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遠 征 < 下 >

青(バック)ティーで6,739ヤード・パー72、コースレート73.1という難コースに挑んだ私は、緊張の中〝エイヤッ!〟とドライバーを一振り・・・すると幸運にもボールはフェアウェーのセンターに。

そしてセカンド・ショットでグリーン・オンに成功、2パットでパーという上々の滑り出し。

しかしそうそううまく行くはずもなく、次のロングホールではティーショットを深いバンカーに入れてセカンドは出すだけ・・・結局ダボ。

その後ティーングエリアからグリーンまで右が全部池なんてホールも。(はグリーン)


    


また距離が200ヤード前後と長いのにグリーンエッジまで池が張り出すという、アマチュアには辛い設定のパー3が2つ・・・とてもワンオンできそうな気がしませんでした。

また大きくて変則形状のグリーンはアンジュレーションが強く、しかも昨年11月にプレーした高速グリーンと同等かそれ以上の速さ。(↓)


更にそのグリーンを外すと入ってしまうガードバンカーが私の背よりも高いなど、至る所にハザードが待ち構えていて苦難の連続。

ライグラスのフェアウェイはアイアンでショットすると草鞋のようなターフが取れて気持ちは良いものの、これじゃプロでも手を焼くのは必至。 

トーナメント開催反対の署名活動が起こるのも頷けます。


それに私のようなアマチュアにとって怖いのは、リゾート内にあるためにコースの脇やグリーン奥に高級住宅がズラリと並んでいること。

クラブハウスロビーに飾られていたリゾート全景を見ると、ン千万~1億円という高級住宅がズラリとコースを囲んでいるのが分かります。

    

うっかりショットを曲げてガラスを割ったら・・・と思っただけで、心臓バクバクでした。

そして有名なモンスター・バンカーがグリーンを囲むように待ち受けているのが、16番パー5。

距離は517ヤードと短めながら、ピート・ダイの仕掛けた罠が口を開けて待ち構えています。

で、実際私の2オン狙いしたボールは少しフックしてそのバンカーへ。

そこから見えるのは、辛うじてピンの頭(部分)だけ。

       

目の前の壁が如何に高いかは、下の画像でピンの長さと比較していただけば、よくお分かりいただけるかと。(×印が私のボールの位置)

    


幸いにも一発で脱出でき、ピンそば2mにつけた私でしたが、そのバーディー・パットを外して、パー。

そして次の17番が同コースで最も印象的であり、ピート・ダイを一躍有名にした、浮島グリーンのパー3(146ヤード)。


〝アルカトラズ〟と命名されたこのショートホールの岩石に囲まれたグリーンは、1オンさせる以外に逃げ道なし。

    


前のホールでバーディーを逃した私は多少気落ちしていたのか、力が抜けたティーショットはちょっとショート気味。

Goooo!」

と叫んだものの、ボールはグリーン手前の岩にコ~ン・・・そして跳ね上がって落ちてくると、再び別の岩にコ~ン。

おっ、これはもしかしてラッキーオン? と思ったのも束の間、落ちてきたボールは無情にも池にポチャン。

アメリカ人父子が “Oh my god!” と叫ぶ中、私がティーングエリアでひっくり返って大の字になると、腹を抱えて笑い出しました。

おそらくこのショット、私は死ぬまで忘れないでしょうネ。

そして18番もグリーンまで巨大な池が広がる難ホールでしたが、何とかパーで上がり45。

    
    
が18番グリーン  構えているのは同伴した息子のデビット君

後半のOUTは大分慣れて41でラウンドでき、トータル86でフィニッシュ。

翌日は飛ばし屋のアメリカ人青年と3人でラウンドし、41・44の85と何とか80台でラウンド出来ました。

2日間で遠征前の目標だったバーディーを1個取れたのは嬉しかったですが、〝アルカトラズ〟では翌日も池ポチャとなり、リベンジできなかったのは残念。

しかし世界的に有名な超難関コースを堪能でき、池にボールを6個奉納したものの何とかハーフを全て40台前半でラウンドできたことは、大きな自信となりました。

ここに比べれば、メンバーコースなんてチョロいもの・・・って、スコアは以前と殆ど変わらないと思いますが。

でも今後日本国内どのコースに行っても、難しくは感じないでしょうネ。

さて同コースでは、来週15~19日(※現地時間)にかけてPGAツアーの〝ザ・アメリカン・エクスプレス〟が開催されます。

上の画像・18番グリーン奥のように、コース内には既に巨大なプレスセンターやギャラリースタンドがいくつも設営されていました。


            
         クラブハウスに飾られていたトーナメントポスター



トーナメントに参戦した気分も味わえてラッキーなゴルフ・ツアーでしたが、私がプレーしたバックティーよりも更に561ヤードも長い全長

7,300ヤードというモンスター・コースで、トップ・ブロがどんなプレーをしてどんなスコアを出すのか?


