の言葉が書き残されているのみ。

今読み返そうと思っても、紙が黄ばんでいるし字も小さくて無理。

ということで、ソクラテスの思想・教えに触れてみたい方には、こちらをオススメします。


 『ソクラテス われらが時代の人 (日経BP社・刊)

       


著者は 『チャーチル』、『ナポレオン』、『ユダヤ人の歴史』 など多数の著書を手掛けたイギリスの歴史家。

翻訳本としては比較的読みやすく平易ですので、哲学という堅苦しいイメージを拭い去って読んでみてください。


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Last Message <下>

「たった今、息子が息を引き取りました。」


Yさんのお母様から涙声で電話をいただいたのは、病院でお会いしてから3週間後のこと。


自宅にご安置したYさんは、大変安らかなお顔をされておられました。


「この子が望んだ通りにしてあげてください。」


というお母様のお言葉を受け、私はYさんのご友人と連絡を取りながら準備を進めました。


3日後に行われた告別式は、Yさんのご要望に従い献花による無宗教葬形式。


Yさんのご人徳の賜物でしょう、200名を超えるご会葬者が最期のお別れにおいでになりました。


生前にどうしても弔辞を読んで欲しい・・・彼がそう希望されていた3人の方々が、順に弔辞を読まれます。


実は病院での打ち合わせの際、Yさんに


「もし3人の方に弔辞をお願いしたい・・・ということならば、直接Yさんからご本人に依頼されないと、辞退されてしまう可能性がありますょ。」


と私がお話したところ、その翌日から一人ずつ連絡を取って病室に呼び出しては、直談判で弔辞の依頼をされたとのこと。


「ホントは俺、弔辞読むなんてイヤなんだョ。

でもなぁ・・・お前に直接頼まれたら、断れないじゃないか!」


嗚咽に声を詰まらせながらの、心のこもったお別れの言葉の数々。


そして前もってご友人に編集をお願いしていたDVDで、在りし日のYさんの試合での活躍風景や仲間と楽しそうに騒いでいる宴会シーンが大型スクリーンに映し出されると、式場内のあちこちからすすり泣く声が・・・。


献花が終わり、祭壇のお花を会葬者全員の手で柩一杯になるまで手向けていただき、いよいよご出棺の時間となりました。


「それではここで、Y様ご本人からご会葬の皆様にお別れの言葉がございます。」


私のナレーションに 「えっ?」 と会葬者がどよめく中、Yさんの肉声が式場内に流れ始めます。           


「皆様、今日は僕の葬儀に忙しい中おいでいただき、ありがとうございました。


今日、弔辞を読んでくださった3名の方は、私にとってかけがえのない方でした。


○○さん、△△さん、そして□□さん、無理なお願いをしてすみませんでした。」


3人の方が弔辞を読んでくれると信じ切ったYさんのメッセージは、楽しかった思い出やご家族・仕事仲間への感謝の言葉と続き、最後はこう締めくくられていました。


「皆さん・・・どうか・・・ボクのことを・・・忘れないで下さい。

それでは・・・一足先に・・・行ってきます!」


苦しい呼吸の中、時間をかけて吹き込んだ翌日、力尽きたように昏睡状態に陥ったYさんは、その後2度と意識を取り戻すことはなかったとか。


まさに、ラスト・メッセージだったのです。


「さよ~ならぁ!」  「ありがとう!」  


多くのご友人が絶叫に近い惜別の声をかける中、霊柩車は物悲しいクラクションの音と共に満開の桜に見送られながら、火葬場へと進んで行きました。

    


車列を見送りながら、


(Yさん、お望み通りのお別れでしたか? ご満足いただけましたか?)


