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儀 礼

おそらく、このメロディーを聴いたことがないという日本人は、まずいないでしょう。 その

 軍艦行進曲

一般的には 『軍艦マーチ』 として知られているこの曲が、神戸沖での観艦式で戦艦 『富士』 乗組みの軍楽隊によって初演されたのが、今から118年前の今日・1900年4月30日のことでした。

同曲は、南方熊楠の恩師であり博物学者・作詞家でもあった鳥山 啓(とりやま ひらく 1837-1914)によって作詞された、

〝守るも攻むるも黒鐵(くろがね)の~・・・〟

でお馴染みの 『軍艦』 に、当時最年少の27歳で海軍軍楽士(准士官)になり、後に聯合艦隊旗艦・三笠の軍楽長に任命された瀬戸口 藤吉(1868-1941)が曲をつけ、『軍艦行進曲』 として世に出ました。

       
               瀬戸口 藤吉 軍楽隊長


このマーチはその後盛んに演奏され、1941年12月8日の日米開戦を報じるラジオ放送でも使われました。

戦後も海上自衛隊の儀礼曲の1つに制定されており、観閲式における観閲行進や自衛艦旗授与式における乗組員乗艦時、また自衛艦命名式における進水時などで演奏されています。



ただ一般の方は、この曲を聴くとパチンコ屋を連想するのではないでしょうか。

このルーツは、1951(昭和26)年に、東京・有楽町のパチンコ店が拡声器を使い大音量で流したことだったとか。

当時の日本はまだ占領下・・・これを聴いた丸の内署の巡査が慌てて米軍憲兵(MP)本部に経営者を連行したそうですが、係官は「音楽なら問題ない」と無罪放免。

以来、全国のパチンコ店で使われるようになったそうな。

確かにイケイケ気分になりますからBGMに適しているんでしょうが、個人的には北朝鮮の資金源になっているパチンコ店で、自衛隊の儀礼曲を流して欲しくはないですネ。

幸い、今時はあまり使われていないようですが・・・。

それでは最後に、ご本家(?)の海上自衛隊・東京音楽隊による正統派の演奏でお聴きください。

きっと今日一日、元気がでますョ!扇子



 


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白 黒

今日は祝日・『昭和の日』・・・ということで、昭和ネタでまいりましょう。


皆さんは〝白黒〟という言葉から、何を連想されるでしょうか?


「テレビ」 とか 「写真」 と答えた方は、間違いなく昭和世代。あせあせ 


でも今日取り上げるのは、


 オセロ・ゲーム


これが玩具メーカー・ツクダから初めて店頭発売されたのが、今から45年前の今日・1973(昭和48)年4月29日でした。


       


このシンプルなゲームが誕生した場所は、茨城県水戸市。 

発売開始の28年前・・・終戦直後の1945年9月のこと。


考案したのは、ゲーム研究家・長谷川五郎氏。 

残念ながら2年前に83歳で亡くなられましたが、最後まで日本オセロ連盟の会長として日本での世界大会開催などに尽力されました。

(ちなみにご本人は囲碁・将棋アマ五段、オセロは名誉十段の腕前)

       


長谷川氏が中一の時、ルールをよく知らずに囲碁をやっていた友人を見て、「相手の石を挟んだら取れる」 というルールを発案。


そのうち石をいちいち取り替えるのが面倒になり、表裏を黒と白に着色したボール紙を使い、ひっくり返すことで碁石替わりにすることを思いついたのだとか。


(ただし、19世紀のイギリスには、オセロと酷似した 『リパーシ』 というゲームが存在していたそうですが・・・。)


オセロ発売当時から現在に至るまで石(駒?)のサイズが直径35mmなのは、発売前の試作品として牛乳瓶のフタを使ったことに由来するんですって。


「囲碁は半年、将棋は3ヶ月、麻雀は2週間」

・・・ゲームのやり方を覚えて楽しめるようになるまで必要な時間だそうですが、オセロはたった5分で覚えられるくらいルールは単純。 


しかもゲーム購入費が安いこともあってオセロは急激に普及。


競技人口(あるいはルールを知っている人数)は国内6,000万人以上ともいわれているそうです。


そして驚くべきは・・・たった8×8=64のマス目の中に白と黒の石を置くだけなのに、その変化は無限に近く、スパコンを駆使しても最善(完勝)手順は発見できないんですって! 驚き顔ヘェ~