私はテレビ中継を観ながら、この遠征の記憶を蘇らせつつ楽しむつもりです。


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遠 征 < 上 >

昨年1月末に葬儀屋を廃業してから、早や1年足らず。

17年ぶりにゴルフを再開し、夕食抜きダイエットと筋トレを続けて現在体重は15kg減、念願の公式ハンデも2ヶ月前に取得できました。(↓)


ということで、2019年の総仕上げ(?)をすべく、ゴルフ友達のお誘いに乗って昨年末にアメリカ遠征の弾丸ツアーを敢行しました。

チャレンジしたのは、
ゴルフダイジェストの全米トップ100コースに選ばれている、鬼才ピート・ダイが設計した


 PGAウェスト スタジアムコース

同じくゴルフダイジェストで過去に難易度全米第4位にランクされたこともあり、あまりの難しさに1988~2015年まで選手の署名活動により公式戦での使用を禁止されていたという、まさに超難関コース。


一体どんなコースなのか? まずはこちらの映像でお確かめください。



やたらと池とバンカーが多く、日本のような丸いグリーンが殆どないことがお分かりいただけると思います。

せっかく行くのだからと、この映像を何度も見てコース戦略を練りつつ現地入り。

宿泊したホテルでは、クリスマスが過ぎたというのに巨大かつ煌びやかなツリーがお出迎え。

       

トイレの便器やベッドもそうですが、やはりアメリカは何でもデカいし、出てくる料理の量もハンパなく多くて、還暦過ぎの親父は完食できず。

それに好景気だからか、物価が高いのに驚きました。

そして時差ボケであまり寝られないまま、翌日朝にはコースへ。

    


ロビーにはトーナメント開催の歴史などが誇らしげに描かれており、緊張感が高まります。

    

砂漠地帯にあるだけに、朝は3℃前後と長袖を重ね着する程寒いのに、日が高くなるとどんどん気温が上昇して昼前後には20℃近くと、半袖でないと暑いくらい。


    

こんな気温の変化も日本では経験できませんが、驚いたのが練習場の設備。



なんと幅が100m以上あり、奥行きも軽く300m以上・・・日本のようにネットで囲まれていませんが、ドライバーショットで突き抜けることはプロの飛ばし屋でも不可能なくらいの広大さ。

しかも打席は全て自然芝で、この画像左側には広いアプローチ練習場やパッティンググリーンもあり、ボールがゴロゴロ・・・私のようなゴルフ好きなら1日いても飽きないくらいの充実度。

ここで毎日練習できれば、上達するのは間違いないでしょうネ。

日本に比べてアメリカツアーのレベルが高いのも、頷けます。

その練習場の後ろをカートで走り抜け、いよいよスタートホールへ。

我々日本人2人の組にはアメリカ人の父子2人が入り、一緒にブレーすることに。

私ら2人は英語を殆ど話せませんが、そこは挨拶と 「Good shot!」 などのゴルフ用語だけで和気あいあいとラウンド。

幸いにも、私らが 「せっかく日本から来たからバック(青)ティーでやりたい」 と言うと、すんなり付き合ってくれることに。

そしてIN・10番ホールのティーングエリアに立つと、フェアウェーは緑でラフは枯芝の薄茶色。 

青い空と相まって素晴らしい色のコントラストが眼前に広がります。

しかし正面から左側はグリーンまで全部池。 
そして細いフェアウェーの右側はアゴの高いバンカーがいくつもあって、凸凹・・・上空から俯瞰した動画の予習では分からなかった立体的な視覚の重圧がプレーヤーに襲いかかります。(↓)



       下中央の緑色が青ティーの位置   がグリーン



緊張に震える手でティーに乗せた私のボールは、果たしてどこに飛んで行くのやら?


