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笑 顔

昨日、仕事帰りに普段利用しないガソリンスタンドに入った時の事。

殆ど空だったタンクを満タンにした後、もう年末だから洗車することに。


普段は手洗いしているんですが、疲れと寒さで水に手を浸す気になれず、久しぶりのコイン洗車。

    


前の車が洗車中だったので、入口でスタート予約して車内で待つこと暫し・・・ガラス窓をコンコンと叩く音が。

ウィンドウを開けると、店員さんが、

「お待ちしている間に、ホイール洗いませんか?」

前述の通り、私は自分で洗車する気がなかったものですから、

「いや、洗わないョ。」

と言ってウィンドウを閉め、また読んでいた本に目を落としたのですが・・・その直後、

〝ゴシゴシ・・・〟

という微かな音が聞こえてきたのです。

再びウィンドウを開けて顔を出すと、なんと先程の声をかけてきた店員さんが、私の車のホイールをブラシで洗っているではありませんか。

(頼んだわけじゃないのに・・・。)

と申し訳なく思ったものの、だからと言って 「洗わなくていいから」 とも言えず・・・。

結局彼は私の車をグルッと1周して4つのホイールを全部洗ってくれたのです。

ちょうど洗い終わった時、前の車の作業が終わりゲートが開いたので、私は再度ウィンドゥを開けて、

「忙しいのにわざわざ洗ってくれて、ありがとう。」

と声をかけたのですが、その瞬間彼は恥ずかしそうにニッコリ微笑んだのです。

茶髪で20歳前後と思しき若者の笑顔に、サービス業従事者である私はイチコロ。 (注・私はホモじゃありません。)
あせあせ

打算のない素直な笑顔って、最強ですネ。

私、このスタンドの常連になろうと思います。

こんな若者がいる内は、まだ日本は大丈夫!
いろいろあった今年も、彼のおかげで気持ちよく越せそう・・・。


そんなホッコリした気持ちを、読者の皆様にお裾分け出来たら・・・そう願いつつ、2018年最後の記事とさせていただきます。

それでは皆様も、笑顔で良いお年をお迎えください!

              


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濡れ衣

皆さんは、我が国における〝四大死刑冤罪事件〟をご存知でしょうか?

財田川事件・松山事件・島田事件・・・どれもその事件名は耳にしたことがおありになると思いますが、残りのもうひとつ、日本で初めて死刑判決が再審によって覆され被告が無罪となったことで有名なのが、


 免田事件


しかし当該事件名の聞き覚えはあっても、その内容を詳しく知る人は意外と少ないような気がします。


それもそのはず・・・この事件が起きたのが、今からちょうど70年前の今日・1948(昭和23)年12月30日だったのですから。


同日午前3時頃、熊本県人吉市で祈祷師夫婦(76歳の夫と52歳)が殺害され、14歳と12歳の娘も重症を負わされた上に現金が盗まれるという、凄惨な事件が起きました。


翌年1月13日に玄米を盗んだとして別件逮捕された免田 栄さん(当時23歳)が3日後に犯行を自供したとされ、強盗殺人罪で起訴。

その3日間、警察は免田さんに対し絶食させたり眠らせないなどの拷問や脅迫を加え、意識朦朧とさせて自白を強要。


また免田さんが主張したアリバイについて食事を共にしていた女性に 「一緒にいたのが翌日だった」 と証言するよう誘導。

更に
公判に入ってから、免田さんが 「自白は強要された」 と主張するや、検察側は押収品を破棄(!)して証拠隠滅を図るという、信じられない暴挙をも犯しました。


結果的に強要された自白を根拠として1950年に熊本地裁は死刑判決を出し、翌年最高裁で上告が棄却されて死刑が確定。 


その後5回にわたる再審請求は全て棄却されました。


1979年に出された6回目の再審請求で

①アリバイを証明する明確な証拠が提示された

②検察側の主張する逃走経路に不自然な点が見受けられる

という指摘が
ようやく受理され、審議の結果1983(昭和58)年に無罪判決が言い渡されたのです。


事件発生から何と34年半・・・免田さんは57歳になっていました。


       


