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葦 原

〝遊郭〟や〝花魁〟といえば、多くの方が〝吉原〟をイメージすることでしょう。 その

 吉原遊郭


がいつからあったのか・・・皆さんはご存知ですか? 

正解は、今から約400年前の江戸時代初期から。

1590(天正18)年8月に徳川家康が江戸に入府し、1603(慶長8)年に征夷大将軍に任じられて江戸幕府を開くと、江戸の街はにわかに活気づき、全国から武士や人足、更には職を求める浪人が続々と集まってきました。

となれば当然江戸は男性人口が膨らみ、その彼らを狙った遊女屋が各地で営業を開始。

しかし幕府が武家屋敷の整備等を行う関係で遊女屋はたびたび移転を迫られたため、経営者たちは(場所を固定した)遊郭の設置を何度となく申請。

そして幕府は、今から401年前の今日・1617(元和3)年3月31日に


 客の宿泊は一泊のみ。
 ◆偽られて売られてきた娘は、親元に返す。
 ◆
犯罪者を見つけたら届け出る。


という条件付きで遊郭の設置を認め、申請の代表者で駿府の娼家主人・庄司甚右衛門に(現・日本橋人形町辺りの)2丁(約220m)四方の土地を提供。

そこを造成して翌年11月から、周囲に堀を巡らせて営業を開始。

その一帯が湿地で葦(よし)が生い茂っていたため葦原と名付けられ、その後縁起をかついで吉の字を当てた・・・これが吉原の地名の由来だとか。

(※前述の庄司甚右衛門の出身地が東海道の吉原宿だったから・・・という異説あり)

 

            吉原遊廓の之景(葛飾北斎・画)


つまり吉原は、奉行所が管理する幕府公認の売春街だったのです。

しかしその約40年後の1656年に起きた 『明暦の大火』 で日本橋一帯が全焼したため、吉原は浅草寺裏の日本堤(現在の台東区千束4丁目と3丁目の一部)に移転。

    


地図右下にスカイツリー、中央下に浅草寺。 


そしてその上に赤マークが固まっている一帯が吉原になります。

移転後も幕末までの約200年間で22回も火災に見舞われ(※その原因の大半は、日々の生活に疲れ将来を悲観した遊女の放火) ましたが、そのたびに再建。

更に明治以降では1911(明治)年4月に起きた浅草大火で、吉原は全焼。

これが五社英雄監督作品 『吉原炎上』(1987年公開) で描かれていることを、ご存じの方も多いでしょう。

人間の欲望を反映し強かに生き残ってきた吉原ですが、売春防止法の成立・施行により1957(昭和32)年4月に遊郭としての歴史に幕を降ろしました。

とはいえ、現在でもソープ街としてしっかり男性の性欲を満たしてくれていますが・・・。あせあせ

吉原について詳しく知りたい方には、この書籍をオススメします。

 『図説 吉原事典』 (永井義男・著 朝日文庫・刊)


       


これを読むと、江戸時代の吉原は単に売春街というだけでなく、花魁道中が昼間に行われるなど、江戸に出てきた人々がこぞって行きたがった人気スポットだったことが分かります。

つまり現代でいうなら東京ディズニーランド・・・というより、夜のはとバスツアーの人気ナンバーワン・スポットってところでしょうか。

えっ、こんな本読んだら行きたくなるだろうって?

それは若くて結構じゃないですか。


もうそんな気力も体力もない私は、落語 『紺屋高尾』 でも聴いて、当時の吉原の雰囲気をせいぜい楽しませてもらいます。笑2

※『紺屋高尾』に関する過去記事は、こちら。(↓)



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熱 血

子供の頃からお世話になったアニメ番組は多々ありますが、中でも『あしたのジョー』 や 『宇宙戦艦ヤマト』 と並んで最も私の人生に影響を与えたのが、

 巨人の星

この熱血スポ根漫画がテレビアニメとしてスタートしたのが、今からちょうど50年前の今日・1968(昭和43)年3月31日のことでした。

※少年マガジン誌上で連載が始まったのはそれより約2年前の1966年5月30日から。


       


