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敵 視

今から72年前の今日・1943年1月13日、内務省・内閣情報局が太平洋戦争の敵国アメリカ・イギリスなどの音楽演奏やレコード発売を禁止。 いわゆる

  『敵性音楽』

の排除ということで1,000曲以上のリストを発表し、またスチールギターやウクレレなどの楽器の使用も制限されました。

実はこれより以前から、敵性語の使用を禁止する動きはありました。

野球のワンストライクが〝よし1本〟とか、ファウルが〝だめ〟なんてのはよく知られています。

日本が米・英に敵意をむき出しにして英語の使用に神経を尖らせ始めたのは、1939年に中国大陸を巡ってイギリスと対峙し、1940年には日独伊三国同盟を締結したことでアメリカと対決姿勢が明確になった頃から。

巨人軍で活躍していたスタルヒン投手が球団から 『須田博』 と無理やり改名させられたのは、三国同盟締結直後のことでした。

(※しかしこれらの敵性語の使用禁止は法律で定められたものではなく、むしろ自然発生的に起きた社会運動でした。
現に日本軍でもボルト・ナット・エンジンなど日本語に直しようがないとそのまま使用してそうですし、市民生活の中でもワイシャツなどの和製英語はそのまま使われていたといいます。)

では具体的にどんな形で敵性語を排除したのか?

その苦心の作を、皆さんにご紹介しましょう。


以下は日本語に変えた芸名・校名・商品名・スポーツ用語等ですが、それぞれ元はどんな英語だったか想像してみてください。 (カッコ内はヒント)


① 三根 耕一  (芸能人)   ② 横浜山手女学院  (学校)

③ 打 球 (スポーツ)      ④ 辛味入汁掛飯  (料理) 

⑤ 乗車廊  (鉄道)       ⑥ 中 庸   (文房具)
⑦ 篝火(カガリビ)草 (植物)   ⑧ 金属製曲がり尺八 (音楽)
⑨ 袋 鼠  (動物)
        ⑩ 噴出水 (飲料)


※参考文献は 『英語を禁止せよ』 (大石 五雄・著 


    ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

正解は、こちら。


  ① ディック・ミネ       ② フェリス和英女学校  

  ③ ゴルフ            ④ カレーライス

  ⑤ プラットホーム       ⑥ 鉛筆のHB

  ⑦ シクラメン         ⑧ サキソフォーン 

  ⑨ カンガルー        ⑩ サイダー

なるほどと唸るものから、笑っちゃうものまで様々。あせあせ


このように、日本は敵国の言語・英語を排除し、外人教師を解雇して英語教育を縮小するなど日常生活から遠ざける方向に進みました。

では、一方のアメリカはどうだったのか?

結論から言うと、日本語排斥は殆どありませんでした。

日本語に由来する地名も変更せず、そのまま。

むしろ彼らは太平洋戦争開戦前から敵国になるであろう日本の情報を集めるべく陸・海軍で日本語学校を開設。


主に日系人を集めて日本語を特訓し戦地に派遣。

情報収集や日本人捕虜の対応をさせたり、終戦後はGHQでの通訳・翻訳等に大きく貢献しました。


終戦直後の有名な著作 『菊と刀』 も軍からの要請で日本人についての調査結果をまとめたもので、その内容は短期間にアメリカ人が書いたとは思えぬ程、日本に関してよくまとめられてします。

片や敵の情報を遮断し精神力のみで突き進んだ日本と、冷静に相手の情報を的確に掴んだアメリカ・・・物量もさることながら、情報収拾力の差が大きく勝敗を分けたとも言えましょう。

しかし残念ながらアメリカが分析した日本(人)の特質は、現在もあまり変わっていないように感じます。

スパイ防止法もなく、他国からすれば国家機密がダダ漏れの日本。

そして情報の重要性に関する認識が甘い上に厳しい現実を直視せずマスメディアの扇動や感情に流されやすい日本人。

〝赤信号 みんなで渡れば 怖くない〟・・・いかにも農耕民族らしい集団性ゆえに、誤った方向へと一気に突き進まなければいいのですが。

この敵性語・音楽統制の歴史を顧みるにつけ、そんなことを危惧する私です。うー




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