FC2ブログ
生 体

〝臓器移植〟は、今や一般的に認知されている医療技術。

我が国における心臓移植は、1968年に札幌医科大学の和田寿郎教授によって行われたことは、以前拙ブログにて記事にしました。(↓)



同記事に書いた通り、この移植手術に関しては後日様々な疑惑が噴出し告発に至ったこともあり、日本国内では脳死判定基準が問題になりました。

また1984年には筑波大学の深尾立教授が脳死判定による膵臓・腎臓の同時移植を行いましたが、患者が死亡したことで執刀医らが殺人罪で告発されたことも・・・。

この脳死判定について明確な基準を示した
脳死臓器移植法が施行されたのは1997年になってからであり、それまで日本の臓器移植技術は大きく世界に後れを遅れを取ったといわれています。

しかし、この脳死判定とは関係なく行える臓器移植があります。 


その健常人の部分肝臓を用いる


生体肝移植

が日本で初めて(世界で4例目)行われたのが、今からちょうど30年前の今日・1989(平成元)年11月13日のことでした。

執刀したのは、島根医科大学(現・島根大学医学部)の永末直文助教授。(1942-)

死体からの肝移植が世界で初めてアメリカで行われたのは、1963年。 (日本で初めて行われたのは、翌1964年。)

そして生体肝移植が初めてブラジルで行われたのは、それから25年後の1988年でした。

つまり日本では、その翌年に行われたことになります。

この時は肝移植を学ぶためスウェーデンに留学経験がある永末助教授が、先天性の胆道閉鎖症に苦しむ1歳の杉本裕弥ちゃんに、父親の肝臓1/5を切除し移植したものでした。


       

                          永末助教授と裕弥ちゃん


この日、まだ手術中の段階でNHKが日本初の生体肝移植手術が行われていることを報じ、以後メディアの報道は過熱。

無事手術は成功しましたが、その後島根医大や永末教授は連日記者会見を開き、裕弥ちゃんの病状と父親の回復状況などを公表する羽目に。

しかしこれがそれまで閉鎖的だった医学界の現状打破のキッカケになったともいえます。


残念ながら裕弥ちゃんは元々病状が重かったこともあり、術後285日後の翌年11月3日に息を引き取りました。

しかし彼の存命中だった1990年8月に京都大学で2例目の生体肝移植が行われ、以降全国に術例は広まり、現在では移植患者の1年以上生存率は80%を超えているとか。


日本の肝移植は現在のところ、生体肝移植が中心で行われています。(↓)

 


2017末までに成人・小児を合わせた総移植数は9,242例あり、初回移植8,936、再移植291、再々移植は15例。


死体移植は各364・74・9例、生体移植が各8,572・217・6例。

圧倒的に生体肝移植が多く、年間約400例の生体肝移植が日本で行われている計算になります。


死体移植が少ないのは、臓器移植を届け出るドナー数が少ないこと。

2015年まで
日本の提供数315件に対し、アメリカはその80倍近い24,980件だったそうですから、その差は歴然。

「でも生体肝移植できれば、それでいいじゃない。」


と仰る方もいるでしょうが、身体にメスを入れるドナーにも負担がかかるデメリットはあります。

日本人には欧米人と違う死生観・倫理観がありますのでそう簡単にはいかないでしょうが、肝臓だけでなく心臓や他の臓器・角膜など、それを必要としている患者さんの数が圧倒的にドナー登録者数を上回っている現状も認知していただきたく・・・。

もっとも、息子・太郎氏から生体肝移植を受けて生き長らえながら反日発言を繰り返す河野洋平(敢えて敬称略)の醜態を見ると、私は腹立たしくて仕方ないですが。
うー


              人気ブログランキング

スポンサーサイト



証 明

皆さんは、20世紀最高の物理学者アルベルト・アインシュタインの名をご存知だと思います。

そして彼が唱えた最も有名な学説が〝相対性理論〟であることも。


        