 しかし釈放されたものの、免田さんには試練が続きます。

顔を知られていた地元・熊本では釈放直後こそ歓迎されたものの、街を歩くと

「刑務所を出てきた人間は、歩き方が違う。」

などと陰口を叩かれ、いたたまれなくなって釈放後に結婚した奥さんの郷里・大牟田に転居を余儀なくされ、同地でもしばらくは同じ目に遭ったとか。

また受け取った9,000万円余という高額な補償金の使い道を詮索されるなど、週刊誌等マスメディアの憶測報道に悩まされたそうな。


実際には補償金の半額以上を弁護団や支援団体への謝礼金として渡したそうで、収監中は年金に加入できなかったためにそれも受け取れず、奥さんとつつましい生活が日々続いたのだそうな。


※但し免田さんの訴えにより、2013年6月に死刑再審無罪者に対し国民年金の給付等を行うための特例法(免田法)が議員立法で成立しています。

これだけ酷い目に遭いながら、免田さんは無実の自分を死刑囚に仕立てあげた警察・検察・裁判所に対しては


「許せんと思う一方、彼らのやったことも分かる。


刑事でも弁護士でも、ヤミで食料を買わんと生活できんような混乱した時代だったから。


今のように弁護士がついてしっかりとやってくれていたら、私はすぐに解放されていたと思う。」

と寛容な言葉を述べられています・・・が、DNAなど科学捜査が格段に進歩した現在でも、冤罪が起きないとは限りません。


         


 現在の裁判では、刑事事件の99%で有罪判決が出されており、裁判官は検察寄りといわれています。

それに免田事件同様、警察の証拠品紛失(廃棄?)は今でも起きています。

冤罪を防ぐためには、取り調べの全面可視化が最低条件でしょう。


それが実現しない限り、私たちもひとつ間違えば免田さんや足利事件の菅家さんと同じ立場に立たされる可能性がある事を、しっかりと認識しなければなりません。
うー


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年 上

2ヶ月程前、あのエネゴリ君のお店に期待(?)の新人バイト君が入ったお話・・・皆さんは、ご記憶でしょうか? (↓)


その新人クンは週に2,3日出勤のシフトだったため、今まですれ違いばかりだったのですが、遂に先日初めて会うことが出来ました。

いやァ、エネゴリ君が自分より面白いと推薦しただけのことはありましたねェ。 期待を裏切らぬキャラの持ち主でした。
あせあせ

挨拶するなりいろいろ話したのですが、エネゴリ君のようにパッと見た瞬間のインスピレーションは湧かなかったものの、彼の名前から〝ケンちゃん〟と呼ぶことに決定。

よくよく聞くと、彼は都内の大学ではなく大学院に通って物理を学んでいたものの、思うところあって中退し全く畑違いの介護士になるべく勉強しているという、変り種(?)。

その経歴だけでイジられキャラ当確って感じなんですが、いろいろツツくと面白ネタが次々と。

「で、キミは今、彼女いるの?」

「いえ、いません。」

「じゃあ、エネゴリ君と同じじゃん。」

「でも、3ヶ月前まではいたんですョ。」

「おぉ~、そりゃ彼に勝ってるワ。 でも過去形ってことは・・・」

「えぇ、終わりました。」

「それは、残念。 で、その彼女って大学院の同級生?」

「いえ、違います。」


「じゃあ、どうやって知り合ったの?」

「ん~と・・・ポケモンGOなんですょ。」

       

「へ~ぇ、いかにも今風だネ。」

「えぇ。 でもポケモンGOやってる人って、中高年が多いんですょ。


それに顔見知りが多いし・・・でもその中に、突然自分と同年代の女性がいきなり入ってきたんですょ。」

「ほぅほぅ、それで?」

「で、何度か現場で会っている内に、ボクから声をかけて・・・。」

「中々積極的じゃない。 なのに、何で別れたの?」

「何度かデートするたびにいろいろ話してたら、どうも彼女が自分より10歳近く年上だって分かって・・・。」

「ってことは、35歳前後?」

「どうもそうらしかったんですょ。 見た目では20歳代だったんですが。それで言葉の端々から、結婚願望の強さが滲み出てて・・・。」

「そりゃ30代半ばの独身女性なら、当然だろうョ。」

「でも自分には、それが重かったんですョネ~。」

「そういうお前さんも、20代半ばなんだから、そろそろ結婚考えるお年頃だろう。 そこで逃げてたら、エネゴリ君みたいに40歳過ぎても独身ってことになるゾ。」

「そんなもんですかねぇ?」

と、ここでエネゴリ君が、

「そうだョ、ウッホッホ~!」

いやいや、ここは君が口を出す場面じゃないっての。

「ところでさァ、さっきキミはポケモンGOやってる人は中高年男性が多いって言ったょネ。」

「えぇ。」

「休日のたびにそんなところに入り浸ってたら、彼女ができる確率は殆どゼロじゃん。」

「あっ、そう言われればそうですネ~。 あはは・・・」

ケンちゃん、エネゴリ君同様に拙ブログのネタ元になってくれそうです。


乞うご期待?


