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遺 産

以前拙ブログでもご紹介した、論語普及会・学監を務めておられる

  い  よ  た さとる 
 伊與田 覺 先生

7歳にして『論語』の素読をして以来、100歳になられた現在まで『論語』を学び教えてこられた先生の特別講話が、月刊『致知』2月号に掲載されていました。

その中から先生が師と仰ぐ安岡正篤先生の言葉とそれに関連した訓話を、以下に
編集・抜粋にてご紹介させていただきます。

          
          ◆     ◆     ◆     ◆


相続にもいろいろあり、親子の血筋というものは切っても切れない永遠のものといえるでしょう。

しかし血筋の継承以外に、〝心の継承〟というものもあります。

今日の家族相続には、財産など物の継承についてはどこでも取り沙汰されますが、残念ながら心の継承というものが取り上げられることは甚だ少なくなりました。

私が以前著した『安岡正篤先生からの手紙』(致知出版社・刊)には、私が安岡先生からいただいた200通にも及ぶ手紙の一部をご紹介しています。

       

中でも一番真に迫ってくるのは、先生が戦後公職追放を受け、それまで心血を注いで運営してこられた金鶏学院や日本農士学校を解散させられ、生きて死の宣告を受けたような不遇の時期の親筆です。

安岡先生ばかりではありませんでした。

それまで日本を牽引してこられた方々が20万人以上も公職追放と称して社会的に抹殺に近い扱いを受けました。

ですから戦後の日本というのは、ゼロからではなくマイナスからの出発だったのです。


そこで普通の創業者以上の苦労をしたのが、その後を継承し、戦後の日本を牽引した世代でした。

この人々の活躍によって日本は奇跡的な復興を果たし、1964(昭和39)年には東京オリンピックを挙行し、更にその6年後には万国博覧会まで開催されました。

有色人種の中で、戦争に敗れて僅か20年前後でそうした世界的な大典を実施した例はありません。

白人優先であった国際社会の中で、どん底に蹴落とされた日本が奇跡のように立ち上がることができたのは、追放の憂き目に遭った世代の後を受け戦後世代が日本の復興に邁進した結果と言えるでしょう。


万国博覧会では、松下電器産業(現・パナソニック)が5,000年後に開くタイムカプセルを展示して大きな話題になりました。

        


あのエジプト文明でも今は遺跡を残すに止まっており、世界にいまだかつて5,000年も続いた文明はありません。

現在その奇想天外なタイムカプセルは大阪城の中に保存されています。

それが西暦6970年にどのような形で開かれるかは、今を生きる私たちが如何に先人の心を継承していくかにかかっていると言えましょう。

          ◆     ◆     ◆     ◆

心の遺産を残す・・・素晴らしい言葉だと思いませんか?

躾や道徳、歴史教育等々は本来家庭で行うべきもの。

子々孫々の繁栄を願うなら、心の遺産こそ後世に伝えるべし・・・資産がない私のような人間でも、その気になれば立派な置き土産が残せるわけです。

これぞ相続税もかからない、最高の遺産ですょネ。扇子





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金 鯱

〝伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ 尾張名古屋は城で持つ〟

『伊勢音頭』 の有名な一節ですが、その歌詞通り名古屋のシンボルといえば、名古屋城。 そしてこの城の代名詞と言えるのが

 金のしゃちほこ

1612(慶長17)年に天守閣が竣工した当時から、慶長小判1,940枚分・・・純金にして約215kgの金を使用した雄・雌一対の鯱が燦然と輝いていたそうな。

ただその後藩の財政悪化に伴い3回にわたって金板の改鋳が行われ、最後には光沢の鈍りを隠すため金網で覆ったそうですが・・・。

とはいえ、腐っても鯛というか鈍っても鯱というか・・・屋外にむき出しになっている金板を盗もうとする輩はいるもの。


江戸時代、大凧に乗って天守の屋根に上って鱗を盗んだという、大盗賊・柿木金助の逸話がありますが・・・残念ながら、これはフィクション。 


実話としては1871(明治4)年には陸軍名古屋分営の番兵が足場を伝って天守閣に登り、鱗3枚を盗むもすぐに捕まり銃殺刑に。

その5年後には展示のため東京博物館に保管されていた鯱からやはり鱗3枚を盗むも御用となった犯人は、懲役10年に。

更に1878(明治11)年12月には、またしても鎮台名古屋分営の兵士が補修中の鯱から鱗を盗ったのですが、この件は軍秘とされ犯人の処罰は不明・・・まぁ前例からしてタダでは済まなかったとは思いますが。

そして今から80年前近くの今日・1937(昭和12)年1月6日、史上最大の盗難事件が発覚したのです。

      

1930年に名古屋城は宮内庁から名古屋市に下賜され、天守閣は国宝に指定されると同時に市民に一般公開されました。

それに伴って名古屋市が城の実測調査のため足場を組んでいたのですが、元ミシン工だった犯人はそこに着目。

1月4日に新年の見物客に紛れて小天守に入ると、そのまま隠れて夜を待ちます。

そして誰もいなくなった夜10時過ぎ、天守閣に行き5階の窓から足場を伝って頂上に登り、110枚のうち58枚の鱗をペンチを使って剥がしたとか。

かなり重かったと思うのですが、犯人はそれを担いで(?)まんまと逃走。

1月6日に名古屋市建築局の職員が鱗の盗難に気付いたから大変。


しかしお上の恥になるとばかりに、名古屋県警は報道規制をかけた上で全国に指名手配。

そして同月27日・・・鯱を溶かして鋳直した延べ棒を出身地・大阪の貴金属店に売り込んだところをあっさり御用となり、懲役10年の実刑を食らいました。

現在の金鯱は、特殊な5角形のボルトで鱗を止めてあるそうですので、市販されている工具では外せないとのこと。

いくら金に困ったからといって、55mの高さまで鱗を盗りに登っても無駄・・・〝骨折り損のくたびれ儲け〟ですョ。

余談ですが、一対の鯱は微妙に大きさや形状が違うのだそうです。

             雄           

 ◆ 高 さ    2.621m    2.579m
 ◆ 重 量    1,272kg    1,215kg
 ◆ 金 量    44.69kg     43.39kg
 ◆ 鱗 数      112枚       126枚

えっ、左右どちらが雄かって?

・・・それは現地に行って見比べてみてください。あせあせ