これには彼が1905年に発表した特殊相対性理論と1915~16年にかけて複数の論文で発表した一般相対性理論の2つがあります。

※アインシュタイン及び相対性理論に関する過去記事は、こちら。(↓)



ところが、この一般相対性理論を彼が発表した時はちょうど第一次世界大戦の真っ最中だったため、ドイツで発表されたこの画期的な理論は世界的に知られることはありませんでした。

しかし今からちょうど100年前の今日、その一般相対性理論が正しかったことが証明され、世界中がこの話題で持ち切りに。

その証明を行ったのは、前述の過去記事にも書いた通りアインシュタインではなく、別人。 

それはイギリスが生んだ天体物理学者、


 サー・アーサー・スタンレー・エディントン (1882-1944)


Sir Arthur Stanley Eddington


        


2歳の時に学校の校長をしていた父親を亡くしたエディントンは、姉2人と貧しい母子家庭で育ちましたが、非常に聡明な子供でした。

1898年に奨学金を得て16歳の時にマンチェスター大学オーウェンズ・カレッジに入学し物理学を専攻した彼は、1902年に特優の成績で理学士の学位を得て卒業。

更に奨学金を得てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに進学し1905年に卒業したものの、その後は熱電子放流や数学の分野に進んだものの、芳しい成果は出せませんでした。

しかし大学を離れ王立グリニッジ天文台々長の助手長職を得たことが、彼の運命を大きく変えることに。


1907年に2つの星の見かけの移動量に基づいた新しい統計的手法を編み出して 『スミス賞』 を獲得した彼は、その功績によってトリニティ・カレッジの特別研究員に。

更に1904年にはケンブリッジ天文台々長に指名され、王立協会会員にも推挙されるなど、トントン拍子に出世。

第一次世界大戦中は、彼が科学分野における重要な科学者であると仲間が軍にかけあったため、兵役を免除されてもいます。

まさに芸は身を助けた形ですが、その彼が大戦終了後の1919年5月29日・・・アフリカ・プリンシペ島で日食を観測。


       


<

太陽付近に見える恒星の写真を撮影し、本来の位置から僅かにズレがあることを突き止めたのです。


これによって一般相対性理論で唱えられた〝重力レンズ効果〟即ち太陽の重力場で光線が曲げられることが証明されたのです。

    

この結果が新聞報道されたことで、一般性理論はアインシュタインの母国ドイツだけでなく英語圏でも紹介され広く知られるように。

その時の報道で、〝相対性理論を理解してるのは世界で3人だけ〟などと報じられ、それを聞いたエディントンが

「はて、(アインシュタインと自分以外の)3人目は誰なんだろう?」

と冗談交じりに答えたとか。

そんな彼はその後相対論の講義を平易な言葉で行うと同時に、講義の内容を 『相対論の数学的理論』 という著書にまとめ、アインシュタインから

「このテーマについてあらゆる言語で書かれた本の中で最も素晴らしい解説書」

というお墨付きをもらっています。

    

            アインシュタイン(左)とエディントン

しかし一方で、やはりアインシュタインが一般相対性理論の中で唱えた〝ブラックホールの存在〟に関し、1930年にインドから来た留学生がその存在を理論的に指摘した際、彼はそれをロクに検討せず頭ごなしに否定。

そのためその留学生の指摘は日の目を見ることなく、ブラックホールの研究が1960年代に入るまで行われなかった、という負の遺産も残してしまいましたが。

こういう話を聞くと、いかに優秀な科学者も神様ではないし、下手な権威付けは時として文明や化学の進化にとって足かせになることが分かりますネ。
うー


              人気ブログランキング 

露 光

現在は、誰もが携帯電話やスマホで気軽に日々写真を撮影し、それをSNS上にアップし楽しむ時代ですが、その昔はカメラで撮影するものでした。

そのカメラも時代と共に進化してきましたが、初めて実用的なカメラが完成したのは、今からちょうど180年前の今日でした。

発明したのは、


 ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール

 Louis Jacques Mandé Daguerre


という、フランスの画家。

       


