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武闘派

今日・6月30日は、私が最も尊敬する経営者の1人であり、〝クロネコヤマトの宅急便〟の創始者・ヤマト運輸(現・ヤマトホールディングス)の元社長であった


 小倉 昌男 


の命日・没後10周年にあたります。


1924年生まれの小倉氏は子供の頃から大変な秀才で、東京帝国大学経済学部卒業後、父・康臣氏が経営する大和運輸に入社します。


一時は関東エリアのネットワークを構築し、社員500人余りを抱える日本有数の運送会社だった同社は、長距離便への進出が遅れたことから経営が悪化。 


康臣氏から社長を引き継いだ昌男氏が起死回生を狙った秘策が、『小口貨物配送サービス』 すなわち宅急便でした。


発想のヒントになったのは、牛丼の吉野家だったとか。

売り物を牛丼一本に絞って業績を挙げていた同社の経営方針を見て、運送業でも取扱い商品を絞り込んだらどうか・・・と考えたわけです。


当時の全役員が猛反対する中で、大きな経営方針転換を不退転の決意で行った昌男氏・・・そのバックボーンとなったのは、現場で働くドライバー達の支持だったといいます。


「今までは時間厳守で運搬するのは当たり前、少しでも遅れれば荷主からボロクソに言われてたのに、小っちゃな手荷物ひとつ届けただけで、奥さんから〝ありがとう〟 って言われることにやり甲斐を感じる。」


お客様や現場の喜ぶ声を信じた小倉氏の経営センス、お見事というしかありません。


        


さらに淒いのは、既存大手業者と癒着(?)して、なかなか営業認可を下ろさなかった旧・運輸省を相手取り、行政訴訟を起こしてまで徹底的に闘ったことでしょう。


当時は現在よりもはるかに絶対的な権力を持っていた中央官庁を一企業が訴え、しかも主張を通したのは、偏に小倉氏の燃えるような執念があったればこそ。


そのおかげで私たちは今、便利な宅配サービスの恩恵に俗しているのです。 


宅配事業に社運を賭けた時には、超大口顧客であった三越と取引を停止して背水の陣を引くという豪胆さと、長野支店の一社員の発案をすぐに取り入れてスキー宅配便を始めたり、現場ドライバーの声を取り入れて年末年始営業を実施するなどの柔軟性を兼ね備えた、素晴らしい経営者であった小倉氏。


社業から身を引いた後も、私財を投じて財団を設立し身体障害者の働く場としてベーカリーを立ち上げるなど、2005年6月30日に80歳で亡くなるまで世のため人のために尽くされました。


〝人間として大事なことは 『真心』 と 『思いやり』 〟


〝サービスが先、利益は後〟


小倉氏が口癖のようにおっしゃっていたこの言葉をかみしめつつ、2代目で会社を飛躍させた稀代の名経営者のご冥福をお祈りしたいと思います。笑3


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崩 壊

今からちょうど20年前の今日・1995年6月29日に韓国で起きた大参事・・・皆さんはご記憶でしょうか?

と言われてピンッと来ない方も、この画像をご覧になれば思い出すはず。


       

そう、それは同日午後6時前に建物の左右両側の壁を残し5階建てのピルのフロアが全て落下し、死者502人・負傷者937名・行方不明者6名を出した

 三豊百貨店崩壊事故

でした。 


1989年に開店してから僅か6年後に崩れ落ちたこの建物は、当初地上4階・地下4階のオフィスピルになるはずだったのですが、経営母体の三宝建設産業が建設途中に1階増床して5階建てのデパートへの業態変更を決定。

当初施工していた宝成建設は、設計変更が危険だとして反対し、建設続行を拒否。


仕方なく三豊建設産業が直接施工することに。

オフィスビルから百貨店にすること自体、素人の私でも疑問を感じますが、彼らは意に反さず。

計画になかった5階部分を増床することで約3,000トンものコンクリートが増量されたのに、防火シャッターを設置するためビル中央の柱を25%も撤去したばかりか、エスカレーターを設置するために柱を細くした・・・というから呆れます。

