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育 成

我が愛読誌・月刊『致知』12月号に、非常に興味深い対談が掲載されていました。

「いかに人を育てるか」 というテーマで対談したのは、現在メジャーで活躍している菊地雄星選手や大谷祥平選手を育て、花巻東高校を甲子園出場を重ねる強豪校に育て上げた、佐々木洋(ひろし)・硬式野球部監督。

そしてサッカーの名門・帝京高校から筑波大学に進み、卒業後は地元・熊本の県立大津高校を強豪校に育て上げ、Jリーガーを約50名輩出した、平岡和徳・同校サッカー部総監督のお2人。

    

さすが実績を残してきた超一流の指導者同士の対談だけあって、

◆変化の先の進化を実現する。



◆目指すゴールのない者に進む道はない。

◆一人の先生で人生が変わる。

◆経営に学んだチームづくり

◆一番大事なのは考え方を教えること。

◆スポーツを通して人をつくる。

等々、若者の導き方に関して非常に参考になるお話のオン・パレード。

ジュニアチームの指導者だけでなく、部下を持つ上司の立場にある方にもご一読いただきたい内容でした。

本来なら全てをご紹介したいところですが、その中からひとつだけ・・・。

『日本代表監督を務めたイビチャ・オシムさんの息子アマルが僕(平岡総監督)と同世代で、合宿なんかで話をすると、

「日本では不思議な光景をよく目にする」


と言うんです。 

「あんな暑い中で45分もプレーした選手たちが、15分しかない休み時間にテントに集まり、椅子にふんぞり返った監督から罵声を浴びせられている。 これでは日本のサッカーはよくなるはずはない。」

と。 「ウチは違うょ」と言っておきましたが、確かに日本ではそういうチームは多いんです。

大好きなサッカーをやり終えて気持ちの高まっている子たちには、やはりコミュニケーションをさせて、それを表現する時間を作ってあげることが大事です。

監督はそれを聞きながら、彼らが自分たちの課題やテーマをどこまで自覚しているかを確認する。

それを踏まえて考えを整理したいから、僕は次の日にしかミーティングはしませんし、個々の気づきの量に応じて翌朝から個別に話をしたりしている。』


確かに生徒を立たせたまま椅子にふんぞり返って偉そうに説教したり怒鳴っている指導者をよく目にします。

中には未だに生徒を殴ったり蹴ったりする暴力教師まで・・・。

私が中学時代バスケをやっていた時も、タイムアウトや試合終了後ベンチに行くと、立ったまま先生のアドバイスを聞いてました。 但し先生も立っていましたが。

アメリカのプロバスケット・NBAでは、逆にタイムアウトになるとそれまでベンチに座っていたコーチ陣や控え選手が席を空けてコートに出ている選手を座らせ、疲れを少しでも取るようにしてミーティングするのが当たり前。

    

これを見習ってか、最近の日本バスケ界ではBリーグだけでなく高校・大学の試合でも同じ光景が見られます。

まだ高校野球では、炎天下の中ベンチ前で直立不動で円陣組んでいるチームが殆どですが・・・。

お2人の対談の中には、こんなことも語られていました。

◆学ばない者は教えてはならない。

◆長年の伝統の中にも疑問を持つ。

指導者にこそ常に改革・進歩が必要なのでしょう。

もし皆さんのお子さんが入っているチームの監督が生徒たちを立たせて椅子にふんぞり返っているようなら、移籍を考えた方がいいかも?


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【本日増刊】 道 徳

最近は、注意されたことに逆ギレした中学生が教師に暴力を振るってケガを負わせ逮捕されるという事案が全国で起きています。

私の中学生時代には、教師に生徒が暴力を振るうとか、教師が生徒を〝常人逮捕〟するなんて有り得なかったし、考えられない話。


また以前、運動会の練習で教師が 「起立!」 と5回も言わなければ立たない小学生を目撃して呆れ果てた私は、学校教育はもとより親の躾はどうなっているのか? またこの子供らがどんな大人になるのか?・・・と、大きな不安を覚えます。


2017年4月、安倍内閣が 「憲法や教育基本法に反しない形で教材として使用を認める」 という閣議決定をしたことで話題になったものの、最近はすっかり忘れ去られた感がありますが、私はそんな時だからこそ、その閣議決定通り学校教育の中で是非とも復活させるべきだと強く思っています。 その、


  教 育 勅 語


この正式名称・『教育ニ関スル勅語』 が発表されたのは、今から128年前の今日・1890(明治23)年10月30日のことでした。


これは山縣有朋内閣時代、地方長官会議に於いて

「知識に偏る学校教育を修正し、道徳心の育成を重視する」


ことを求め、また明治天皇ご自身が道徳教育に関心を寄せられていたことと合わせ、井上毅・内閣法制局長官が原案を作成し、これを加筆修正したものを明治天皇の名の許に発表されたもの。

それから太平洋戦争の終戦頃まで我が国道徳教育の規範と捉えられていましたが、1947年に施行された教育基本法および翌年の国会決議により、教育勅語は学校教育から排除されました。


皆さんは、この『教育勅語』について、どのような認識をお持ちでしょうか?


