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マカロニ

中高年の映画ファンには懐かしい、マカロニ・ウェスタン。
・・・でも実はコレ、
日本でしか通用しないってご存知でしたか?

欧米では〝スパゲッティ・ウェスタン〟と呼ぶのだそうな。

「それでは細くて貧弱そう」 だという事で、映画評論家の淀川長治さんがマカロニに言い換えて定着した、日本独自の造語なんだそうです。

1960~70年代にかけて世界的に人気を得た、そのマカロニ・ウェスタンの生みの親と言えば、この方・・・

 セルジオ・レオーネ

   Sergio Leone


今日は、このイタリアが生んだ名映画監督の命日にあたります。


1929年にローマで生まれたレオーネの父は映画監督で母は元女優・・・もう生まれながらにして映画界に入るのは宿命づけられていたようです。

そして彼自身もそのつもりだったようですが、何故か父親は反対。

しかしその反対を押し切って業界に飛び込み、監督助手などを始めます。


そして父親の友人だったM・ボンナルド監督に目をかけられた彼は、彼の助監督を担当させてもらうと、あの大作 『ベン・ハー』 の第2班監督を担当、あの有名な馬車競争シーンの制作に関わりました。

しかしイタリア映画界は1960年代初頭、『ソドムとゴモラ』 などの大作が次々に失敗して大打撃を被り、瀕死の状態に。

その頃、レオーネはイタリアで上映された黒澤明監督の『用心棒』 を観て感銘を受け、同作を西部劇風にリメイクした 『荒野の用心棒』 のメガホンを取ります。

1964年に公開された同作は、低予算ながら世界的に大ヒット。
これがマカロニ(スパゲッティ)・ウエスタン・ブームの火付け役となりました。

(※もっとも、同作は黒澤明監督の承諾を受けておらず、後に著作権侵害で訴えられてしまいますが・・・。)



その後 『夕陽のガンマン』(1965)、『続・夕陽のガンマン』(1966)と合わせた〝ドル箱三部作〟で、レオーネ監督の名声とマカロニ・ウェスタンというジャンルが確立。

この時に組んだ主演俳優がクリント・イーストウッド。

彼はそれまでアメリカでは芽が出なかったものの、この三部作の人気を引っ提げてハリウッドに逆輸入という形に・・・そして現在までの俳優・監督としての活躍はご存じの通り。


       

         レオーネ監督(左)とイーストウッド



三部作の成功で本場・ハリウッドに招聘されると、超大作 『ウェスタン』(1968)、『夕陽のギャングたち』(1971)を制作。

その後10年以上にわたって充電期間(?)に入ったものの、今度はウエスタンではなくギャング映画の大作 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)で復活。

3時間以上という超長編ゆえ短縮版が公開され当初は酷評されたものの、現在ではギヤング映画の代表的古典作品として高く評価されています。

しかし次回作の戦争映画に手を付け始めた1989年4月30日・・・過労による心臓発作で60歳の人生に突然幕を下ろしてしまいました。

監督としてはこれから、という時だっただけに惜しまれます。

彼がイタリア人だったからなのか、はたまた本家のウェスタン映画からすれば傍流だったからなのか・・・何故かアカデミー賞などハリウッドでの表彰とは無縁だったレオーネ監督。

しかし一流俳優からはその手腕を高く評価されており、またクエンティン・タランティーノやジョン・ウーなど現在活躍する監督の多くが彼を賛辞しています。

それでは最後に、これまた彼との鉄板コンビだった音楽家エンリオ・モリコーネ作曲の 『夕陽のガンマン』(原題:For a Few Dollars More ) を聴きつつ、Mr.マカロニ・ウェスタンの冥福を祈りたいと思います。


    < https://www.youtube.com/watch?v=7ml8OEREiZk >
>



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厭 世

〝あ~あァあ やんなちゃった あ~あ、あァ、あァ 驚いた!〟

このフレーズ、中高年の方なら憶えていらっしゃることでしょう。


 牧 伸 二 さん

今日は、ウクレレを手に軽妙なトークで人気者だった、この漫談師の命日・三回忌にあたります。

(本名:大井 守常) さんは1934(昭和9)年に東京・目黒区で生まれました。

戦時中岩手に一時疎開経験がありましたが、終戦後は夜間高校に通いつつ会社勤め (※後に結婚したのは、同社専務の一人娘) をしていましたが、高校1年の時にラジオで聞いた牧野周一さんの漫談に触発され、高校卒業後に浅草の話術同好会に入会。

