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初 代

大相撲に於いて最高位といえば、言わずと知れた『横綱』。

現在横綱の地位にある白鵬関・日馬富士関・鶴竜関はそれぞれ第69・70・71代ですが、今日はその元祖となる(実質的な)初代横綱、

 谷風 梶之助 


の命日にあたります。

谷風(本名:金子与四郎)関は1750(寛延3)年に現在の仙台市に生まれました。

生家は代々続く豪農で、彼は小さい時から米俵を軽々と持ち上げる力持ちだったそうで、18歳の時に力士になると、翌年には早くも看板大関として初土俵を踏みます。

そして1776年には二代目谷風梶之助を名乗り、5年後に当時の最高位である大関に昇進。

後に同時に横綱となる小野川喜三郎や、自ら弟子として鍛え史上最強といわれた雷電爲右エ門と共に、大相撲人気を支えました。


        


身長188cm・体重160kg超と、錦絵の通りアンコ型のずば抜けた体格の持ち主だった谷風関は、殆ど無敵。

1778~1782年まで63連勝を飾り、双葉山に抜かれるまで約150年間最多連勝記録を保持していたほど。

しかも、もし江戸本場所だけでなく京都・大阪の本場所を含め、かつ引き分けや預かり相撲をプロ野球のように引き分けを挟んでもOKとすると、なんと98連勝になるとか。

この天下無双の強さから、1789(安永7)年11月に吉田司家が最初の横綱免許を彼に授与。

それ以前に初代・明石志賀之助ら3人横綱が存在したとされるため彼は第4代になりますが、免許を受けた正式な横綱制度の上では初代とされています。

現在行われている弓取り式の原形を作ったと言われる彼の生涯成績は、258勝14敗16分16預5無勝負・・・勝率9割4分9厘 49場所で優勝相当21回という圧倒的なもの。

さらに強かっただけでなく、その人間性も横綱に相応しい立派なものだったとか。

十両の佐野山が病身の母親を抱えていた事を知り、一計を案じて彼との取組をマッチングして対戦した彼は、わざと負けて懸賞金を彼に渡し、の母親の枕元で快癒祈願の四股を踏んだ・・・これはフィクションだそうですが、こんな逸話が残るほどの人格者だったといいます。

それ故、現在では『谷風』という四股名は〝止め名〟・・・プロ野球でいうところの〝永久欠番〟とされ、現役力士でこの四股名を付けることは許されていません。


しかし、そんな心・技・体三拍子そろった大横綱も、病には勝てませんでした。 無敵の彼は、かねてより

「土俵上でワシを倒すことは出来ない。倒れるところを見たいのなら、ワシが風邪にかかった時に来い。」

と豪語していたそうですが、それが冗談でなくなってしまったのです。

今から220年前の今日・1795(寛政7)年1月9日・・・かねてより江戸全域で猛威を振るっていた〝御猪狩風(おいかりかぜ=今でいうインフルエンザ)に罹った彼は現役力士として35連勝中、44歳の若さでこの世を去ってしまっいました。

そのため、当時の人々はその風邪を〝谷風〟と呼び、これに因んで現在1月9日は『風邪の日』とされているそうな。

これから益々寒さが厳しくなります。

皆さんも〝谷風〟には十分ご注意を!




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