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金融王

2007年に起きたサブプライム・ローン問題や翌年のリーマン・ショックでもその影響を最小限に止め、現在は従業員26万人・総資産2.3兆ドル、世界に60以上の拠点を有する世界屈指の総合金融機関、J.P.モルガン・チェース(&カンパニー)。

皆さんもニュース等でこの社名をよく目にすると思いますが、今日はこの巨大企業の創業者であり、社名にその名を残した

 ジョン・ピアポント・モルガン

   John Pierpont Morgan


の命日にあたります。 


モルガン一族は、祖父の代から資産家・・・つまりジョンはいわゆる3代目。
よく日本では 「3代目が家を潰す」 などと言われますが、彼は全くその逆。

2代続いたモルガン家を飛躍的に成長させた傑物なのです。

ジョンは1837年のコネチカット州ハートフォード生まれ。

父ジュリアス・スペンサー・モルガンは銀行家 (※ちなみに叔父のジェームズ・ピアポント・モルガンは、有名な〝ジングルベル〟を作詞した音楽家で幼少の頃から息子ジョンに様々な教育を施し、成績優秀だった彼はボストン・ハイスクールに進学。


同校卒業後はフランス語やドイツ語を習得するためスイスやドイツの大学に留学。

その後1857年に父の経営する銀行のロンドン支店に入社すると、翌年にニューヨークに移り父の創業したジョージ・ピーボディ・アンド・カンパニーのアメリカ代理店に勤務。

そして1860年にはJ.P.モルガン・アンド・カンパニーを設立。

当初は父親が経営していたJ.S..モルガン&カンパニーが引き受けたヨーロッパの証券をニューヨークで販売していました。

そして1871年、彼とフィラデルフィアの銀行家アンソニー・ドレクセルが、共同でニューヨークで民間商業銀行ドレクセル・モルガン&カンパニーを設立。

1895年にドレクセルが死去するとモルガンがシニア・パートナー兼会長に就任し、会社を再編してJ.P.モルガン&カンパニーに・・・これが現在の同社の前身となります。

         

彼は本業の金融業で財を成すと、それを元手に鉄道事業にも進出して会社を買収・統合・再編を繰り返して傘下企業を増やし、更に海運・鉄鋼業界にも進出。

またエジソン率いるゼネラル・エレクトリックにも出資して合併に手を貸し、個人住宅としては世界で初めて電気を引かせるなど、様々な分野に進出。


更に実業界だけでなく、政治的にもアメリカか恐慌で財務的に危機的状況に陥った際には大統領の要請で膨大な金を調達してピンチを救うなど、アメリカ政府にも大きな影響を及ぼすほどになりました。


そんな彼の成功の原因は何か?

それは、人を見抜く眼力があったことだと言われています。


次々企業買収を行なう彼は、何よりも取引相手の人間性を重視したとか。

その長所・欠点など性格を見極めてビジネス・パートナーとするかどうかを判断したのだそうです。

「相手が一文無しだと分かっていながら、100万ドルの小切手を切ったことも少なくない」


と豪語したそうですが、コンピューター診断で杓子定規に融資をするかどうか決済する今時の銀行には、とても出来ない芸当でしょう。


また企業買収に関しては

「私が一つの会社を買収し立て直す時、名誉にかけてそうせねばならぬと考える。 その会社を守るという経営者としての道義的責任があるからだ。」

とも。 単に利益追求のためでなく、企業そして従業員を守る決意と責任を重く受け止めていることが伺えます。


このあたり、買収した会社の経営に自ら携わり必ず再建に成功している日本電産の永守重信社長とよく似ている気も。

しかし一代でこれだけ成功した実業家ですから、良い噂だけではありません。

有名なタイタニック号の実質的なオーナーだったために、莫大な保険金目当てに故意に沈没させたという説も根強く残っています。

まぁ真偽の程は分かりませんが・・・。

結婚後僅か1年余りで妻を病気で失うという不幸もありました (※後継者は後妻との間に生まれた長男ジャック・モルガン) が、常に旺盛な事業意欲を維持し、毎日一箱の葉巻を吸い続け食欲も衰えなかったという彼が75歳で亡くなったのは、今から103年前の今日・1913年3月31日・・・旅行先のローマのホテルで就寝中のことでした。

彼の訃報に接したウォール街は半旗を掲揚し、彼の遺体がウォール街を通過した際は2時間半もの間株式市場は閉鎖されたといいますから、いかに彼の評価が高かったかが分かります。


今後、彼のような国家の命運を左右するような実業家は出現するのでしょうか?笑3


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