 


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生涯現役

スポーツ選手が現役に拘るのは当たり前・・・ですが、死ぬまでそれを貫き通すのは並大抵のことではありません。

その〝生涯現役〟を公言していたのが、男子プロゴルフ界の重鎮、


 杉原 輝雄 プロ

今日は、最後までフェアウェーを歩くことに拘った彼の命日・没後7周年にあたります。


    ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-杉原輝雄  


杉原プロは1937(昭和12)年に大阪府茨木市に生まれました。


小学生の時に地元・大阪の茨木カンツリー倶楽部でキャディーのアルバイトを始め、中学卒業と同時に同倶楽部に就職。


夜間高校に通いながら研修生修業を続け、1957年にプロテスト合格を果たした苦労人。


身長160cmそこそこの小柄な身体で、しかもインパクトからフォロースルーにかけて左肘が曲がるアマチュアのようなフォームゆえに、アメリカのプロから


「こっちにくれば、金持ち相手の賭けゴルフで十分稼げるゾ!」


と真剣に誘われた、というエピソードは有名。


        


飛距離では圧倒的に不利だった杉原プロが、パワーゴルフ全盛のプロの世界で生き抜くために人一倍の猛練習を続けたことはつとに有名。


現在のようなチタンヘッドなど存在しない時代から47インチドライバーを振り回すなど、新しいギアや技術を積極的に導入。


(一方で、パターだけは 「技術があれば換える必要がない」 と言って、ずっと同じカマボコ型を愛用していたのが印象的でしたが。)


その長年の努力の結果打ち立てた、2006年のつるやオープンにおける68歳10ヶ月でのレギュラー・トーナメント予選通過は日本ツアー最年長であるばかりでなく、サム・スニードが持つ米ツアー最年長記録・67歳2ヶ月をも上回る世界記録。


また2010年の中日クラウンズ出場で達成した51年連続同一トーナメント出場回数は、これまた世界記録。


これらの記録も凄いですが、私が杉原プロを尊敬するのは、そのプレー態度。


コースではスロープレーを嫌って若手以上に走ったりキビキビとしたプレーを披露し、常にファンを意識して洒脱なコメントを発したサービス精神は、さすが。


いつだったか、某トーナメントでラウンド後にテレビ局のインタビューを受けた際、解説をしていた1年後輩の杉本英世プロに


「お前、そんなところにおらんと、こっちに降りてきてプレーせんかい!」


と逆ツッコミ・・・ビッグ・スギを絶句させたことが忘れられません。


そして何より驚いたのはトーナメントに出場した後、必ず開催コース宛てに礼状を送っていたこと。驚き顔


これ、なかなか出来ることではありませんょネ。

さすがは苦労人・・・プロゴルファーの鑑です。


松山・石川両プロなど若手の台頭で再び活気を取り戻しつつある男子プロゴルフ界ですが、杉原プロの姿勢を見習わないと再びファンは離れていくことでしょう。

そんな杉原プロが前立腺癌の告知を受けたのは、1997年。


現役生活に拘った彼は手術を拒否し、ホルモン治療を選択。


しかし最期は力尽き、2011(平成23)年12月28日に74歳でこの世を去りました。


プロ入り5年後の日本オープンでの初優勝を皮切りに通算63勝 (うち海外1勝、シニアツアー8勝) を挙げた日本を代表するプロゴルファーのご冥福を、あらためてお祈り致します。笑3

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迷 宮

世界的に有名な絵画は、その高い価値・希少性から過去に様々な盗難事件に見舞われてきました。

ダ・ビンチのモナリザやムンクの叫びも被害に遭ったことがありますが、それらは幸いにも戻ってきて事無きを得ていますが・・・。

しかし6年前にピカソやモネなど有名画家の作品7点が盗難された事件では、逮捕された犯人の母親が証拠隠滅のために燃やしてしまい、その被害総額が100億円超という悲劇的な結末を迎えました。