1787年に生まれたダゲールは、フランス初のパノラマ(回転)画家だったピエール・プレボに弟子入りし、パノラマ画や建築技術を学びました。

1822年には照明効果を駆使して像が動いているように見せるジオラマの劇場をパリに造り、人気を博したとか。

その彼が写真を発明するきっかけとなったのは、彼よりも先に写真技術の研究を始めていた発明家ニセフォール・ニエプスと出会ったこと。

彼と共同で研究を進めたダゲールは、1824年に最初の写真術であるヘリオグラフィーを発明しました・・・が、これは露光に8時間も要するという、非実用的な代物。

その後1833年にニエプスが亡くなった後もダゲールは露光時間を短縮するべく研究を続行。

そして1839年3月19日に、露光時間を10~20分に短縮した銀板写真の発明に成功しました。

このカメラは彼の名を取って〝ダゲレオ・タイプ〟と呼ばれ、フランスの代表的科学者フランソワ・アラゴのアドバイスでその特許権を終身年金を受け取る条件でフランス政府に売却。

そしてフランス政府がその技術を公開したおかげで、この画期的なカメラ技術は世界に広まりました。

       


           1839年製のダゲレオタイプ・カメラ

最終的に露光時間は1~2分に短縮されたそうですが、この銀板写真は複製ができなかったため、主として風景撮影や肖像写真に利用されました。

冒頭のダゲールの肖像写真も、このダゲレオタイプで撮影したもの。

また日本で初めて1857年に撮影された島津斉彬公の肖像写真も、このダゲレオ・タイプで撮影されています。


※その島津公の写真に関する過去記事は、こちら。(↓




この写真技術は、それまで活躍していた肖像画家の収入を脅かしたわけですが、反面科学者にとってはその実験結果などを証拠画像として正確に残してくれる画期的な発明だったとも言えます。

画家としてよりカメラにその名を歴史に残したダゲールですが、現在の銀板はおろかフィルムを使わないデジタルカメラを見せられたら、一体どんな反応をするんでしょうネ?
笑2



               人気ブログランキング 

加減乗除

皆さんは、普段計算する時に何を使っていらっしゃいますか?


私が小学生の頃は、そろばんでした。 


今でも店先で、大きなソロバンをはじいているご年配の方も稀に見かけますが・・・殆どの方は 電卓を使っているでしょうし、最近は携帯電話やスマホを使っている方が多いようですネ。


電子式卓上計算機


これを略して〝電卓〟と言いますが、この単語は正式名称として認定されているんですョ。


世界初の電卓はイギリスで1962年に真空管を使ったモノが発表されていましたが、その2年後・・・今から55年前の今日・1964(昭和39)年3月18日に、早川電機(現・シャープ)が世界初の商用化製品としてオールトランジスタ電卓CS-10Aを発表したのです。

(※同日にソニーも電卓開発を発表していますが、こちらは試作品段階でした。)


           
                  
早川電機 CS-10A


同年6月に発売されたこの電卓は20桁もあり、それまでの電動式のものに比べて計算速度が早く、騒音・振動がないのが特徴だったそうです。


とは言え、加減乗除の四則・・・すなわち [+・-・×・÷] しか出来ないのに重量が25kg もあり、しかもその価格が535,000円!


