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どんぐり

今日は、中高年世代の方なら皆さんご存じであろう、日本を代表する探検家・登山家、

 植村 直己

の命日・三十三回忌にあたります。

但し厳密に言うと、これは推定・・・なぜなら、この日に無線交信が途絶え、何らかの事故に遭遇し行方不明になった、とされているから。

         



1941(昭和16)年に現在の兵庫県豊岡市で農家の末っ子に生まれた植村少年は、地元出身の登山家・加藤文太郎氏に憧れて、早くから但馬の山々に登り始めたといいます。


1960(昭和35)年に明治大学農学部に入学して山岳部に入部すると登山に没頭。

当初はよく転ぶことから〝どんぐり〟と渾名された彼でしたが、黙々と全国の山々に登って修練を積み、最上級生の時にはサブキャプテンを務めます。

どちらかというと主役よりも黒子役が性に合っていた地味で朴訥として性格だったそうですが、結果的にそれが彼に幸運を呼び寄せました。


大学卒業後、就職に失敗した彼は渡米。

不法就労で登山費用を稼ぐという綱渡りの生活を続けながらも、1966年にはマッターホルンやキリマンジャロの登頂に成功。

そして1970年5月、日本山岳会が創立65周年事業として企画したエベレスト登頂隊に参加した植村氏は、当初荷揚げやルート工作要員だったものの、抜群の体力を認められ第一次アタック隊に抜擢。

見事日本人初のエベレスト登頂に成功しました。

その3ヶ月後にはマッキンリーも征服、これにより世界初の五大陸最高峰制覇を達成。 その名を世界に知らしめました。

        


その後国際隊に加わり再度エベレストに挑むも失敗・・・こんな経験の中から、植村氏はチームでの登山に疑問を持ち、次第に単独行動に傾倒していったとか。

そして1974年12月から1年半かけて北極圏12,000kmの犬ぞり探検に成功すると、その4年後には人類初の犬ぞりによる単独北極点到達に成功。

日本人として初めてナショナル・ジオグラフィックの表紙を飾りました。

しかしその後はエベレスト厳冬期登頂や南極点への犬ぞり探検をそれぞれ諸事情により断念。

そして1984(昭和59)年、43歳の誕生日であった2月12日に世界初の冬季マッキンリー単独登頂を成功された植村氏は、下山中の翌日に交信を絶ってしまったのです。

「冒険は生きて帰ってくるのが絶対、何よりの要件」だと生前語っていた植村氏は、その日以来母国に帰ってくることはありませんでした。

消息不明になってから約2ヶ月後に国民栄誉賞を受賞しましたが、遺族はどんな思いでこれを受け取ったのでしょう・・・。


実は私、彼に助けられたことがあるんです。

高校生時代から植村氏の大ファンだった私は、彼の著作や記事を読み漁っていました。

そして 「浪人しても、学費は4年分しか出さないからナ!」 という父親からのプレッシャーで緊張しまくりの大学受験を迎えた私にとってラッキーだったのは、2校目の最初の科目・英語で、その植村氏に関する問題が出題されたんです。

例文を殆ど読まずに回答が出来たことで心理的に余裕が生まれた私は、その後の受験もスムーズにこなすことができたのです。

正直、植村氏のおかげで浪人生活をせずに済んだ・・・と、今でも感謝しています。

そんな植村氏の遺品などを展示した記念館は全国に何ヶ所かありますが、実は弊社の事務所から徒歩5分の板橋区蓮根2-21-5に、『植村冒険館』(月曜休館・開館時間は10~18時)があるんです。

※同館のHPは、こちら。(

      http://www.uemura-museum-tokyo.jp/


植村氏が15年間板橋に住んでいたことから作られたというこの記念館・・・三十三回忌の今日、久々に足を運んでみようと思います。

皆さんも板橋区にお越しの際は、是非お立ち寄りください。

如何にシンプルな装備で植村氏が命懸けの冒険を続けていたかを知って、きっと驚かれることでしょう。

いつかご遺体が発見され日本に帰国できる日が来ることを願いつつ、冒険王のご冥福をお祈り致します。笑3


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