更には屋上で100トン近い大型冷房装置を引きずって移動させたため、重量に耐えきれなかった。という話も。

崩壊前には、既に屋上は柱の突端が半ば突き抜けて盛り上がり、5階のフロアも傾いていたそうな。


ちょっと日本人には考えられない杜撰さですが、更に驚かされるのは事故直前のデパート側の対応。


事故前日に5階の従業員が天井のひび割れに気づき、更に事故当日それが広がっていることを上司に報告。

しかし経営陣はその報告を聞きながらそのまま通常営業を決定し、社長が呼んだ建築士も閉店後の修理で大丈夫という過少報告をしたため、来場客を避難させなかったことが被害を飛躍的に大きくしてしまいました。

まさに人災そのものですネ。

しかも営業継続を支持した経営陣は、
事故直前に従業員や来場客をほったらかしにして避難していた、というのですから呆れるばかり。

昨年のフェリー転覆事故の際、乗客を残したまま真っ先に逃げ出した船長と同じです。


この事故の前年にも聖水大橋の陥落事故があった韓国内では、建設会社に対する信用はガタ落ち、国内の高層マンションの価格は暴落。


実際に事故後韓国政府が高層建築物の緊急調査をしたところ、建て替えが必要な物件が全体の1/7、修理が必要な物件が80%に達したといいますから、もう手抜き・欠陥工事が当たり前たいう惨状。

日本でも過去耐震偽装などが問題になりましたが、さすがにこんなビル崩壊は起きていませんから、レベルの違いは明らか。

経営陣は厳しく責任を問われ、会長は懲役10年6ヶ月の実刑判決を受けると共に全財産没収。

また当時の区長が設計変更と仮使用許可を認める見返りとして約150万円の賄賂を受け取ったとして逮捕されました。

さて、この凄惨な事故現場はその後どうなっているかというと・・・現在は高級マンション〝アクロビスタ〟に生まれ変わっているとか。


      


500人以上も亡くなった事故現場に建設された高層マンションに、入居者が集まるのか? と私は首を傾けたくなりますが、韓国人は〝一度死者が出た土地は縁起がいい〟と考えるのだそうで、殆ど即日完売の大人気だったとか。

にわかに信じられないですが、これも民族性の違いなんでしょうかねェ。

お客さんを置き去りにしても自分だけ先に逃げることと言い、私には理解できません。


この事故後、韓国政府は欠陥・手抜き建築がなされないように法律を改正したそうですが・・・奇しくもちょうど1年前の同じ6月29日にソウル市内にある現代百貨店で天井の石膏ボードが落下し、店員やお客さんが一斉に避難するという事故が起きています。

大丈夫なのか? この国は・・・。うー

努力家

陸上競技の中で日本人に最も人気のある種目といえば、マラソンでしょう。

その中でも、2000年のシドニー五輪で高橋尚子、2004年のアテネ五輪で野口みずきの両選手が金メダルを獲得した女子マラソンは、今でも世界のトップレベルに位置しています。

今日は、その女子マラソンの草分け的存在だった

 佐々木 七恵 選手

の命日・七回忌にあたります。

1956(昭和31)年に岩手県大船渡市で生まれ、5男2女の末娘で生まれたことから七恵と命名された彼女は、中学時代バレーボールをやっていたものの、住田高校では兄の影響で陸上競技に転向。

日体大時代までは中距離ランナーとして活躍した彼女がマラソンに取り組んだのは、大学卒業後のことでした。

1979年、この年から始まった東京国際女子マラソンに出場し26位となった彼女は、故郷・岩手県の県立学校の教員をしながらトレーニングに励み、学校休みの時期に上京してはあの瀬古選手の師として有名だった中村清氏の指導を受け、次第に記録を伸ばしていきます。

1981年のボストンマラソンで日本最高記録を樹立し、日本女子マラソン界のトップランナーとなった佐々木選手ですが、ここで思いがけない挫折を味わいます。

それは、現在解説者として活躍している、終生のライバル・増田明美選手の登場。

ボストンマラソン直後の国内トラックレースで、まだ高校生だった彼女に大差をつけられて敗北を喫した佐々木選手は大ショック。


2年後のロス五輪で正式種目となった女子マラソンの出場を目指していた彼女は、なんと安定した教員職を辞め、中村監督率いるヱスビー食品陸上部入り。

リベンジに燃える彼女は、それまで以上に中村氏の指導を熱心に受けて猛練習を重ね、翌年の5,000mでは増田選手に快勝。

その1ヶ月後にはニュージーランドでのマラソン大会で日本人最高記録を樹立。

1983年11月の東京国際女子マラソンで日本人女性として初優勝を飾り、見事ロス五輪の日本代表の切符を手にしたのです。

翌年開催されたロス五輪の女子マラソンは、アンデルセン選手のフラフラ・ゴールがあまりに有名(関連記事はhttp://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11506723545.html
)ですが、佐々木選手は彼女より早く
2時間37分4秒でゴールイン。