当時は乗用車1台が買えるお値段だったとか。驚き顔    


    


さすがにこんな高価な電卓を個人で買った人は殆どいなかったでしょうが、それでも人気を博したそうな。

その後の開発競争は凄まじく、トランジスタ → IC → LSI へと半導体の発展とともに軽量・小型化、低価格化が急速に進みました。


1970年前後には〝電卓戦争〟なんて呼ばれた時期もありましたが、中でも画期的だったのは、同じカシオが1972年に発売した『カシオミニ』。

サイズは従来製品の1/4以下で、価格1/3以下12,800円。

当時流行っていたボウリングの計算用に開発されたこの製品は 「答え一発、カシオミニ」 のCM効果も相まって大人気を博し、発売後10ヶ月で100万台を販売。


多くのメーカーが市場から撤退する程のインパクトがありました。


        カシオミニ


電卓が正式名称になった、今からちょうど40年前の1979年・・・私が大学生時代に野球でブラジルに遠征した際には、手土産で持って行った乾電池式の電卓が非常に喜ばれたことをよく憶えています。笑2


また、クレジットカードと同じ大きさの極薄電卓を見た時は、「とうとうここまで来たか」と、本当に驚いたものです。


現在は用途に合わせて関数計算や分数計算が出来るものなど、様々な電卓が出回っています。


確かにそれらが便利なツールであることは間違いないのですが。子供の頃 「ご破算で願いましてぇは~・・・」 なんて、そろばん教室に通ってパチパチやっていた頃の方が、はるかに脳ミソを使っていたように感じるのは、私だけ?

現に麻雀の点数計算を暗算でスラスラ出来たのは、そろばんを習っていたから。


「利便性が増す程、人間の能力は退化する」 というのが私の持論ですが、やはり子供の頃は敢えてそろばん使わせた方が良いのかも・・・。



                人気ブログランキング 

星 空

私の郷里は田舎の信州ですが、それでも昭和40年代の子供時代に戸隠高原でキャンプした時に夜空を見上げた時には、あまりの星の多さに息を呑みました。

そして大人になってからは、アメリカ・アリゾナ州の山中で見た星空も忘れられません。

そんな満天の星空をもう一度観たいものですが、ただそれだけのため海や山に行くのはシンドい・・・と言う場合に、昼間でも夜空が楽しめるのは


 プラネタリウム

    planetarium

ですネ。 この施設が日本で初めてオープンしたのは意外(?)に古く、今から82年前の今日のことでした。


〝プラネット(惑星)〟と〝~アリウム(繋がっている物・場所)〟の合成語である、この光を投影してスクリーンに星空を再現する装置が初めて作られたのは、1933年。

ドイツ・ハイデルベルクにあったバーデン天文台の主任研究員マックス・ヴォルフらが天体運行を再現して説明を行うためにカール・ツァイス社に依頼して製作された、『ツァイスⅠ型』がそれ。

       


同機は、4,500個の恒星と5個の惑星の運行を再現できたとか。


そして日本初(アジアでも初)のプラネタリウムは、1937(昭和12)年3月13日に大阪市立電気科学館(後の大阪市立科学館)の6階に開場・設置された、同社が改良・製作した 『ツァイスⅡ型』 。

同館は当時の大阪市電氣局(現・関西電力、大阪交通局)のPR施設として建設された近代的な建築物で、このプラネタリウムは目玉展示物として作られました。

       

       
大阪市立科学館に展示されていている『ツァイスⅡ型』


国産初のプラネタリウムは、1957(昭和32)年に千代田光学精工(後のコニカミノルタ)社が製作し、その翌年に甲子園阪神パークで開催された科学大博覧会に展示されたもの。

その後技術的な改良が加えられ続け、2012年に開館した東京・多摩六都科学館のプラネタリウム(五島光学研究所製)は世界最多の1億4千万個の恒星を再現できるとか。

一体どんな星空に見えるんでしょうネ?

日本には現在400ヶ所(アメリカ1,500、ヨーロッパ500)あるそうですから、皆さんも1回くらいは見学に行かれたことがあるのではないでしょうか?