これらは皆海外で起きていますが、日本でも過去に絵画の盗難事件は起きています。

その際たる例が、今からちょうど50年前の今日起きた


 マルセル盗難事件

といえましょう。


      


1968(昭和43)年11月9日から、京都国立近代美術館で、『ロートレック展』 が開催されました。

ロートレック(1864-1901)は、36歳という若さで没したフランスを代表する画家
ですが、この展覧会は彼の遺作を数多く所蔵するアルビ美術館が共催し、他にも欧米からフランス文化庁がまとめて借り受けフランス政府の全面協力のもと彼の作品231点を展示するという、かつてない大規模なものでした。


       

         Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa


大変な盛況で、当初の予定だった12月25日までの開催日程を2日間延長したのですが、その最終日・12月27日の朝、最も人気の高かった 『マルセル』 (縦46.5cm×横29.5cm) が忽然と消えていることに職員が気づいたのです。

時価3,500万円(現在の1億3千万円前後)の名画が盗まれるという大失態に、対仏関係を憂慮した日本政府は、美術館館長の辞任と1千万円の懸賞金を出すという異例の対応で発見に全力をあげました。

しかし事件発覚から3日後に美術館近くの疎水付近で額縁が発見され、年が明けた1月4日には事件当夜当直だった55歳のガードマンが自殺するという悲劇が起きましたが、肝心の絵画の行方は要として杳(よう)として知れず。

結局7年後の1975年12月27日、犯人の特定はできず絵画も行方不明のまま時効が成立し、事件はお宮入りに・・・と誰もが思ったその1ヶ月後に、急展開が。

1月30日の朝日・毎日新聞朝刊に、『マルセル』 発見の記事が1面トップに踊ったのです。

       


大阪市在住の会社員夫婦が、「マルセルではないか」 と朝日新聞社に連絡してきたのです。

スクープを朝日新聞に抜かれ、展覧会の主催だった読売新聞は赤っ恥をかいた格好ですが、まずは絵画が無事に戻ってナニヨリでした。

事情聴取に対し、その会社員夫婦はその2年半前に旧知の中学校教師から風呂敷包みを預かるよう頼まれ、押し入れに保管していたとのこと。

後に中身が絵であることを知ったものの、どんな作品かまでは気にかけなかったそうですが、届け出る1週間前に夫が仕事の関係で外国の絵画の本を眺めている時に、預かり品のことを思い出したそうな。


風呂敷を開けてあらためて調べてみたところ、ロートレックの作品であることが分かりビックリ。

知人に相談して 『マルセル』 が盗まれていたことを知り、朝日新聞社に連絡したというのです。


絵は読売新聞社を通して無事アルビ美術館に返還されましたが、問題は犯人。

当然その中学校教師が疑われましたが、彼は

「中身を知らぬまま知人から預かった。」

と供述するのみで、誰からどうして預かったのかは、一切口外せず。

時効成立後のため、警察もそれ以上追求できませんでした。

作品が発見されたことは不幸中の幸いでしたが、盗品を換金もせず自分で毎日眺めもせず他人に預けたまま・・・一体、犯人の目的は何だったのでしょうか?

中学校教師はそれ以降も学校勤務を続けたそうですが、もし生きていれば今は80歳前後。

是非今からでも犯行動機と手口を含め、真相を語って欲しいものですが・・・果たして?


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再 起

ボクシング・ファンでこの方の名を知らなければ、モグリと言われるでしょうネ。

今日は、日本人として初めて世界チャンピオンとなった


 白井 義男 選手

の命日・没後15周年にあたります。


        


 


白井選手は、関東大震災直後の1923(大正12)年に現在の東京都荒川区三河島で生まれました。

フライ級の選手になった彼は小柄で、元WBC世界フライ級チャンピオン・内藤大助選手同様、いじめられっ子だったとか。

しかし小学校5年生の時、いじめを訴えた担任教師に 「男だったら闘ってみろ」 とけしかけられ、放課後に決闘。

相手をひっくり返したことで自信を付けた彼は、以後様々なスポーツをするように。


(その決闘したいじめっ子とは以後仲良しになったそうな・・・。)