19位ではありましたが、過酷な条件下で日本人ランナーとして唯一完走を果たしました。(※増田選手は途中棄権)


恩師・中村監督をして 「天才は有限、努力は無限」 と言わしめ、東北出身者らしい粘り強い走りから〝おしん走法〟とも評された彼女でしたが、この晴れ舞台で燃え尽きたのでしょうか・・・五輪直後に中村監督の勧めで自衛隊勤務の男性と結婚。

「家庭とマラソンの2足の草鞋は無理」と引退を表明し、ラスト・レースとなった翌1985年3月の名古屋国際女子マラソンに出場。

2時間33分57秒という自己ベストを叩き出して優勝し、見事有終の美を飾りました。


          


初マラソンから5年半で自己ベストを30分以上も縮めた彼女・・・結婚後2人の子供をもうけましたが、今流行り(?)のママさん選手として現役復帰はしませんでした。

ライバルだった増田選手が 「陸上界の山口百恵的な生き方」 と評したように、佐々木さんは引退後一切表舞台に立つことはせず、ヱスビー食品陸上部のコーチや顧問として縁の下の力持ちとして後進を指導し支えましたが・・・
頑張り屋の彼女も、病には勝てませんでした。


2007年に直腸ガンが発見され治療を続けていましたが・・・2009年6月27日、53歳でこの世を去ったのです。


1992年のバルセロナ五輪で銀、1996年のアトランタ五輪で銅メダルを獲得した有森裕子選手が 「佐々木選手を目標にして後を追いかけた」とコメントしているように、日本女子マラソンの隆盛は間違いなく佐々木選手の存在なくしては語れないと申せましょう。

五輪のメダルは獲れませんでしたが、黎明期の女子マラソン界を引っ張り、その走りで努力の大切さを身を以って後進に教えた〝おしんランナー〟のご冥福を、あらためてお祈り致します。笑3




怨 念

ゴロゴロ、ビカビカ・・・これが好きな人は殆どいないと思いますが、今日・6月26日は

  
〝雷〟記念日


なのだそうです。


由来は、今から1085年前の今日・930(延長8)年6月26日、宮中に大きな落雷があり7名の死者を出したこと。font size="2">


      

その年平安京は干ばつに見舞われていたため、この日は雨乞いの祈祷を実施するか否かを詮議するべく、醍醐天皇列席のもと太政官の会議が予定されていました。

ところが昼過ぎ、一転にわかに黒雲が空を覆ったかと思うと、猛烈な雷雨に。

そして豪雨が1時間半ほど続いたところで、会議の出席者が集まっていた清涼殿の柱に雷が直撃。

大納言民部卿・藤原清貫の衣服に火が燃え移って焼死。


右中弁内蔵頭・平希世も顔を焼かれて死亡。

更に隣の紫宸殿にも雷が落ち、中にいた公卿3名と衛士2名が犠牲になるという、大惨事に。

この落雷を、人々は菅原道真の怨念と噂しました。 


現在は学問の神様として知られる道真公は、その高い教養と見識を宇多天皇・醍醐天皇に重用され、家の格を遥かに飛び越えた右大臣にまで大出世を遂げながらも、政敵・藤原時平の策謀により大宰権帥 (だざいごんのそち)に左遷されて失意のうちに903(延喜3)年に57歳で世を去った人物。

           ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-菅原道真


それから30年近く経っているのに、なぜ彼の名が出たのか? それは


① 焼死した藤原清貫が、太宰府に流された道真公の監視役だった。

② 醍醐天皇のいた建物に落雷し、しかも彼がその惨状を目の当たりに

  したことで体調を崩し、僅か3ヶ月後に崩御した。

          

ことが理由。 


朝廷は大真面目にこの落雷を祟りと恐れ慄き、道真公の罪を免じて子供らの流刑を解除し京に呼び戻しました。


そして市井の人々は、道真公が雷を操る雷神になったと噂し合ったとか。


ところで皆さん・・・ゴロゴロッと雷が鳴ると、ご祖父母やご両親が


「クワバラ、クワバラ」


って口にしていませんでしたか?