戦後教育の影響等で、この勅語は〝天皇制を強制するもの、あるいは偏った戦前の思想教育の根本〟 と思われている方もいらっしゃると思いますが・・・。


しかし冒頭の 「朕惟フニ・・・」 はご存知だとしても、全てを読んだことのある方は意外と少ないのではないでしょうか?


以下に勅語全文(※原文には句読点・濁点・改行なし)を掲載致します。 まずは一度目を通してみて下さい。 


          ◆     ◆     ◆     ◆


朕(ちん)惟(おも)フニ、我ガ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、德ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ。


我ガ臣民克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ、億兆心ヲ一(いつ)ニシテ世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ、此レ我ガ國體(こくたい)ノ精華ニシテ、教育ノ淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此ニ存ス。


爾(なんじ)臣民父母ニ孝ニ、兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ、夫婦相(あい)和シ、朋友相信ジ、恭儉(きょうけん)己レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、學ヲ修メ、業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓發シ、德器(とっき)ヲ成就シ、進(すすん)デ公益ヲ廣(ひろ)メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常ニ國憲(こっけん)ヲ重(おもん)ジ、國法(こくほう)ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急アレバ義勇公ニ奉(ほう)ジ、以テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スベシ。


是(かく)ノ如キハ獨(ひと)リ朕ガ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足(た)ラン。


斯(こ)ノ道ハ實(じつ)ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之ヲ中外(ちゅうがい)ニ施シテ悖(も)ラズ。


朕爾(なんじ)臣民ト倶(とも)ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ、咸(みな)其(その)德ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。


       明治二十三年十月三十日


              御名御璽(ぎょめいぎょじ)


教育勅語


いやはや、読むだけでも一苦労・・・お疲れさまでした。


しかしこれだけでは意味がお分かりいただけないと思いますので、以下に(私なりの意訳を含めた)現代語訳を記してみます。


私の思うには、我が皇室の祖先が国をお始めになったのは遙か遠い昔のことで、お築きになった徳は深く厚きものでした。


日本国民は忠と孝の道をもって心を一つにし、今までその美をなしてきましたが、これこそ我が国の優れた点であり、教育の根本もまたこの中にあります。


国民は皆父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の心で接し、学問を行い、手に職をつけ、知能を啓発し、徳と才能を磨き、進んで世のため人のために尽くし、憲法を重んじ法律に従い、もし有事となれば公のため勇敢に仕え、天下に比類なき皇国の繁栄に尽くすべきです。


これらは、ただ国民が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺した良き伝統を継承していくものでもあります。


この道は実に我が皇室の祖先がお遺しになった教訓であり、国民の共に守るべきもので、昔も今も変わらず国内外問わず間違いなき道です。


私は国民と共にこれらを肝に銘じて守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを願うものです。


      ◆    ◆    ◆    ◆


・・・如何でしょうか?


確かに一部現在では受け入れにくい文言もありますが、主旨は親孝行・家族や友人との人間関係・勤勉・奉仕等々、まさに道徳の基本を説いているのです。


この勅語が発表された動機である 「知識偏重教育を是正し、道徳心を育成」 しなければならないのは、当時の人々よりむしろ一世紀以上経った現代に生きる私たち・・・だと私は思うのですが。


安倍政権では学校教育現場における 『道徳』 の教科化・充実を掲げていますが、たとえ使う文言や名称を変えても〝教育勅語の精神〟を子供達に教える授業を実施させて欲しいもの。

そうすれば、先週末の渋谷でハロウィンのバカ騒ぎをして軽トラックをひっくり返したりゴミを撒き散らす若者はいなくなるはず。

時代は変われど、〝人として生きるべき道〟は不変ですから。
扇子


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自己抑制

今日は、私の愛読誌・月刊『致知』9月号に掲載された対談から、98歳になられる井口潔・九州大学名誉教授の印象深い言葉を抜粋・編集にてご紹介致します。

          ◆     ◆     ◆     ◆

ご存知のように日本は戦後、アメリカの占領政策を経て昭和27年に独立しました。

ところが占領期は仕方がなかったとしても、アメリカから押し付けられた教育に問題があればきちんと正すべきなのに、日本は全くそれをしなかった。

それどころか、江戸時代から続く古典の素読など伝統的な教育を捨て去ってしまったんです。

日本人が人間として不可欠な〝自己抑制の機能〟を失い始めたのは、そこからですよ。

アメリカ流の教育はデューイに代表されます。

彼は進歩主義教育運動を主導した教育学者で、要するに管理教育はやめて教師と生徒は友達のような関係になる、その方が子供たちの人間性は伸びる、という今日まで続く子供中心主義の理論的根拠を考え出したんです。

