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巨 人

・・・と言っても、プロ野球の話ではありません。

19世紀を代表する作曲家・指揮者だったグスタフ・マーラー(1860-1911)は生涯に10曲の交響曲を遺しています(※第10番は未完成)が、その中でも演奏時間が比較的短く声楽を伴わないことからコンサートでの演奏や録音が最も多く、また伊丹十三監督作品の映画 『タンポポ』 でも使われるなど、そのメロディーが多くの方に知られている第1番の

 巨 人

がマーラー自身の指揮、ブタペスト・フィルハーモニー交響楽団によって初演されたのが、今からちょうど130年前の今日・1889年11月20日のことでした。


        

                  Gustav Mahler


マーラーがこの曲を創作したのは、1884~1888年の間。

1885年8月にプラハのドイツ劇場の第2指揮者に就任し、1888年10月にはブタペスト王立歌劇場の音楽監督に就任。

ワーグナー作品をノーカットでハンガリー初演し高い評価を受け、更にモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』に至っては、かのブラームスに

「理想的な『ドン・ジョヴァンニ』を聴きたければ、ブタペストに行くべきだ。」

と絶賛されました。

またウェーバーの孫の妻・マリオン・ウェーバーと恋仲になるなど、彼の人生の中では最も充実した時期に書かれた作品といえます。


『巨人』という名は、マーラー自身がつけたもので、これは彼が青春期に愛読していたジャン・パウルの同名長編小説から取ったもの。
ただ曲想そのものとイメージがリンクしているわけではないとのこと。

そのせいか、後にマーラー自身がこの副題を削除しています。
とは言え現代ではそれをつけたまま演奏されたりCDが発売されていますが・・・。


だだこの時の初演は、(よくある話ですが)不評だったとのこと。

これを受けてマーラーはその後何度も手直しをして、初演時には5楽章だった 『ブタペスト稿』(現存せず) を4楽章に短縮。

現在演奏されているのは、その4楽章で初めて演奏された場所に因む 『ベルリン稿』 が基準になっているそうな。

さて、この曲で私が持っているCDは、まず人生で『巨人』・・・というよりマーラーの作品として初めて中学生時代にレコードで聴いた、こちら。


       


指揮者のブルーノ・ワルターは、ハンブルグ歌劇場で音楽監督を務めていたマーラーの下で学んだ愛弟子。

ですからマーラーについて良く知る人物であり、ワルター演奏の録音のために結成されたコロムビア交響楽団とも息がピッタリ。

1961年の録音ながら、リマスター版で音質も良くジャケットもレコードと同じで、私にとっては思い出深い演奏です。


またマーラーに傾倒し、その演奏が高い評価を得ているレナード・バーンスタインの録音。



右が1966年にニューヨーク・フィルの演奏で録音されたもので、それまでワルターくらいしか演奏していなかったマーラー作品にスポットライトを当てた若きバーンスタインの、気迫あふれる演奏。