実はこれ、道真公の領地であった桑原には雷が落ちなかった・・・という言い伝えから作られた 「自分のところには落ちませんように。」 というお呪(まじな)いなんです。


飲み歩いて帰りが遅くなり、奥さんの怒りが爆発しそうなそこのご主人!


自宅のチャイム鳴らす前に、「クワバラ、クワバラ」 って口にすれば、雷を落とされなくて済むかも・・・て、甘いか。うー


ついでに余談を、もうひととつ。
やはり昔、雷が鳴り出すと 「お腹を隠さないと、おへそ取られちゃうわヨ。」 なんて母親から言われた経験、ありませんか?

これは雷が鳴ると気圧が下がって気温も急降下・・・お腹を壊しやすいことから、冷やさないようにしろという先人の知恵。

しっかりとした科学的根拠があるんですネ。

こういう粋な格言というか日本語、失くしたくないものです。扇子





泥 棒


つくづく日本国民は、一時とは言えとんでもない政党に政権を渡したものだ・・・と改めて思います。

このところ国会は政府の集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案を巡って与野党の対立が激しくなっていますが、これに対する民主党の対応の稚拙さというか怠慢ぶりに、怒りを通り越して呆れている私。

彼らには、本当に日本人の生命や領土・領海を護る意識があるのか? と。


元々民主党(と社民など一部を除く野党)は集団的自衛権の容認には反対しており、この点に関して国会で議論を尽くすよう政府・与党に強く申し入れていました。

国会は立法・議論の府ですから、それは当然のこと。

しかし民主党は言葉とは裏腹に、何かとイチャモンをつけては委員会を欠席して議論を放棄。

そればかりか、今月12日には(集団的自衛権とは直接関係ない)衆院厚生労働委員会で、自民党・渡辺委員長の入室をシナリオまで書いて暴力で阻み、ケガを負わせるという大立ち回り。

自衛隊ではなく、自らが〝暴力装置〟であることを立証してくれました。


この時渡辺委員長の携帯電話が何者かに盗られ、彼が立ち寄らない場所で発見されるという珍事まで起き、現在この犯人探しが進行中。

一部週刊誌には、4人の民主党議員に絞り込ませているという記事が掲載されたようですが、指紋照合の結果等で犯人が特定されれば、事はタダでは済まないでしょう。

暴力装置どころか、盗っ人が党内から出るわけですから・・・。

しかしこの一件につき党首討論で安倍総理から抗議された岡田代表は、謝罪するどころか 「公正な議会運営を確保できるかが問題だ」 と完全に開き直り。

委員会を欠席したり妨害しているのは、どこの党なのか?

        


更に驚いたのは19日夜、某民放の政治討論番組で同党の辻元議員が、

「(党として)安全保障関連法案に関して対案や修正案を出さない」

と明言したこと。

国会議員の職務は法案の提出・審議なのに、それを自ら拒否したのです。

これは完全に職務怠慢でしょう。


そしてトドメは与党が十分な審議時間を確保するため大幅な会期延長を決めたことに対して、民主(更に社民・生活)党が反対し本会議を欠席。

私が呆れたのは、この期間延長について同党の榛葉・参院国対委員長が発したコメント。

「95日間も延長したら、国会や党職員の夏季休暇が取れない。」


・・・あのねぇ、民主党さん。

私を含め、夏休みはおろか土・日も休まず働いている国民は沢山いるんですョ。

国防よりも夏休みが大事なんですか?

