FC2ブログ
人格者

拙ブログ読者の皆様は、私が新聞嫌いであることをご承知のことでしょう。

我が家ではある理由があって日経だけをとっていますが、記事自体は殆ど読んでいません。

まぁ、葬儀屋が円ドル為替や株価を気にしてもしょうがない・・・っていう事もありますが、それでも唯一毎日目を通しているのが、ウラ一面に掲載されている、『私の履歴書』。

ここに、今年元旦早々から私にとっては待望していた方の連載が始まりました。 それは世界のホームラン王、

 王 貞 治 


政界・財界ら各界の第一人者が毎月交代で執筆しているとはいえ、国民栄誉賞第1号の王氏はもっと早く登場して然るべし・・・とすら思っていました。

なぜ心待ちにしていたか? 

それは、個人的に最も尊敬する人物だから。


大学受験の二次試験の時、そして就職面接の時も、尊敬する人物として王氏の名を挙げていたくらいですから。
では、なぜ尊敬しているか? というと、それはホームランの世界記録を樹立したこともありますが、王氏が類稀なる人格者だから。

これだけの選手なら普通は傲慢になりがちなのに、王氏は打たれた投手の心情を慮って殆どガッツホーズすらしなかったという、人一倍他人に対する気配りをした方として知られています。

今まで様々な著書や記事からエピソードを拾ってきましたが、その殆どは第三者の筆によるもの。

しかしこの連載はご本人の手によるものだけに、野球に打ち込んできた中でどうやって優れた人格を形成したのか、是非知りたいと思った私。

それこそ高校生時代以来、40年ぷりくらいに新聞を切り抜いて熟読しています。(




そして、王氏の人格を形成した根幹について、王氏自身の述懐を以下に抜粋・編集にてご紹介致します

          ◆     ◆     ◆     ◆

父・王仕福は中国の浙江省青田県という地方の山村で生まれた。

日本では明治時代。 川の対岸に渡るのにも橋がなく、医者にかかるにはいくつもの山を越えなければならない寒村だったという。

20歳を過ぎた頃、仕福は先に来日していた親類縁者を頼って、今の墨田区向島に落ち着いたようだ。

最初は工場に務めたが、いつしか料理を覚え、母・登美と共に中華『五十番』を開いた。


今でいえば東京スカイツリーを仰ぎ見る場所で始めた『五十番』葉最初、何坪もなかったが、父母は近所の人が感心するくらい働いて、店を広げていった。

戦中・戦後の物のない時期、父は千葉方面などに仕入れに出かけた。 ヤミの物だから何度も没収されたが、それでも父はめげなかった。

『五十番』の料理がうまかったかどうかは分からない。

ただ言えるのは「日本に来て、日本に生かされている」という父の思いがあったということだ。


閉店してコークスの火を落とした後でも、近所の人が 「なにか食べさせてよ」 と戸を開ければ火をお越し、一杯のラーメンをこしらえた。

街に溶け込もうという気持ちが、『五十番』 の味だった。

          ◆     ◆     ◆     ◆

この部分を読んだだけでも、王氏の人格がいかに形成されたかが透けて見えます。

双子で生まれ、同時に生まれた姉はすぐに亡くなり、未熟児だった王氏・・・その彼が甲子園で優勝し、国籍の問題で国体に出られなかった高校時代から、プロ入りして一本足打法で活躍。

世界新記録を叩き出して国民栄誉賞を受け、更にはWBCの監督として日本に優勝をもたらすまでのプロセスを、これから連日楽しませていただくつもりです。

皆様も、是非ご一読を!扇子

スポンサーサイト