そんな彼をボクシングの世界に誘う出来事が、小学校6年生の時に起こります。


学校前の広場にサーカスがやってきて、その余興の一つにカンガルーとのボクシング対決があり、友人にけしかけられて白井少年が戦ったのです。

結果的にカンガルーが白井少年の急所を打って反則負けだったそうですが、カンガルーの強さに圧倒された彼は、ボクシングにのめり込むように。

1943年、20歳の時に近所のボクシング・ジムに入門した彼は、なんとその2週間後にデビュー戦を行い、中堅選手を1ラウンドでKOすると、以後8戦全勝。

しかし、時代が白井選手の進撃を止めてしまいます。
それは・・・戦争。

戦況の悪化に伴い、ボクシング興行自体が行われなくなり、彼自身も1944年に海軍へ。


飛行機整備を担当し、硫黄島の基地に向かう予定だったのですが、その時既に大型輸送機が不足し始めており、彼の硫黄島行きは中止になったことで、戦死を免れました。

終戦後練習を再開したものの、厳しい軍人生活と栄養不足によって持病の腰痛が悪化し、また2年半のブランクもあって、ボクサーとしての選手生命は危機的状況にあり、本人も引退を考えたとか。


しかしここで、運命の出会いが・・・。

ジムに出入りしていたGHQ職員で生物学・栄養学者アルビン・ロバート・カーン教授が彼の才能に気づき、自ら白井選手の指導を買って出たのです。


       
              
カーン博士(左)と白井選手


 カーン博士から徹底的な健康管理を施されてスピードとスタミナをつけると共に、当時ピストン堀口選手のラッシュに代表されるように攻撃一辺倒だった日本ボクシング界の風潮から脱却し、ディフェンスを固め相手に打たせずに打つというアウトボクシング・スタイルを身に着けた白井選手は、見事復活して連戦連勝。

1949年1月に花田陽一郎選手を5ラウンドKOで下し日本フライ級チャンピオンになると、更に日本バンタム級タイトル戦にも勝利し2階級制覇。

いよいよノンタイトル戦で1勝1敗だった世界チャンピオン、フィリピンのダド・マリノ選手と決着をつけるべく、1952年5月19日に世界タイトルマッチが行われる後楽園球場特設リングに上がりました。


       

4万人の大観衆の前で、彼は15ラウンドの激闘の末に判定勝ちを収め、日本人初の世界チャンピオンになったのです。

現在のボクシング界はスーパーとかジュニアとかがついて17階級もあり、かつ団体が4つもありますが、当時はたったの8階級で団体はWBAひとつ。

そのチャンピオンベルトの価値は、現在より遥かに高いものでした。


       


※お時間のある方は、その試合の模様をこちらでご覧ください。(↓)


  


この歴史的快挙は、まだ敗戦のショックから立ち上がれなかった日本人に、大きな希望と自信を与えてくれました。
 


以後マリノとの4回目の対戦を含め、1954年にアルゼンチンのパスカル・ペレス選手に敗れるまで4度世界タイトルマッチを防衛。


翌年5月に同選手と再戦して敗れ引退しましたが、この時のリターンマッチのテレビ視聴率は瞬間最高で96.1%という日本歴代最高記録をマーク。

如何に国民の注目を集めていたかが分かります。


最終戦績58戦48勝(20KO)8敗2分を残して引退した彼は、カーン博士の教えを守ってボクシングビジネスには殆ど手を染めず、解説などに活動を留めました。

一方でその後も日本に住み続け認知症になったカーン博士の面倒を、奥さんと共に見続けたそうです。


       

その白井さんが80歳で肺炎によりこの世を去ったのは、2003(平成15)年12月26日のこと。

日本ボクシング界近代化の先鞭をつけ、国民を勇気づけてくれた名ボクサーのご冥福を、あらためてお祈り致します。
笑3


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清 夜

皆さんは、

〝き~ぃよ~しぃ~、こ~のよ~るぅ~・・・〟

中には英語で “
Silent night, holy night ・・・と学校やご家庭で歌ったことがあると思います。

この、あまりにも有名なクリスマス・キャロル


きよしこの夜
Silent night


が初めてオーストリア・オーベルンドルフにある聖ニコラス教会で歌われたのが、今からちょうど200年前の今日のことでした。

    
            
現在の聖ニコラス教会・礼拝堂


この歌を作詞したのは、ヨーゼフ・モールという若き司祭。


        


1792年にザルツブルクで未婚の両親の間に生まれた彼は、貧しい幼少期を過ごしましたが、ザルツブルク大聖堂の大司教が彼の才能を見いだし、良い教育が受けられるように取り計らってくれました。


