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軍 人

〝田中角栄の親衛隊〟、〝創政会の武闘派〟、〝国対の軍師〟、〝政権の参謀〟etc・・・これほど数多くの異名をとった政治家は、そういないでしょう。


見方によってはそれだけ実力を評価されていた証左でしょうが、その方とは


 梶山 静六


今日は、嘗て自民党を支えたこの大物政治家の命日・十七回忌にあたります。


梶山氏は1926年茨城生まれ。 

陸軍士官学校卒で、終戦を満州で迎えました。


復員して日本大学を卒業し家業の石材店を継いだ後、1955年に茨城県議に当選。


40歳で全国史上最年少の県議会議長に就任し、その在任中に田中角栄氏から国政進出の打診を受けて1969年の衆議院選に茨城2区から出馬し見事当選、田中派に所属します。


             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-梶山静六

以後通算当選回数は8回、その間自治相、国家公安委員長、通産相、法相等を歴任。 また自民党幹事長・内閣官房長官を務め、自民党中枢でも活躍。


田中派支配の自民党政権から、竹下氏の創政会旗揚げの分裂に組し竹下派七奉行の1人・武闘派として名を馳せ、更には幹事長時代に55年体制以降初めて野党に転落した責任を取らさせるという、まさに波乱万丈の歴史を歩みました


私の手元に、一冊の分厚い本があります。


時事通信社の記者として長く自民党・田中派を担当、梶山氏の国政での活躍を傍らで見続けた田崎史郎氏の筆による梶山氏の半生記、


 『死に顔に笑みをたたえて』 (講談社・刊)


            

       ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-梶山静六

田中角栄氏の元秘書・早坂茂三氏の著書と合わせて読むと、一段と当時の政治事情が立体的に理解できる力作ですが、同書は武闘派といわれた梶山氏が実は自らの戦争体験を背景にした強い反戦論者であったことなども伺わせます。


〝豪腕〟 といえば小沢一郎氏の代名詞ですが、元自民党副総裁・金丸信氏をして


「平時の羽田・乱世の小沢・大乱世の梶山」


と評されたほど、ある意味その力量を小沢氏より買われ、また田中角栄氏をして

「オレの寝首をかく奴がいるとしたら、それは梶山を置いて他にない。」

とまで言わしめた傑物・・・混迷を極める現在の政局にこそ存在して欲しい政治家だったかもしれません。


998年7月、橋本内閣退陣を受けた自民党総裁選には、梶山氏の他に小渕氏・小泉氏が立候補。


この時に田中真紀子氏が3人を評した 「軍人・凡人・変人」 は、歴史に残る(?)名キャッチコピーでしたが・・・内2名は既に鬼籍に入り、1名は引退。


彼ら3人の息子・娘が地盤を引き継いで議員バッジをつけていますが、果たして彼らは父親の如く多くの異名をつけられるほど政界で活躍できるかどうか、けだし見ものではあります。


2000年6月6日・・・数ヶ月前に交通事故に遭った際のケガが元で、志半ばのまま74歳の人生に幕を下ろした梶山氏のご冥福をお祈り致します。笑3







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