皆さんも、日本史の授業で習ったことをご記憶でしょう。
五箇条の御誓文
明治天皇がこれを新政府の基本指針として天地神明に誓約する形で公卿・諸侯に示したのが、今からちょうど150年前の今日・1868(慶應4)年3月14日のことでした。
明治政府は、発足直後から国内をまとめるための国是を模索していました。
1868年1月に参与・由利公正(福井藩)が 『議事之体大意』 五箇条を起案し、これを参与・福岡孝弟が修正したものを、3月に入って木戸孝允(長州藩)が加筆し議定兼副総裁の岩倉具視に提出。
これが明治天皇の裁可を受け、3月13日に天皇の書道指南役・有栖川宮幟仁親王の手で正本が揮毫され、翌日京都御所の正殿・紫宸殿にしつらえられた祭壇前で三条実美が読み上げる形で示されました。
あらためてその内容をご紹介しますと、
(広く会議を開いて、政治は人々の意見によって行うべし)
(階級に関係なく皆が心を1つにして、国を治めるべし)
(身分に関わらず誰もが志を全うし、その意思を達成する必要あり)
(過去の習慣を捨て、国際社会のルールに沿って行動すべし)
(新しい知識を世界から学び、天皇が国を収める基礎を築くべし)
原本をご覧いただくと分かりますが、この五箇条の後に
「我が国は未曾有の変革を為そうとしており、朕(天皇)自ら臣民に率先して天地神明に誓い、大いにこの国是を定め、万民を保全する道を立てん。 臣民もまたこの趣旨に基づき心を合わせて努力せよ。」
という意味合いの勅語が添えられています。
この御誓文からは、明治天皇始め新政府がこれからの国難を乗り切るために国民の心をひとつにまとめようと苦心惨憺したことが読み取れます。
また敗戦後の1946(昭和21)年1月1日に発せられた昭和天皇の人間宣言において、この御誓文の全文が引用されていることからも、国難に際して人心をまとめるための名文である・・・と言えましょう。
以前拙ブログにてご紹介した 『教育勅語』 同様、全文を暗記する必要はなくとも、日本国民は今一度原点に立ち返ってその精神を我が身に落とし込む必要があるのではないでしょうか?
今再び、日本は国難の時期に入っていると思うが故に・・・。