1957(昭和32)年にラジオ番組の『しろうと寄席』に出場し、7週連続で名人位を獲得。

これが認められて憧れだった牧野さんに弟子入りが許され、師匠の一文字を取った〝牧伸二〟の芸名をいただくと同時に、ウクレレ漫談を勧められました。

その実力は当初から折り紙つきで、駆け出しの頃から美空ひばりさんの公演巡業に同行して前座を務めた程。

そしてあの有名なボヤキ漫談 『やんなっちゃった節』 で人気が急上昇すると、1960年には文化放送で 『ウクレレ週刊誌』 というレギュラー番組を持つように。

ハワイの民謡をアレンジした 『やんなっちゃった節』 は、その時々の話題を巧みに取り込み人気は長く続き、作ったネタは1,500以上に登ったとか。


         


1963(昭和38)年にはNET(現・テレビ朝日)の『大正テレビ寄席』の司会に起用されると、以後番組が終了するまで15年に渡り務め続けました。

1965年には第2回日本放送作家協会賞・大衆芸能賞を受賞。

1973年から10年間にわたり 『牧伸二ショー』 の公演を行うなど、漫談師としてはトップクラスの活躍を続け、弟子も泉ピン子、牧ひろし、牧タカシ、牧のぼる等何人も育成。

(※ただし泉ピン子さんとは、彼女がいきなり事務所を辞めて独立したことで、以後一切交流はなくなりましたが・・・。)


そして1999年には東京演芸協会の第6代会長に就任・・・しかし、これが後々彼の寿命を縮めることに。

2002年に脳出血で倒れるも、リハビリを経て復帰。

翌年にはタバコの不始末から自宅でボヤ騒ぎを起こすなど、その頃から認知症の症状が出始めていたとか。

そして会長を務めていた東京演芸協会に数百万円の使途不明金が発覚。

その説明をするはずだった2013年4月28日午後の理事会を欠席して所在不明になった牧さん・・・翌29日午前過ぎ、丸子橋で多摩川に飛び込んだのを近隣住民に目撃され、病院に搬送されたものの、死亡が確認されました。

遺書がなく、それが不明金を苦にした自殺なのか、はたまた認知症による事故だったのか?


若い頃には芸に行き詰って牧野師匠に舞台のアナを埋めてもらったこともあったという、かなり繊細な神経の持ち主だっただけに、〝生涯現役〟を口にしていた牧さんは認知症の進行によって舞台に立ち続けることが難しくなったことを苦にしたのかも?

真相はご本人にしか分かりませんが、最後は自分自身に 『いやんなっちゃった』 のかもしれません。

78歳で天に召された、昭和を代表する芸人のご冥福を、お祈り致します。





定 例

今から63年前の今日・1952(昭和27)年4月28日・・・この日こそが、実質的な戦後日本のスタートだったと言ってよいでしょう。

すなわち、前年9月に調印が交わされた 『サンフランシスコ講和条約』 が、また同時に 『日米安全保障条約』 が発効した日だから。


また同日、中華民国との間で 『日華平和条約』 にも調印が行われ、日中戦争が正式に終了したことでも区切りがつけられた日ともいえましょう。


そしてもうひとつ、それを象徴する出来事がありました。 

それは、NHK(日本放送協会)がこの日からラジオ放送終了時に

 君 が 代

の放送を開始したこと。


この日から日本が国際社会に復帰したことを踏まえ、日本という国を認識するという素朴な気持ちから放送を開始したといいます

そして1953年9月からはテレビ放送でも日章旗の映像と共に君が代が流されるように。

NHKが公共放送である以上、その放送は行なわれて当然・・・と私は思うのですが、実はこの『君が代放送』、現在は定例的に行われていません。


        


定例化できなくなったのは、放送自体が24時間切れ目なく放映されているため。

従って君が代が流されるのは、放送設備の保守・整備等のために行う夜間の放送休止の際に、その終了時放送開始時(減力放送切り替え時)に放送するだけ。

要は臨時放送だということ。

現在ある程度定期的に放送しているのは、Eテレとラジオ第2放送のみだとか。

「日本という国を認識するという素朴な気持ちから放送を開始」 したのに、こんな軽い扱いで良いのでしょうか?