       

ところが1970年代になると、当のアメリカで教育は荒廃し始め、その荒廃の波は日本にもやってきました。

その頃の日本は管理教育を謳いつつも、アメリカで破たんしたはずの進歩的な教育法を一つの考え方として認める、という姿勢でした。

当然、日本固有の自己抑制教育については何の検討もされないまま、置いてけぼりにされてしまったわけです。

言い換えれば、本当の人間教育ということを考えてはこなかった。


その結果として、自己抑制力が脆弱なすぐキレる子や未熟な大人が増え、近年耳を疑うような青少年の反社会的行為が増えてきたことは、申すまでもないでしょう。

「人間の赤ん坊は類人猿の身体に巨大脳をつけた生物(ヒト)である・・・というのが、私の考えです。

そのニューロン回路は3歳頃までに大人の80%くらい、10歳頃までにほぼ大人の状態に近づくのですが、その時にヒトから人間になるわけです。

体の仕組みは生まれた時から大人と殆ど同じなのに、心は約10年間、大人から教育を受けて人間になるようつくられているんですね。

私は12年前、そのことにようやく気付いたのですが、このことを〝ヒトの心は約10年間の生理的早産〟と言っています。

その10年間の重要さを把握していたのが、江戸時代の伝統的教育なんです。

子供達は6歳から藩校や寺子屋に通い、「意味は分からなくてもいい、今に分かる」 という師匠の指導の下で、『小学』や『論語』、『大学』といった優れた古典を繰り返し繰り返し素読しました。

これは医学的に〝パターン認識〟と言われるものです。

幼年期に教えられた道徳的な教えは、このパターン認識によって感性能(魂)に記憶され、その人の人格形成に影響を与えて行きます。

青年期になって道徳教育を始めても論理的に知性脳に認識されるばかりで、処世術で終わってしまうことが多いんです。

理由はどうあれ、10歳までのに善悪や正邪の区別、人間として恥ずかしいことなど、人間としてあるべき姿を躾ける、そのことで自己抑制力が身について行く。

先人たちは図らずもそのことが分かっていたのだと思います。


           ◆     ◆     ◆     ◆

鉄は熱いうちに打て、ですネ。

学校でやらないなら、ご家庭で行うしかありません。
我が子の将来のために・・・。

この夏休みから、こんな本を買い求めて親子で素読を始めてみませんか?


      


 

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学び舎

拙ブログの読者の皆さんが全員卒業したであろう、小学校。


(※この小学校という呼称は、1685年に長崎・対馬藩において家臣の子弟教育のために設置された学校が小学校と名付けられたことが発祥だとか。)


江戸時代には寺子屋制度がありましたが、明治政府になった後の1872(明治5)年に発布された学制によって近代教育制度としての初等教育は小学校尋常科で行なわれることとなり、3年後には全国に約24,000校の小学校が設置されました。


しかし日本初の小学校は、それより3年前・・・今からちょうど150年前の今日・1869(明治2)年5月21日に、京都で開校した


 上京第二十七番組小学校 (柳池校)

 下京第十四番組小学校 (修徳校)


の2校でした。 

※当時の京都には、上京・下京のそれぞれに番組(学区)という行政区画が置かれ、その番組毎に小学校が創設されたので、〝番組小学校〟と呼ばれたそうな

そしてこの両校・・・実は官立ではなく、民営の学校だったのです。


        

                 上京第二十七番組小学校


京都では混迷する日本の将来を案じ、早くから教育が大事と考えた画家・森寛斎を中心に多くの寺子屋経営者や書家などが寺子屋の近代化について話し合っていたといいます。


既に明治維新前に小学校建設の建白書を町奉行所に、そして明治維新直後にも府知事宛てに小学校建設の急務を訴える口上書を提出。


これを受けて府は1868年(明治元)年に 『小学校建営の布達』 を発布し、番組(地区)ごとに学校を造る際の基本図面を提示。


しかし府からの貸付金だけでは足りなかったため、寄付を募ったり〝かまど銭〟と称して組内の家々から児童の有無を問わず徴収して学校運営資金に充てたとか。

※この寄付の中心となったのが、香商・鳩居堂の7代目当主だった熊谷直孝(1817-1875)。

彼は
頼山陽らと親交があった勤王派町人として知られ、倒幕運動に資金援助を、更に明治維新の際には新政府に1,500両もの資金を調達して〝京都大年寄〟と言われた人物。

        

    京都最古といわれる、1859年に撮影された湿版写真『熊谷直孝像』

この2校開校の後僅か7ヶ月で、京都では64もの(番組)小学校が立ち上がりました。

まだ教科書のない時代でしたが、府独自の規則により筆道・算術・読書の3教科を中心に京都の伝統工芸(染物・織物・焼き物)の基礎となる日本画の教育にも力を入れたといいます。