                  ・・・・・To be continued


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公 認

今では信じられないことですが、昔は陸上競技においては女人禁制・・・第1回のアテネ五輪でも、陸上競技は男子のみ。

オリンピックで女子の陸上競技種目が登場したのは1928年に開催された第9回アムステルダム大会から。

同大会で人見絹枝選手が日本人初のメダル(銀)を獲得したことは、過去記事でご紹介しました。(↓)

   
https://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11513945518.html


ただしマラソン競技に関しては「生理的に無理」という考えが浸透しており、参加は許されませんでした。

その門戸を開いたのは、1967年に世界最古の歴史を誇るボストンマラソンに男性名で登録し、妨害にもメゲず完走したキャサリン・シュワイツァーという女性でした。(↓)



その後ボストンマラソンでは年々非公式ながら女性の参加者が増え、遂に1972年、正式参加が認められました。

そして世界で初めて国際陸上連盟(IAAF)が公認する女性限定のマラソン大会として


 
第1回東京国際女子マラソン

が開催されたのが、今からちょうど40年前の今日・1979(昭和54)年11月18日のことでした。


style="font-family: "MS Pゴシック";">この日は国立競技場をスタートして東京ドーム~東京タワー~皇居~品川駅などを通過し、大森海岸交番前を折り返して再び国立競技場に戻るコースで、参加選手は50名。

小雨の降る悪コンデションの中、水道橋駅前から四谷にかけての高低差が10階建てビルに相当する30mもある世界屈指の難コースを2時間37分48秒のタイムで走り切り、初代優勝者の栄冠に輝いたのは、イギリスのジョイス・スミス選手。

なんと当時42歳で、2人の子供さんがいるママさん選手でした。


     


上の写真で一番右を走っているのがスミス選手ですが、左手にハンカチを持っているのがお分かりいただけると思います。

「道路にツバを吐くのはマナー違反」と考えたスミス選手は、それをハンカチで拭っていたそうですから、なんとも女性らしい気配り・・・。

その行いを勝利の女神が称賛したのか、彼女は翌年の大会も制して2連覇を達成。

一方、第1回大会の日本人選手は2時間48分52秒で7位に入った村本みのる選手が最高。

この大会の2年前からマラソンを始めたという彼女は、38歳で自己記録を11分も縮めたのですから立派。


日本人選手が初めて優勝したのは、第5回大会(1983年)の佐々木七恵選手で、2時間37分9秒。

 ※佐々木選手の過去記事は、こちら。(↓)


https://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11943168693.html


その後毎年開催され、歴代優勝者の中には、谷川真理・浅利純子・高橋尚子・土佐礼子・野口みずきら日本を代表するランナーの名がズラリ。

大会のロゴマークも、見た記憶のある方も多いことでしょう。

    


しかし同大会は、東京マラソンと併合されることとなり、2008年の第30回大会で打ち切りとなりました。

その最後の大会で2時間23分30秒のタイムで優勝したのは、尾崎好美選手。(下写真・左)

そしてこの時スターターを務めたのは、初代優勝者のスミスさんでした。(同右)


    

歴史的な大会がなくなってしまったのは残念ですが、東京マラソンで・・・さらに来年のオリンビックで日本女子選手が先頭を切って颯爽と北海道で走る姿を観てみたいものです。扇子


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再取得

先日難関コースの高速グリーンに悩まされて若干凹みましたが、その数日後にちょっぴり嬉しい出来事が。

今年2月から17年ぶりにゴルフを再開しリハビリに励んでいた私は、3月からメンバーコースでラウンドするたびシコシコとスコアカードを提出していたところ、一度消滅したハンデを再取得できました。

郵送されてきたハンディキャップインデックス証明書が、こちら。(↓)

     

20年前は、ハンディキャップの変更があるとコースから通知ハガキが1枚ビラッと送られてきただけでしたが、今回は封書。

しかもJGA(日本ゴルフ協会)だけでなく、USGA(全米ゴルフ協会)共通のもの。

このハンデで日本だけでなくアメリカのアマ公式戦に出場できることに・・・って、行きませんけどネ。


そしていただいたハンデは、〝6.7〟。


ゴルフを封印した時が〝7〟でしたから、ほんのちょっぴり上回ることが出来ました。

筋力の衰えによる飛距離低下はクラブやボールの進歩でも補い切れませんが、それでもハンデが落ちなかったのはその分ボールが大きく飛び散らなくなった事と、アプローチ・ショットが若い頃より上手くなったから。