NHKは近年半島勢力に侵されているという風評があります。

真っ先に韓流ドラマを放映しましたし、かつては

◆ 2002年の日本ダービーの生中継で、オペラ歌手の君が代独唱が

  始まった直後にカメラが出走馬の背後から尻を次々移す画像に

  切り替わり、独唱が終わるまで場内や歌手の表情すら映さなかった。

◆ 2006年、トリノ五輪で荒川静香選手が金メダルを獲得し、表彰式

  直後に日の丸を身にまとって場内をウィニング・スケーティングを

  した際、それを全く中継しなかった。

       



という、どう考えても意図して君が代や日章旗を避けたとしか思えない放映をした前科(?)があります。

国民の受信料で成り立つ我が国の公営放送であるならば、たとえ放送終了時間帯がなかろうとも午前0時とか午前6時など切れ目の良い時刻に国歌・国旗の放送を定例的に行なって然るべき・・・と私は思うのですが、皆さんはどうお考えになるでしょうか?

日本が真に独立を果たした記念日に、そして 『昭和の日』 の前日ということで、敢えて提言させていただきます。扇子




対 比


一昨日の拙ブログでは書店サーフィンで見つけた元朝日新聞記者だった方の著作を取り上げましたが、今日はその時に同書と比較する意味で買い求めたもう一冊の本をご紹介させていただきます。

それは現在TV出演や多くの著作を通して朝日新聞の報道姿勢を厳しく批判している櫻井よしこ氏と、かつて『週刊文春』編集長を務め、現在は月間『WiLL』の編集長である花田紀凱(かずよし)氏ら数名の対談を集めた

 「正義の嘘」  戦後日本の真実はなぜ歪められたのか
                              (産経セレクト・刊)


      


先月出版された本書では、まず朝日新聞の偏向報道についてやり玉に挙げています。

たとえば、2013年6月に特定機密保護法案が成立した直後に同紙が掲げた見出しは、

『数の力 強行突破』
『怒り 列島包む』
『戦中に戻すな 沖縄戦 スパイ扱い 国民同士監視 怖いんだ』

等々・・・。

同法が成立してから2年近くが経過しましたが、この朝日新聞の報道を今ご覧になって、皆さんはどう感じるでしょうか?

国民同士の監視が横行し、また一般国民から逮捕者が出たのでしょうか?
そんなことは起きていないはずです。

私に言わせれば、まず数の力というのは、選挙の結果与党が手に入れた議席数であり、国民の意志のはず。

なのに、その国民から選ばれた議員が決した法案を暴挙のように書き立て、しかもその少数意見が日本列島を包んだというのですが・・・これはどう見ても中立公正な報道とはいえません。

そもそもこの法律は何処の国でも既に法制化されているものであり、対象となるのは主として国家機密を取り扱う公務員であって、政府が一般国民の電話やメールを監視するものではありません。

つまり朝日は自社の主張を正当化するために、法律の合理的な解釈ではなく読者に感情で訴えているということ。

本書ではその他いくつもの実例を挙げて、朝日新聞やNHKなどマスメディアの報道姿勢を検証・批判しています。

私は、現在の新聞・雑誌・テレビなどのマスメディアには公正中立な会社・機関などはない、と思っています。

一昨日の記事に、〝朝日新聞は中立公正なマスメディアではなく、反日・左翼のプロパガンダ広報紙〟だと断じましたが、他にも同様の新聞社やテレビ局は存在しています。

高齢者層には、未だに(朝日)新聞の記事にウソはない、全て正しいと盲信している方が少なからずいらっしゃるようですが、はっきり言ってそれは幻想。

本書の中でも主張されていますが、新聞一紙だけを長期間購読し続けるのは危険です。

できれば複数紙をとって読み比べるのがベストですが、それだとお金がかかりますから数ヶ月毎に購読紙を変えるのもひとつの方法。

情報は常に複数のルートから入手し、それを対比・検討することが肝要だと思います。

えっ、お前は何紙購読しているのかって?