と問いかける私。 


しかしその答えを得ることは、残念ながら永遠にできません。


Yさん。


私は、病院のエレベーターのドアが閉まる瞬間に垣間見た貴方の笑顔と、そして最期の言葉を決して忘れることはないでしょう。


どうか、安らかにお眠り下さい。  合掌。


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Last Message <上>

それは、葬儀屋時代に最も思い出深い出来事でした。

3月だというのに、雪さえ降りそうなどんよりと曇った寒い日の昼下がり・・・事務所に一本の電話が。


声の主は、私の友人S君が所属する草野球チームのメンバーだとおっしゃるYさんという方で、S君から私のことを聞いて電話をしたとのこと。


「あの~、急いで葬儀のことをご相談したいのですが。」


とYさん。 お話を伺うと、Yさんは40歳前半の方でしたので、


「わかりました。 ではご都合のよい場所に、私の方から伺わせていただきます。


で、ご対象になる方は、失礼ですがY様の親御様でいらっしゃいますか?」


という私の問いかけに、電話口から返ってきたYさんの答えは、


「いいえ・・・実は私なんです。」


「・・・エッ!?」


全く予想外の答えに、一瞬絶句した私は、翌日入院先での面談を約束して受話器を置きました。


そして翌日、指定された病院の談話室に伺うと、そこにはYさんともうお一人、上品な初老のご婦人がいらっしゃいました。


もしや・・・ご挨拶させていただくと、やはりYさんのお母様。


私は過去何度もご自身の葬儀についての生前相談をお受けしたことはありましたが、お母様同席で・・・というのは初めての経験でした。


       ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-イス


最初から泣きっぱなしのお母様をなだめながら、Yさんは


◆ 自分は1週間前、医師から余命1ヶ月という宣告を受けた。

◆ 自らの葬儀はお仕着せのものでなく、仕事で世話になった方々や、チームメート・友人など、できるだけ多くの方に笑顔で送って欲しいので、 絶対に元気なうちに自分の葬儀の打ち合わせがしたかった。

◆ 母はそれに強く反対したが、数日かけて説得して昨日私に電話をかけた。


等々、あまり具合が優れないご様子ながらも、一生懸命にご自分の思いを伝えて下さいました。


「・・・わかりました。 お母様の前で息子さんのご葬儀の相談をされるのは大変辛いことだと存じますが、Y様の強いお気持ちを受け止めて、私も率直にご提案させていただきます。」


と私もハラをくくると、Yさんの体調を考えて出来る限り時間をかけないよう心がけつつ、ご相談をさせていただくこと1時間余り。

最後にYさんが


「本当は来てくれた方全員に 『ありがとう』 って言いたいょねぇ。」


と呟くようにおっしゃったのを聞いた私は、


「ではYさん、会葬者の方に伝えたい言葉、病室で録音されたら如何ですか? 私がそれを皆様に必ずお聞かせしますょ。」


それを聞いたYさん、少し辛そうだったお顔がパァ~ッと明るくなられました。


「あ、なるほど。 それ、いいですね。


ご要望を全てお聞きし、それらについてご説明・ご提案をさせていただいた私は、お二人におかけする適当な言葉が見つからないまま、「それでは」 と席を立とうとしました。


すると、Yさんは


「今日は乗りにくい相談に応えていただいて、ありがとうございました。

おかげさまで気持ちが楽になりました。 後はよろしくお願いします。」


とおっしゃり、遠慮する私を 「まぁ、そうおっしゃらず」 と、お母様に支えられながらエレベーターホールまで見送りに来て下さいました。


エレベーターに乗り、ドアが閉まる刹那・・・。


「どうか、頑張ってください。」 と搾り出すように声をかけた私に、


「今日は、ありがとうございました!」


手を振りながら言葉をかけて下さったYさんの笑顔を私が見たのは、残念ながらこの時が最期となってしまったのです。


                     ・・・・・To be continued


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自 覚

今月上旬に開催された〝ゴルフの祭典〟マスターズで、タイガー・ウッズが14年ぶり5回目の優勝を飾ったことは、ゴルフをやらない方でもご承知のはず。


この劇的な優勝により、彼が使用しているボールやクラブはバカ売れ。

(実は私も彼と同じボールを使ってます。 ただしマスターズ以前からですけどネ。)あせあせ


そしてゴルフ用品メーカーや、彼を長年支え続けているスポンサー・ナイキ社の株価も上昇しましたから、社会現象を引き起こしたと言って良いでしょう。

ゴルフ業界にとっては、まさに天の恵みと言ったところ・・・ですが、それとは逆に最近ちょっと残念な出来事を目撃してしまいました。

それは、現在USPGAツアーで戦っている日本人のK選手について。

彼は前年度マスターズ直後のトーナメントで逆転優勝を果たし、2年シードを獲得してツアーに本格参戦しています。

       