そのおかげで北大路魯山人など多くの優れた芸術家が、番組小学校から輩出されました。


太平洋戦争時は国民学校と名を変えましたが、その一時期を除いて明治維新以降子供の教育の場となっている小学校・・・普及し始めた当時(1874年)の就学率は男子46%・女子17%、全体で32%だったとか。


現在では義務教育化し100%が入学していることと比べると、まさに隔世の感があります。


しかし明治時代の黎明期にはなかったであろう深刻なイジメや受験戦争など、多くの問題を抱えていることも事実。


教育現場の荒廃が叫ばれて久しいですが、こういった小学校の歴史を鑑みるに、その原因の多くは親である大人たちの教育に対する考え方にあるような気がします。


京都の人々が政府に先駆けて小学校を立ち上げたのは、国家や京都の将来に対する危機感・大局観から。


然るに現在の多くの親・大人たちは、我が子の進学や就職などの行く末を案じることが最優先。


子供がいなくとも学校建設資金を拠出した明治時代の京都人と、払えるのに給食費すら払おうとしない現在の親・・・その違いは歴然です。

子供の教育は何のために行うのか? 


そして学校の存在意義は何なのか?

小学校が初めて立ち上がった記念日の今日、あらためて考えてみたいものです。


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授 業

今日は、私の愛読誌・月刊『致知』6月号に掲載された、独自のテキスを使って教師に歴史授業を教える講座を全国各地で開催している、授業づくりJAPANさいたま代表・齋藤武夫氏のエッセイの一部を、抜粋・編集にてご紹介します。

           ◆     ◆     ◆     ◆


具体的な歴史の教材として、ここでは誰にでも身近な聖徳太子を取り上げてみます。

太子が生きた6世紀、国外ではある大きな動きがありました。

200年以上、分裂と闘争を重ねてきた国が隋というひとつの国にまとまったのです。

まとまるのは良いことのようですが、困った問題も起きます。
敵を外に求めるようになることです。


当然、日本もそのターゲットでした。

つまり、摂政である聖徳太子にとって、外交は最大の課題となったのです。


       

太子は遣隋使の小野妹子に推古天皇の手紙を託します。 


煬帝(ようだい)宛てのその手紙には、

『日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。 恙(つつが)なきや。』

と書かれていました。

私は日本の歴史資料の中で最も重要なひとつであるこの手紙を何度か大声で子供たちに読ませた後、次のように話します。

「この手紙を受け取った煬帝は、『東の海に浮かぶちっぽけな国の王よ。 私の家来なのに何という無礼な言葉か』 と真っ赤になって怒ります。

さて問題です。 煬帝は手紙のどの部分に怒ったのでしょうか?」

子供たちは一所懸命に考えます。


一番多い答えは、「日出る処、日没する処」 の箇所について 「これではまるで日本が発展し、隋が没落していくみたいだから」 というものです。

ところが、少し前に私から教わった邪馬台国の授業内容を憶えている子供たちは、また別の見方をします。

「これは天子という言葉に怒ったんだ。日本の国の天皇を天子と言ったのが気にくわなかったんだ。」

卑弥呼は魏の国から親魏倭王の名を与えられました。


これは卑弥呼が魏の配下にある倭国を治める王になる、つまり魏の国の家来になる、と言う意味なのです。

朝鮮半島の高句麗王、百済王なども同様です。

一方の天子とは、天から世界の政治を任される皇帝の意味で、中国の王朝は天子と王を明確に区別していました。

子供たちが言った通り、煬帝はこの〝天子〟という表現に対して激怒したのです。


ちなみに、「日出る処、日没する処」 は東西の位置関係を示す言葉として当時からちょくちょく使われており、決して失礼な表現ではありません。

子供たちはこの手紙を読み解くことで、日本の先人たちが皇帝の家来である倭王となることを拒み、どこまでも台頭に付き合おうとしていたことを理解して行きます。


           ◆     ◆     ◆     ◆


私はこんな歴史の授業を受けたかったし、子供たちにも受けさせたいと切に思います。


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幼児教育

毎月12日は、語呂合わせから 『育児の日』 なのだそうです。

でも親御さんにとって、育児は毎日24時間休みなしですょネ。

小さなお子さんの子育てに日々奮闘しているお父さんやお母さん、また将来子供を持つ予定のカップルに、今日はソニーの創業者・井深大氏の著書 『幼稚園では遅すぎる』 から、育児のヒントを2つ程抜粋・編集にてご紹介させていただきます。