私は学生時代に1度行きましたが、途中で熟睡してしまい星空の記憶が全く残っていません。
あせあせ

しかし当時は単純に光の点が静かに動くだけでしたが、最近のプラネタリウムはLEDや音響を駆使した非常に面白い内容だそうな。

都心でもこの最新のプラネタリウムで星空を楽しむことができます。

池袋サンシャシンシティの 『満天』 と東京スカイツリーにある 『天空』 が、ソレ。

『満天』 は2015年12月に最新鋭機の〝 Infinium Σ〟を導入。(↓)


       


また 『天空』 は光学とデジタルのプラネタリウムを組み合わせた〝Geministar III 〟を採用。


素晴らしい星空を映し出すと同時に、特に『満天』には通常の椅子席以外に、芝シートやこんなベッドタイプの雲シートが。

       

いかがですか? ご夫婦や親子、またカップルでこんなフワフワシートに寝っ転がりながら星空を眺めるのは・・・。

是非一度お出かけになってみてください。


不眠症の方もぐっすり寝られるかも・・・って、上映時間は1時間ですが。

あっ、ここでうっかり寝ちゃったら、夜はますます寝られなくなる?うー


               人気ブログランキング 

打 上

正月早々、景気のいい話題を作りたがるのは、どこの国も同じ・・・ってことで、今からちょうど60年前の今日・1959年1月2日、旧ソ連が人類初の月探査ロケット

 
ルナ1号

Luna


の打ち上げに成功しました。


1957年にスプートニク1号で人工衛星の打ち上げに成功したソ連は、対米戦略上必要不可欠であり国威高揚に利用すべく、更なる宇宙開発に着手。


有人宇宙飛行を目指す過程で、無人探査機を打ち上げて月面に衝突・着陸される 『ルナ計画』 を立案。


人工衛星打ち上げで後塵を拝したアメリカも、1958年にNASA(米航空宇宙局)を設立し、同様の惑星探査を目的とした 『パイオニア計画』 で追随。


しかし両陣営とも焦っていたのでしょうか、1958年秋から冬にかけてソ連は3回、アメリカは4回も連続して打ち上げに失敗。


明けて1959年の元日に、ソ連のフルシチョフ書記長が新年のスピーチで 「今年の内に月へ衛星を到達させてみせる」 と豪語。


すぐその翌日に打ち上げられたのが、〝ルナ1号〟だったのです。


直径80cmの球形で4本のアンテナと1本の磁気感応コイルなどが突き出た、重さ約360kgの衛星は無事宇宙空間へ。


        


しかしこの衛星は発射時に生じた誤差のため、残念ながら予定していた月面への衝突は果たせず、月から6,000km離れた地点をかすめて飛行を続け・・・結果的には、そのまま地球と火星の間の太陽周回軌道上を飛行する世界初の人工衛星となり、現在も飛び続けているそうな。

面白いのは、この衛星にナトリウムを積み込み、地球から11,000km離れたところから噴射・・・地球からはオレンジ色のガスとなって観測されたとか。


まるで宇宙空間におけるブルーインパルスの曲芸飛行・・・これをアメリカのエンジニアが観測していたら、さぞ悔しかったことでしょうネ。


       

                 
こんな感じ?


 ソ連は同年9月にルナ2号を月面・静かの海への衛星衝突に成功。


それから僅か3週間後に打ち上げられた3号は、世界で初めて月の裏側の撮影に成功。

そして1961年4月にはボストーク1号に乗り込んだガガーリン少佐が宇宙飛行に成功・・・と、宇宙開発競争では、当初アメリカをリード。


ただ人類初の月面着陸成功という一番オイシイところは、1969年7月にアポロ11号を打ち上げたアメリカに持っていかれましたが・・・。

その後1975年のアポロ・ソユーズの米ソ共同計画が実行されるまで、両国は宇宙開発に鎬を削ることになったのです。


しかし両国が当初宇宙開発に力を入れたのは、宇宙空間あるいは月面での核実験を画策したから・・・本当のところ、我々は手放しで技術進歩を喜ぶ場合ではなかったのかも。ダメだぁ顔


21世紀に入ってから莫大な経費の掛かる宇宙開発は行われなくなりましたが、それは人類にとって却って良い事なのかもしれません。


              人気ブログランキング 

生 命

今から51年前の今日・1967年12月3日・・・世界初の画期的な手術が行われました。 それは、

 心臓移植


この手術に関しては、拙ブログでも3年前に記事にしております。(↓)