私は新聞記事は一切読んでいません。
気になる事件や問題があったら、ネットから複数の情報を取り出して比います。

だって、その方がお金かからないし、1日1回(夕刊を加えても2回)しか手元に届かない新聞より、遥かにスピードが早いですから。あせあせ

情報を受信する側の国民は、マスメディアとどう付き合うべきか?
そんなことに興味のある方には、オススメの一冊です。



財 産

ちよっと小難しい話になりますが、今日は


 世界知的所有権の日


なのだそうです。 〝知的所有(または財産)権〟というのは、


〝知的な創作活動によって何かを創り出した人に対して付与される、他人に無断で利用されない権利〟


のこと。


比較的新しい言葉と言うか概念というイメージを持つ方が多いと思いますが、実はこれに関する初めての国際条約 『工業所有権の保護に関するパリ条約』 が制定されたのは、今から130年以上前の1883年。

更に著作権に関する 『文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約』 はその3年後の1886年。

ですから国際的には比較的早くからこの権利に関する概念は固まっていたんですネ。

1892年にはこの両条約の国際事務局を統合し、知的所有権ほぼ合同国際事務局が設立され、これをより強化した組織に改編すべく1967年に『世界知的所有権機関を設立する条約』が作成され、それが今から45年前の今日・1970年4月25日に発効したことが、この記念日の由来となっています。

現在本部をジュネーヴに置く国連の専門機関である『世界知的所有権機関(World Intellectual Property Organization )』には184ヶ国が加盟しており、その事務局のひとつは東京にあります。

パクリや海賊版で悪名を轟かせているお隣りの中国も加盟しているんですが・・・何をやってんだか。うー


      

さて一口に知的所有権といっても、その及ぶ範囲は多岐にわたります。

その中でも代表的な権利とその保護期間をピックアップしてみると

 
◆ 著 作 権 ・・・ 創作時から著作者の死後50年まで

 ◆ 特 許 権 ・・・ 出願の日から20年

 ◆ 実用新案権・・・ 出願の日から10年

 ◆ 商 標 権 ・・・ 登録の日から10年 (※但し更新可能)


等々があります。

そして知的所有権の範囲は今後更に広がっていくのは間違いないところ。 扱いには十分注意が必要ですネ。

そして私たち一般人に関わるものとして〝肖像権〟があります。

現在はスマホ等で誰でも簡単に画像撮影が出来る時代。

有名人の写真を撮ることができますが、その扱いを間違えるとこの法律に引っかかるケースも有り得ます。

それともうひとつ、最近うるさくなってきているのが〝盗撮〟。

「えっ、有名人じゃなくて一般の通行人を撮影するなら、問題ないでしょ!?」

とおっしゃる方・・・確かにその通りなんです。

が、これは〝肖像権の侵害〟にはならないものの、各地方公共体が定めている〝迷惑防止条例〟に引っかかる場合があります。

昨年、服を着た一般女性を撮影して逮捕された男性がいましたが、これからは街中や海岸などで他人を撮影したり、また風景を撮影しただけでも条例に抵触する恐れがあります。

あまり安易に写真撮影するのは、控えた方が無難ですョ。うー

体 質

つい先日、久しぶりに書店サーフィンを楽しみましたが、その時に面白そうな本を見つけました。

 『ブンヤ暮らし三十六年 回想の朝日新聞  

                       (永栄 潔・著 草思社・刊)

副題からして著者は朝日新聞内部の人だろう・・・と思い手に取って略歴を見たら、やはり1971年に入社し、地方勤務から大阪・東京の経済部記者を経て週刊朝日などの副編集長・編集長を務め、2007年に定年退職した方。

記者生活の経験談を、72話に分けて綴っています。

朝日OBが、昨年捏造・誤報問題を連発した出身会社をどう語るのか?・・・興味を持って読んでみました。


社内では〝狂犬〟・〝破壊分子〟などと言われ、元副総理・後藤田正晴氏には産経新聞のパーティーの席で〝右翼〟呼ばわりされたという著者だからこそなのでしょうか、公害問題が注目を集めた時代に東京湾の水銀汚染に関して


