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奇 譚

今からちょうど80年前の今日・1936(昭和11)年2月26日の東京都内は、あたかも赤穂浪士の討ち入り当夜の如く、雪が積もっていたとか。

その都内で未明の暗闇の中、陸軍・皇道派の影響を受けた一部青年将校が約1,500名の下士官を従え天皇親政を実現すべく決起。


総理官邸や閣僚の自宅、更には警視庁や新聞社などを襲撃し、岡田啓介総理・高橋是清蔵相ら4名を殺害。

更に山の上ホテルに陣取ってクーデターの拡大を目論みましたが、昭和天皇から反乱軍と見做されたことでクーデターは失敗。

3日後の29日には鎮圧され、多くの将校が自決あるいは逮捕・死刑によって命を落としました。


        

未遂の終わったとはいえ、この事件によって軍部の発言力はますます強くなり、やがて日本は軍国主義の道をひた走ることになるのですが・・・当然のことながら、まだ生まれていなかった私は多くを知りません。        

が、そんな私にとって最も印象深いのは事件そのものの背景や経過ではなく、三島由紀夫氏と美輪明宏さんの2人がこの事件に間接的に関わるエピソードなのです。            


美輪さんが 『銀巴里』 で歌っていた頃からの友人であった三島氏に、ある時霊が憑いていることを彼(女)は感じたそうです。


「三島さん、貴方に憲兵隊のような服装の霊が憑いているわょ。」 と言うと、


「名前は何と言う?」 と問う三島氏。


「名前は分からない。でも思い当たる人の名前を言ってごらんなさい。

その霊の名前なら、霊の影が消えるから・・・。」


そう言われた三島氏がそれでは、と何名か名前を挙げていったところ、


「じゃあ磯部か?」


そう言った瞬間にその影がパッと消えたそうな。


三島氏が名を挙げた磯部という男は、二・二六事件の首謀者の一人として捕らえられ、獄中で世を恨む獄中遺書を残して銃殺刑に処せられた、磯部浅一という青年将校その人だったのです。


  
 


三島氏は、磯部将校が同じく獄中で遺した 『行動記』 なる文書を高く評価したそうですが・・・後の1970年11月25日、45歳の三島氏が同志と共に市谷の陸上自衛隊駐屯地内の総監室に立てこもり、演説の後壮絶な自殺を遂げたことを考え合わせると、何とも云えぬ因縁を感じてしまうのです。 

美輪さんは自著 『霊ナァンテコワクナイヨー』 (PARCO出版 ・刊)の中でこう言っています。


        


『(磯部のような)ああいう死に方をしている人というのも、結局感謝が足りないから、呪ったり、恨んだりすることになるのです。


自分で反乱に参加して死んだのだから本望でしょうに、それを思い違って、誰かのせいにしているのです。


バカは死ななきゃ直らないというのは嘘です。


生きている時に、物分りが悪くて、頑固で、反省の色がない人というのは、死んでも同じです。


清く正しく美しい心になれば、そのような世界に住むことになり、心次第ではその逆にもなる。


〝地獄極楽は胸三寸にあり〟ということなのです。』


霊そのものを、また美輪さんの仰ることを信じるかどうかは人それぞれでしょうが、少なくとも私はあの世に恨みつらみを持ち込んで、誰かを引っ張り込む・・・なんてことはしたくありません。


死んでからも他人様に迷惑をかけないよう、現世を〝菩薩の心〟で生きたいと思うのです。笑3


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