そして左がバーンスタインが初めて出したマーラー全集の中の1枚で、コンセルトヘボウを振った、1987年の録音。

同じ指揮者でもオケと年代が違うとかなり演奏内容が違うことを実感できます。

さて、ここで我がブログ読者ならお気づきかもしれませんが、私の好きなカラヤンのCDが出てきません。

実はあれだけ多くの楽曲を演奏していたカラヤンなのに、なぜか

マーラーの交響曲第1~3、7、8番は録音していないのです。

この理由については、


◆カラヤンがかつてナチスに入党していたので、ユダヤ系であるマーラーの作品に手を付けたがらなかった。

◆ライバル・バーンスタインがマーラーで売り出したことを妬んだ。

◆初期の作品はまだ粗削りかつ交響曲としては奇形であり、演奏するに値しないと判断した。


等々諸説がありますが、既にカラヤンはこの世にいませんから真相は藪の中。

その理由を皆さんなりに考えつつ、私が最も好きなワルターの演奏を、お聴きください。




どこかで、映画『タンポポ』で主人公のタンポポがジョギングするシーンを思い出すかもしれませんョ。笑2


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舞 曲

今日・10月17日は、〝ビアノの詩人〟フレデリック・ショパンの命日・没後170周年にあたります。

ショパンに関しては、こちらの過去記事をお読みいただくとして・・・。



今日は、彼の代表作と言っていい、ポロネーズ第6番変イ長調 作品53・・・俗に

 英雄ポロネーズ

と呼ばれている名曲について触れてみます。


〝ポロネーズ〟とは、フランス語で〝ポーランド風〟という意味。

マズルカと並び、ショパンの故郷ポーランドを発祥とするダンスやそれに用いられる舞曲のこと。

その殆どは4分の3拍子で、第1拍が16分音符で細分されているのが特徴。

ただしショパンの作品は舞曲というよりはよりドラマチックで、彼の作品の中でも長く壮大なもの。


彼は生涯で18曲のポロネーズを作曲し、ピアノ独奏用としては16曲。


そのうち彼の生存中に出版された番号付きの作品は7曲。

その中で最も有名かつよくコンサートで演奏されるのが、第7番『幻想ポロネーズ』と、1842年に作曲されたこの第6番・英雄ポロネーズ。

非常に難易度が高く、特に中間部の左手オクターヴの連打は、そう簡単に弾けません。


私自身、初めてこの曲を聴いた時はオクターヴだとは思わず、楽譜を見てビックリしたことを憶えています。

 

さて、〝英雄〟の名に相応しい華麗な作品ですが、これはショパン自身が名付けたものではありません。

では誰がどういう経緯で名付けたのか? というと、実は諸説あってはっきりしていないのです。

ただその中の有力な説として、こんな話が・・・。

ショパンが亡くなる前年の1848年、フランスでは2月革命が勃発。

かつてショパンの恋人で会ったジョルジュ・サンドは、当時小さな新聞を発行しており、そこに自らのエッセイを掲載し、政治的なメッセージを精力的に発信していました。

次々と銃弾に倒れていく労働者たちを目にした彼女は、この曲を聴きながらショパンにこんな手紙を書いたとか。

『霊感! 武力! 活力! これらの精神は疑いなくフランス革命に宿る! これより、ポロネーズは英雄たちの象徴となる!』

以後、この曲は以後〝英雄ポロネーズ〟と呼ばれるようになった・・・というのです。

曲想同様ドラマチックなエピソードですが、何となく後で作られたような話にも思えますょネ。
あせあせ

今となっては事の真偽は分かりませんが、その名曲をお聴きいただきましょう。

まずは2005年に行われた第15回ショパンコンクールの優勝者でショパンと同じポーランド出身の若手ピアニスト、ラファウ・ブレハッチ(1985~)の演奏を、どうぞ。




若さ溢れる、歯切れの良い演奏ですょネ。

続きましては、我が敬愛する20世最高のピアニスト、ヴラディミール・ホロヴィッツ(1903-1989)が1987年3月、83歳の時に行ったウィーンでのコンサートの演奏をお聴きください。



如何でしょうか? ブレハッチの演奏とはだいぶ違いますょネ。


ホロヴィッツも若い時の演奏はもっとテンポが速く、ブレハッチ以上にエネルギッシュでしたが、これは年齢相応の枯れた感じ。

明らかなミスタッチを何箇所かしていますが・・・私は何度も繰り返し聴きたいと思うのは、ブレハッチや若い頃のホロヴィッツの録音ではなく、この録画の方なんです。

確かに現在の若手ピアニストのテクニックは高度ですし、ミスタッチも殆どないほぼ完璧な演奏をしますが、ホロヴィッツのような感動がないんですょネ。

やはり聴衆の心を動かす演奏には、人生経験が必要不可欠なのかもしれません。

な~んて、単に私が歳を取ったからそう思うだけかもしれませんが。
うー


 


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祝 祭

クラシック音楽の世界には人気の高いコンサートが多々ありますが、その中でも最もチケットの入手が困難とされているのが、毎年7~8月にかけて開催される

 バイロイト音楽祭

 Bayreuther Festspiele


このワーグナーの作品だけ(例外的にベートーヴェンの第九)を演奏する演奏会がバイロイト祝祭劇場で初めて行われたのは、今から143年前の今日のことでした。


          


 自作の楽劇を自分の理想的な形で上演することを夢見ていたワーグナーは、専用劇場の建設を決意。

そして最終的に見つけた土地が、ドイツ南西部のオーストリアに近いバイエルン州バイロイトでした。


       