以来1971年まで約3年半にわたり全182話が放映されましたが、その時期の私はちょうど小学校高学年。

野球少年だった私にとって、このアニメは教科書以上の存在でした。笑2


当時流行った〝ヒューマニズム〟という言葉をもじった名前の主人公・星飛雄馬が、長嶋茂雄の巨人軍入団会見場に潜り込み、魔球(?)を投げつけるところから物語はスタート。

スパルタ教育の父・一徹の指導のもと、二人三脚で巨人入団を目指す物語を毎週欠かさず
観たものです。


“チャ~チャラララッチャチャ~、ドドドドン!・・・” 

“おっもっい~いこんだぁら、試練のみ~ち~ぃを~、

行くがぁ~おとっこのぉ~、どこん~じょ~お~・・・。” 音譜


今でもしっかり歌えるあの主題歌・・・一話30分間で、たった1、2球しか投げないような超スローテンポの展開も、苦になりませんでした。

今でもよく憶えているのは、〝大リーグ養成ギプス〟。

       

これを真似して、家にあったエキスパンダーを分解して紐で
つなぎ、身体に巻き付けたりしたものです。

もちろん、何の効果もありませんでしたが・・・。あせあせ

それから、ピッチャーだった私が真似をしようとしたのが、大リーグボール2号を投げる時の、足の上げ方。

         


このつま先を真上に跳ね上げるフォームに憧れて真似しようとしたんですが・・・一度無理して後ろにひっくり返り、後頭部をしたたかに打ってからは諦めました。

今から考えれば、消える魔球なんて物理的に有り得ないんですが、当時は真剣に投げようとしてましたから、カワイイもの。


 


そんなこんなで、私の野球人生はこの漫画と共にあった・・・といって、過言ではないでしょう。


 しかしこの番組、今放映できるのでしょうか?

子供に火をつけたボールでノックするなどの猛特訓を課したり、室内でちゃぶ台をひっくり返す父・一徹は、虐待及び家庭内暴力で即逮捕されるでしょう。

       

多くの方も、この〝ちゃぶ台返し〟をご存じだと思いますし、ある意味このアニメを象徴するシーンですが・・・実は、物語の中でこのシーンが出てくるのはたった1回だったんですって。

なのになぜこのシーンが目に焼き付いているかというと、エンディングで毎週上の画像が使われていたから。

ですから、一徹オヤジはやたらに家庭内暴力をふるっていたわけではない・・・と、彼の名誉のために申し添えておきます。

というより、個人的には彼のような厳しい父親の存在が現代日本に必要な気がしますが、皆さんはどう思いますか?

それでは最後に、懐かしいアニメのオープニングと問題(?)のエンディングを、こちらでお楽しみください。


ところで今時の子供たちがこのアニメ観たら、どんな感想を持つんでしょうネ?野球ボール


 


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開放型

私が趣味のピアノを弾くのは、大抵帰宅した後の夜中。 ということで、当然


 ヘッドフォン


をつけてサイレント(消音)演奏をしています。

だって、しょっちゅう音が外れる下手くそな演奏を夜中に垂れ流したら、それこそ包丁持った男性が「うるせぇぞ!」って乗り込んで来かねませんからネ。

そのヘッドファンは、ピアノを購入した時の付属品を使い続け、かれこれ15年以上使い続けていました。

そして雨模様だった先日の夜、ピアノを弾こうと耳に当てようとしたら・・・左右の耳当てが「ベリベリッ」という音が。

ビックリしてよ~く見たら、耳あてのクッションがボロボロ。

湿気で両側がくっついていたんです。


中心部のスポンジもボロボロで内部が剥き出し状態になっているではありませんか。

    


今まではつける時も外す時も耳当て部分など見ることなくピアノの上に放っていましたから、こんなに劣化していることには全く気づかず、ビックリ仰天。

まァ15年も使えばそうなっても不思議じゃないですょネ。

ってことで買い替えることにしたんですが、ネットで調べたら今まで使っていた品番はもう製造停止。

ってことで、翌日ヤマハさんに電話して代替品のオススメを聞き、それを注文。 で、翌日届いたのが、こちら。

    