歳費をいただいている国会議員が、何という戯言を。
これでは税金泥棒と言われても仕方ありますまい。

※ちなみにこの榛葉議員は、昨年ガン治療で通院していた小松一郎法制局長官(故人)が出席すべき委員会のない月曜日に抗がん剤の治療を受ける申請を出した際、 「国会審議をないがしろにしている」と辞任を要求した御仁。 


彼らの一連の言動を子供に例えれば、

 ◇授業は勝手にサボる。
 ◇教室内で暴力を働いたり盗みを働きながら反省せず。
 ◇屁理屈を並べて宿題はやろうとしない。
 ◇「夏休みをもっとよこせ」と駄々をこねる。

これじゃまるで手に負えない問題児そのもの。


どう考えても、民主党の議員は党利優先・・・国民の安心・安全を第一に考えているとは思えません。

いや、むしろ中国(や韓国)にとって都合の良い環境づくりを目指している・・・そう考えれば彼らの言動は腑に落ちます。


ついでながら、同党が持ち出してきた徴兵制の復活なんて、全くナンセンス。 


これに関しては自衛隊出身の〝ヒゲの隊長〟こと佐藤正久議員が、「非現実的な議論」であると一蹴しています。

歩兵が主力だった日清・日露戦争の時代じゃあるまいし、遠隔操作など最新技術を駆使した兵器を使いこなす現代の戦闘にいきなり素人など投入できないことは、ちょっと知識があれば分かるはず。

具体的な政策も示せず反自民だけでしか結束できないこの寄せ集め・口だけ政党には、我が国の将来のために一刻も早く消滅してもらいたいものです。怒




音 階

皆さんが学校で音楽を習う時、音符は〝ド・レ・ミ・・・〟で教えられたと思います。

実際にはこの音階、日本には雅楽で使用する 『五音音階』 などがあるように、世界各国で様々なものがあります。


その中で現在最も普及している、この1オクターブを7つに分ける階名表記を991年前の今日・1024年6月24日に考案したといわれているのが、

 グイード・ダレッツォ (991 or 992 -1050)

  Guido d'Arezzo


というイタリアの修道士・音楽教師でした。


         


カトリック教会に属するベネディクト会の修道士であったグイードは、聖歌隊がグレゴリオ聖歌を暗記するのに苦労していたことから、それを短期間で覚えられる方法を模索。

当時は旋律を表記する方法が確立されておらず、聖歌隊のメンバーは曲を耳で覚え、それを歌い伝えるしかありませんでした。

それゆえ覚えるのに時間がかかった上、歌い方にズレが出たり年月を経て曲自体が変わってしまう弊害が。


そこでグイードは4本(現在は5本)の線を引いた紙の上に四角い音符を書くという、現在の楽譜表記の原形を考案したのです。

これにより、聖歌隊は曲を正確に覚え記録し後世に伝えることが出来るようになりました。


彼が暮らしていたアレッツォの自宅入口には、それを記念した銘板が嵌め込まれています。(


   


左端の〝ド〟が〝Do〟ではなく〝Ut〟になっていますが、これは発音しにくいため後に「主」を示す〝Dominus〟の頭を取った〝Do〟に変更されました。

(※フランスでは、現在もウトゥと発音するそうです。)


また当初の音階はラまでの6つでしたが、後に 『聖ヨハネ聖歌』 の最後の歌詞から〝Si〟が加えられ、現在の7音階になったそうな。


因みに、この7音階の発音は各国で違いますが、主だったものは下記の通りです。


    


イタリア  Do   Re   Mi  Fa   Sol  Ra   Si   Do

米 ・ 英  C   D    E   F   G   A    B   C
日  本  ハ  ニ   ホ   へ   ト   イ    ロ   ハ    


もちろん現在の楽譜では半音が間に入った12音階を使用していますが、なぜ1オクターヴの中に半音(黒鍵)が7つではなく5つなのか・・・不思議に思ったことはありませんか? 