簡単な割に、恐ろしく奥が深いゲームなんですねェ。           


ちなみにこのゲーム、当初はネーミングを当時のパンダブームに合わせて 〝ランラン・カンカン〟にする予定だったのですが、英文学者だった長谷川氏の父親・四郎氏が、


「白黒がめまぐるしく変化するゲームの様子が、シェイクスピアの戯曲・オセロの筋書きに似ているから」


 と、〝オセロ〟にしたのだそうです。


今にして思えば、パンダの名前にしなくて大正解でしたョネ。あせあせ


開発途中、製薬会社に勤務していた長谷川氏が、ある医師にこのゲームの感想を聞いたところ、


「このゲームには華がある。 社会復帰を目指す患者さんのリハビリには最適のゲームだ。」


と言われたそうな。 


簡単なルールだけど頭を使う、高齢者には馴染みやすいゲームと言えそうですネ。


そこで提案なのですが・・・かわいいお孫さんには、言われるがままにテレビゲームを買い与えるのではなく、オセロを買ってきて一緒に遊ぶのはいかがでしょう。


お孫さんとも遊べて自分の脳の老化防止にも役立つ、まさに一石二鳥だと思いませんか?


もっとも、腕を上げないと 「おじいちゃん、弱過ぎてつまんない!」 な~んて嫌われちゃうかもしれませんが。うー


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青天井

世の中では奇跡がたびたび起こりますが、今からちょうど30年前の今日・1988年4月28日に〝常夏の島〟ハワイで起きた出来事は、まるで映画のCGを見るかのような、信じられないものでした。 それは


 アロハ航空243便事故


乗客・乗員95名を乗せたボーイング737機が、マウイ島付近の太平洋上空約7,200mで突然機体前方の天井が吹っ飛んだにも関わらず、そのまま飛行を続けて空港に着陸したのです。


この事故に関しては、過去に何回かTV番組で特集されましたので、画像をご覧になれば思い出される方も多いと思います。


 アロハ航空


事故原因は、飛行中に機体の外壁が一部破断して客室内の空気が流れ出したことにより急減圧が発生。

そのため機体前方のファーストクラスから主翼近くまでの5.5mの天井が吹き飛んだ・・・とされています。


午後1時48分頃に事故が起きた瞬間は、殆どの乗客がシートベルトを締めていたため吹き飛ばされることはありませんでした。

しかし不運にもファーストクラスでサービス業務をしていた乗務員が1人だけ機外に放り出され、唯一の行方不明者に。


その他の客室乗務員は幸運にも機体備品に挟まったり、乗客に手を掴まれたりして無事。


機体は事故の衝撃により大きく歪み、しかもケープルが切断されたため左エンジンが停止。

しかしロバート・ショーンスタイマー機長の的確な操縦により、同機は事故発生から約10分後の午後1時58分、無事マウイ島・カフルイ空港に緊急着陸。


この機体をよくぞ無事に着陸させられたものです。


       

             Robert L. Schornstheimer


2009年1月、ハドソン川に緊急着陸した機長といい、アメリカ航空会社のパイロットは非常事態の対処が素晴らしいですょネ。

※この不時着事故に関する過去記事は、こちら。(↓)



乗員・乗客にとっては、究極・・・いや、〝最悪・最恐〟のジェット・コースターに乗った気分だったでしょう。ダメだぁ顔


ところで、この事故機は飛行開始から19年間で総飛行時間33,133時間・飛行回数89,680回を数える、当時世界中で飛んでいた同型機で2番目に古い〝老朽機〟だったとか。


