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悪 法

皆さんは、徳川幕府の第五代将軍・徳川綱吉(1646-1709)と聞くと、どんなイメージをお持ちでしょうか?

ちょっと歴史をかじった方なら、あの忠臣蔵で赤穂浪士四十七士に切腹を命じた当事者と仰るかもしれませんが、多くの方は

 生類憐みの令

を命じた将軍として記憶されていることでしょう。

歴史の授業では必ず習うでしょうし、教師によっては人々を苦しめた〝天下の悪法〟と教えるかもしれないこの法令が、なぜ発布されたのか?

この理由については、嫡男・徳松が1683年に僅か5歳で夭折してしまい、以後跡継ぎが出来なかったことに悩んだ母・桂昌院が隆光僧正の勧めで発布したという俗説が。


しかし綱吉はこの隆光僧正との交流が始まる前から殺生嫌いだったといわれ、この説に信憑性はなし。

また綱吉が戌年生まれのため特に犬を保護した・・・等々の諸説がありますが、はっきりしていません。

         徳川 綱吉


また彼自身、後に〝犬公方〟などと呼ばれましたが、決してこの法令は最初から犬を保護するために1回だけ出されたものではありませんでした。


まず最初は1685(貞享2)年2月『みだりに鳥銃を放つことを禁じ、逮捕人・訴人には賞金を与える』という御触れが。

続いて同年7月、『将軍御成りの節、犬や猫を出していてもかまわない、犬猫を繋ぐことは無用とすべし』 という法令が出され、11月には鳥類・貝類・エビなどの料理を禁止に。

そして今からちょうど330年前の今日・1687(貞享4)年1月28日には重病の牛・馬を捨てることを禁止するなど、牛・馬に猫・魚介類にまで保護の範囲を広げたのです。

これを実質的な生類憐みの令の
発布とする学説もありますが、以後綱吉が没するまで23年間にわたり 『犬・猫・鼠に芸を覚えさせて見世物にすることを禁止する』 など、約60回も追加布告がなされたそうな。

当初は 『殺生を慎むべし』 という道徳的な趣旨だったそうですが、これを守らない人々が多かったため徐々に内容が厳しくなり、保護対象(?)が犬はおろか猫・鳥・虫の類までに及び、犬を虐待した者を密告した場合には賞金を出すまでにエスカレート。

その間、実際に禁を咎められ死罪や遠島になったお武家さんもいたそうな。

更に在位中起きた元禄の大飢饉(1695~6年)では、餓死者が続出する中で (現在の中野サンプラザ近くに作った小屋に収容された) 8万匹の犬には十分な食糧を与えるという本末転倒ぶり。


これでは人間様は堪ったものではありません。

※ただしこの法令は全国一律に公布されたものではなく、実際には江戸・大坂および幕府直轄地等一部地域でのみ適用されたようです。


この政令は綱吉の死後、即座(葬儀の2日前)に廃止されたそうですが、江戸ではそれまでの鬱憤を晴らすように犬を蹴飛ばす町民が続出したとか。

まぁ、その気持ちは分からぬでもありまぜん。


生類憐みの令に関して詳しく知りたい方には、こんな本がオススメ。

  『生類憐みの令』 (板倉聖宣・著 仮説社・刊)

        

この本は通常の歴史本とは違い、小・中学生の授業に使用できるよう作られ、歴史を通して子供たちに道徳と政治について考えさせる教材といえるもの。

なかなか良く出来ていますョ。


しかしこの政令・・・よくよく考えてみると、現在の 『動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護法)』 に似ているんですょネ。


同法第27条はには、こう記されています。


① 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。


② 愛護動物に対し、みだりに給餌又は給水をやめることにより衰弱させる等の虐待を行った者は、30万円以下の罰金に処する。


③ 愛護動物を遺棄した者は、30万円以下の罰金に処する。


④ 前③項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。

 1.牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、家鳩及びアヒル

 2.前号に揚げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、

   鳥類又は爬虫類に属するもの


その当時とは違い、さすがに犬を虐待死させたら打ち首なんてことはありませんが、逆に
ペットにはヒレ肉などの上質な餌を与えてブランド物の服を着せ、亭主のお小遣いは1日500円だけ・・・な~んて元禄時代そのままのご家庭、全国に散在しているんでしょうネ。うー


犬公方も、もしペットが大事にされる現世に在りせば〝名君〟と言われたかも・・・彼は生まれるのが、300年ほど早過ぎた?



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