                    K選手

そして今年の同トーナメントにディフェンディング・チャンピオンとして参戦し、見事予選を突破。

しかし残念ながら本選では調子を乱し、終わってみれば最下位でフィニッシュという不本意な結果に。


それは仕方ない事なのですが、私が気にかかったのはラウンド後に受けたインタビューでのコメント。

インタビューアーとのやり取りの最後に、ティーショットが乱れた話から彼は

「これからドライバー探しの旅に出ます。」

と言ったのです。

おそらく冗談半分であり、アナウンサーも笑っていましたが・・・私はそれを聞いて耳を疑いました。

と言うのは、彼は日本の某クラブメーカーと契約を結んでおり、CMにも登場しているから。

彼自身は軽い気持ちで言ったのかもしれませんが、もし私がそのメーカーの担当者だったら顔から血が引けたはず。

高額の契約料を支払った選手に、自社製品を否定されたようなものですから。

私が知る限り、どんなに調子が悪くともアメリカのツアー選手は契約先のギアを批判したり否定する発言など絶対にしません。

また契約先を変えたとしても、前の契約メーカーの悪口や批判など、もちろん口にしません。

もしタイガーが使用している(いや使用していなくても)ギアの悪口を言ったら、それこそメーカーは存亡の危機すら迎えかねませんから・・・。

日本のトップ選手にしては、いかにも軽率な発言だと思ったのです。

去年、別の某有名男子選手がトーナメントのプロアマで同伴競技者を怒らせてプレー途中で帰らせる、という不祥事がありました。

昨年から選手会長になった石川遼選手が男子プロの人気回復のため奮闘していますが、いくら彼が頑張っても他の主力選手がスポンサーやメーカーを怒らせる言動を重ねれば、ますますトーナメントから撤退する企業が増えるでしょう。

ついでに言うと、この時大叩きしたK選手のインタビューは落ち込んだ気持ちをそのままスレートに出していて、聞く側にはあまり気持ちの良いものではありませんでした。

タイガーをはじめアメリカの選手は、スコアに関係なく真摯な態度でメディア対応しますから、その点に関しても不満が・・・。


ファン・スポンサー・メディア対応全てに於いて、日本の男子選手は未熟だと言わざるを得ません。

人気上昇中の女子に比べ、まだまだ男子プロゴルファーのプロ意識は低い・・・とは、言い過ぎ?
うー


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強 権

今日は、ソ連からロシア連邦へ・・・という大国の民主化を主導した政治家、

  ボリス・ニコラエヴィチ・エリツィン

  Борис Николаевич Ельцин


の命日、日本流にいえば十三回忌にあたります。

       

エリツィンは1931年にウラル州ブトカで生まれました。

第二次世界大戦中に、武器庫から盗み出し分解しようとした手榴弾が爆発し、左手の親指と人差し指を失った彼は、プーシキン高校からウラル工科大学に進学。

1955年に同大を卒業後はスヴェルドロフスク州の建設会社に勤めていた彼は、1961年にソ連邦共産党に入党すると、7年後には同党専従に。

1976年にスヴェルドロフスク州の党第一書記に就任すると、その翌年には党の指示によりニコライ2世一家殺害現場のイバチェフ館を取り壊すなどしてその忠実な働きぶりをブレジネフに評価され、1981年には党中央委員に出世。


ゴルバチョフの部下として改革推進を行いましたが、ペレストロイカの遅れやブレジネフ派の大物リガチョフを名指しで非難したため、モスクワ市の党第一書記を解任されるなど、一時期干されました。


しかし1989年3月の人民代議員大会選挙にモスクワ選挙区から立候補して当選し政界復帰を果たすと、急進改革派の地域間代議員グループに属し、民主綱領派のリーダーに。

そして翌年5月にはロシア共和国の最高会議議長に就任すると、2ヶ月後にソ連共産党を離党し1991年6月に行われたロシア共和国大統領選挙に出馬すると、見事当選。

7月に大統領に就任すると、その翌月にソ連副大統領ケンナジー・ヤナーエフを擁立する守旧派が起こした〝8月クーデター〟の際には、戦車の上からロシア国民に対して演説をぶち、徹底抗戦。


    


軍も支持しなかったことで、結果的にクーデターは失敗。

この事件を契機としてゴルバチョフの求心力は一気に低下し、エリツィンの人気は急上昇。

同年11月、彼はウクライナとベラルーシの最高権力者と話し合ってソ連からの離脱に合意。

同月に起きたベルリンの壁崩壊と相まってソ連邦の崩壊は不可避となり、翌12月25日にゴルバチョフが大統領を辞任したことで、ソ連はその歴史に幕を下ろしました。


ソ連崩壊後もロシア共和国大統領として民主化を主導したエリツィンは、アメリカとの関係を改善すると同時に市場主義経済を導入。

しかし急激な変化は国内経済を混乱させ、1992年には前年比2510%ものハイパーインフレを引き起こし、庶民の生活を苦しめることに。

1993年には副大統領や議会と対立し、9月に議会の大統領解任劇に発展すると、彼は
最高会議と人民代議員大会を強制解体。

翌10月には反大統領派がたてこもる最高会議ビルを戦車で砲撃し力づくで制圧すると、12月には大統領に大きな権限を与える新しいロシア連邦憲法制定に成功し、西側諸国もエリツィンを支持。