          ◆     ◆     ◆     ◆

今でも、心理学者や教育学者の中には、生まれたての赤ん坊に教育という意図的な躾を行うのは罪悪である、という説を唱える人が少なくありません。

小さな頭の中にいろいろなことを押し込むのは、子供をコセコセした性格に育ててしまうだけだ。

幼児期は、育つがままに放置するのが自然で良いというのです。

中には、子供の勝手気ままさえも、自然であるかのように思っている人もいるようです。

世の母親の多くも、この説に従って〝自然放任主義〟を自画自賛しているようです。 それで、自分か物分かりが良くて優しい、しかも進歩的な母親だと安心しているのです。

ところが、いざ子供が幼稚園や小学校に入るようになると、その放任主義をあっさり宗旨替えしてしまいます。

それまでは赤ん坊だからと、したい放題の我が儘を許していたくせに、もう幼稚園児だから、小学生だからというわけで、厳しい躾と教育を始めます。

やさしい母親が、突如として恐ろしい教育ママに変貌するのです。

こうした考え方が、全く母親のひとりよがりなのです。


むしろ幼児期にこそ、真の教育ママであって欲しいし、また教育ママであることの効果が期待できるのです。

私は〝厳しく〟する時期と〝自由に〟する時期を取り違えた母親が、世に非難されたり揶揄されたりしている、いわゆる教育ママだと思っています。


幼児の間にこそ、やさしくしかも厳しく鍛え、自我の芽生え始める3歳以降は、次第に子供の意志を尊重していくべきなのです。

親の干渉は、極端に言えば幼稚園以前に終わっているべきです。

それをしないでおいて、子供が幼稚園に行くようになってから、いろいろな干渉を加える・・・これではせっかくの子供の才能を殺して、いたずらに反抗心を植え付けるだけというマイナスの効果しか生みません。

       

ソニー厚木工場には、2~3歳の幼児を持った共働きのお母さんのために、幼稚園が設けられています。

先日、ここで園児を対象に、どんな音楽が好きかを調査したところ、実に意外な結果が出ました。

幼児が一番興味を示したのは、なんとベートーヴェンの交響曲第5番『運命』だったのです。

テレビで朝から晩まで流している歌謡曲は2番目に人気があり、模様時のための音楽といわれている同様は、もっとも人気がありませんでした。

私はこの結果に、非常に興味を覚えました。

私たち大人が、少なからず敬遠している高度なクラシック音楽を、子供たちは一番面白いというのです。

幼児には、生まれた時から複雑なシンフォニーを理解できるだけの音楽的感覚が備わっているのでしょうか?


ある実験によれば、生後5ヶ月の赤ん坊でも、ビバルディの協奏曲が分かるそうです。 そういえば、私の友人の娘さん夫妻から、こんな話を聞いたことがあります。

クラシック音楽好きのこのご夫妻は、赤ん坊がうまれるとすぐ、1日に数時間、バッハの無伴奏チェロ組曲の2番を聞かせました。

3ヶ月ほど経つと、赤ん坊はバッハの組曲のリズムに乗って躍動するようになりました。

極が終わりに近づきリズムが激しくなってくると、躍動も大きくなり、局が終わると不機嫌になるのだそうです。

むずがったり泣いたりしている時でも、この曲をかけると途端にご機嫌になります。

ところがバッハの組曲の代わりにジャズをかけたところ、大声で泣きだしたというのです。

この話を聞いて、私は生後3ヶ月の赤ん坊でも、バッハの組曲が分かるのかと、あらためて幼児の音楽的感覚の素晴らしさに目を見張りました。

クラシック音楽が全て良いとは申しませんが、複雑なシンフォニーを感覚的に理解できる能力は驚異です。

これまでの日本人が西洋のクラシック音楽に馴染めなかったのは、幼児期に童謡や歌謡曲ばかりを聴かされたためではないでしょうか。


          ◆     ◆     ◆     ◆


私自身クラシック音楽鑑賞やピアノを弾くのが趣味ですが、それはオフクロがモーツァルト好きで、いつも彼の作品を聴いていたことと無縁ではないと思います。

井深氏の著書のタイトル通り、子育ての勝負は3歳まで・・・幼稚園に入る前なのかもしれません。

この書籍は50年近く前に出版されましたが、

★おもちゃを与え過ぎると傲慢な性格になる。
★整理され過ぎた部屋は子供の成長を妨げる。


等々、その内容は現代でも十分通用するものだと思います。

また井深氏は、この著書の中で幼児教育における母親の役割の大きさを盛んに説いていらっしゃいますが、この点についても私は大いに賛同したいところ。

初動教育・躾を怠ったり間違えた結果、現在企業を悩ませているバイト・テロが起きている・・・私には、そう思えてなりません。

これから子供作りを考えていたり、赤ちゃんがいるご夫妻には、是非ご一読をお勧めします。


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意識改革

志摩半島にあるそのホテルは、さる著名な経営者がバブルの最中に計画、380億円を投じて平成4年に完成した。

全室から海が見渡せ贅を尽くした内装に、足を運んだ人は誰もが 「素晴らしい」 と歓声を上げた。

しかしバブル崩壊後は経営不振が続き、10年前にホテルは人手に渡った。

新経営陣も手を尽くしたが、赤字は膨らむ一方・・・オーナーが仙台で小さなエステを経営していた


 今野 華都子 さん

に白羽の矢を立てたのは、そんな時だった。


平成19年にこのホテルの社長に今野さんが就任した時、150人の社員は冷たく反抗的な視線を送ったという。

それまで何人も社長が来ては辞めている。
また同じ繰り返し、という雰囲気だった。

今野社長がまず始めたのは、社員一人ひとりの名を呼び挨拶することだった。

また全員と面接し、要望や不満を聞いていった。

数ヶ月が過ぎた頃、彼女は全社員を一堂に集め、言った。


        