そして大学の聖歌隊と、サンクト・ペーター・ベネディクト派修道院で歌手とバイオリニストして活動を開始。

19歳でザルツブルクにあるカトリックの神学校に入学し、1815年に司祭として叙任された彼は、父の故郷であるルンガウ地方のマリアブファール教会の助任司祭に。


この教会にあった 『聖母と東方三博士礼拝の図』 という絵画からインスピレーションを得て、6詩句の 『きよしこの夜(
Stille Nacht )』 を1816年に作ったそうな。


その詩が世に出るキッカケとなったのは、彼がオーベルドルフの
聖ニコラス教会に転任してきて、そこでフランツ・クサーバー・グルーバーという教師と出会ったことでした。


         


グルーバーは1787年に極貧の農家に生まれました。


家計を支えるため亜麻布を織っていた彼は生来の音楽好きで、その才能を見出した小学校の先生がオルガンを手ほどき。

20歳の時に教員資格を取得すると、教師・教会の管理人として働き始め、やはり聖ニコラス教会で聖歌隊の指揮者兼オルガニストを務めるように。


この2人が、1817年に運命の出会いを果たしたのです。


そして翌1818年12月24日のクラスマス・イヴの日、教会のオルガンがネズミにかじられたことで故障し演奏できなくなったことで
(・・・というエビソードは後年の創作だと言われていますが)、モールは2年前に作った詩にギターで演奏できる曲をつけるよう、友人となったグルーバーに依頼。


その意を受けて彼が徹夜で曲を書き上げ、翌25日に同教会で初演されたのです。


    

               グルーバーの自筆譜


急遽作られギターの伴奏でささやかに歌われたこの曲が、それ以降世界中で歌われるようになり、2011年にユネスコの世界無形文化遺産に登録されることになろうとは、ご両人とも予想だにしなかったでしょうネ。

では、この名曲をお聴き・・・いや、一緒に英語で歌いましょう。



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Earthrise

皆さんは、下の写真に見覚えがありますょネ?

    

これは、日の出ならぬ


 地球の出

 Earthrise


と名付けられた有名な写真ですが、実はこれ、人類が初めて撮影した地球の写真なんですって。

これがアポロ8号の着陸船操縦士ウィリアム・アンダースによって撮影されたのが、今からちょうど50年前の今日・1968年12月24日のことでした。


アポロ8号はアポロ計画における(アポロ7号に続く)2回目の有人宇宙飛行。

12月21日にケネディ宇宙センターからサターン5型ロケットによって発射。


       

その後地球周回軌道を離れて月を周回し、27日に無事北大西洋上に着水して無事地球帰還に成功した、初めての宇宙船に。

    


搭乗員は船長フランク・ボーマン、司令船操縦士ジム・ラヴェル、そして前述のアンダース。


    

    James A. Lovell Jr.  William A. Anders   Frank Borman.


彼ら3名は、人類で初めて


1. 地球周回軌道離脱し地球以外の天体を周回
2. 地球全体を目視
3. 月の裏側を目視
4.〝地球の出〟を目撃


 したのです。

この〝地球の出〟を撮影した時の搭乗員の会話は録音されており、こんな様子だったそうな。

ボーマン    オー・マイ・ゴッド! この景色をみてくれ! 

         ほら地球が昇ってきている。ワオ、美しいじゃないか。
アンダース  撮るのかい、予定にないよ
ボーマン   (笑いながら)ジム、カラー・フィルムはある?
アンダース  早くカラーのフィルムを渡してくれないか


彼らが初めて見る光景に興奮している様子が、よく分かりますょネ。


アンダースがハッセルブラッド社のカメラで撮影した冒頭の写真は、ライフ誌で組まれた特集 世界を変えた100枚の写真で史上最も影響力を持った写真と言われ、以後様々な環境運動のシンボルとして利用されています。

また3人の飛行士は、帰還後タイム誌の恒例企画 “Men of the Year ” で1968年を代表する男たちとして選出されました。

彼らの功績により、翌年アポロ11号が月着陸に成功したのですから、当然の受賞と言っていいでしょう。

この〝地球の出〟の写真は、アメリカ国民にとって・・・いや、人類にとって最高のクリスマス・プレゼントだったというわけです。

さて今夜、皆さんはどんなプレゼントを用意し、あるいは受け取るのでしょう?