早速聴いてみると、さすが15年前のオンボロ・ヘッドフォンよりは良い音・・・のような気がします。
笑2

そりゃあ音質だって一昔前からは向上しているはずですもんネ。

    

以前のヘッドフォンより一回り小さいのですが、それ以外にも違いが。

それは、今回購入した最新モデルが〝オープンエアー・タイプ〟という、
音が外に少し漏れる開放型。


これに対して以前使っていたのは、外に漏れない密閉型。

何で開放型にしたかというと、ヤマハの担当者さんから


「オープンエアーだと密閉型に比べて耳に負担がかかりにくい」


という説明を受けたから。


ここ数年来、いつも〝ジィ~~~〟という耳鳴りが聞こえているのは、密閉型をずっと使い続けていたから?

オープンエアーに切り替えれば、もしかしたら耳鳴りが収まるかも。

えっ、それは単に歳を取ったからだって。

ほっといて!
うー


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球場の華

皆さんは、1992年に公開された映画 『プリティ・リーグ(原題:A League of Their Own )』 をご覧になったことがあるでしょうか?

第二次世界大戦中の1943年に、徴兵で選手が大量にいなくなったメジャー・リーグに代わる形で発足したアメリカの女子プロ野球リーグを描いた作品なのですが・・・。

トム・ハンクスが監督役を熱演し、史実にある程度沿って作られた同作は、ちょっとジーンとくる中々の出来栄え。

       


出演もしているマドンナが歌うテーマソング “This Used To Be My Playground ” も心に沁みる名曲ですし、是非ご鑑賞をオススメします。


なんでこの映画の話から始めたかというと・・・実は我が日本でも、その女子プロ野球リーグが存在したから。 その

 日本女子野球連盟

が発足したのが、今から72年前の今日・・・終戦直後の
1946(昭和21)年に日本プロ野球が復活して間もなくのことでした。

1947年にビクター横浜、オハイオ靴店、日産自動車、横浜女子商業などアマチュア女子野球の6チームがオール横浜女子野球大会を開催したところ、2万人もの観客が詰めかける大盛況で、新聞やニュース映画に取り上げられて全国的な話題に。

これを銀座のダンスホール 『メリーゴールド』 のダンサーたちが見て、その翌年に野球チームを結成。

横浜大会で2位になったオハイオ靴店と試合をしたところを実業家の小泉吾郎が観戦し、興行を思い立ちます。

そしてメリーゴールドと横浜女子商業を合流させて、同年7月に日本初の女子プロ野球チーム 『ブルーバード』 を結成し、地方巡業を敢行。

更に1949年5月には選手を一般公募して『ロマンス・ブルーバード』を結成。

この公募に際し、「野球の腕前もさることながら、独身で容姿端麗という点も重視した」そうな。

これに刺激される形で、1950年に入ると 『レッドソックス』・『ホーマー』・『パールス』 の3チームが続々と結成。

前述の 『ロマンス・ブルーバード』 と合わせた4チームの代表が連盟を結成することで同意。

日刊スポーツ社に事務方を依頼し、同年3月28日に連盟が結成され、翌月に連盟初の公式戦となる日本女子野球連盟結成記念トーナメント大会が後楽園球場で17,000人の観客を集めて開催されました。

       

しかし当初は物珍しさもあって注目を集めたものの、やがてリーグ内が勝負優先派と興行優先派に分裂。

結局勝負優先派がイニシアチブを取ったのですが、女性の非力さ故に柵越えのホームランが1本も出ないという状況では、観客は集まらず。

結局2年後にはプロから企業出資のノンプロに格下げ。


徐々に下火となり、1959年には同連盟が解散し新たに日本女子野球協会が設立されたものの、1970年に最後まで残っていた女子野球チームのサロンパスが解散となり、消滅してしまいました。