ハワイ諸島を飛び回る短距離機だったため、飛行時間はボーイング社の保障時間以内でしたが、離着陸回数が同保障回数75,000回を大きく上回っていました。


やはり離着陸は、機体に大きな負荷をかけるのでしょうネ。


この便が離陸する前、乗客の1人が前部ドアの上に入った15~20cmのヒビに気づいていたそうですが、それを乗員には伝えず仕舞い。


また正副パイロットによる飛行前の目視チェックでは、このヒビを発見できませんでした。


この事故は、各航空会社に老朽機体の危険性を認知させたことにおいて、大きな影響を与えました。


現在は格安料金が魅力のLCCが鎬を削っていますが、くれぐれも老朽機体の使い回しなど安全面での手抜きだけは止めてもらいたいものです。うー


私たち利用客は素人ばかり・・・見た目で搭乗機がどれくらい古いかなんて、分かりませんから。


それにしても、たまたまこの飛行機に乗り合わせた乗客・乗務員は、その後飛行機やジェットコースターに乗ることが出来たのでしょうか。

ロバート・ショーンスタイマー機長は2005年にリタイアするまで操縦桿を握り続けたそうですが・・・皆さんだったら、どうでしょう?あせあせ


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働くといふこと

もうすぐ4月も終わり、ゴールデン・ウィークに突入・・・きっと今年新社会人となった若者も、緊張の日々からしばし解放されることでしょう。

しかし中には、「思っていたのと全然違う会社だった。 もう辞めようか・・・。」なんて考えている方がいらっしゃるかも。

既に辞めてしまった方には手遅れでしょうが、迷っている方には是非お読みいただきたい、またお子さんが悩んでいたら読ませてあげていただきたいものがあります。

それは私の愛読誌・月刊 『致知』 5月号に掲載された、日本を代表する経営者・実業家である京セラ名誉会長の


 稲盛 和夫 

のインタビュー記事。 以下に抜粋・編集にてご紹介致します。


       

           ◆     ◆     ◆     ◆


私の半生を振り返ってみると、幼い頃に結核を患ったり、中学受験に2度失敗したりと、決して恵まれた順風満帆な人生ではありませんでした。

大学時代よく勉強していたので、成績は比較的良かったのですが、当時は就職難で大企業は全部採用してくれませんでした。

そんな中で京都にある松風工業という碍子製造会社が拾ってくれたので、昭和30年に地元・鹿児島大学を卒業後入社しました。

しかしその会社の経営は苦しく、給料遅配は当たり前、近所の評判も悪かったので、私は同僚と二人で会社を辞めて自衛隊に入ろうと決意しました。

しかし試験に合格して入隊手続きのために戸籍抄本を送ってくれるよう実家に依頼したものの、一向に届きません。

それは2つ上の(旧制中学しか出ていない)兄が、

「大学の先生のおかげで就職難の時代にようやく入れてもらった会社なのに、何のご恩返しもしないで半年で辞めるとは何事か!」

と激怒したからでした。

そのおかげで私は会社に踏みとどまり、心機一転してセラミックの開発に取り組むようになったのです。


会社に寝泊まりしながら研究に没頭し、所属していた特磁課は社内で唯一黒字を出すまでになったのですが、今度は組合と衝突し暴行を受けてしまいます。 その組合に対し、

「私は決して会社の回し者ではありません。


卑怯なふるまいをして残業代をもらうようなことはすべきでない、と言っているんです。

私みたいな男がおってはいかんと言うのなら、今すぐにでも私は辞めます。


ただし、そうなればこの会社は潰れ、皆さんは路頭に迷うことになるでしょう。

私は決して間違っているとは思いません。
皆さんの考えこそ正すべきです。」


         ◆     ◆     ◆     ◆


さすがは将来の大経営者は言う事が違いますネ。

その後退職した稲盛氏は、理解者の協力・援助を受けて27歳だった昭和34年4月に京セラを創業し、今日に至りました。

    

     設立当初の京都セラミック(最後列左から6番目が稲盛氏)

そのいなもり稲盛氏は、このインタビューの中で、こうも語っておられます。

「働くということは、生きていく糧を得るためのものだというのが一般的ですけれども、そうではなくて、自分の人間性を高めていくためになくてはならないものです。

一所懸命働くことによって、自分自身の心を高め、自分の人生を精神的に豊かなものにしていく。


同時に収入も得られますから、物質的な生活も豊かになっていく。
ですから、働くということは大変大事なことだと思っています。

人は得ていて恵まれた環境にあっても、与えられた仕事をつまらないと感じ、不平不満を口にしがちです。

近年、若者の離職率が増加しているのもそういう理由なのでしょう。

しかし、それで運命が好転するはずはありません。


与えられた仕事を天職と思い、その仕事を好きになるよう努力していくうちに不平不満は消え、仕事も順調に進むようになっていく。

そして物心共に豊かな素晴らしい人生を送ることが出来るのです。」

「人生で一番大事なものというのは、ひとつはどんな環境にあろうとも真面目に一所懸命生きること。

私がただ一点だけ自分を褒めるとすれば、どんな逆境であろうと不平不満を言わず、慢心をせず、いま目の前に与えられた仕事、それが些細な仕事であっても全身全霊を打ち込んで、真剣に一所懸命努力を続けたことです。

それともうひとつは、人間は常に自分がよくなりたいという思いを本能として持っていますけれども、やはり利他の心、皆を幸せにしてあげたいということを強く自分に意識して、それを心の中に描いて生きていくことです。