この記事でお分かりのように、医療技術がトップクラスなのにも関わらず、日本における心臓移植手術は世界から大きく後れをとっているのが実態。

その主因としてはドナーの絶対的な不足が挙げられますが、その背景には日本人独特の宗教観・倫理観・死生観があると思われます。

しかし自分や家族がもし脳死状態になったら、あるいは逆に移植を受けないと助からない状況に追い込まれたら・・・総論と各論に違いが出てくるかもしれません。

そんな心臓移植問題に関する究極の事例が、以前病院を舞台にしたアメリカの人気ドラマ・シリーズ


 グレイズ・アナトミー


  GREY'S ANATOMY


で描かれていました。


ある日、救急車で交通事故に遭った瀕死の女性が運びこまれます


救急病棟の入口で待ち構えていた看護師は、彼女の顔を見て愕然。

「この人、ウチの病院で心臓移植を待っている患者さんの娘さんじゃないか!」


残念ながら彼女は脳死状態。 主治医は、入院中の父親の元へ。


「大変辛いお知らせですが・・・お嬢さんは先程交通事故に遭われて、現在人工心肺装置で延命措置を施している状態です。」


信じられない、という表情で医師を見つめるだけの父親に、主治医は続けます。


「お嬢さんは、生前に臓器提供の意思を示されていました。

あなたとは肉親関係ですので適合性に問題はありません。

お嬢さんの心臓での移植手術をなさっては如何でしょう?」


さて、もし皆さんが父親の立場だったら、どうしますか?


 ① 生命維持装置をはずすことを拒否し、奇跡を待つ。

 ② 自分ヘの心臓移植に合意する。

 ③ 自分ではなく、第三者への移植を申し出る。


    


当初、この父親は 「娘の心臓をもらって生き永らえるなんて、耐えられない。」 と移植を拒否、第三者への移植を申し出ました。


その一部始終を見ていた若い研修医 () が口を開きます。


「私には子供がいないので、親の気持ちは分かりません。

でも、子供の気持ちは分かります。


お嬢さんは、今日まで貴方を救おうと一生懸命でした。

こうなったことは不本意だったでしょうが、今この状況だったらきっとお父さんへの心臓移植を望むでしょう。


私は父を亡くしましたが、父の命を救うためならきっと心臓を差し出します。」


それを聞いた父親は、最終的に自分への移植に同意するのですが・・・。


命とは何か? 命をつなぐとはどういうことなのか?

子供の臓器で生きる親の気持ちは?

第三者への提供を優先すべきなのか?

 

先月末に拙ブログで取り上げた安楽死もそうですが、脳死を含め臓器移植も医学・倫理・当事者心理上、本当に難しい問題です。

              人気ブログランキング

異 説

1日早いですが、明日・9月24日は

 中秋の名月

です。 これは太陰太陽暦(月の満ち欠けの繰り返しで成り立つ〝太陰暦〟を基にした暦)の8月15日の夜に見える月のこと。

中秋の名月=満月だと思っている方も多いと思いますが、必ずしもそうではなく、今年満月になるのは明後日の25日なのだそうな。


ですので、もし明日雲に隠れて見えなくても、もう1日チャンスがあります。
笑2

       

さて、その月に関してですが・・・皆さんは、この天体が天然物ではなく地球外生命体すなわちエイリアンが作って運んできた人工物だ、とする説があるのをご存知でしょうか?