その辺の答えを探るのに、面白い本があります。

 『音律と音階の科学』 
(小方 厚・著 講談社ブルーバックス・刊)


    

著者は音楽家ではなく、プラズマ波のフーリエ解析 (って何のことだか私には分かりませんがあせあせ で学位を取ったという科学者。

なんでそんな畑違いの人が・・・と思いますが、実は現在一般的に使われている1オクターブ12音階の基礎は、『ピタゴラスの定理』で有名な、あの数学者ピタゴラス (B.C.582-B.C.496) だと言われているのです。

従って、芸術たる音楽の基礎は、科学から解き明かさないといけない・・・というわけ。

普段なにげなく使っているドレミファソラシドが、どういう構造になっているのか?・・・興味のある方はご一読ください。




大親分

どの業界であれ、トップに立つのはそれなりの人物。

たとえ、それが犯罪の世界であっても・・・。

今から106年前の今日・1909(明治42)年6月23日に赤坂署に逮捕された

 仕立屋銀次

もその一人。 

なんだか必殺仕置人のメンバーみたいな呼び名ですが、彼(本名:富田銀次郎)は当時東京にいた約1,500人に上る掏摸(すり)の頂点に立つ、大親分でした。

        

         


彼は1866(慶應2)年に現在の東京都文京区駒込で生まれました。

父親は問屋業を営む傍ら、皮肉にも警察署の下請けとして強盗などの検挙にも関わっていた刑事でもあったとか。

12,3歳の頃、大丸呉服店の下請けだった仕立屋・井坂浜太郎の元に奉公に出た彼は、その後独立して御徒町に店を構えます。

そこまでは真面目な職人だったのですが、1人の女性との出会いが彼の運命を大きく変えてしまいました。

それは、彼にお針子の仕事を習っていた広瀬クニ。

実は彼女、当時スリの親分として名を馳せた〝清水の熊〟こと清水文蔵の娘だったのです。

既に主人の紹介した女性と結婚していたにもかかわらず26歳の時に彼女と内縁関係になった銀次郎は、表向きは仕立屋の看板を出していたものの、やがて悪の道に足を踏み入れることに。

店に顔を出す熊の子分たちの面倒を良くみた彼の信望は高まり、32歳で跡目を継ぎ(二代目)親分の座に。


そして銀次の凄い所は、彼自身は掏摸を一度もやったことがないのに手下を操って掏摸を個人の自営業(?)から組織化し、そのトップに君臨したところ。

稼ぎ場が汽車の車内だったことから彼らは
〝箱師〟といわれ、背広姿など一見紳士風に装って乗客を安心させて仕事に励んだそうな。

銀次はクニの母親名義で質屋を開業し、最盛期は500人もいた手下が持ち込んでくる盗品を売り捌くルートを開拓し、その上前をハネるシステムを構築。

関西の掏摸グループとも提携して販路を拡大すると同時に、その資金で貸し長屋を50軒以上をも所有し、家賃収入もかなりのものになったといいます。

日暮里の豪邸で暮らし、なんと村会議員まで務めたというから驚き。


              

        『仕立屋銀次』(本田一郎・著 中公文庫・刊)

しかし悪事はいつまでもうまくは行きませんでした。

当時は警察が裏社会の情報収集のためにスリや犯罪人を泳がせており、それ程取り締まりは厳しくなかったとか。

逆に銀次は警察から被害情報を入手し、手下が盗品をピンハネしていないかどうかチェックしていたというのですから、何をか言わんや。

よく映画に出てくるようなマフィアと警察の癒着みたいなものだったのでしょうが・・・そこに赤坂署長として赴任してきたのが、本堂平四郎。


前々から警察と犯罪組織の癒着を苦々しく思っていた彼に、絶好の機会が訪れました。


新潟県知事だった柏田盛文なる人物が、車内で金時計をすられたと被害届を出してきたのです。

それは伊藤博文から贈られた家宝ともいえる大事な品だったそうで、彼は「スリの親分に頼めば返してくれると聞いたので、これで手を打ってほしい。」 と当時としては大金の百円を差し出しました。

確かにそれまで銀次は警察の要請に応じて盗品を返したりして恩を売ったり、賄賂を渡していたことで高をくくっていましたが、本堂署長の指示を受けた刑事らは銀次宅に踏み込んで彼の身柄を拘束。


その後手下共を芋づる式に逮捕し、自宅から金・時計・鞄など約18,000点、荷馬車2台分もの盗品を押収。


結果、銀次は懲役10年の実刑を食らうことに。 

そして癒着していた警官も一掃、警察庁内にスリ係も新設されると以前のような蜜月時代は終わりを告げました。

それから約20年後の1930年、新宿三越で反物を万引きして捕まった老人がいたのですが・・・それが年老いた銀次でした。

その後の彼の消息は分からず、いつ亡くなったかも不明。

悪は必ず滅びる、の図ですが・・・もし彼がクニと出会わず真面目に仕立屋をしていたら、あるいは一代で会社を大きくして財を築けたかもしれません。

その商才(?)を善行に行かせたかもしれない、という想いと同時に人の出会いの恐ろしさをも感じざるを得ません。

果たして私にとって、女王様との出会いは吉? それても、凶?うー




sting

ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードという2大俳優が共演し、アカデミー作品賞を受賞した名画 『スティング』 (1973年公開)。