バイエルン国王ルートヴィヒ2世から借金してまで1872年から建設が始まったバイロイト祝祭劇場は、1876年に完成。

第1回の演奏会として、ルートヴィヒ2世やドイツ皇帝ヴィルヘルム1世、ブラジル皇帝ペドロ2世などの国賓、リストやブルックナー、チャイコフスキーなどの音楽家らを集め、ハンス・リヒターの指揮で 『ニーベルングの指輪』 が上演されたのが同年8月13日のことでした。

しかし評判はあまり芳しくなく、興行としても大赤字でワーグナーは落胆・・・1882年まで音楽祭は開催されませんでした。

その後も第一次世界大戦や第二次世界大戦の影響で開催されない年が何年かありましたが、この音楽会の時だけ編成されるバイロイト祝祭管弦楽団を指揮したのは、R・シュトラウス、トスカニーニ、フルトヴェングラー、ベーム、カラヤン、バレンボイムなど超一流ばかり。


加えて開催時期が僅か1ヶ月あまりのため、必然的にチケットの入手は困難に。

バイロイト音楽祭を鑑賞することは、熱狂的なワーグナー・ファン(ワグネリアン)にとっての夢・・・チケットを取るためには事務所に毎年申し込みをしてワーグナーに対する思いを訴え、5~10年後にようやくチケットが送られてく.るそうな。


料金は一番高くて300ユーロ(約4万円)だそうですが、問題はバイロイトまで行かねばならぬこと。

年にこの音楽祭の時期しか混まない土地柄なのでホテルはそれほど多くなく、また空港はもちろん鉄道の駅すらない辺鄙(失礼!)な場所にありますから、すべてを自分で手配するのは大変。

ドイツ語に自信のない方は、旅行会社が企画している100万円前後の観劇ツアーに申し込む方が無難でしょう。

またサントリーホール(2,006席)とほぼ同規模の1,887席を有するこのバイロイト祝祭劇場は、ワーグナーがより良い演奏と音響を考えて作ったホールのため木造で、椅子も固い木製。


       

彼の作品は演奏時間が長いため、観客が寝ないよう座り心地を敢えて良くしていないそうで、しかも冷房設備なし。

おまけに正装がマナーとされていますから、観客も大変。


時々高齢者が倒れるそうですから、オペラ鑑賞というより難行苦行と言えるかも?

ただしオーケストラ・ピットは観客から全く見えない低い位置に作られているため、団員たちは軽装で演奏しているそうですが・・・。


この劇場に行かれる方は、それなりの資金と覚悟が必要なようです。

とは言え、歴史と伝統のある同音楽会は今後とも開催され続けて欲しいところ。


そして総監督は、代々ワーグナーの子孫及びその係累によってのみ受け継がれており、現在は彼の曾孫にあたるカタリーナ・ワーグナー。


       


彼女の演出は非常に斬新で、過去に賛否両論を巻き起こしたことも。

果たしてワーグナーは天国から現在のバイロイト音楽祭を、どんな気持ちで眺めているのやら・・・?


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帝 王 <下>

今日は、昨日没後30周年ということで取り上げたクラシック音楽界の〝帝王〟・カラヤンに関する知られざるエピソードを、皆さんにご紹介致します。


          ◆     ◆     ◆     ◆


どのオーケストラも初めての指揮者が来ると、そいつがどのくらい力量のあるヤツか、どんな性格のヤツかを試そうとする。

楽員の誰かが、わざと間違えるイタズラを仕掛けるのだ。

その時、指揮者がそのパートをチラッと見てニヤッと笑えば、それで暗黙のうちにオケ全体との信頼関係が成立する。

カラヤンが初めてベルリン・フィルを指揮し、ベートーヴェンの交響曲第5番 『運命』 を演奏した、29歳の時のこと。

彼はどこかで何かを言おうとしたものの、オーケストラのあまりの上手さに文句をつけることが出来ぬまま、曲は最終の第4楽章へ。 


そこで彼は仕方なく、出まかせで

「トロンボーンの二番の音程がちょっと低い。」

と言ったのだ。 これが偶然かどうか的中したそうで、

「もし外れていたら、今日の私はない。」


と、後にカラヤン自身が語ったそうな。

        