これは決して素人の妄想ではなく、1970年7月にソ連政府機関の研究員だったミハエル・バシンとアレクサンドル・シェルバコフの2人が、雑誌 『スプートニク』 に発表した、歴とした学説。

彼らは最も深いクレーターのデータから、月は表層部が4kmと算出し、月の中が空洞であると唱えており、物理学上、空洞の天体は存在しないから、月は人工的に作られたものだと結論付けているのです。


        


更に彼らは、月の内部にはエンジンをつけた宇宙船があり、その存在を隠すために天体の外装でカムフラージュしている、と。

この一見突飛な学説が発表されると、アメリカを含む世界中から同調する学者が少なからず手を挙げたとか。

その根拠としては、

◆アメリカ・NASAの発表によれば、月の砂に含まれる主な元素は地球とは異質なクロム・チタン・ジルコノウムで、これらは巨大な人工衛星を強い放射線や隕石衝突など厳しい外的要因から保護するために必要な物質であること。

◆月にあるクレーターが隕石の衝突で出来たとするなら、その底辺が平らであるのはもちろん、突起物があるのは説明つかない。

    

◆アポロ11号が月面着陸に成功する3年前の1966年11月、その着陸地点を探るべく打ち上げられたルナ・オービター2号が撮影した月面写真の中には、いくつか人工的建造物と思われるものが確認された。

その最たる例は、アポロ11号が着陸した〝静かの海〟から僅か300km離れた地点に確認された鋭利な突起物。

    


これは15階建てビルに匹敵する高さがあり、水も空気もない月面で自然にできたとは考えられないし、またエジプトの古代遺跡にある精巧な象形文字が彫り込まれた〝オベリスク〟と極似している。

       


◆アメリカもアポロ宇宙船から月に物体を落下させて測定したところ、3時間にわたって振動が続いたことが確認されており、これは月が空洞であることを示している。


更には、古代の神話には天空に月がなかった時代の話があり、突然月が軌道上に現れた・・・それが地球外生命体が運んできた証拠にもなる、というのです。


日本には月に旅立つ 『かぐや姫』 の昔話がありますが、もしかしたらそれは実話であり、かぐや姫は地球の偵察にやってきたエイリアンが月へ帰った姿を語り継いだものだったのかもしれません。

えっ、それじゃロマンもへったくれもない?

いやいや、私はむしろ月に地球外生命体が常駐していて、地球を監視・・・いや、守っていると考えた方がロマンを感じますけど、皆さんはいかが?

明日・明後日と名月を眺めながら、じっくり検証してみてください。


              人気ブログランキング

IVF

皆さんは、今日のタイトルのアルファベットが何のことか、お分かりになりますでしょうか?

不妊治療をなさった方なら、ご存じかもしれませんが・・・これは、


 In Vitro Fertilizationの頭文字を取ったもの。 日本語でいうと

 体外受精 

今からちょうど40年前の今日、この〝IVF 〟によって世界初の 『試験管ベビー』 が誕生しました。

イギリス人のジョン&レズリー夫妻は、9年間子供を授かろうと頑張ったものの、奥さんの卵管異常のために自然妊娠ができませんでした。

そこでケンブリッジ大学のロバート・エドワーズ教授と婦人科医パトリック・ステップトーが12年の研究の末に開発した体外受精にすがることに。

妻の母体から採取された卵子に体外受精させ、その2日半後に受精卵を子宮に移し、以降は通常妊娠と同じ経過を辿り、1978年7月25日に体重2,608gの女の子が生まれました。

この世界初の試みと成功についてはセンセーショナルに報道され、注目を浴びると同時に賛否両論が巻き起こりました。

       


家族に対して嫌がらせの手紙が送られてくる一方で、子宝に恵まれない夫婦たちからルイーズちゃんの誕生に希望を見出したという手紙が何百通も届いたといいます。

中には体外受精で生まれた彼女には何か欠陥あるとか、魂がないとか・・・また逆にスーパーマンだとか超能力があるかのように言う人も。


しかし両親から依頼されたステップトー医師が 「今後、全世界の人々と喜びを分かち合う」ように、という願いを込めてミドルネームを “JOY ” とつけられたルイーズ(Louise Joy Brown )ちゃんは、すくすく成長。


    