「みんながここで働いているのは、私のためでも会社のためでもない。
大事な人生の時間をこのホテルで生きる、と自分で決めたからだょネ。

また、このために会社が悪くなったとみんなが思っている不満や要望は、私や経営陣が解決することではなく、実は自分たちが解決しなければならない問題です。」

そして今野さんは2つの課題を全員に考えさせた。

 ◆自分は人間としてどう生きたいのか?
 ◆自分がどう動けば素晴らしい会社になるのか?


ホテルが変わり始めたのは、それからである。


自分の担当以外はやらないという態度だった社員が、状況に応じて他部門の仕事を積極的に手伝うようになっていった。


就任2年半、ホテルは経営利益が出るようになった。
全社員の意識の改革が瀕死のホテルを蘇らせたのである。

今野さんが折に触れ社員に伝えた 『自分を育てる3つのプロセス』 というのがある。

 1.笑 顔
 2.ハイという肯定的な返事ができること
 3.人の話を頷きながら聞くこと


仕事を受け入れるからこそ自分の能力が出てくるのだから、仕事を頼まれたらハイと受け入れてやってみよう。

「できません」 「やれません」 と言ったら、そこで全ての可能性の扉が閉まる。 

そして教えてくれる人の話を頷きながら聞くのが、自分を育てていくナニヨリの道なのである。

・・・今野さんは、そう言う。

この3つはそのまま、人生を発展繁栄させるプロセスであろう。


               『小さな人生論・5』(致知出版社・刊)より抜粋・編集にて


          ◆     ◆     ◆     ◆


日々、今野さんのような前向きな姿勢で取り組みたいものですネ。笑2


ちなみに現在はエステ業界の株式会社アイテラス・代表取締役社長を務めている今野さんは、今年こんな本も出されています。

 はじめて読む人の 古事記』 (致知出版社・刊)


       

才能と意欲のある方は、どの世界でも業績を残すんですネ。


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音 読

我が子に集中力がないとか落ち着きがない、あるいはなかなか成績が上がりない・・・そんなお悩みを持つ親御さんは少なくないと思います。

そんな方にひとつのヒントになるかもしれない、長らく教師・校長を務め現在は教育アドバイザーを務めていらっしゃる陰山ラボ代表・陰山英男氏の寄稿文が月刊『致知』12月号に掲載されていましたので、以下にに抜粋・編集にてご紹介致します。

           ◆     ◆     ◆     ◆

私は30年前から、読み書き計算の徹底反復という日本の伝統的な教育法を指導してきました。

その指導を通して実感しているのが、古典などの名文を繰り返し音読すると、子供の学力向上に大きな効果があるということです。

始めた当初は、大した根拠もなかったのです。


師匠の先生から音読の重要性は聞かされていましたが、小学校3年生に3年生の教科書を読ませれば2,3回でスラスラ読むようになるし、意味も理解します。

だから繰り返しの意義もあまり感じなかったのです。

その頃、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士が、中間子理論のヒントが子供の頃に祖父から教わった素読にあったと言っているのを知りました。

それで古典の音読をやってみようと考えたのです。

小学生が 『学問のすゝめ』 や 『平家物語』 を諳(そら)んじるのは格好いいな、とも思いました。

要するに、形から入ったのです。

実際に音読を始めてみると、意外なことに成績の悪い子でも結構憶えてしまいます。

そしてすらすら読めるようになると、何となく子供の心が落ち着いたように感じました。

子供たちに 「この文章を学校の帰り道に大声で諳んじてみなさい」 と言ったら、翌朝クラスで一番腕白な男の子が私のところに走ってきて、

「ええこと、あったぁ!」

と声を弾ませました。 帰り道に 『徒然草』 の一節を諳んじていたら、おばあゃんが出てきて、

「あら、立派な子や」

と言っておやつをくれたというのです。 この音読は地域のお年寄りに大いに受け、継読の後押しとなったのです。


       