「どこの会社が水銀を垂れ流しているのか、データを公表して社名を明らかにせよ」


と通産省に迫ったところ、何とその事業所は写真の現像液を垂れ流していた朝日を始めとする新聞各社だった・・・などという過去の出来事に関して率直に書かれているところには好感を持てました。

組合活動を支援する立場の同紙が、こと自社内の組合活動にはシビアに対処しているダブル・スタンダードぶりには笑えましたが。


しかし行間を通して感じるのは、やはり朝日新聞の特異体質。

        


入社式で、新入社員が社長や役員に天皇の戦争責任に関する質問をぶつけたというくだりには、(さすがは朝日!)と唸らされました。


また上司がかつて著者に怒鳴ったという

「新聞なんてものはな、スポンサーの言いなりなんだよ。」

というセリフは、同社に限らずどこの新聞社やTV・ラジオ局もにも当て嵌まる〝宿命〟なのでしょうが、上げた記事や見出しが編集責任者も知らないうちに変えられ紙面に乗ることがあるとは・・・。

要はごく一部の上層部の思想・さじ加減で、記者が書いた記事は簡単に変えられてしまうということがあるのだそうな。

朝日の場合は、それが反日・左翼に傾くということなのでしょう。

そんな環境の中でも、彼ら記者たちがネタを掴むため取材先に食い込む努力をしていることは認めますが、マスメディア本来の使命である〝真実を中立公正に読者に伝える〟ことを忘れているようです。

〝犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる〟

はマスメディアの本質を突く有名な言葉ですが、彼らは場合によっては人が犬を噛んでいなくても、さも噛んだ様に読める文章を書くことに腐心している、あるいは長けている気がします。

株式会社である以上売り上げを伸ばさなければならないのは分かりますが、そのために他社より目立つ記事を書きたい焦りが、やがては誤報・捏造に繋がっていくのでしょう。

朝日社内では異端視されていた著者ですら、無意識にそういう体質に染まっていたような気がします。

過去に書いた記事に関して一部誤りがあったことを認めつつも、残念ながらそれを反省・謝罪する姿勢はあまり見られませんでしたから。

従軍慰安婦問題の捏造記事で批判されている植村・元記者も、著者と同じように過去の記事は他人事のような感覚でいるのかもしれません。

永栄氏には申し訳ないですが、やはり〝ブンヤは書き逃げ〟することを再認識させられた次第。


また彼は、出版にあたり他の新聞社のインタビューに

「事実より理念で書く新聞も必要ではあるが、〝日本は開国以来悪かった〟と主張するような新聞が800万部も必要なのかは疑問だ。」

と苦言を呈したそうですが・・・読み終わった私の感想は、ただ一言。

日本の将来のためには、この〝新聞社の名を語る反日・左翼プロパガンダ広報紙〟は、やはり廃刊させるしかない!うー





商 才
今日・4月24日は、江戸時代の商人としては最も有名な

 紀伊国屋文左衛門


の命日とされています。


されています・・・と書いたのは、彼は出自・履歴等がはっきりしていない〝伝説的人物〟だから。

1669(寛文9)年に現在の和歌山県有田郡で平家の落武者をルーツとする五十嵐文三の子として生まれたという文左衛門(幼名・文吉)は、幼い頃から商才があったようです。

そして最も有名な彼の逸話は、以下のものでしょう。


20歳代の頃、海が時化ていて船が出せなかったため、江戸ではみかんが高騰。

一方でその年紀州ではみかんが大豊作で、地元での売値は暴落。

ここに目を付けた文左衛門が安いみかんを買い集め、修理したボロ船に乗せて荒れる太平洋に向かって出帆。

何度も死ぬ思いをしながらも遂に船は江戸に到着し、大儲け。

しかも大阪では洪水により伝染病が流行っていると知った彼は、帰りの船に塩鮭を満載すると、「伝染病には塩鮭が効く」というウワサ話を広めさせたうえで、これを完売。

たった1往復で財を成したという・・・。

〝沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国みかん船〟


という歌に残っていますから、さぞ江戸の庶民は喜んだのでしょうが、塩鮭の話は今なら詐欺罪で逮捕される犯罪行為。

・・・ところが、この逸話は幕末に為永春水・作の小説 『黄金水大尽盃』 に描かれたもので彼の存命中や没後すぐの資料には全く見当たらず、創作といわれています。


      