しかし1994年にデノミを行うも経済の混乱は収まらず、またチェチェン侵攻の失敗や彼自身の心臓病手術による健康不安もあって、人気は急落。

1996年の大統領選では辛うじて勝ったものの、首相を次々換えるなど政権は安定せず、また親族を取り込む縁故政治に対する批判や議会で共産党が第一党になったことなどからその支配力は大幅に低下。

そして1999年の大晦日にテレビ演説を行い、電撃的な辞任を表明。

後継者として次期大統領に指名したのが、現在同国の絶対権力者・プーチンでした。


    


その後悠々自適の年金生活を送ったという彼が多臓器不全により76歳でこの世を去ったのは、2007年4月23日のことでした。


2日後に国葬が営まれ、プーチンがこの日を 『国民服喪の日』 にすると宣言したのは、ある意味当然のことだったでしょうネ。

大国の大きな歴史の転換期を指導した彼に対して毀誉褒貶があるのは致し方ないですが、彼以外の人間が大統領だったらロシアは果たしてどうなっていたのか?

個人的に思うのは、エリツィンにしろプーチンにしろ、国難の時代には強力なリーダーシップを発揮する政治家が求められるということ。

果たして日本には、そんな政治家が今後出てくるのかどうか・・・。
うー


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夫 婦

今日は4月22日・・・ってことで、語呂合わせから

 よい夫婦の日


なのだそうな。


でも、「あれ、他にも似たような記念日あったんじゃ?」と思った方、多いと思います。

実はその通りで、夫婦に関する記念日は他にも


 ◆ 夫婦の日        2月 2日

 ◆ いい夫婦の日   11月22日

 ◆ いい夫妻の日   11月23日

更に、毎月22日も夫婦の日・・・おそらくこれだけ同じような記念日は、他に類を見ないのでは?

うがった見方をすれば、これだけ記念日を作らなければならないくらい、夫婦関係を維持するのは難しいってことなのかも。


見かけ〝おしどり夫婦〟と思われていたカップルが突然離婚して周囲を驚かせることがありますが、やはり夫婦のことは当事者にしか分かりませんょネ。


さて既婚者の皆さん・・・ご自分たちはよい夫婦だと思いますか?

もっとも、〝よい夫婦〟の基準は人それぞれでしょうけど。

ひとつの目安としては、生まれ変わっても同じ相手と結婚するかどうか? でしょうか。

これに関する2017年のアンケート結果が、こちら。(↓)



予想通りと言うか、男性の方が女性より 「もう一度結婚したい」 人が若干多く、その比率は年齢が高くなるにつれて、また結婚年数が増えるにつれて少なくなるようです。

ただ救いは、結婚20年以上経過すると逆に増加することでしょうか。

そしてアンケートでは、夫婦円満の秘訣についても調査しています。
その結果が、こちら。(↓)



やはり夫婦間の会話が一番多く、57%。


次いで信頼が47%、程よい距離感(46%)、感謝を言葉にする(42%)・・・納得できる回答ではないでしょうか。

我が家の場合は、女王様が働いているのであまり一緒にいる時間がないのが長続きしている要因かも。

いつも顔を突き合わせていたら、気が強い同士、絶対喧嘩になるでしょうから。
うー

でもいつかは彼女もリタイヤするわけですし、ずっと一緒にいることになるはず。


その時は共通の趣味であるゴルフに出かけるつもりです。

サラリーマンだけでなく、『いい夫婦 川柳コンテスト』 というのがあるのですが、過去の秀作にこんなのがあります。

  〝長生きを したいと思う 人といる〟


〝いい夫婦 気づかずにいる いい夫婦〟


〝秘訣など ないが毎日 ウフフフフ〟


こんな夫婦になりたいものです。


えっ、お前は来世でもまた女王様と結婚するのかって?

・・・こ、ここでは答えられませぬ。あせあせ


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