いくら知性を駆使し策を弄しても、自分だけ良ければいいという低次元の思いがベースにあるのなら、神様の助けはおろか周囲の協力も得られず、様々な障害に遭遇し、挫折してしまうでしょう。

〝他に善かれし〟と願う写真のない美しい重いのこそ、周囲はもとより神様も味方し、成功へと導かれるのです。」


・・・仰る通りだと思います。

入社してすぐに辞めたいと思っている方、是非稲盛氏の言葉を噛み締めてください。

余談ですが、私はサラリーマン時代にかなりの数の中途採用面接を経験していますが、絶対に採用しないパターンがありました。

それは履歴書の職歴欄を見て、1ヶ所も3年以上続いていない方。

この人を採用しても、またすぐ辞める・・・採用側はそう考えますから。


まさに、『石の上にも三年』 ってヤツです。

応募する側は、転職歴を 「キャリア・アップした」 とアピールするでしょうが、採用側は必ずしもそうは捉えないことを、知っておいて損はないかと。うー


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焼夷弾

先月、日本本土が戦時中に受けた空爆について記事にしました。



数えきれない程の焼夷弾が雨あられと落とされ、多くの人命が失われ街が破壊されましたが・・・その焼夷弾が世界で初めて本格的に使用された空爆といわれているのが、今から81年前の今日・1937年4月26日に行われた

  ゲルニカ爆撃
   Bombing of Guernica


でした。


ゲルニカは、スペイン北部に位置するバスク地方の文化的伝統の中心地。


 


そのスペインでは1930年代に入って左右両派の勢力が拮抗し、政情が不安定でした。

そんな中、1936年7月にフランシスコ・フランコとエミリオ・モラ両将軍が軍事クーデターを起こしたことで内戦となり、バスク地方は分断状態に。

そしてフランコ軍と手を組んだドイツ軍は翌1937年1月から小規模な空爆を行い始め、同年3月末のドゥランゴ爆撃を期してモラ将軍は北方作戦を開始。

そして4月26日午後、ドイツ空軍のコンドル軍団は共和国軍の退却路を断つべく爆撃機・戦闘機そして護衛役のメッサーシュミットで編隊を組み、ゲルニカ上空に飛来。

第1波の爆撃機が爆弾を落として建物を破壊、第2波の戦闘機が機銃掃射で住民を襲い、第3波で焼夷弾を落として街を火の海にする〝リューゲン作戦〟が、午後4時30分から3時間余りにわたって実行されました。

当日は月曜日でゲルニカでは市が立っており、他の地域からも人々が集まっていて、かつ木造家屋が多かったため被害は甚大。

街の70%余りが焼失・破壊され、死者は約300名に上りました。

(※空爆直後にバスク政府が発表した被害は、死者1,654名・負傷者889名でしたが、その後の調査で大幅に下方修正。)


    


この空爆はロイター通信が第一報を伝え、『タイムズ』 のジョージア・スティア記者が詳細な記事を同紙及びニューヨーク・タイムズに掲載したことで注目され、内戦に加担したドイツは国際的に非難されました。

(ドイツでは、ナチスが国内のタイムズ紙を全て回収したそうな。)


そしてゲルニカの名を世界に知らしめたのは、何と言ってもピカソでしょう。

当時パリ在住で共和国支持だった彼は、この空爆の一報を耳にするや大激怒。


『ゲルニカ』 と題した348cm×777cm という巨大な作品を空爆から2ヶ月も経たぬ6月上旬に完成させると、同時期開催されていたパリ万博のスペイン館に展示し、この空爆の悲惨さを世界に知らしめました。


 


しかしこの空爆が効いたのか、爆撃から2ヶ月後にバスク自治政府は反乱軍の軍門に下り、1939年3月末にはフランコ将軍がスペイン全土を掌握したのです。

ところで、このゲルニカ爆撃と東京大空襲を比較してみると・・・

              ゲルニカ        東  京

 爆撃機数          23          325 

 焼夷弾数        5,948           381,300

 死   者         300      8万~10万以上 

 


被害の差は、一目瞭然・・・にも拘わらず、ゲルニカ爆撃は国際的に非難を浴びたのに、なぜ東京大空襲は問題視されないのでしょう? 