そのカラヤンは、楽員に注意する時に演奏を止めて全員の前でいきなり名指しで直接叱ることは、決してしなかったという。


たとえばホルンの第二奏者の音程が少しおかしいと思うと、彼はオーケストラを止めて全く関係のないヴァイオリンの奏者に、演奏のアドバイスをする。

そしてミスをした本人の隣にいるホルンの第一奏者を見てウィンクをするのだ。

再び同じところにきてまだ直っていないと、またそこで演奏を止めてホルンの第一奏者にもう一度ウィンク。

それでやっと気づいた第一奏者が第二奏者にそっと伝える。

回りくどいが決して人前で恥をかかせない気配り・・・これが、楽員たちから大きな尊敬を受けることにつながっていたのだ。

人の温かさを感じた時、誰しもがその人の信奉者になる。

信奉者にさせることがまた、秀でた指揮者の第一条件なのだ。


          ◆     ◆     ◆     ◆


長年ベルリン・フィルを率いることができたのは、決して彼が指揮が上手かったり権力者であったからだけではないことを物語るエピソードですょネ。

彼に若くしてその才能を認められたことで有名になり、現在もヴァイオリニストの女王として活躍しているアンネ=ゾフィー・ムターも、カラヤンを人使いの天才だったと評していますから。

 ※ムターに関する過去記事は、こちら。(↓)


帝王は一日にしてならず。

日々の絶え間ない修練と気配りの積み重ねが、カラヤンという最高の芸術品を作りあげたと言えましょうか。笑3

それでは最後に、カラヤン/ベルリン・フィルによる帝王・・・ならぬ、『英雄』をお聴きください。

           


 

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3・3・3

今からちょうど20年前の今日・1999(平成10)年3月3日、1枚のCDシングルがポニーキャニオンから発売されました。


その2ヶ月前の同年1月、NHK教育テレビ『おかあさんといっしょ』のオリジナルナンバーとして、うたのおにいさん(速水けんたろう)と、うたのおねえさん(茂森あゆみ)が歌い始めたところ、リズミカルなタンゴ調の歌は子供達の間で人気が急騰。

視聴者の要望が殺到し、同番組のオリジナル曲として初めてCDリリースとなったその曲とは、皆さんもよくご存知であろう


 だんご3兄弟


             


この歌は、作詞したCMプランナー・佐藤雅彦さんが、


「もし串団子が兄弟だったら、一番上と一番下どちらが長男になるのか?」


という話を2年前の1997年頃 『クリック』 という短編集に収め、それを 『おかあさんといっしょ』 の担当ディレクターが目にしたことから生まれたのだそうな。


そして発売されるや、初回出荷の80万枚はアッという間に完売。


追加注文が相次ぎ、発売3日目の3月5日には250万枚が出荷される大ヒット。


CDシングルの累計出荷枚数は約300万枚、一時は歴代1位・〝およげ!たいやきくん〟の453万枚を抜く勢いでした。


社会現象にまでなったこの〝3兄弟ブーム〟・・・それまでは4つ刺さっていた串団子が3つになったり、元プロボクサー・輪島功一さんが自ら経営する団子屋の前でホクホク顔で取材に答えていた姿を憶えています。


        


この歌によると、結局長男は一番上になったんですね。 


しかも真ん中の次男は自己チューみたいに言われちゃって、ちょっと可哀想な気もしますが・・・。


余談ですが、この曲1発で紅白歌合戦にも出場した速水・茂森ご両人の歌手は2%の印税契約を結んでいたそうですから、きっとこの曲だけで一財産出来たはず。

おそらくお2人は、これより24年前に大ヒットした『 およげ! たいやきくん』 を歌った子門真人さんが買取契約でたった5万円しか受け取れなかったことを知っていたんでしょうネ。
あせあせ


それでは皆さん、懐かしいヒット曲を大きな声で歌いましょう!




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Rocky

長い正月休みも昨日で終わり、今日から仕事始めという方も多いことでしょう。

中には憂鬱な気分で出社する方も、中にはいらっしゃるかも・・・ってことで、今日はあの名作・『ロッキー』 の歴代シリーズから、そのトレーニング・シーンを集めた総集編をご紹介致します。

私が大学で野球をやっていた時、シーズン前の自主トレでは常にロッキーのテーマをBGMにかけてました。

コレを聴くと、辛い練習でもやる気と力が出たものです。


皆さんもこの動画を見て、2019年のスタートを力強く切ってください!