映画 『プリティリーグ』 でもそうでしたが、当時は結婚すると家庭に入る女性が圧倒的に多く選手確保が難しかった点も、ネックになったのでしょう。

しかし2009年には日本女子プロ野球機構が発足し、野球好きの女性に門戸は開かれています。

そして実は1991年、日本野球機構が〝不適格選手〟から 「医学上男子でない者」 という条項を撤廃していますから、実力さえあれば女子選手が巨人や阪神でプレーすることも可能なんです。

現に入団テストを受け、2009年に関西独立リーグのチームに入団し、その後アメリカにも渡った吉田えり選手がいましたし・・・。

もしかしたら、私の眼の黒いうちに本物の〝水原勇気選手〟がグラウンドに立つ日がくる・・・かも? 野球ボール

       


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108分

彼のことを〝一発屋〟と言ったら、世界中から非難されるかもしれません。


今日は人類の宇宙開発史にその名を永遠に残すであろう旧ソ連の有名飛行士、


 ユーリー・アレクセーエヴィチ・ガガーリン 大佐

       Yurii Alekseevich Gagarin


の命日・没後50周年にあたります。


       


ガガーリンは、1934年にグジャーツク市(※現在のガガーリン市)で4人兄弟の3番目、大工の子として生まれました。

子供の頃から真面目で勉強家だったガガーリンにとって、パイロットの従軍経験者だった数学教師の存在が大きく影響したようです。


金属工場の見習いから技術教育を受けるためサラトフの学校に送られた彼は、そこでエアロクラブに入り飛行機の魅力に取り付かれます。


工業学校卒業後の1955年、彼は空軍士官学校に入学。 

卒業後はノルウェー国境近くの基地に配属されました。


そして1960年代に入って米ソの宇宙開発競争が本格化すると、身体能力に優れた彼は宇宙飛行士候補者20人の中の1人として選抜されます。


最終的には彼の身長が158cmと小柄なことが狭い宇宙船内の活動に適していると判断され、人類史上初の有人宇宙飛行士に抜擢。

    

      学生時代バスケットボール部主将だったガガーリン(左端)


1961年4月12日、ボストーク1号に乗り込んだガガーリンは見事大気圏外の地球周回軌道に乗り、地球を1周して無事ロシア領内の牧場に着陸。


大気圏外飛行時間・1時間48分、最高々度・約302km、飛行距離・約38,620km・・・但し飛行は地上からのコントロールと自動制御によって行われ、ガガーリン自身が手動操縦することはありませんでした。 


とはいえ当時の技術は現在からみれば遥かに劣っており、大気圏に再突入した後は地上7,000mで飛行士を座席ごとカプセルから射出してパラシュート降下させるという、生存確率が余り高くない荒っぽい帰還方法だったとか。


ところでガガーリンといえば、

 「地球は青かった」

という言葉が有名ですが・・・実は彼自身、この言葉は口にしていないのだそうな。


着陸翌日の記者会見で、彼はこうコメントしています。


「地球の明るい表面から、星の見える漆黒の空への色彩豊かなグラデーションを見ることができた。


その境界線は非常に繊細で、あたかも帯の膜が丸い地球を包んでいるようだった。それは淡いガルボイ色(※水色、マリンブルー)だった。


そしてそのガルボイ色から黒への移り変わりはこの上なく滑らかで、言葉で伝えることは出来ない程の美しさであった。」(※イズベスチヤ紙)


・・・実に叙情的な表現をしているんですネ。


多分日本のマスコミが、この中からガルボイ色の部分だけを抜き出して、後日雑誌の見出しや彼自身の著作の題名として使ったものが一般化したものと思われます。


それが証拠(?)に、欧米では 「地球は青かった」 という表現は使われていないのだとか。驚き顔 ヘェ~


その後の彼は、ソ連の広告塔として世界中を旅行。

敵国アメリカの雑誌の表紙も飾りました。

   