       『紀伊國屋文左衛門の生涯』 (山本 育・著 マネジメント社・刊)   




5代将軍・綱吉時代の元禄年間には江戸に出て、側用人・柳沢吉保ら幕府の幹部に賄賂を贈って取り入り、幕府御用達の材木商人となって上野寛永寺・根本中堂の造営で巨利を得たことは確かなようです。

しかし深川木場の火災で店を焼失したため、材木商は廃業。

次に彼は幕府から十文銭の鋳造を請け負いますが、その出来栄えがすこぶる悪く、僅か1年で通用を停止されたため大損。

なぜ畑違いの硬貨鋳造に手を出したのかは分かりませんが、この失敗で文左衛門はすっかり事業意欲をなくした模様。

それでも若かりし頃に築いた財産は莫大で、晩年の彼は俳句を楽しみながら余生を過ごし、1734(享保19)年4月24日に亡くなったと伝えられています。

紀伊国屋は2代目文左衛門となった次男が継ぎましたが、目立つ
商いが出来ぬまま店は衰退したとか。

偉大な(父)親を持つ子が大成しないのは、古今東西を問わないようです。

しかしたとえそれが創作話だったとしても、彼の残した逸話は商人の基本・心得を私たちに教えてくれます。


あらためて赤穂浪士と同じ時代に生きた〝伝説のみかん商人〟のご冥福を、お祈り致します。笑3


※ちなみに、新宿の紀伊国屋書店や食品メーカーの紀文は、この文左衛門とは全く関係ないそうです。




新 味

子供の頃から慣れ親しんだ近所のラーメン屋さんが、もしスープの味を突然変えたら・・・皆さんは、それをすんなり受け入れられるでしょうか?


人によっては、昔懐かしい味に戻して欲しいと思うでしょうネ。


ローカルな飲食店でも一騒動になりそうな味の変更が世界的に有名な清涼飲料で行われたら、そのリアクションは相当大きいはず。


それが現実に起こったのが、今からちょうど30年前の今日のことでした。 あの


 コカ・コーラ


が、それまでの味を一新した〝New Coke〟を発売したのです。


それまで業界のガリバー的存在であった同社に、追随するペプシ・コーラ社が1975年頃から始めた新戦略が、〝ペプシ・チャレンジ〟。


これは各地でコーラ愛飲者を集めて両社のコーラをブラインドで飲み比べてもらい、どっらが美味しいかを選んでもらうという、実に単純かつえげつない公開キャンヘーン。


その結果、殆どの地域でペプシ社がリード。


(といっても、その差は僅かだったようですが・・・。)


これが全米に報道され、ペプシ社の売り上げは大幅にアップ。


しかもコカ・コーラ社内で同様の実験を行ったところ、社員でさえペプシを選んだことに同社幹部は衝撃を受けます。


そして彼らが対抗策として考えたのが 『カンザス計画』 と呼ばれる〝COKE FORMULA (調合法)〟の変更・・・つまり、ペプシ寄りの甘くまろやかな味覚に変えることでした。


既に1974年頃から研究は始められていましたが、その10年後の1984年秋には新味が完成。


試飲でも好評だったことから、1985年4月23日に〝New Coke 〟として大々的に発表・新発売したのです。


               
            ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草


ペプシ側はこのコカコーラ社の対抗策にかなりビビッたようですが、事態は彼らの予想もしない方向に発展していきます。


いきなり味が変わってしまったことに、昔からのコーク・ファンが猛反発。


毎日数千件の抗議電話が同社にかかってきたり、旧コーク復活の署名活動まで起こったのです。


予想外の事態に狼狽したコカ・コーラ社経営陣は、7月に旧コークを〝Coca-Cola Classic 〟 として復活させ、〝New Coke 〟と平行して販売することに。


そして旧コークの売上復活と共に、〝New Coke 〟は翌年ひっそりと製造を休止しました。


この騒動は、消費者の心を掴むことがいかに難しいか、また自社製品の強みが何かを知ることの重要性を示した格好の事例といえましょう。


ところで、皆さんは新・旧コカ・コーラを飲み比べたことがありますか?