そして何よりも、年齢を重ねたことで昔のようにカッと頭に血が上らなくなったことでしょうか。

(という自己分析を女王様に話したら、「ふぅ~ん、そう思ってるだ~・・・」と冷たい目で睨まれましたけど。)


ハンデを再取得したことで、リハビリはめでたく終了。


今後はこのハンデを何としても片手(5以下)にするべく、更に練習を重ねたいと思っています。

ハンデが少なくなるほど、1つ減らすのは大変ですが・・・。

その覚悟を忘れぬよう、証明書をアクリルケースに入れて机の上にデンと置きました。


    


悦に入って暫し眺めていると・・・アレッ?

名前のローマ字が〝watanabe〟ではなく〝matsumoto〟になってるじゃありませんか。

    


〝watabe〟ならまだ話は分かりますが、渡辺でどうして〝matsumoto〟? 誰やねん、松本って。 

すぐメンバーコースに電話して確認したら、

「あら~、確かに間違ってますネ。 何でこうなったんだか・・・すぐ訂正して再送しますワ。」

と、悪びれる様子は全くなし。

〝目出度さも 中くらいなり 我がハンデ〟・・・お粗末。 


 


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高 速

先日、久しぶりにメンバーコース以外でゴルフをしました。

プレーしたのは、過去に男子プロのツアー選手権も開催された難関コース。

下の写真は浮島グリーンで有名なパー4・・・ゴルフ・ファンの方なら、このホールだけでどこのコースかお分かりになるかも。


    


さて、いつも通りスタート前にパッティング練習したところ、グリーンが異様に早かったんです。

(いくら何でも、こんなに早くすることないのに・・・。)


そう思ってキャディーさんに聞いてみると、

「実は昨日まで4日間、男子プロのQTをやってたもんですから。」

QTとは〝
ジャパンゴルフツアークォリファイングトーナメント〟の略。

これはトーナメント出場を目指すプロが参戦し、翌年度のツアートーナメントなどの出場資格(ツアーメンバー資格)ランキング獲得を目指す予選会。


小平智・星野英正・谷原秀人・近藤智弘・池田勇太各選手などがこのファイナルQTを経て現在ツアーで活躍していますから、若手の登竜門であると同時にシード復活を目指すベテランが鎬を削る戦いの場といえましょう。

ですから、グリーンは完全なるプロ仕様。

ボールの転がりを示すスティンブ・メーターの数値でも、11フィート以上はあったはず。

通常営業のコースは8~9フィート、私のメンバーコースは9.0~9.2と速い方ですが、それでも全く感覚が違いました。。

ちなみに昨日から開催されている
三井住友VISA太平洋マスターズトーナメントの会場で、日本屈指の高速グリーンとして有名な太平洋クラブ御殿場コースは、12.5~13.5フィート。

また毎年マスターズが開催され、〝ガラスの上でパットしているようだ〟と恐れられているオーガスタ・ナショナルの超高速グリーンは14~15フィート・・・もう素人の手には負えません。

※スティンプメーターやグリーンの速さに関しては、こちらをご覧いただければお分かりいただけるかと・・。(↓)


    https://www.mamejiten.com/golf/diary/S/019.htm


しかもその高速グリーンにはローラーもかけられていて、カッチカチ。

ただでさえ大きくてアンジュレーションも芝目もキツいグリーンの難度が数段上がっており、アマチュア・ゴルファーには辛い設定になっていました。

上の写真のホールでは、バック・ティー(青)からプレーした私はティーショットをミスしたものの残り200ヤードのセカンドを見事ナイスオン!