そしてこれはオマケですが・・・そのロッキー・シリーズの番外編と言える、2015年に公開された

 『クリード チャンプを継ぐ男』

かつての宿敵アポロ・クリードの息子をロッキーがコーチする物語ですが、そのラスト・シーンもお届けします。

若かりし頃は1,2段飛ばして駆け上がっていたフィラデルフィア美術館の階段を、病に侵され年老いたロッキーがクリードの肩を借りてゆっくり登るシーンが、学生時代からロッキー・シリーズを観てきて今還暦を迎えた私の胸にジーンとくるのです。




歳は取りたくない、でも誰もが老いていく現実を、この一連のシーンを観ると思い知らされます。

老いる前に自分は何ができるのか、いや何を為すべきなのか?

そんなことを考えつつ、1日1日を大切に過ごしたいと思います。笑2

そして、このクリードの続編

 『クリード 炎の宿敵』

が、今月11日に公開されます。 予告編は、こちら。(↓)



ロッキー・ファンは必見です!

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ヒット

毎週、いや毎日のように新しい楽曲がリリースされ、テレビ・ラジオなどで私たちの耳に入ってきますが、その中から人気が出るのは一握り。

どんな曲がヒットしているのか?・・・それが簡単に分かるソースが、いわゆるヒットチャート。

音楽業界においては複数のヒットチャートが発表されていますが、その中で最も権威のあるといわれるのが、音楽雑誌 『ビルボード』 が発表する

 Billboard Hot 100

ですが、同社が初めてこの原型となるヒットチャートを発表したのが、今から83年前の今日・・・日本でいえば二・ニ六事件が起きる2ヶ月前のことでした。


1894年に、シンシナティでウィリアム・H・ドナルドソンとジェームズ・H・ヘネガンによって創設された『ビルボード・アドバタイジング』誌は、3年後に『ビルボード』と改称。

※ビルボードとは、広告看板の意味。


        

                   創 刊 号


当初はサーカスや移動遊園地を取り上げていましたが、次第に音楽関係の記事が増えた同誌では、1936年1月4日に全米のジュークボックスで流れたヒット曲を一覧表にして発表。

そして1940年7月27日号に、独自の集計によりヒット曲のチャートを掲載したのです。

 

1958年8月からは、現在まで続いている前述の〝ホット100〟というシングル・チャートに。

※ アルバムは、〝ビルボード200〟という別チャートで発表。

日本では、オリコン・チャートが最も権威があります(同チャートが正式にスタートしたのは今から51年前の今日・1968(昭和43)年1月4日・・・ビルボードと同じ日なのは偶然?)が、これはCD売上のみで集計されたもの。

それに対して、ビルボードはCD売上の他にダウンロード数、ラジオでのオンエア回数、更には最近ではYouTubeでの再生回数やツイート数など、複数の情報を取り入れているのが特徴。

個人的には、ビルボード誌の集計方法がより世情にマッチしていると思うのですが、それにはそれで問題が。

というのは、その複数の情報の比重のかけ方によって、ランキングが大きく変動するから。


  


同誌における集計方法は何度か変更されているそうですが、特に1991年にそれまでのエアプレイ重視(エアプレイ75%・セールス25%)から、セールス重視(エアプレイ60%・セールス40%)にシフトしてからは、急にヒップホップやR&Bなどのブラック・ミュージックが上位を占めるように。

これはアルバムよりシングル志向が強い黒人の影響が色濃く反映されたから。


この辺り、新聞やテレビ局が行う世論調査と同じで、質問の仕方や年代層で回答が大きくブレるところと似ています。

単にランキング結果だけを見て、その曲がヒットしていると考えるのは早計かも。

やはり音楽は、自分の耳で聴いて良いと思った曲が一番・・・なんて言ったら、身も蓋もない?あせあせ


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清 夜

皆さんは、

〝き~ぃよ~しぃ~、こ~のよ~るぅ~・・・〟

中には英語で “
Silent night, holy night ・・・と学校やご家庭で歌ったことがあると思います。

この、あまりにも有名なクリスマス・キャロル


きよしこの夜
Silent night


が初めてオーストリア・オーベルンドルフにある聖ニコラス教会で歌われたのが、今からちょうど200年前の今日のことでした。

    
            
