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重 圧

たとえ落語ファンでなくても、彼の顔に見覚えがある中高年の方は多いはず。

一時期はテレビで売れっ子として持て囃されましたから・・・。

今日は、その

 4代目 ・ 桂 三木助 師匠

の命日・十七回忌にあたります。

彼は私よりひとつ年上・・・1957(昭和32)年に三代目・桂三木助の長男として東京の田端に生まれました。

3代目が55歳の誕生日を迎えた翌日に生まれた彼は、待ちに待った跡取り息子・・・しかし、彼が3歳の時に3代目は胃癌によりこの世を去ってしまいます。

母・姉と暮らしていた彼は、立教大学在学中に落語家になることを決意すると、父・3代目と義兄弟の盃を交わす程の大親友だった大看板・5代目小さん師匠に弟子入り。

ただ彼は父親にその大看板のようになって欲しい、という願いから小さん師匠と同じ盛夫と命名されており、また偶然にも姓が同じ小林だったため、本名が師匠と同姓同名・・・いろいろ不都合があったようです。

しかし師匠と父親が大親友だったこともあってか、彼は他の弟子たちとは全く違う生活を送ります。

住み込みが当たり前なのに、彼は昼過ぎにクルマで師匠宅に乗り付け、弟子らしい下働きはなし。

当然他の弟子からは苦情が出ますが、小さん師匠は野放し。

それが後のノビノビとした現代的な芸風に繋がったとも言えますが、反面基礎となる古典落語をみっちり身に着けることが出来なかった原因ともいえます。

それが後に彼の運命を決定づける要因になったかもしれません。

一流大学卒で外車でディスコ通い・・・という破天荒な若手落語家は〝プリンス〟・〝落語界のシティーボーイ〟と呼ばれ、春風亭小朝師匠と共に若手のホープといわれ、俳優やレポーターとしても活躍。

1985(昭和60)年には26人抜きで真打ちに昇進し、4代目・桂三木助を襲名。

しかしこの頃が、彼の絶頂期・・・ここから先は苦悩が続くように。

           


まずは長嶋茂雄氏らをはじめ有名人を多数含む800名近い招待客が参列した
盛大な披露宴を催して結婚したのに、新婚旅行から帰ってすぐに破局・・・いわゆる〝成田離婚〟のハシリを演じてしまいます。

実際には既に式前から彼は結婚する気がなかったようですが、有名人の特異な離婚にマスコミは飛びつきました。


同業の落語家から芸の未熟さを批判されるなどして思い悩み、大量のビールと共に睡眠薬を飲まないと眠れなくなったといいます。


そんな荒れた生活が祟ったのか、1993年には胃潰瘍の悪化で胃の3/4を切除。

更に初めて芸術祭に参加することを決めた1996年には、公演の数日前に交通事故に遭って負傷し、キャンセル。

2000年には友人の保証人になったことから1,000万円以上の借金を抱えるなどトラブル続き。

この頃には寄席を遅刻したりドタキャンして高座に穴を開けたり、夜の街を徘徊するなどの奇行が目立つようになったとか。

もう心身ともにボロボロ・・・その原因が芸の行き詰まりだったのか、体長不良なのか、それとも借金だったのかは、本人にしか分かりません。

そして年を越した2001年1月2日に催された小さん師匠の誕生会を欠席した彼は、その翌日自宅で首を吊ってしまったのです。 まだ43歳の若さでした。 遺書には

〝か 自分でも整理がつかないと同時に私の力のなさを痛感する〟

と書かれていたそうですが、冒頭の〝か〟が何を意味するのかも不明。

しかし、なぞかけのような遺書を遺した彼の死に顔は、満面の笑顔だったそうな。 

余程生きていくのが苦しかったのでしょうか?

確かに本人は楽になったのかもしれませんが、残された家族や友人・仲間の苦しみを考えて何とか思い止まって欲しかったですネ。

彼の十八番が 『死ぬなら今』 だったというのは、たとえ落語であっても笑えませんし・・・。うー



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