しかしボールはグリーン真ん中の斜面に当たって下の段に転げ落ち、約1mの段差を駆け上がる10m以上のパットが残ってしまい・・・予想通り(?)の3パットで、ガックリ・ボギー。

別角度からご覧いただければ、その段差がお分かりいただけるかと。

    


※一緒にラウンドした我が家の女王様は池ポチャ2回&4パットで〝10〟を叩き、撃沈。


私の場合メンバーコースならハーフ12~3のパット数で収まるのに、この日は〝寄らす・入らず〟の連続で17・17の34も叩き、パーすら容易に取れませんでした。


ラウンド途中、キャディーさんに

「このコンクリートみたいな高速グリーンで、QTのトップはどれくらいのスコア出したの?」

と聞いたら、

「え~と、4日間で20アンダーでしたョ。」

ですって。 青ティーより10~20ヤード後ろのチャンピオン・ティーでラウンドしてそんなスコアを出すとは。

でもそのトップ通過の選手でもレギュラー・ツアーのシード権がなかなか取れないんですから、
やっぱりプロのレベルは凄いですワ。


そのプロゴルフの世界でも、本場アメリカで毎年トップ30に入る活躍を続ける松山選手は、まさに異次元のモンスター!?

カネ払って心身共に打ちのめされ、疲弊した1日でした・・・トホホ。


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強制引退

スポーツ選手に、いつかは必ず訪れる〝引退〟。


体力の限界を悟り涙ながらに会見を開くトップアスリートの姿を、私たちはこれまで幾度となく見てきました。


しかし中には、こんな理由で引退した・・・というか、させられた人物も。


今からちょうど70年前の今日、その不本意な引退を強いられたのは


 前田山 英五郎 


戦後初めて角界の頂点に立った、第39代横綱その人でした。


        


1914(大正3)年に現在の愛媛県八幡浜市で12兄弟の末っ子として生まれた前田山関は、子供の頃から手が付けられない暴れん坊だったとか。


14歳の時に高砂部屋一行が当地を巡業で訪れた際、力士から 「メシが腹いっぱい食えるぞ」 と誘われたことで入門を決意し上京。


翌年、喜木山(きすきやま)の四股名で初土俵を踏みます。


身長180cm・体重125㎏に成長した彼は、闘志あふれる取り口と豪快な突っ張りで人気を博しましたが、特に目上の横綱にも遠慮なく繰り出す張り手の威力は凄まじく、後にプロレス入りした力道山と巡業中にトラブルとなった際、その張り手一発で気絶させたという伝説が残っています。


そして稽古中に負ったケガが元で右腕切断寸前まで悪化したところを、慶大病院の前田博士の執刀により奇跡的に回復。


その恩義に報いるため、四股名を〝前田山〟に改名。

(下の名前・英五郎は群馬の侠客・大前田英五郎から取ったとか。 命の恩人と博徒の名をくっつけるあたりが、この人らしい・・・?)


ところが四股名を変えた後も大酒を飲んでは大暴れを繰り返し、部屋を破門になったことも。


しかし国士・頭山満氏に諭されたことで改心した後は、トントン拍子。1937年には関脇を飛び越えて大関に昇進。


その後9年半・18場所その地位を守りました。


そして1947年、大相撲史上初の優勝決定戦に出たことを評価され、戦後初の横綱昇進を果たしました。


ただし受け取った横綱免許には、普段の素行から 「粗暴の振る舞い之ありし時には自責仕る可く候」 という異例の但し書きがついていたとか。

まるでその後の〝悲劇〟を予見していたかのようです。


33歳という年齢だったこともあり横綱昇進後は休場が多く、1949年の大阪場所では初日力道山に勝った後は5連敗。


前田山関は腸カタルの診断書を協会に提出して休場。


治療のためと称して東京に戻ったのですが・・・その当日夜、後楽園球場で行われていたサンフランシスコ・シールズ対巨人の日米野球の観戦に出かけ、カメラマンの求めに応じグラウンドに降りてオドール監督と握手した写真が翌日の新聞に掲載されてしまいました。

    


もともと、同時入幕した鯱ノ里と〝前鯱チーム〟という野球チームを作る程の野球好きでしたが、それが災いした形。


当然のことながら、「休場中に不謹慎極まりない」 という大バッシングが巻き起こり、慌てた前田山関は急遽帰阪し出場を懇願しましたが、協会は聞き入れず・・・10月23日、半ば強制的に引退させられてしまいました。ダメだぁ顔


横綱在位たった6場所、しかもその間の戦績は24勝27敗25休・・・大相撲史上唯一横綱で負け越しという不名誉な記録を残して。


しかし悔い改めたのか、彼は引退後相撲界に貢献します。


高砂親方として後進を指導し、横綱・朝潮や大関・前の山を育て上げましたが、特筆すべきは角界初の外人力士・高見山を見出したこと。


そのきっかけは1951年に親方が力士たちを帯同して渡米し大相撲を紹介したことなのですが・・・実はこれ、先の〝シールズ事件〟で強制引退させられた親方に同情したGHQの計らいで実現したそうですから、何が幸運をもたらすか分かりません。