主役の2人が策を練ってギャング組織に一泡吹かせる痛快コメディ映画でしたが・・・この原題になっているStingには、『囮(おとり)捜査』という意味があるんです。

今から33年前の今日・1982(昭和57)年6月22日に発覚した


 IBM産業スパイ事件


は、この囮捜査によって日立製作所・三菱電機の社員ら6人がアメリカFBIによって逮捕されたものでした。


この事件、簡単に言えばライバルの日立社が自社の機密情報を入手したことを知ったIBM社がFBIと協力。

IBMの社員に扮したFBI捜査官が日立社の社員に極秘情報の売却を持ちかけ、現金を支払ったり取引現場を撮影したビデオテープを証拠に産業スパイ事件として立件されたもの。

当時私は社会人2年目。

映画やドラマの中だけでしか知らなかった囮捜査が現実に行われており、しかも普通のサラリーマンが逮捕されたことに、少なからず驚いたものです。

さて、アメリカでは一般的に行われているこの囮捜査・・・日本では行われているのでしょうか?

TVドラマや書籍などでは女性の囮捜査官が登場していますが、実際のところ原則的には行われていません。

そもそも、日本の法律には囮捜査という言葉自体の記述がないのだそうです。

しかし何事にも例外があるもので、ごく一部では行われているとのこと。

そのひとつが、麻薬捜査。


     


売買の現行犯逮捕が原則である麻薬捜査では、なかなか犯人の尻尾を捕まえることは出来ません。

そこで囮捜査を認める判例があるわけですが・・・その判決文の中で、裁判所は囮捜査を

【捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者が、その身分や意図を相手方に秘して犯罪を実行するように働き掛け、相手方がこれに応じて犯罪の実行に出たところで現行犯逮捕等により検挙するもの】


と定義しています。


平たく言うと、ヤクの売人に捜査官が身分を隠して「売ってくれ」と近づき、麻薬を取り出して現金を受け取った段階なら逮捕出来る、ということ。


ただ逆にヤクの売人に扮した捜査官が通行人にランダムに声をかけ、買った人間を逮捕することは認められていません。

それは善意の国民を誘惑して犯罪者を作り上げる行為になりますから。

ですから街中でヤクを買っても囮捜査に引っかかる恐れはありません・・・って、そもそも買うこと自体犯罪。


現行犯なら逮捕されますので、ついつい興味本位で手を出すのは止めましょう。うー

皆さんは、この囮捜査・・・我が国でももっと範囲を広げて実施しても良いと思いますか?






小 言


先代(5代目)三遊亭圓楽師匠は、東京・浅草の易行院というお寺の子に生まれました。

父親が区会議員をしていた関係で、お寺には毎日たくさんの人が出入りしていたそうで、小さかった頃の圓楽師匠は、誰が父親だか分からなかったそうな。

しかしある時、おてるさんという女中さんがお給仕をしてくれたご飯をそのまま食べようとしたら、師匠の手をピシャッとおじさんにぶたれたんだそうです。

その瞬間、「あっ、この人が親父なんだ。」 って分かったんですって。
なぜなら、居候がその家の子をぶつはずがありませんから。

で、その親父さんに師匠はこう言われたそうです。

「今、お前はご飯をよそってもらったが、これはお前が炊いたのか?」

「おてるさんが炊きました。」

「じゃあ、このお米はお前が作ったのか?」

「違います。」


「じゃあ、お前は何もしないで飯を食ってるのか?」

「そうです。」

「だったらお前はなぜ、食べる時に 『いただきます』 と言わないんだ。

いいか、米というのはね、お前がまだあったことのないような人たちが手塩にかけて作っているんだ。

八十八と書いて〝米〟というくらい、米はいうのは八十八回もの手間をかけないと出来ないんだ。

そんなことも知らないで、ただ座して、礼も言わずに食べるとは何事だ!」

圓楽師匠は、このことを鮮明に憶えていたそうです。


         