その理由は、

 ① ピカソが絵を描かなかったから
 ② アメリカがやったから
 ③ 被害を受けたのが日本人だから


皆さんは、どれだと思いますか?
うー


 


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非常事態

世界有数の平和な国、日本。

戒厳令はおろか夜間外出禁止令が出されたなんて、聞いたことがありません・・・が、そんな我が国で過去に唯一〝非常事態宣言〟が出されたことを、皆さんはご存知でしょうか?

それは、今からちょうど70年前に関西で起きた


 阪神教育事件

 


でのこと・・・この騒動の元凶は、在日朝鮮人と共産党でした。

この前年・1947年10月、GHQのマッカーサー総司令官は、日本政府に対し在日朝鮮人を日本の教育法・学校教育法に従わせるよう指令を出しました。

それを受けて文部省は1948年1月、各都道府県知事に朝鮮人学校の閉鎖と生徒の日本人学校編入を通達。

しかしこれに反発した在日本朝鮮人連盟(朝連)が反発し、『三・一独立運動闘争記念日』 に合わせ全国の同胞に闘争を指示。

そして翌月23日朝、大阪城前の大手前公園で朝鮮人が功弾圧反対人民大会を開催。

在日朝鮮人や日本共産党員ら約7,000人が集結し、代表者16人を選んで大阪府知事と交渉を行うことに。

しかし府庁舎で(知事が不在だったため)副知事と交渉するも、決裂。

これに怒った朝鮮人らが大挙して府庁舎に乱入し、知事室を占拠・破壊するという暴挙に出ます。


       


翌日には米軍や武装警察官らと乱闘となり1人が死亡、179人が検挙される事態に。

そして更に酷かったのが、兵庫県。


4月10日に県知事が出した朝鮮学校封鎖命令に、朝鮮人が反発。

同月24日、在日朝鮮人や共産党員らが県庁前に集結し、県知事ら幹部が対策を協議している最中、大阪同様に約100人が電話線を切断した上で県庁舎に乱入。

監禁した県知事に対し暴力的な威圧を加えて朝鮮人学校存続の承認と逮捕された朝鮮人の釈放を強制的に誓約させました。


これを受け、GHQの兵庫県軍政部は同日午後11時に〝非常事態宣言〟を発令。


県知事が無理やり誓約させられた条項を全て無効としました。


               


そして70年前の今日・1948(昭和23)年4月25日早朝、米軍や日本人警察官が県庁内に乱入した朝鮮人らの検挙を開始。

非常事態宣言を解除した同月28日の翌日までに1,590人
(※公安資料では7,295人)が拘束されました。

そのうち主要メンバー23人が軍事裁判にかけられ、その中の唯一の日本人だった
日本共産党神戸市議会議員・堀川一知には重労働10年、残りの在日朝鮮人にも最高重労働15年の刑が言い渡され、刑期終了後は本国に強制送還となりました。

しかしこの騒動に恐れをなした日本政府は、彼らに朝鮮人独自の教育を認め、朝鮮人学校を私立学校として認可するという覚書を交わしてしまったのです。
うー

このヘタレ役人・政治家の弱腰対応が、その後どれほど日本人に不利益をもたらしたか・・・もう説明は不要ですょネ。

※彼らが引き起こした事件は、これだけに留まりません。
>
  その一例が、こちら。(↓)




日本を取り戻すために、放逐すべきは何者か?
その答えは明らかでしょう。

              

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反 撃

私と同年代かそれ以上の昭和世代の方なら、『順法闘争』 という言葉に聞き覚えがあると思います。

これは規則等を完全に励行することによって、合法的にストライキと同様の効果をねらう闘争戦術で、争議権が認められていない公務員などの労働組合が行った戦術のこと。

列車の安全運転に関する規程を厳格に守って列車を遅延させ、運行を混乱させる安全運転闘争が、その一例。

ということで、この順法闘争を盛んに行ったのが、国鉄労働組合(国労)と国鉄動力車労働組合(動労)。


彼らの活動は好戦的で、私が子供の頃はよくこんな文字が書かれた電車が走ってました。

       