その実績をもとに、1962年大相撲初の海外巡業がハワイで行われ、その際にスカウトしたのがジェシー・クハウルア少年・・・未来の高見山関だったというわけ。

 ※高見山関に関する過去記事は、こちら。(↓)



その高見山が文化の壁を乗り越え、必死に稽古した末に1972年に幕内初優勝を果たすのですが、高砂親方はその前年57歳で他界。


残念ながら愛弟子の晴れ姿をその目で見ることは出来ませんでした。


親方が先鞭をつけた外人力士の数はその後増える一方ですが、その1人で彼の曾孫弟子にあたるモンゴル人横綱・朝青龍が診断書を添えて巡業の欠席届を提出しておきながら、地元モンゴルでサッカーに興じたことが発覚して出場停止を食らい、揚句に酒に酔って一般人に暴行を働いたことで半ば強制的に引退させられた騒動を、親方は草葉の陰からどんな思いで眺めていたのでしょう?


歴史は繰り返すというか、因果は回る糸車というか・・・ただ苦笑いしていただけかもしれませんネ。うー


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日本代表

昨夜行われた〝運命の一戦〟、

 ラグビーワールドカップ2019

準々決勝の日本対南アフリカ戦は、残念ながら3-26で日本が破れ、夢の準決勝進出はなりませんでした。

    

しかし戦前の予想を大きく上回って、世界ランキング上位のスコットランドやアイルランドを撃破し、予選リーグ全勝で初の決勝トーナメント進出を果たしたことは、天晴れの一言。

2015年のワールドカップ予選で優勝候補の一角だった南アフリカを破る奇跡を起こして世界中を驚かせた日本代表は、それが決してフロックではなかったことを証明してくれました。

現に今回は最初から本気モードの南アフリカに対し、少なくとも前半は3-5とほぼ互角の戦いを展開してくれましたから。

そして4年前に突然注目されたラグビーの人気が、今回の決勝進出で定着したことは間違いないでしょう。

ラグビーを全く知らないウチの女王様でさえ、「あのさくらジャージ、私も欲しいワ」なんて口走ったくらいですから。

選手だけでなく監督・コーチ・スタッフの皆さん、本当にお疲れ様。
そして感動をありがとう!

    

でも残念ながら一部(左翼メディア)には、「外国人が多数メンバーに入っているチームは日本代表とは言えないのでは?」などと揶揄する向きもありました。

確かにラグヒーの場合は他のスポーツとは違い、国籍が日本でなくても代表メンバーに入れます。

しかし彼らは合宿で 『君が代』 の意味を勉強し、歌詞を憶えて試合前には肩を組んで斉唱し、日本のために戦っているのです。

    

           2015年W杯前の合宿での勉強風景

昨夜の試合でも、一部の選手が目を潤ませながら歌っていました。

残念ながらプロ野球を含め他のスポーツでこういうシーンを見た記憶、私にはありません。

国歌や国旗を否定したり尊重しない日本人より、彼らの方が遥かに日本代表に相応しい・・・と私は思います。

4年後のワールドカップでは、試合後悔し涙を流した彼らが今回以上の成績を挙げてくれることを願いつつ、今後もラグビー日本代表を応援したいと思います。




それにしても、普段日の丸や君が代を否定しているくせに、オリンピックやワールドカップなどが行われている期間はダンマリを決め込む左翼の面々の姑息さには、本当に腹が立ちますワ。

自分たちが正しいと思うなら、試合が行われるスタジアムの前でその主張を堂々としてみなさいナ。


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(プロ)ゴルフの世界には、

Driver is show, putt is money.