現在の聖ニコラス教会・礼拝堂


この歌を作詞したのは、ヨーゼフ・モールという若き司祭。


        


1792年にザルツブルクで未婚の両親の間に生まれた彼は、貧しい幼少期を過ごしましたが、ザルツブルク大聖堂の大司教が彼の才能を見いだし、良い教育が受けられるように取り計らってくれました。


そして大学の聖歌隊と、サンクト・ペーター・ベネディクト派修道院で歌手とバイオリニストして活動を開始。

19歳でザルツブルクにあるカトリックの神学校に入学し、1815年に司祭として叙任された彼は、父の故郷であるルンガウ地方のマリアブファール教会の助任司祭に。


この教会にあった 『聖母と東方三博士礼拝の図』 という絵画からインスピレーションを得て、6詩句の 『きよしこの夜(
Stille Nacht )』 を1816年に作ったそうな。


その詩が世に出るキッカケとなったのは、彼がオーベルドルフの
聖ニコラス教会に転任してきて、そこでフランツ・クサーバー・グルーバーという教師と出会ったことでした。


         


グルーバーは1787年に極貧の農家に生まれました。


家計を支えるため亜麻布を織っていた彼は生来の音楽好きで、その才能を見出した小学校の先生がオルガンを手ほどき。

20歳の時に教員資格を取得すると、教師・教会の管理人として働き始め、やはり聖ニコラス教会で聖歌隊の指揮者兼オルガニストを務めるように。


この2人が、1817年に運命の出会いを果たしたのです。


そして翌1818年12月24日のクラスマス・イヴの日、教会のオルガンがネズミにかじられたことで故障し演奏できなくなったことで
(・・・というエビソードは後年の創作だと言われていますが)、モールは2年前に作った詩にギターで演奏できる曲をつけるよう、友人となったグルーバーに依頼。


その意を受けて彼が徹夜で曲を書き上げ、翌25日に同教会で初演されたのです。


    

               グルーバーの自筆譜


急遽作られギターの伴奏でささやかに歌われたこの曲が、それ以降世界中で歌われるようになり、2011年にユネスコの世界無形文化遺産に登録されることになろうとは、ご両人とも予想だにしなかったでしょうネ。

では、この名曲をお聴き・・・いや、一緒に英語で歌いましょう。



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第5番

クラシック音楽で知っている曲は、何? と問われれば、きっと多くの方がこの作品名を挙げることでしょう。


 〝 運 命 〟


そう、ベートーヴェン作曲の交響曲第5番 ハ短調 作品67。


この彼の代表作がウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で初演されたのが、今から210年前の今日・1808年12月22日・・・日本では間宮林蔵が樺太を探検していた頃の事でした。


この曲のスケッチをベートーヴェンが始めたのは、以前拙ブログでご紹介した交響曲第3番 『英雄』 完成直後の1804年から。


 ※『英雄』に関する過去記事は、こちら。(↓)   



ベートーヴェンにとっては、歌劇 『フィデリオ』、ピアノソナタ 『熱情』、ラズモフスキー弦楽四重奏曲などを次々と生み出した脂の乗った時期であり、交響曲第6番 『田園』 と並行して作曲を進めました。


       

           スケッチを始めた頃のベートーヴェン


そして初演は、その 『田園』 交響曲を始めミサ曲など数作品の初演と共に行われたのですが、聴衆は暖房のない劇場で延べ4時間以上も寒さに凍え、更にソリストの急なトラブルや他曲の不手際も重なって、散々の評価だったとか。


ちょっと欲張り過ぎたのかもしれません・・・がしかし 『運命』 の評価はすぐに高まり、多くのオームストラがレパートリーに加え数多く演奏されるように。


おそらくクラシック音楽のレコード・CDの売り上げ枚数・種類とも最多なのではないでしょうか?