1957年に結婚し1962年には来日もしていますが、一方で生活の激変がストレスとなったのか、自傷行為を引き起こしたこともあったとか。


祖国の英雄を飛行事故に巻き込みたくなかったからなのか、その後は宇宙船に搭乗する事は2度となかったガガーリンでしたが・・・1968年3月27日、飛行指揮官になるため教官と共に乗り組んだ戦闘機・ミグ15が、離陸から僅か12分後に墜落。(原因は諸説あるも不明。)

34歳の誕生日を迎えたばかりで、妻と11歳と7歳の2人娘を残しての事故死・・・少年時代から夢見たパイロットとして最期を迎えたことが、せめてもの慰めだったかもしれません。

彼について詳しく知りたい方は、既にDVD化されている2014年公開のロシア映画


ガガーリン 世界を変えた108分


の視聴をオススメします。 ※予告編が、こちら。(↓)




あらためて〝人類で初めて無重力状態を体験し、大気圏外から地球を見た男〟の冥福を、お祈り致します。笑3




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占 拠

海外旅行で成田空港を利用する40歳未満の若い世代には、ちょっと信じられないことかもしれませんが・・・今からちょうど40年前の今日、あってはならないテロが、その成田空港で起きました。 それは

 成田空港管制塔占拠事件


高度経済成長に伴う航空機輸送の増加に伴い、羽田空港のキャパシティーが限界に達しつつあった中、政府は1966年に千葉県成田市に新国際空港の建設を決定。

それ以降、一部地元農民と反政府活動を展開する左翼勢力が激しく反対運動を展開。

有名な三里塚闘争などを経て、ようやく1978(昭和53)年3月30日に新東京国際空港として開港するとろまで漕ぎ着けたのですが・・・その僅か4日前の3月26日に、この事件は起きました。


最後まで開港阻止のため活動を行っていた過激派グループは、3月26日午後火炎瓶を投げたりトラックでゲートに突っ込むなどの突撃を敢行。

機動隊と激しく衝突する中、警備の隙を突いた10人がマンホールから管制塔に辿り着き、エレベーターを使って上層階に侵入。

管制室に入れまいと空港職員が築いたバリケードに火炎瓶を投げつけて焼き払い、6名が侵入に成功。

(職員は非常ハッチで屋上に逃げ、後にヘリで救助。)

管制室を占拠した彼らは、ベランダに赤旗を出したりパラボラアンテナの鉄骨をよじ登るなどした後、管制室の機材や窓ガラスをバール等で徹底的に破壊し、書類を屋外にばら撒くなどしました。

 

同日夕刻までに占拠したゲリラは機動隊により全員逮捕されました・・・が、管制室を悉く破壊されたため、開港は約2ヶ月先の5月20日に延期せざるをえず、日本は国際的な信用を大きく落とす結果となりました。

言論の自由が憲法で保障されている日本では、何を主張しても構わないでしょうが、私はこういう実力行使で他人に迷惑をかけるテロ・犯罪行為は断じて容認できません。

そして私が彼ら左翼活動家を許せないのは、その身勝手さ。

このテロ事件に関して空港公団が起こした損害賠償訴訟で、元活動家16名に対し1995年に4,384万円の支払いが命じられたものの、彼らはその支払いを拒否。

時効直前の2005年に給与差し押さえなど強制執行が開始されると、被告らは同年7月から支援者らとネット等を利用しカンパ運動を開始。

同年11月までに約2千名から利息を加えた賠償請求額1億300万円を完済したのです。

同じ左翼系の仲間が協力したのでしょうが、その支援者の人数の多さもさることながら、法を無視した破壊行為を行い、その賠償金も自分ではなく他人に頼る・・・その無責任さには呆れるばかり。