という言葉があります。

つまりいくらドライバーショットを飛ばしても、パットが入らなければ勝てない・・・と言う意味。

確かに300ヤードのビッグ・ドライブも1mのパットも同じ一打。
スコアをまとめるためには、パットを入れることが必須。

故にプロゴルファーの場合、練習時間の半分以上をパッティングに費やすのだそうな。

そしてその練習で様々な工夫をしたり器具を用いる選手が殆どなのですが、最近ゴルフ専門チャンネルでトーナメント中継を観戦していると、多くの選手が練習グリーンに何やら板のようなものを置いてパッティングしている様子が画面に登場します。

松山選手も、こんな感じで・・・。

       

一体、あれはナニ? と思って調べてみたら、何とそれは鏡。

ラインが何本か引かれた鏡の上でストロークすることで、自分の目の位置やパターがまっすぐストロークできているか確認できる優れモノなのだそうな。

多くのプロが採用しているなら、アマチュアにも役立つはず・・・ということで、早速ネットで調べてみました。

たかが鏡1枚ではありますが、価格は上は5,000円近くから下は千円台まで様々。

品質に価格程の差はあるまい・・・ってことで、セコい私は安い千円台のこちらを注文。


       


入手して早速自宅のバター練習マットの上に置いて試してみました。

驚いたのは、自分がこれまで思っていたのと実際の目の位置が少なからず違っていたこと。

この練習器具の売り文句は、「コレを使うことによって、左目の真下にボールが来ているかどうかが確認できる。」

実は私自身それを意識していて、そうなっている・・・と思い込んでいたのですが、いざ構えてみると私の左目はボールの右側にバッチリ映っていたんです。

つまり実際のボールの位置は左目の真下ではなく、左外側にズレていたってこと。

頭と体の位置をずらしてボールの真上に左目を持ってくると、かなり違和感がありました。

必ずしもボールを左目の真下に置くことが正しいと言うわけではないですし、左目・右目ともボールの打ち出しライン(黒線)状にありましたから、今後フォームを変えるかどうかは分かりませんが、少なくとも自分の感覚と実際のフォームに違いがあることは確認できました。

    


以前記事にしたスマホでスロー録画してスイング・チェックするのと同様、こういう器具を使うことはやはり有効だと思います。

普段洗面所の鏡で自分の顔など殆ど見ない私ですが、こちらの鏡は毎日覗き込むことになりそう。


千円ちょっとでパターの入りが良くなれば安いものですが・・・人間の身体って、ホント自分の思った通りに動いてませんワ。

それにしても、こういう器具を発明する人は、エライ!




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感 触

今年2月から17年ぶりにゴルフを再開してから半年・・・おかげさまでスコアも昔と同じ、というより大叩きがなくなった分平均ストロークはむしろ良くなりました。

主たる原因は、情けないことながら加齢と共に筋力が衰えて飛距離が落ちた分、ボールが曲がってもOBまで行かなくなったこと。

そしてスコアメイクのキーポイントであるアブローチの失敗が少なくなったから。

それには、ひとつの大きな理由があります。

以前、拙ブログで私が昔のギアを使って酷い目に遭ったり驚いたことを記事にしました。(↓)


やはりゴルフギアは日々進化していますから、新しいものを使うに越したことはない・・・ってことで、ゴルフ再開時にクラブを買い替えました。

そして現在使用しているクラブセットは、こちら。(↓)

       

パッと見、アイアンの中に1本だけ色の違うクラブが入っているのがお分かりいただけますでしょうか?

クラブを買い替えた際、同時にアブローチショットで多用するウェッジもロフト角50度・54度・58度と4度刻みで3本買い替えたのですが、そのうちの1本・58度を昔使っていたウェッジに戻したんです。

主としてバンカーやグリーン周りで使用するクラブなのですが、新しいクラブがどうもしっくりこなかったから。

一見して年代物とわかるウェッジは、約20年前に購入したもの。

クラブヘッドを通常のようにメッキせず軟鉄のまま(ノーメッキ)にすることで、ボールの打感が柔らかくなる・・・という触れ込みで、一時期流行ったウェッジ。

現在ではもう中古クラブショップの店頭でも目にすることはまずない骨董品(?)ですが、この焦げ茶色はほったらかしにして錆びたのではなく、ガンブルーという黒錆をわざと発生させる溶液を自分で塗って出したもの。

一昔・・・いや二昔前のクラブをダメ元で物置から引っ張りだして試しに使ってみたら、これが意外に好感触。

昔はあまり感じなかったのですが、改めて使うと本当に新しいクラブより打感がソフトで手に馴染むのです。


同じメーカーなのに、どうしてこうも感触が違うのか?