この当時の私はコーラを一切飲まなかったので知らないのですが、そんなに味が違ったのでしょうか?


実際のところ、子供の頃の私はコークとペプシの違いすら分かりませんでしたが・・・。


そんな鈍感舌な私でも、もし吉野家が味付けを変えたら即座に抗議メールを送るでしょうけどネ。うー




辞 任

アメリカの大統領は、現在のオバマ氏で44代目。

過去その44人の中には、リンカーンやJFKなどのように暗殺されたり、そしてF・ルーズベルトのように急病などで任期を全うできなかった方が何人かいます。

しかし存命でありながら任期途中で辞任という不名誉な記録を持つ大統領は、唯1人だけ・・・今日はその


 リチャード・ミルハウス・ニクソン
     Richard Milhous Nixon


かつてJFKのライバルであった、この第37代大統領の命日にあたります。


1913年にロサンゼルス近郊でギリシァ系の父とドイツ系の母との間に生まれたニクソンは、実家は比較的裕福だったものの、兄弟が結核を患いその医療費がかさんだため、アルバイトをして家計を助けました。

高校時代は成績優秀、弁論大会で好成績を収め、早くも政治家としての資質を見せましたが、兄弟の医療費負担が理由でハーバード大学への進学を諦め、地元ウィッティア大学へ。

同大学を2番目の成績で卒業した彼は、奨学金を得てデューク大学ロー・スクールに進学し、弁護士に。

1939年には独立し、自分の事務所を開設します。


第二次世界大戦中に海軍に入隊し兵站業務に従事、除隊後はペプシコ社の弁護士になって国際的な人脈を築いた彼は、出身大学からの要請もあって1946年に共和党から下院議員選挙に出馬し、カリフォルニア州で見事当選。

(※この選挙では、後に大統領選を戦うことになるJFKもマサチューセッツ州から立候補し初当選を果たしています。)

         


その後〝反共の闘士〟として名を売った彼は上院議員への鞍替えにも成功し、弱冠39歳で副大統領候補に。

リベラル派マスコミから受けたバッシングを、テレビでの〝チェッカーズ・スピーチ〟(※チェッカーズとは娘が可愛がっていた、支援者からもらった犬の名前)で切り抜けた彼は、翌年見事大統領選に勝利したアイゼンハワー政権下で副大統領に就任しました。


積極的に外交を行ない、2期務めたアイゼンハワーの後任として満を持して大統領選挙に名乗りを上げたニクソンてしたが、その前に立ちはだかったのがJFKでした。

政治実績はJFKを圧倒し人気でも先行していたニクソンでしたが、それを逆転されたのは皮肉にもかつて自分を救ってくれたテレビでした。

ばっちりメイクもして当時の白黒テレビの見栄えを考慮したJFKに対し、ニクソンはノーメイクで演説重視・・・しかし画像に映し出された彼の姿は、明らかにくたびれた印象を有権者に与え、逆にJFKの若々しさを引き立たせる結果に。

結果、彼は敗北・・・史上最年少大統領誕生の引き立て役になってしまいました。


敗北後、一旦弁護士活動に戻った彼は2年後に政治家として復活すべく、カリフォルニア知事選に立候補したものの落選。

もう再起不能、とまで言われたのですが・・・ベトナム戦争が泥沼化していたアメリカは、彼を見捨てませんでした。


ベトナム戦争からの〝名誉ある撤退〟を公約に掲げた彼は支持を集め、1968年の大統領選に見事勝利し、劇的な復活を遂げたのです。


しかし無難に1期目を務め、再選も果たした彼を史上最悪のスキャンダル・・・『ウォーターゲート事件』 が襲います。

2期目の選挙戦の最中、野党・民主党本部が入っていたウォーターゲート・ビルに盗聴器を仕掛けようとして捕まった犯人の雇い主が実は共和党であったことが発覚。

当初関与を否定していたニクソンでしたが、揉み消し工作や司法介入が次々明るみに出たことで遂に1974年8月、自ら辞任。

その後彼は今から21年前の今日・1994年4月22日に脳卒中により81歳でこの世を去りましたが、
史上初めて途中辞任したことで、歴代大統領と違い国葬は行われず仕舞い。