またある時、本好きだった師匠が本屋で立ち読みをしている時、鏑木さんというおじさんがパシッと師匠をぶったんだそうな。

「おじさん、何でぶつんだョ。」

「何でじゃないよ。 お前、俺のこと知ってるんだろ?」

「ええ、鏑木のおじさんです。」

そしたら、そのまま行っちゃったんだそうな。

ところがその後、親父さんから小言が。

「お前、今朝、鏑木のおじさんにぶたれただろ?」

「ええ」

「お前ね、こういうことは覚えておきなさい。

知っている人に会ったら、必ず 『おはようございます』 とか 『こんにちは』 ってちゃんと挨拶するんだョ。

鏑木さんは、黙って通り過ぎることも出来たけど、お前に憎まれても構わないからちゃんとそのことを教えておこうと思って、ピシャっとぶったんだ。

それは、お前の将来に役立つことなんだ。
だから、ちゃんと鏑木さんにお礼を言いなさい。」


圓楽師匠のお父さんや鏑木さんのようになりたい・・・と思いつつ、『父の日』の今日を過ごしたいと思います。






有料化

先日、遂にというか国の財政制度等審議会が救急車の一部有料化を検討するよう財務相に提言を行いました。

一昨年の全国における救急出動件数は過去最多の591万件・・・これは10年前に比べて約20%増であり、今後ますます高齢化社会となる我が国では更に増えることは明らか。

その中で、最近は救急車をタクシー代わりに使ったり僅かなケガでも呼ぶ人が増え、本当に救急搬送が必要な重症患者の搬送に支障をきたすリスクが増しています。

実際、全件数の約半分が軽症者だそうですから、事態は深刻。

こういう現状を打破するために有料化という対策が早くから提言されていましたが、今まではボツになってきました。

しかし残念ながら、もう性善説に頼るのは限界ではないでしょうか?


       ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-救急車


では海外の実情はどうか?
多くの日本人が海外旅行等で行く先を調べてみたところ、こんな具合でした。

 
◆ アメリカ・・・ニューヨーク → 約3万円の基本料金+距離による割増
           ロサンゼルス → 約5万円

          ホノルル    → 約7万円

 ◆ オーストラリア・・・ゴールドコースト → 約9万円


 ◆ 中  国・・・北 京 → 約6,000円
           上 海 → 約5,000円

 ◆ フランス・・・パ リ → 1万円弱の基本料金+距離による割増

 ◆ ド イ ツ・・・フランクフルト → 症状によって2~7万円

 ◆ イギリス・ロンドン、イタリア・ローマ → 無 料

各国毎に保険制度等事情が違いますから単純比較は出来ませんが、有料の場合は結構料金が高いと感じます。

では、日本はどうすべき?

大別すると、選択肢はこんな感じで分けられるしょうか。

 
① あくまでも無料
 ② 症状によって有料・無料を分ける
 ③ 一律料金で徴収する
 ④ 基本料金+(距離や症状等による)割増


・・・私は、③が良いと思います。

症状によって有・無料を判断するのは患者に不公平感があるでしょうし、割増料金も同様。 またタライ回しされた方が高くなるってのも、いかがかと。

個人的には一律1~2万円で固定した方が手続きは簡略ですし、タクシー代わりに使う人はいなくなるはず。

かといって3万円以上となると、119番を我慢してしまう人もいそうですから。

私は約4年前に突如体調に異変を生じ、初めて自ら救急車を呼びました。

やってきた救急隊員の「患者さんはどこですか?」という問いかけに


「私です!」

と言った時の彼の面食らった表情は今でも忘れられませんが、委細構わず救急車に乗り込んだ数分後、私は(体内出血による血圧低下で)意識を失いました。

もしあの時少しでも遠慮したり我慢していれば、また救急車の到着が遅れていれば、私は今この世にいませんでしたし、仮に有料であっても119番したと思います。

本当に必要な人だけがもれなく救急車を利用できるようにするには、有料化は避けられない・・・と私は思うのですが、皆さんはどうお考えになるでしょうか?