試しにドリルで新しいクラブに穴を開けたりして古いクラブと同じ重量・バランスに調整し再度使い比べて見ましたが、やはり軍配は古いクラブに・・・。


    

科学的な数値より、見た目の色や打感の柔らかさという手の感覚・視覚が勝り、再採用・・・新しいクラブはお蔵入りとなりました。

ゴルフクラブに限らず、野球のバットやテニスラケット・・・また包丁や工具などでも、同じ製品でスペックが同じでも使いやすさや手の馴染み感が微妙に違うことって、皆さんにも経験があるのでは?

やはり新しくても不安感があるものより、古くてもシックリくる道具を使った方が良い結果を出せるようです。

今後もこの骨董品のようなウェッジ、時々ガンブルーを塗り直しながら使い続けることになりそう。


    


ただ、ひとつだけ心配な事が。


それはフルショットした時に、接着剤が劣化してヘッドがスッポ抜けないかどうか。

過去に3番アイアンをフルスイングしたら、ボールとクラブヘッドが同時にすっ飛んだ経験があるだけに・・・。

えっ、じゃあ一度シャフトを抜いて接着し直せばいいだろうって?

いやぁ、それをやったら今の好感触が無くなりそうで、怖いです。


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引 分

今年も熱戦が繰り広げられる夏の甲子園・・・全国高等学校野球選手権。


皆さんには、思い出深い試合があることでしょう。


もちろん私にも何試合かありますが、その中で最も古い試合は今からちょうど50年前の今日・1969(昭和44)年8月18日に行われた、


 松山商 vs 三沢


の決勝戦。


当時小学生だった私は、夏休み中毎日神社の境内で野球に没頭。


この日もいつも通り友達数人と午後2時に集まる約束をしていたのですが、時間になっても境内に来たのは自分だけ・・・結局1時間程待っても誰一人姿を現さないことに腹を立てた私は、自転車で帰宅。


そしてテレビをつけた瞬間に、皆が来なかった理由が分かりました。


三沢・太田幸司、松山商・井上明両投手の息詰まる投手戦が繰り広げられており、既に試合は延長戦に突入していたのです。


結局試合は18回・0-0 で引き分け。


(両校とも優勝させてあげればいいのに・・・。)


子供心にそう思ったことを覚えています。


        


翌日の再試合の結果は4-2で松山商が勝利。 


残念ながら優勝旗が初めて東北地方にもたらされることはありませんでした。


(不思議なことに、再試合は最初から見ていたにも関わらず、試合経過は全く覚えていません。)冷や汗


しかし準々決勝から一人で投げ抜いた太田投手は日露ハーフの端正な顔立ちも相まって、〝悲劇のエース〟として国民的アイドルとなりました。

       


おそらく高校球児がアイドルの如く扱われた、最初のケースではなかったでしょうか?


その後はドラフト1位指名で近鉄バッファローズに入団、初年度は殆ど実績がないにも関わらずオールスター人気投票で圧倒的第1位を獲得するなど〝コーちゃんフィーバー〟がしばらく続いたものです。


ところでこの試合・・・三沢高校がもう殆ど優勝旗を手中に収めた、と思われるシーンがあったのです。


延長15回のウラ、三沢は一死満塁のチャンスを迎え、しかもカウントは0-3。


もう1球ボールを投げたら押し出しサヨナラの場面、ひとつストライクを取った後に井上投手の投げた緩い球は低く、ボールに見えたのですが・・・郷司主審の判定はストライク。


試合後 「あれはボールだった」 と、マスコミが騒ぎ立てました。


明治大学に進学して主将を務め、ノンプロを経て朝日新聞記者になった井上投手は、後年明治大学の先輩・ 郷司さんと面談する機会があった際、こう尋ねられたそうです。

「あの一球、どうだったかな?」


そう問われた井上氏が 「低めのストライクです。」 と答えると、郷司氏は照れたようなホッとした表情を浮かべたのだとか。

        

                松山商・井上明投手


夏の甲子園では通算13回も決勝戦の主審を務めたアマ球界の名審判・郷司さんも、さすがにその判定を気にしていらしたのでしょうネ。


残念ながら郷司さんは13年前に鬼籍に入られており、再び当時の話を直接聞くことは叶いません。

が、もしあの時 「ボール!」 と判定していたなら・・・優勝旗は東北・青森県に届いた反面、太田投手の爆発的人気とパ・リーグへの貢献はなかったかもしれません。

まさに、〝野球は筋書きのないドラマ〟ですネ。


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