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挑戦者

アメリカ航空宇宙局(NASA)が1981~2011年の30年間に135回も打ち上げた、機体を再利用する有人宇宙船・スペースシャトル計画。

膨大な科学的データの収集等に貢献しましたが、反面悲しい事故も起きました。

今から29年前の今日・1986年1月28日、10回目の飛行となったチャレンジャーが発射僅か73秒後に爆発・空中分解して大西洋に墜落、7人の搭乗員が死亡。

家族を含む多くの見物人の目の前で起こった予期せぬ事故は、人々に大きなショックを与えました。


        ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

事故の原因は、Oリングという重要部品の損傷。

現場のエンジニアからはかねてより低温状態におけるこの部品の安全性に疑義を唱える声が上がってしましたが、NASA幹部はこれを無視。

殆ど人災と言える事故でした。


この事故に関して、その衝撃的な事故映像と共に私が忘れられないのは、搭乗員の一人が日系人宇宙飛行士として初めてスペースシャトルに乗り込んだ


 エリソン・ショージ・オニヅカ (鬼塚 承次)
   Ellison Shoji Onizuka


だったから。

        ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草


鬼塚氏は1946年、ハワイ島コナでコーヒー農園を営む移民の両親の間に日系2世として生まれました。


太平洋戦争終戦直後に生まれた彼は、戦時中活躍した日系人部隊の話を幼少期より聞き、日系人であることを生涯意識していたそうです。

小学生の頃、ガガーリンの宇宙飛行を見て宇宙に憧れ、ロケット実験と称し花火でイタズラをよくしたそうですが、母親は特に叱責しなかったとか。


1964年にコロラド大学に入学し航空宇宙工学を専攻、スカラーシップで米空軍予備役将校訓練課程を受講。

しかし在学中に父親が死去したためハワイに戻ろうとしましたが、ここでも母親がそれを押し留め、彼はそのまま勉強を続けることに。

1969年、大学卒業時に空軍少尉となった彼は、その年に月面着陸に成功したアポロ11号の映像を見て感激し、本格的に宇宙飛行士を目指します。


1978年にスペースシャトル計画の第1期飛行士候補に応募し、8,079人中35人という230倍の競争率を勝ち抜き選ばれました。


1985年1月にディスカバリー号に日系(アジア系)人宇宙飛行士として、またハワイ出身者として初めて搭乗を果たすと、日の丸の鉢巻を締め、船内で箸を使って寿司を食べるなどのパフォーマンスを披露。


しかし翌1986年1月28日、2度目の搭乗となったチャレンジャー号で事故に遭遇、志半ばの39歳という若さで天に召されたのです。


この3年前、自身の日本におけるルーツを探したいという新聞記事が掲載されたのを機に情報が寄せられ、血縁親族や祖父母の墓の所在が判明。

日系2世だからこそ日本人以上に日本人であったことを強く意識していた鬼塚氏にとって、家族と共に来日し福岡県にある先祖の墓にお参りできたことが、せめてもの慰みだったのかもしれません。


日系人としてはもちろん、ハワイ出身者として初の宇宙飛行士となった彼の功績を称え、ハワイ島マウナ・ケア山にある 『マウナケア展望台ビジター・インフォメーション・ステーション』 は 『オニヅカセンター』 と命名され、彼の墓碑はオアフ島・パンチボウルの国立太平洋記念墓地にあるとのこと。

ハワイに旅行された際は、誇り高き日本人の足跡に触れてみてはいかがでしょうか?

あらためて、鬼塚氏及び6名のチャレンジャー搭乗員のご冥福をお祈り致します。笑3

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