私はその子たちを3~6年まで4年連続で担任する機会に恵まれ、

その間に名文の素読を含めた読み書き計算の徹底反復の実践を

続けました。

すると6年の終わり頃には、皆驚くほど賢くなってきました。

教えていない問題を与えても解いてしまうし、国語以外の教科の成績も上がっている。

これは何かが起きていると確信し、その子たちが卒業する時に過去のデータを全部チェックしてみると、知能指数が劇的に上がっていることが分かりました。

4年間の実践が脳の働きを変えていったのです。


音読指導を始める前、私は書店で見つけた『名文素読暗唱法』という本の中にあった古典の文章のいくつかを子供たちに読ませてみました。

中でも一番食いつきが良かったのは『論語』でした。
あの「子曰く」というのが面白いらしいのです。

文章の意味は分からなくてもリズムが良いので、「子曰く」「子曰く」と読んでいくと元気が出てきて、声も大きくなってきます。

そして繰り返し読むうちに、すっかり覚えてしまうのです。

AIの登場で、これからの人間はどうなるか分からない、と言われています。

しかし、人間の可能性は底知れません。 


特に日本人の持っている能力は極めて高いものがあります。

その能力は平時には何もないように見えますが、時代が大きく変化するという時になると、一気に開花してくるのです。

そんな人間の潜在能力を引き出し脳を高度化する可能性が、読み書き計算という基礎学力の徹底にある、と私は思っています。

そして、それはまず「読む」という作業によって始まります。
私は古文・漢文が持つ言葉の力というものを感じます。

極端に言うと、読んでいる段階には意味が分からなくてもいい。

それでも音読を繰り返していくと、脳の中でも何かしらの変と成長が生み出されるのです。

古典を読むと、その背景にある歴史や、そこで生きていた人間たちの思想や行動・感情までも感じることができます。

千年二千年という時を超えて今に残っている古典は、究極の場面で削り出された珠玉の言葉の宝庫です。

それを粗末にすることはあってはなりません。


古典を大切にするということはも先人たちの魂を受け継ぐことでもあるのです。

だこらこそ古典の言葉には力があるし、それを読むことで心が育まれ、人間性が高まっていくのだと思うのです


           ◆     ◆     ◆     ◆

どうですか、明日からでも我が子・我が孫に『論語』の素読を始めさせてみては・・・?
笑2


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【本日増刊・拡散希望】 道 徳

最近は、注意されたことに逆ギレした中学生が教師に暴力を振るってケガを負わせ逮捕されるという事案が全国で起きています。

私の中学生時代には、教師に生徒が暴力を振るうとか、教師が生徒を〝常人逮捕〟するなんて有り得なかったし、考えられない話。


また以前、運動会の練習で教師が 「起立!」 と5回も言わなければ立たない小学生を目撃して呆れ果てた私は、学校教育はもとより親の躾はどうなっているのか? またこの子供らがどんな大人になるのか?・・・と、大きな不安を覚えます。


昨年4月、安倍内閣が 「憲法や教育基本法に反しない形で教材として使用を認める」 という閣議決定をしたことで、また今月初めには新任の柴山文部科学大臣が会見で記者の質問に答えたことで再び注目されたのが、


  教 育 勅 語


この正式名称・『教育ニ関スル勅語』 が発表されたのは、今から128年前の今日・1890(明治23)年10月30日のことでした。


これは山縣有朋内閣時代、地方長官会議に於いて

「知識に偏る学校教育を修正し、道徳心の育成を重視する」


ことを求め、また明治天皇ご自身が道徳教育に関心を寄せられていたことと合わせ、井上毅・内閣法制局長官が原案を作成し、これを加筆修正したものを明治天皇の名の許に発表されたもの。

それから太平洋戦争の終戦頃まで我が国道徳教育の規範と捉えられていましたが、1947年に施行された教育基本法および翌年の国会決議により、教育勅語は学校教育から排除されました。


皆さんは、この『教育勅語』について、どのような認識をお持ちでしょうか?


戦後教育の影響等で、この勅語は〝天皇制を強制するもの、あるいは偏った戦前の思想教育の根本〟 と思われている方もいらっしゃると思いますが・・・。


しかし冒頭の 「朕惟フニ・・・」 はご存知だとしても、全てを読んだことのある方は意外と少ないのではないでしょうか?


以下に勅語全文(※原文には句読点・濁点・改行なし)を掲載致します。 まずは一度目を通してみて下さい。 


          ◆     ◆     ◆     ◆


朕(ちん)惟(おも)フニ、我ガ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、德ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ。


我ガ臣民克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ、億兆心ヲ一(いつ)ニシテ世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ、此レ我ガ國體(こくたい)ノ精華ニシテ、教育ノ淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此ニ存ス。


爾(なんじ)臣民父母ニ孝ニ、兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ、夫婦相(あい)和シ、朋友相信ジ、恭儉(きょうけん)己レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、學ヲ修メ、業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓發シ、德器(とっき)ヲ成就シ、進(すすん)デ公益ヲ廣(ひろ)メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常ニ國憲(こっけん)ヲ重(おもん)ジ、國法(こくほう)ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急アレバ義勇公ニ奉(ほう)ジ、以テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スベシ。


是(かく)ノ如キハ獨(ひと)リ朕ガ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足(た)ラン。


斯(こ)ノ道ハ實(じつ)ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之ヲ中外(ちゅうがい)ニ施シテ悖(も)ラズ。