そして1973(昭和48)年の春闘において、両組合はこの順法闘争戦術で経営側と激しく対立していましたが、それによって迷惑を被ったのは、他ならぬ利用客。

3月には高崎線上尾駅や他の複数の駅で怒った乗客が車輛や駅施設を破壊し周辺を占拠するという 『上尾事件』 が発生。

が、国鉄は労使双方とも一向に歩み寄る気配なし。

特に組合側は 「事件は経営者側が扇動した」 として利用客に謝罪すらせず、順法闘争を継続。

当時は顧客サービスなんて言葉はなかったでしょうが、いくら何でもこれでは国民の支持・理解など得られるわけはなし。

そして今から45年前の今日・同年4月24日、

 首都圏国鉄暴動

が起きてしまいました。

3日後に交通ゼネストを控える中、順法闘争を強化したことで当日はダイヤが混乱。

大宮駅では東北本線・高崎線が60~90分も遅れ、帰宅ラッシュと重なったことで、怒った乗客が一時駅長室を占拠。

これは警察の出動で収まったのですが、都心に近い赤羽駅ではホームにあふれた約1,500人の乗客が電車に乗れないことに激怒し、運転手を引きずり降ろして車輛を破壊。


午後9時頃には赤羽駅の各線ホームは6,000人以上の乗客で溢れ、彼らの一部が駅長室に詰めかけ暴れ出し、機動隊が駆けつけても収まる気配なし。

更に停車中の京浜東北線の車内で発煙筒が燃やされ、運転席も放火されました。


     
      翌25日の朝刊 掲載された写真は赤羽駅で燃える車輛


ターミナル駅の赤羽駅がマヒしたことで、当然他の駅にも電車は来ず、怒った乗客が同様の暴動を起こしました。

上野駅では午後9時過ぎに車輛に投石したり運転手を引きずり降ろしたり。

警官が駆けつけても鎮圧できず、危険を感じた駅員が逃げ出して駅は無人状態になったといいます。


また新宿駅では、最大2万人の乗客が暴徒化。
その他秋葉原・渋谷・有楽町など合計38の駅で暴動が発生。

警察でも抑えきれない事態にさすがに臆したか、組合は午後9時過ぎに東京の遵法闘争を中止し、動労も混乱を緊急整備するまでは当局に協力することとしましたが、もう時すでに遅し。

私鉄・地下鉄・バスなどで徹夜の振り替え輸送をしたものの、結局翌25日午前10時まで首都圏の国鉄は全面ストップという異常事態となったのです。

利用客より自分たちの権利・主張優先・・・この自分勝手な行動が、結局国民に背を向けられ、後の分割民営化を許したと言えましょう。

もしスマホや携帯電話のある現代にこのような騒動が起きたら、おそらくアッという間に情報が伝わり、38駅どころか殆ど全駅で同様の暴動が起こり、収集不能になるかもしれません。

そう思うと、ちょっと怖い気もします・・・が、先日JR労組がストの予告を行ったものの実行には至らず。

それどころか組合員が2万8千人も大量脱退したとか。

時代は変わり、若者は賢くなっているようです。扇子

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臥薪嘗胆

皆さんは、学校でこれを習った記憶があると思います。


 三国干渉

でも、これが何かをスラスラと答えられる方は、少ないかも。

これは今から123年前の今日・1895(明治28)年4月23日に、ロシア・フランス・ドイツの3国が、その僅か6日前に日本と清国との間で交わされた下関条約で日本に割譲された遼東半島を清国に返還するよう求めたもの。

遼東半島とは、中国大陸と朝鮮半島の間に突き出た半島。


     

ここは地政学的に非常に重要なポイントで、当時日本にとっては満州進出の拠点となる一方、ロシアにとっては極東進出の足掛かりとなる不凍港を確保するために譲れない場所でした。

そこでロシアは、清国の分割に関心を持っていたドイツ・フランス・イギリスに、協調して遼東半島割譲を阻止するよう持ちかけます。

イギリスはロシアの極東進出に反対していたのでこの話には乗らず、結局露・独・仏3国での干渉となったのです。

(アメリカは、この件に関しては中立姿勢を崩さず。)

この勧告(干渉)を受け、伊藤博文首相は広島で御前会議を招集し、

 ①全面拒否
 ②列国による国際会議に委ねる
 ③勧告受け入れ


の3案が検討されました。


会議では②案に傾いたものの、当時病床にあった陸奥宗光が

「②案だと遼東半島返還以外に話が拡大・波及する怖れあり」

として、③案を主張。

結局その③案に落ち着き、同年11月に清国と『奉天半島還付条約』 を締結し、賠償金3,000万両(当時の4,500万円、現在の貨幣価値で700億円前後?)と引き換えに返還されたのです。

