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Mr.K

・・・と言っても、奪三振王のことではありません。

若かりし頃、私には憧れのスポーツ・カーがありました。

それは、日産のフェアレディーZ。

そのスピードと美しい流線型のフォルムに、一度乗っただけで惚れこんだものですが・・・今日は、このクルマの生みの親、

 片 山 豊 


の命日・一周忌にあたります。


        


片山氏は、1909(明治42)年に現在の静岡県浜松市に生まれます。

子供の頃父親と一緒に馬に乗って走った爽快感が忘れられなかった片山少年、東大でエンジニアリングを学んでクルマ作りに携わろうとしましたが、残念ながら不合格。

慶應義塾大学を卒業すると、親戚筋の鮎川義介氏が日本産業の自動車部門として2年前に設立した日産自動車に入社し、宣伝部門に配属されました。

大学在学中に渡米経験のあった片山氏は、その経験を活かしてそれまでの車名を連呼するコマーシャルを一変させます。

人気絶頂だった松竹少女歌劇の舞台上に10台のクルマを並べて観客を驚かせたり、CMキャラクターの起用やクルマのある暮らしなどを提案。


更には来たるべき本格的なモータリゼーションの時代を先取りし、1954年には他メーカーを巻き込んで 『第1回全日本自動車ショウ』 ・・・つまりは日本初のモーターショーの開催に尽力。

また本格的な輸出を控え、ダットサン210型でオーストラリア一周ラリーに挑戦し、見事1,000cc以下でクラス優勝。

これにより、“DATSUN ” の名を世界に知らしめました。

そして片山氏の名を一躍世界に轟かせたのは、1960年に渡米してから。


この転勤、実は車内で華やかにスポットライトが当たる片山氏をやっかんだ勢力が彼を飛ばしたのだそうですが、彼はメゲませんでした。

徒手空拳でアメリカでの販売を任された彼は、メンテナンスやアフターサービスを売り物に西海岸のディーラーを一軒一軒回って少しずつ市場を開拓。

そしてその現場感覚を元に、片山氏は新型SOHCエンジンを搭載した中型車・ダットサン510(ブルーバード)を発売。

更にこれをベースにして、アメリカ人のニーズに合わせた流線型のフォルムとイギリスのジャガーの約1/3というリーズナブルな価格設定で1969年に開発したのが、ダットサン240Z・・・日本でフェアレディZと名付けられた名車でした。

       


アメリカで〝Z(ズィー)・カー〟と呼ばれたこのクルマは発売直後から大人気を博し、以後10年間で総販売台数55万台(内日本では8万台)という、当時のスポーツカーとしては驚異的な数字を残しました。

現地で “Mr.K ” と親しまれ初代北米日産の社長を務めた片山氏は、
日本車のアメリカ進出のキッカケとなったこのクルマの開発・販売を評価され、1998年にアメリカの自動車殿堂入りを果たしています。

しかし何故か日産自動車はこれだけの功績を残した片山氏を本社の役員として迎えることはなく、1977年に定年退職。

1996年にはフェアレディZは一旦生産中止になったものの、再建を目指して就任したカルロス・ゴーン社長に請われ、ニューZの開発アドバイザーとして同社相談役に返り咲きました。

そんな片山氏が亡くなられたのは、昨年の2月19日・・・105歳の大往生でした。

クルマと共に人生を歩み、103歳まで運転免許を更新していたという “Mr.K ” のご冥福を、あらためてお祈り致します。

残念ながら今までフェアレディZのオーナーにはなっていない私ですが、60歳過ぎに手に入れて悠然と高速道路を走ってみたいものです。笑2



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