看護師となった彼女は2004年に結婚し、自然妊娠して2006年に男の子を出産。

「体
外受精で生まれた女性は将来、健康な子供を産むことができない」という懸念を払拭しました。

ジョン&レズリー夫妻の間には、ルイーズちゃん誕生後も再び体外受精でもう一人女の子が生まれ、彼女もめでたく結婚。

ジョンさんは2007年に亡くなりましたが、妻レズリーさんは2012年に亡くなるまで5人の孫に囲まれ、幸せな晩年を過ごしたとのこと。

そして現在は、姉ルイーズさんは3人、妹ナタリーさんは4人の子宝に恵まれています。(※下の画像は2013年当時)

    

体外受精は、多くの不妊症で苦しむ方々に福音をもたらし、現在まで既に500万人以上がこの方法で誕生しているといいます。

ただルイーズさんが誕生した当時と違い、現在は科学技術の進歩や法律の改定により、夫以外から精子の提供を受けたり、また同性婚カップルが子供を持てるようになっています。

更には、クローン人間も?

果たしてどこまで認めるべきなのか・・・その線引きは、科学の進歩とは一線を画して設定しなければならない、と私は思います。

あなたは、どこまでなら許容できますか?


              人気ブログランキング

半導体

今からちょうど70年前の今日、電子工学の歴史上画期的な発明が発表されました。 それは

 トランジスタ

  transistor


増幅またはスイッチ動作をさせる半導体素子のことで、“transfer ”(伝達)と “resistor ”(抵抗)を組み合わせた造語。

私のような昭和世代の方なら、まずトランジスタラジオを思い出すことでしょう。

発売されていた当時、よく〝4石ラジオ〟とか〝6石ラジオ〟という言い方をしていましたが、その石がトランジスタのこと。

この数が多いほど高かった記憶があります。


1947年にベル研究所に籍を置く理論物理学者ジョン・バーディーンと実験物理学者ウォルター・ブラッテンが、高純度ゲルマニウム単結晶の至近距離に立てた2本の針の片側に電流を流すと、もう片方に大きな電流が流れる現象を発見。

これが最初のトランジスタ〝点接触型トランジスタ〟の誕生につながります。


       

そして同研究所の固体物理学部門のリーダーだったウィリアム・ショックレーは、更にこの現象を増幅できることに気づいて研究を重ねた末、1948年6月30日に3人の連名でトランジスタ発明を発表。

この功績により、3人は1956年にノーベル物理学賞を受賞しました。


          

       John Bardeen, William Shockley and Walter Brattain 


この発明に触発された日本でも研究が進み、1954年頃に東京通信工業(現ソニー)が量産を開始。
翌年には日本初のトランジスタラジオ〝TR-55〟を発売。

その後も他の家電メーカーが続々と参入しましたが、当時同社の主任研究員だった江崎玲於奈氏が固体におけるトンネル効果を実証する現象を発見し、それを応用してエサキダイオードを発明。

これが評価され、1973年にノーベル物理学賞を受賞しています。

もっともその発見のキッカケは、ソニーが製造してしたゲルマニウムトランジスタの不良品を解析していた時だったそうですから、世の中いつ何が役に立つか分かりません。

その後各メーカーで改良が進むと同時にトランジスタは急速に小型化・量産化が進行。


       

やがてはLSI(大規模集積回路)の開発へと繋がっていきました。

今やどんな電子機器にも利用されているトランジスタですが、ここで問題です。

皆さんがお使いのスマホには、一体いくつのトランジスタが内臓されていると思いますか?

 ① 4万個   ② 40万個  ③ 400万個  ④ 4億個


正解は・・・なんと、④なんですって。

更に最新のマイクロプセッサー(超小型処理装置)には、10億以上も使われているとか。

文系の私にはピンときませんが、発明から70年でここまで利用されていることを発明した3人が知ったら、それこそ椅子から転げ落ちんばかりに驚くでしょうネ。


 


                人気ブログランキング