普段 「自衛隊反対っ!」 と言いながら、いざ自分が地震や津波で被災したら掌を返すように彼らに助けてもらう連中と同じ。

自分でやったことは自分で始末をつけるのが、人間として当たり前。
それができないなら、大人しくしているべきでしょう。

そして、こういうテロ集団を事前に取り締まるためにも、テロ等準備罪(共謀罪)は必要なのです。うー

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【臨時増刊】 とてつもない日本

今日は、平成29年度最後の日曜日。
来週は新年度のスタートですネ。

ということで、今日は皆さんに観て元気になる動画をご紹介します。

少し古いですが9分余りの短編ですので是非ご覧ください。

そして共感いただけたならば、お子さんら若者にもお見せいただきたいのです。


特に4月から進学・就職という新しいスタートを切る方には・・・。

日本人としての誇りを持ってもらうために!
扇子




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印象派

・・というと、絵画を連想しがちですが、音楽の世界にもそう呼ばれる方がいます。


その代表的な人物といえば、

 クロード・ドビュッシー

  Claude Achille Debussy


今日は、19世紀末から20世紀初めにかけて活躍した、このフランスを代表する作曲家の命日・没後100周年にあたります。


ドビュッシーは、1862年にパリ近郊のサン・ジェルマン・アン・レで生まれます。


父親は職を転々としており家は貧しく、彼自身は大変内気な子供だったとか。


彼が8歳の時に勃発した普仏戦争でフランスは大敗、パリで大規模な労働者の反乱が起こり、父親がそれに参加して投獄されたため、彼は小学校教育さえ満足に受けられなかったようです。


しかし神様は彼を見捨てませんでした。


カンヌ在住で裕福だった伯母の家に滞在した際、詩人ヴェルレーヌの義母・モォテ夫人からピアノの手ほどきを受ける機会があり、そこで彼の才能を見抜いた夫人はパリで本格的なレッスンを受けさせると、何とその1年後に彼は10歳で試験に合格してパリ音楽院に入学。


成績優秀だった彼は、1884年に芸術専攻の学生にフランス国家が授与する奨学金制度・ローマ大賞を受けイタリアに留学。


1889年には国民音楽協会に入会、同会の演奏会で『牧神の午後への前奏曲』、『版画』などを初演し成功を収め、作曲家としての名声を確立しました。


        ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-Claude Achille Debussy


ドビュッシーの創作は、声楽が始まりでした。


それは18歳の時に声楽サロンのピアニストとして稼いでいた頃、彼の才能を高く評価したヴェニエ夫妻の自宅で彼らの蔵書に収められた詩歌を読み、それに音楽をつけてソプラノ歌手だった夫人に献呈したのがきっかけ。


そこから更に海や雲、絵画などを音楽で表現しようという試みに発展し、それが印象主義と呼ばれています。


『版画』 や 『映像』 という作品名に、それが表されていますネ。


類稀なる才能を発揮したドビュッシーですが、女性関係は超ルーズ。

20歳前から人妻との不倫が始まり、30歳過ぎから交際した女性とは彼女の自殺未遂騒動の末に破局。 同時期に女性歌手とも交際していました。


36歳で結婚したものの、教え子の母親・エンマと浮気した挙句に彼女がピストルで自殺未遂を図り、これが原因で僅か6年で離婚。


しかもその後彼の子を身籠っていたエンマとイギリスに逃避行・・・結局彼女は長女を出産し1908年にドビュッシーと結婚するという、もうドロドロ状態。うー


しかし再婚した10年後の1918年3月25日、芸術家としてはまだこれからという55歳の若さで大腸がんによりこの世を去りました。


彼の生み出した旋律は実に聴き心地のよいものばかり・・・多くの作品がアレンジされBGM等で私たちを癒してくれます。


個人的には特にピアノ曲が大好きなんですが、今日はその中から一曲ご紹介しましょう。


おそらく多くの方が聴き覚えがあると思いますが、ピアノの名曲 〝月の光〟


私はこれを聴くと、映画 『オーシャンズ11』 のラストシーン・・・ホテル・ベラッジオの噴水を思い出します。(




この幻想的な曲を聴きつつ、ドビュッシーの冥福を祈りたいと思います。笑3


 


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招 金

百貨店やブティックなどに行けば、必ず会える・・・今日は、その


 マネキン記念日


なのだそうです。


今からちょうど90年前の1928(昭和3)年3月24日、上野公園で開催された大礼記念国産振興東京博覧会で、高島屋(呉服店)が初めてマネキンを登場させたことに因むとか。

