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汽 笛

かつて私が損保マンとして青森支店に勤務していた時、当地でエポックメイキングな出来事をいくつか経験しました。


以前拙ブログでも取り上げました青森空港のジェット化もそうですが、それよりも大きな話題となったのは、約27年もの工期をかけた 『青函トンネル』 の開通でした。


今からちょうど30年前の今日・1988(昭和63)年3月13日にそのトンネル内を走行する津軽海峡線が営業を開始したのですが・・・青森駅で華々しい記念式典が行われた一方で、この日にひっそりと姿を消したものもありました。 それは、


 青函連絡船


110年前の1908(明治41)年に蒸気タービン船で就航を開始した青森~函館間を結ぶこの連絡船は、その後自動車や貨車をも積載するようになり、最盛期の1970年代前半には1日30往復、年間約500万人を輸送した、まさに北海道と本州を結ぶ大動脈として活躍した〝外洋航路〟。


      

                   十和田丸


しかしその長い歴史の中では、戦時中に敵国からの爆撃や機雷による沈没など悲惨な出来事もありました。


中でも1954(昭和29)年9月26日、日本に上陸した台風により航行中の洞爺丸が函館郊外の七重浜に座礁し転覆し、死者・行方不明者1,155名を数えました。(洞爺丸事故

      

                 沈没した洞爺丸

 


またこの台風により僚船4隻(第十一青函丸・北見丸・十勝丸・日高丸)も沈没、洞爺丸と合わせ合計1,430名もの犠牲者を出すという、我が国における史上最悪の海難事故となりました。


そしてこの大事故が、青函トンネル建設の契機に。


その後飛行機路線の就航により利用者は減少し続けて最盛期の半分以下にまで落ち込み、トンネル開通と同じ日に廃止となったわけです。


青森に転勤した時、一度は連絡船に乗って北海道へ・・・と私は思っていたのですが、結局その願いを果たすことはできませんでした。


しかし毎夜のように、社宅の窓から聞こえてきた〝ボォ~~~~ッ〟という何とも物悲しげな野太い汽笛の音は、今でも耳に残っています。


今はなき青函連絡船を思い出すのは、この歌を聴いた時。


〝 上野発の夜行列車降りた時から、青森駅は雪の中 

  北へ帰る人の群れは誰も無口で、海鳴りだけを聞いている

  私もひとり 連絡船に乗り、凍えそうなかもめ見つめ泣いていました

  あああァ~ 津軽海峡 冬景色〟音譜


今や飛行機や海底トンネルでアッサリと渡ることができる津軽海峡・・・早くて便利にはなりましたが、歌詞に織り込まれた風情を感じることは出来なくなりました。


あの汽笛と共にこういう時代を生きられたことは、私のような昭和世代のアナログ人間には幸せなことだったのかもしれません。

今度青森に行く機会があれば、必ず青森港に展示されている 『八甲田丸』 を訪れるつもりです。


       

※お時間のある方は、30年前の青函連絡船最後の出航風景を、こちらの動画でご覧ください。

昭和世代の方、必見です。


 


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