     
               奉天半島還付条約文書


この譲歩に関して日本国内では激しい批判が巻き起こりましたが、政府は国民に対し〝臥薪嘗胆〟をスローガンにして、ロシアに対する敵愾心を煽り、軍拡を進めました。

これが後の日露戦争への導火線となったことは言うまでもありません。

ただそれ以前に列強が清国に割譲させたのは、イギリスの香港のみ。

遼東半島割譲は、面積でいえばその約20倍の規模となりますから、列強の目に過大な要求に映ったのも致し方なし・・・むしろ欲張りすぎて、寝た子を起こしたと言えましょうか。

しかし列強に泣きつく形で遼東半島を取り返した清国も、この干渉を恩に着せられ、日本に対する賠償金の借款供与の見返りに租借地や鉄道敷設権を要求される始末。

結局は、列強のいいようにやられたという事。

この一件を顧みると、日本外交の弱さと西欧諸国の強かさが浮き彫りになります。

しかし当時の国力では、致し方なかったとも言えますが・・・。

外交は(軍事・情報)力と駆引きが全てであり、まさに〝勝てば官軍・負ければ賊軍〟。

国際社会に於いては誠心誠意とか、話せば分かる・・・なんて甘い考えは通用しないことを、日本人は心得るべきでしょう。うー


 


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改 装

弊社近くにあって、私がよくランチを食べに行く某牛丼チェーン店が、3月から改装工事のため一時閉店。

そして1ヶ月半ほど経って、先日新装オープン・・・ということで、どんな感じに変わったのか早速偵察(?)に。

以前はアスファルト舗装された駐車場に大きな穴がいくつか開いていましたが、しっかり埋められていました・・・って、それは当然でしょう。

まず変わったのは、入口。(↓)

    

そう、(車椅子用の)スロープがつけられたのです。

私が今まで都内で利用した牛丼チェーン店に、こういうスロープはありませんでした。

高齢化が進み老人の利用頻度が上がるでしょうから、今後こういう入口の店が増えるんでしょうネ。

店内に入ると、当然のことながらバリアフリー。

そして以前はU字型のカウンターのみで椅子が固定されていましたが、カウンター3列にテーブル席も1列と席数も増え、椅子も軽い素材で簡単に動かせるようになっていました。

そして最大の変化は・・・セルフサービスになったこと。

以前と同様に券売機でチケットを買うと、

「番号ヲオ呼ビシマスノデ、席ニ座ッテオ待チクダサイ。」

と自動音声に言われた通り席に座って周囲を眺めると、こんなモニターが・・・。

       

ここに番号が出て、スタッフから番号が告げられると、店の奥の受け渡し口で注文品を受け取る寸法。

役所や病院、あるいは高速SAと同じサービス・スタイルになりました。

(じゃあ、つゆだくとか細かいオーダーする時は、どうするの?)

と思ったら、ちゃんと食券に書いてありました。
あせあせ

 

当然食べ終わった後も、食器はお客さん自身が返却口まで持っていく・・・まさに、完全なるセルフサービス制。

これなら接客スタッフは要りませんから、近年問題となっている人手不足解消には有効なのでしょう。

またスタッフとお客さんが受け渡し口を挟んで完全にセパレートされていますから、夜間などの犯罪防止にもなりそう。

このリニューアルは(車椅子対応を除けば)店側の都合重視と言えますが、おそらく今後は他チェーン店にも広がっていくんでしょうネ。

個人的には、これだとスタッフとお客さんの珍問答がなくなり、ブログネタを拾えなくなるのが若干不満・・・なんてのは半分冗談ですが、このチェーン店にはひとつ要望が。

以前はスタッフがお茶を湯呑みで出してくれたんですが、改装後は当然の如くお茶もセルフ・・・それは仕方ないにしても、使うのはペラペラの紙コップ。


せめてもう少し良質な容器にしてもらえませんかねェ~。
これじゃ、食べる前から食欲無くしちゃいます。


        


・・・って、そのうちコレにも慣れちゃうのかナ?うー



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民 放

日本国内では各家庭に1台は普及している、テレビ・ラジオ。


故にテレビ・ラジオ番組を全く視聴しないという人は、殆どいないはず。

その番組を制作・放映しているのはテレビ局ですが、大別すると公共放送たるNHKと民間放送に分けられます。 今日は、その後者である


 民放の日

なのだそうな。


1951(昭和26)年4月21日、日本で初めて民放16社に放送予備免許が与えられ、翌年同日に民放連が発足したことを記念し、今からちょうど50年前にその民放連がこの日を 『放送広告の日』 として制定し、今から25年前の1993年に 『民放の日』 と改称しました。