我が家は、お互いプレゼントなし協定にサインしていますが。


それでは・・・


    


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333

現在の小・中学生が一番行きたいところ・・・それは東京ディズニーランドだそうですが、私のような昭和世代の田舎者が東京に行くとなれば、かつては


  東京タワー


が№1スポットでした。


エッフェル塔を凌ぐ333m・・・自立鉄塔としては建設当時世界一の高さを誇った、正式名称〝日本電波塔〟が竣工・正式オープンしたのが、今からちょうど60年前の今日・1958(昭和33)年12月23日でした。

※333mという高さは、関東一円に電波を送れる高さと、エッフェル塔(当時310m)を抜いて世界一になること、更に強風の影響を出来る限り抑える事を考慮した上ではじき出された数値だったそうな。


       


NHKを始め、民放キー局のTV・ラジオ電波を一斉に発信することを目的として、建設が決定。 


1957年6月に、芝・増上寺の墓地を一部潰して建設が始まったこのタワーは、技術の進歩によってエッフェル塔より約3,000トンも軽い約4,000トンの鉄材で造られました。


空前絶後の難工事にもかかわらず、亡くなった作業員は足場から落下した1名のみ。 


総工費約28億円(現在の貨幣価値で160億円前後)、最初の鉄骨を設置してから僅か1年3ヶ月で完成させるという、まさに戦後日本の復興を象徴する見事な建設でした。


       東京タワー① 


そういえば、あの北野武監督の父・菊次郎さんも、ペンキ塗りをされたという話もありましたネ。


因みに完成直前に名称を公募したところ、最多得票は〝昭和塔〟だったとか。 


〝東京タワー〟 は全体の僅か0.26%の投票数でしたが、審査会メンバーの徳川無声さんが 「ピッタリする名前はこれしかない!」 と推挙し、決定。

最近公募したのに1位を採用せずカタカナ名にした山手線の新駅名には批判が殺到していますが、こちらは皆が納得したはず。


累計入場者数が1億人を突破したのが1989年、そして今年1月には1億8千万人を突破したそうですから、これってオープンしてから1日平均8千人強(!)という淒さ。


5年前に名物だった蝋人形館が閉館したとはいえ、大人1人2,800円(小中学生1,800円)で高さ250mのトップデッキから絶景を眺められ、また様々なイベントを楽しめる東京名所・・・スカイツリーにトップの座は譲っても、まだまだ人気は衰えていないようですネ。


大展望台には、床がガラス張りになっていて、足の下が透けて見える場所が。 


高いところが大好きな私にはナイス・スポットなんですが、高所恐怖症の人には限りなく恐ろしい場所・・・そこには立てないかも。うー


そうそう、土・日・祝日の11~16時まで、フットタウン屋上から高さ150mの大展望台まで続く外階段を一般公開(※雨天中止)しているそうですので、600段の階段を約15分かけて親子やカップルで登る・・・なんてのも、思い出作りにはオススメですョ。

       


そして明日の〝クリスマス・イヴ・デート〟に利用したいのが、東京タワーのライト・アップ。


点灯時間は気象条件等によってまちまちなのですが、消灯時間は基本的に午前0時


東京タワーが見える窓際に彼女と一緒に佇み、


「これから、世界で一番大きなロウソクを消してみせるからネ!」


な~んて甘い(?)セリフを口にしつつ午前0時キッカリに息を吹きかけると、一瞬にしてタワーの姿が消えるロマンチックな光景に、彼女はウットリ・・・。

この粋なデート、実は人気コミック 『部長 島耕作』 で、主人公の島部長が恋人・大町久美子に仕掛けたサプライズ・シーンが元祖とか。


  

今では〝2人で東京タワーの消灯の瞬間を見ることができたカップルの愛は、永遠に続く〟といわれているのだそうな。 


        東京タワー        


今夜から明後日にかけて、こんな粋なデートをするカップルを東京のそこかしこで見かけるかも。

クリスマス・デートに勝負をかける男性諸氏は、秒単位でキッカリ時間管理することをお忘れなく!あせあせ


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奉 祝

今日は、祝日・天皇誕生日・・・『天長節』です。

 


天皇陛下が来年4月30日を以って譲位されるため、12月23日が天皇誕生日となるのは今年で最後となります。


陛下の末永いご健康をお祈りしつつ、国旗を掲揚してお祝い致しましょう。


   


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