        

                    ベートーヴェンの自筆譜


と同時にブラームス・チャイコフスキー・ブルックナー・マーラーなど他の作曲家にも大きな影響を与え、(ブラームスを除く)彼等にとっても〝第5番〟は特別な意味を持ったようで、傑作が多いのも特徴。


ところで、この曲の 『運命』 という表題はベートーヴェン自身の命名ではありません。


弟子のアントン・シンドラーが 「冒頭の4つの音は、何を意味するのか?」 とベートーヴェンに尋ねたら、 「運命は、このように扉を叩く」 と答えた、という逸話に基づいている・・・と言われていますが、シンドラーの著作には虚偽の記述が多く、真実とは言い難いんですけどネ。    


    


さて、その冒頭のダダダダ~ンは 『笑点』 の大喜利にも時々使われるくらいポピュラーなフレーズですが、シンプルであるが故に最も指揮者の解釈・演奏の違いが際立つ部分でもあります。


その冒頭部分だけを著名な指揮者ごとにまとめた映像がありますので、是非聴き比べてみてください。




・・・テンポや音の引っ張り方がそれぞれ違っていて、面白いでしょう。


私はカラヤン・ファンなのですが、意外と 『運命』 に関してはテンポが速過ぎて、あまり好きになれないんですけどネ。あせあせ


一般的には1947年のフルトヴェングラーの演奏が名演として有名ですが、皆さんはどの指揮者の演奏がお好みですか? 


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オペラと美食と

イタリア・オペラに於いて、プッチーニ、ベルディと並んで日本人にお馴染みの作曲家といえば、


 ジョキアーノ・アントニオ・ロッシーニ

       Gioachino Antonio Rossini


音楽室に掲げられていた、ふくよかな顔立ちの肖像画をご記憶の方も多いでしょうが、今日はその彼の命日・没後150周年にあたります。


       


ロッシーニは1792年、トランペットを吹く父親と歌手の母親の間に生まれました。


両親は早くから彼に音楽教育を施し、6歳の時には父親の所属する楽団でトライアングルを叩いたとか。


20歳前から早くもオペラの作曲を始めた彼は、21歳頃には作曲家としての地位を確立、有名な 『セビリアの理髪師』 を24歳の時に完成させています。


端正な顔立ちでもあった彼は一躍売れっ子作曲家となり、彼の才能を高く評価したベートーベンが自分の曲が彼ほど大衆に受け入れられないことを愚痴った程でした。              


1829年にパリで大作 『ウィリアム・テル』 の初演を成功させるなど、37歳までに19年間で39曲・・・特に20歳から7年間で27曲もの作曲をこなしたロッシーニ。


中には同じ旋律を使い回したりするなど、かなり要領がいいというか、いい加減なところもあったようですが、音楽の才能は超一級品でした。


ところが彼は、37歳にして作曲活動を殆ど休止してしまいます。


生涯の残り半分以上を何に費やしたのか?・・・それは、料理でした。


政府と交渉して年金を確保したロッシーニは、ボローニャに移り住んでトリュフを掘るブタを飼育したり、まるで北大路魯山人の如くパリでプライベートの美食家専門レストランを切り盛りし、貴族や有名人を接待。


クッキングの世界でも一流だった彼は、後のフランス料理に〝ロッシーニ風〟 と命名される料理を残す程でした。


しかし晩年は様々な病気を発症し、日本ではちょうど明治維新の真っ盛りだった1868年11月13日、手術後に感染した丹毒により76歳でこの世を去りました。


生前は超売れっ子だったにも関わらず、人生の後半を料理に捧げたからか、死後は2,3曲の有名な歌劇の作曲家という程度の扱いが続きます。


しかし近年は再評価の動きがあるとか。


そして皆さんにお勧めしたい彼の作品は、歌劇

 『ウィリアム・テル』

※特に序曲が有名ですので、皆さんもご存じのはず。

  カラヤン/ベルリン・フィルの演奏でお聴きください。
   有名なのは、3分過ぎから。 時間のない方は9分頃から。(↓)


 


ただ、あまりに壮大なオペラなので、全曲を収めた演奏があまり残されていません。

しかしこの作品は、ベルリオーズをして 「第2幕は神が創った」 と言わしめるほどの名作ですので、興味のある方にはこちらのDVDをお勧めします。

       

収録は1988年と少し古いですが、ミラノ・スカラ座の黄金期を築いたリカルド・ムーティの演奏ですので、聴き応え・見応えは十分です。

演奏時間は4時間ありますが、これを鑑賞ながら
音楽と料理に人生を捧げた多才の人・ロッシーニに、献杯! 笑3


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