       

この時は〝絵に遊ぶサロン〟と題し、和服を着た人形のマネキン3体が、花子さんという生きた女性をモデルにして絵を描く・・・という、いわゆる逆転現象を展示したそうな。

これを観た皇族の女性が大変驚いたそうですが、それも頷けます。


mannequin ” はフランス語読みだとマヌカン・・・しかし日本では 「客を招(まぬ)かん」 で商売上縁起が悪いと嫌われたため、縁起の良い〝招金〟にかぶせて英語読みのマネキンが用いられるようになったそうな。


20世紀にはロウを使ったマネキン人形が登場。 


その後腕が取り外せるものや、木製など様々な技術改良が加えられていきました。


日本でも〝生き人形〟の制作技術から発展し、戦中には石膏、戦後には様々な新素材を使ったマネキンが登場しました。


もっとも1988年には、黒色のマネキンが黒人差別撤廃運動のやり玉に挙げられる・・・なんてこともありましたが。


さて、マネキンと聞いて私が思い出すのは、映画の

 『マネキン』
 

       


1987年封切りのアメリカ映画なんですが・・・恋人と2人でいる時だけ人間になれるマネキンが主役というドタバタ・ラブコメディー。


もう完全なるB級映画なんですが、現実離れしたストーリーながら微笑ましく、また音楽も good! 


特にスターシップが歌う主題歌 『愛は止まらない(Nothing's Goona Stop Us Now )』 は、なかなか聴かせます。

※映画のワンシーンと共にお楽しみください。(↓)



 

映画 『ポリス・アカデミー』 と、何人か役者がダブッている全く肩が凝らない映画ですので、バカバカしい笑いに飢えている方(?)にはオススメですョ。

マネキンが人間になっちゃうこの作品を、もし高島屋のマネキン・ガールだった女性が観たら、どう思うんでしょうネ? 
あせあせ


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半 額 

先日、エネゴリ君の店に行った時のこと。

カウンターでいつも通り料理と共に彼との会話を楽しんでいた私は、

「じゃあ、今日は最後にピザ食べようかな~。」

と言ったら、彼の顔が曇ったんです。

「何だョ、作りたくないみたいな顔してるじゃん。」

「いやァ・・・実は今日、ピザ半額サービスしてるんですョ。

渡辺さん、それ知っててオーダーするんでしょ?」


「えっ、そんなの知らないょ。 だいたい常連がそんなセコいことするかいな。 食べたいからオーダーするだけだっての。」

「だって渡辺さん、またハーフサイズでしょ。 だから・・・」

「分かった、分かった。 じゃあ通常料金でいいから焼いてょ、いつものガーリック・ヒザを。」

そう言ったら、彼の顔はとたんに笑顔になって、

「あっ、それでいいんスか。 分かりました~。」

素直というか、現金というか・・・。

ところが暫くすると、厨房の中から 「ア~ッ!」 という彼の叫び声が。

「どうしたの?」

「いやァ、ハーフだってことを忘れて、うっかり普通サイズで焼いちゃいました。」

「アホだなァ。 じゃあそれ半分に切って出せばいいじゃん。」

「あっ、それでいいですか。 すみません、ありがとうございます。」

と言って彼が出してきたのが、こちら。(↓)


    


「ところで、残りの半分はどうするの?」

「後で自分が食べます。 夕食代が浮きますから。」

「おいおい、それじゃ使い込み・・・じゃなくて、店の食材の盗み食いだろう。」

「渡辺さんが通常料金払ってくれるから、そうはなりません。」

「そういう事だけはよく頭が回るナ。
でも、そういう問題じゃないだろう。」

「オーナーには内緒にしといてくださいネ。
半分より少し多めにカットしてお出ししましたから。 ウッホッホ!」


確かによく見ると微妙にカットが曲がっていて、ハーフじゃなくて60%くらいだけど・・・エネゴリ君、頭良いんだか悪いんだか。
うー


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