       
              
日本民間放送連盟のロゴ


民放とは、当初の記念日名の如くCMスポンサーからの収入を主な財源とする民間放送局のこと。

ラジオ放送については1951年9月から名古屋の中部日本放送(CBC)が、そしてテレビは1953年8月から日本テレビ放送網(NTV)が放送を開始しています。


※その日テレが放映した最初のCMに関する過去記事は、こちら




さて、冒頭 「テレビ・ラジオを視聴しない人は殆どいないはず」 と申し上げましたが・・・実は私自身、殆どテレビ(特に地上波)・ラジオは視聴していません。

視聴するのはスポーツ中継か映画・ドラマ専門チャンネル、ラジオはFMの音楽番組くらい。

その理由は、まず民放は下品で下らない番組ばかりだということと、ニュースなど報道番組についてはあまりに偏向・捏造・印象操作が過ぎるから。

〝放送を公共の福祉に適合するように規律〟するために定められた放送法第四条には、こう記されています。


第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。


一 公安及び善良な風俗を害しないこと。

二 政治的に公平であること。

三 報道は事実をまげないですること。

四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。


・・・果たして現在、この条文に違反していない民放があるでしょうか?

私はNHKを含め、殆ど皆無だと思います。

特に先月から朝日新聞の報道を皮切りに起きた財務省の公文書書き換え問題や最近出てきた次官のセクハラ疑惑に関する報道は、明らかに安倍政権叩きを目的として執拗に行われ、各局のニュースやワイドショーでは悪質かつ恣意的な情報の切り取り・印象操作が連日繰り返されました。

私は前述の通りテレビは殆ど観ていませんが、その酷い報道ぶりはネットから十分に取得・確認することができます。

まさに放送法違反丸出しですが、以前この放送法が注目された出来事がありました。

それは1993年7月に行われた解散総選挙で自民党が結党以来初めて野党に転落した直後の事。

同年9月に行われた民放連の会合で、テレビ朝日の椿貞良・取締役報道局長が


「自民政権の存続を絶対に阻止し、何でもいいから反自民の連立政権を成立させる手助けをする報道をするべく局内をまとめた」


などとと発言したことが表沙汰になった、いわゆる 『椿事件』 がそれ。


当時同局は〝ニュースステーション〟という看板番組を持ち高視聴率をマーク。


そして椿局長(と言うよりテレ朝)の思惑通りの選挙結果になってイイ気になり、つい口元が緩んだのでしょうが・・・これは明らかに放送法第四条違反。

郵政省から無線局運用停止をちらつかされた同局は、椿氏の取締役・局長を解任しました。

あれから四半世紀が過ぎましたが、同局の報道番組の内容からすると同局の反自民・・・というか反日左翼体質は、昨日記事にした朝日新聞同様、全く変わっていません。

そしてそれは、同局に限らずTBSを始め殆どの放送局に言える事。


各局に入り込んだ特亜勢力により日本の国益に反する報道を続ける民放に、私たちはどう対処すれば良いのか?

まずひとつは、私のように番組を観ない事。
これによって間違った情報に惑わされることはなくなります。

今はネットで手広く情報を入手できる時代ですから。

ネット環境のない方は、放送局の報道番組が流す情報を鵜呑みにせず、まずは疑ってかかることです。

例えば彼らが発表する世論調査なんて、裏付けが全くなく視聴者側から確認できない数字ですから、信用するに足りません。

ネット上で行われる政権支持率などの結果と全く違うのが、その証拠。

もうひとつは、偏向番組のスポンサーに〝問い合わせ〟すること。

冒頭申し上げた通り民放の経営を支えているのはスポンサーですから、そのスポンサーに降板されるのが彼らにとっては最も痛手。

実際株主総会でそれを認める発言をした放送局もありますから。

日本には〝沈黙は金〟という格言がありますが、現代は黙っているとどんどん相手が増長します。

正しいと思うことは堂々と主張しないと、日本の将来が危うくなります。


私は、マスメディアに中立公正を求めるのは無理だと思っています。

従って安倍政権が提唱するように、放送法第四条を廃止してテレビやラジオを多チャンネル化し、保守から革新まで偏向放送を混在させて、視聴者がその放送局を選択できるようにすべきだと。

そして同時に、世界的には常識である(電波の周波数帯の利用権を競争入札にかける)〝電波オークション〟の導入を早期に実現することが、国家・国民にとって有益と考えますが・・・如何?


 


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