以上の経過から、どうしても悪いというか暗いイメージが付きまとうニクソンですが、ベトナム戦争からの完全撤退や中国への電撃訪問など、政治家・大統領としての実績は特筆に値するもの。


また1971年8月の〝ニクソン・シヨック〟と言われるドル紙幣と金との兌換一時停止、またこれに派生した円・ドルの変動相場制への移行等々、日本にも多く影響を及ぼした大統領だったと言えましょう。


政治的力量は十分ありながら、運がなかった・・・一言で表現すれば、そんな大統領だった気がします。

もしニクソンとオバマ、どちらが優れた大統領だったか? と問われれば、私は即座にニクソンに1票投じたいですが・・・皆さんはどうでしょうか?



117

題記の数字から、皆さんは何を思い浮かべますか?

『時報』、あるいは中高年の方だと、いすずの高級スポーツカー 『117クーペ』 と仰る方が多いと思いますが・・・今日は飛行機のお話になります。 それは


 F-117 ナイトホーク

   Nighthawk =夜鷹


これは、〝世界初の実用的ステルス機〟のこと。

レーダーに捕捉されない、という画期的なこの攻撃機をアメリカ空軍が初めて公開飛行させたのが、今から25年前の今日・1990年4月21日のことでした。


      


この機体、皆さんもニュース等でご覧になったご記憶があると思います。

ステルス(stealth ) とは、「内密」とか「秘密の」という意味で、レーダー等のセンサーから探知されにくい技術を有する軍用機・軍艦などの兵器につけられる総称。

レーダーに捕捉されないステルス技術の開発は、レーダーの使用が始まった第二次世界大戦中から既に始まっていました。

そういう意味でのステルス機は大戦中にイギリス空軍で使用されていましたが、単に木製だっただけ。あせあせ

しかしさすがにジェット機では木製というわけにはいかず、アメリカは1970年代にステルス機の開発を大手メーカーに依頼し、ロッキード社が1976年から実験機 『ハブ・ブルー』 を基にF-117の開発をスタート。

レーダー以外にも、目視・騒音・赤外線探知や飛行機雲の発生によって敵に発見されないジェット機・・・という高いハードルをクリアしなければなりませんでしたが、1981年6月には初飛行に漕ぎ着けました。

(※機体が黒色なのは、夜間目視されないため・・・このことから夜鷹の名がつけられました。)


そして1983年には配備が開始されていたのですが、それ自体も機密事項。

1988年1月にアメリカの軍事雑誌が、F-117の配備をスクープしたことで、国防総省はその10ヶ月後にその存在を公式に認め、1990年4月21日に公開飛行を行ったのです。


実戦では、その翌年に起きた湾岸戦争で活躍。

爆弾が目的物に命中する画像がニュース等で流されましたが、あれはF-117が発射した誘導爆弾だそうな。

戦争終結までまの42日間で1,300回近い出撃を行い、1機も被害が出なかったと言いますから、その能力は抜群だったといえましょう。

しかし軍事兵器の開発は、日進月歩。
このF-117は2008年には退役・・・既に飛んでいません。

次々と新機種が登場し、現在の最新鋭ステルス爆撃機は、F-35。(


     


2年後に実戦配備が予定されているこの最新鋭ステルス爆撃機は、日本の防衛省でも累計42機を購入予定とのこと。

えっ、いくらするんだって?

購入費用は既に2011年度から予算計上されており、4機で395億円・・・つまりは、1機当たり100億円弱。

ただしこれは機体本体だけですから、これに爆弾等を搭載すればもっと価格は上がります。

このお値段が高いと感じるか安いと思うかは、人それぞれでしょうネ。

2005年に公開された米映画 『ステルス』 では、人工知能を搭載した無人ステルス爆撃機エディが登場しましたが、そのうち本当に開発されるかもしれません。

一体、1機いくらになるのやら?うー