朕爾(なんじ)臣民ト倶(とも)ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ、咸(みな)其(その)德ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。


       明治二十三年十月三十日


              御名御璽(ぎょめいぎょじ)


教育勅語


いやはや、読むだけでも一苦労・・・お疲れさまでした。


しかしこれだけでは意味がお分かりいただけないと思いますので、以下に(私なりの意訳を含めた)現代語訳を記してみます。


私の思うには、我が皇室の祖先が国をお始めになったのは遙か遠い昔のことで、お築きになった徳は深く厚きものでした。


日本国民は忠と孝の道をもって心を一つにし、今までその美をなしてきましたが、これこそ我が国の優れた点であり、教育の根本もまたこの中にあります。


国民は皆父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の心で接し、学問を行い、手に職をつけ、知能を啓発し、徳と才能を磨き、進んで世のため人のために尽くし、憲法を重んじ法律に従い、もし有事となれば公のため勇敢に仕え、天下に比類なき皇国の繁栄に尽くすべきです。


これらは、ただ国民が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺した良き伝統を継承していくものでもあります。


この道は実に我が皇室の祖先がお遺しになった教訓であり、国民の共に守るべきもので、昔も今も変わらず国内外問わず間違いなき道です。


私は国民と共にこれらを肝に銘じて守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを願うものです。


      ◆    ◆    ◆    ◆


・・・如何でしょうか?


確かに一部現在では受け入れにくい文言もありますが、主旨は親孝行・家族や友人との人間関係・勤勉・奉仕等々、まさに道徳の基本を説いているのです。


この勅語が発表された動機である 「知識偏重教育を是正し、道徳心を育成」 しなければならないのは、当時の人々よりむしろ一世紀以上経った現代に生きる私たち・・・だと私は思うのですが。


安倍政権では学校教育現場における 『道徳』 の教科化・充実を掲げていますが、たとえ使う文言や名称を変えても〝教育勅語の精神〟を子供達に教える授業を実施させて欲しいもの。

そうすれば、先週末の渋谷でハロウィンのバカ騒ぎをして軽トラックをひっくり返したりゴミを撒き散らす若者はいなくなるはず。

時代は変われど、〝人として生きるべき道〟は不変ですから。
扇子


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上求菩提 下化衆生

今日は、我が愛読誌・月刊 『致知』 10月号より、藤尾秀昭・編集発行人の含蓄ある巻頭エッセーを以下に一部編集にてご紹介致します。


          ◆     ◆     ◆     ◆


〝桃栗三年柿八年、柚子は九年で実を結ぶ。 

 梅は酸(す)いとて十三年、蜜柑(みかん)大バカ二十年〟

これは円覚寺横田南嶺管長から教わった言葉である。
修行時代、師匠からよく言われた言葉だという。


二十年大バカにならないと、即ちこの一道にバカの如く脇目も振らず打ち込まないとモノなならない、ということであろう。

『致知』は本号をもって創刊四十周年である。大バカを2倍して今日に至っている。

この四十年を振り返り、感慨がある。


十年で基礎工事ができ、二十年で道の入口に入り、三十年で道の風景が見えてきた。 


四十年の今思うのは、一所懸命道を創ってきたつもりが、道に歩ませてもらっていた、という実感である。

そしてそれぞれの機に人生の法則を教わったという思いがある。

十年で得たそれは、人間の花は十年後に咲くということである。
人間の花はすぐには咲かない。 五年、六年でも咲かない。

こんなに努力しているのに、と中途で投げ出す人がいるが、それでは永遠に花は咲かない。

十年の歳月が教えてくれた法則である。

二十年で得たのは、人生は投じたものしか返ってこない、ということである。


<人前では健気に努力しているふりをしているが、人目がないところでは手を抜く。
それも人生に投じたものである。


そういう姿勢はその時はさほど意識されないが、数年あるいは数十年後に必ず自分の人生に帰ってくる。

恐るべきことである。


     

三十年で得た気づきは、人生は何をキャッチするか、キャッチするものの中味が人生を決める、ということである。

同じ話を聞いても同じ体験をしても、キャッチするものの中味は千差万別である。

つまり人生は受けての姿勢が常に問われる、ということである。
そしてキャッチするものの質と量は、その人の真剣度に比例する。

四十年の今抱いている思いは、道は無窮ということだ。
道に限りはない。 人生、これで良いということはない、。

この思いを示す道元の言葉がある。

「学童の人、もし悟りを得るも、今は至極と思うて行道を罷 (や)むことなかれ。

 道は無窮なり。悟りてもなお行道すべし。」

道を学ぶ人は、悟りを得てもこれでいいと思って修行をやめてはいけない。 悟っても修行を続けなければならない、というのである。

『葉隠』にも、こうある。

「修行に於いては、これまで成就ということはなし。
 成就と思う所、そのまま道に背くなり。
 一生の間、不足不足と思いて、思い死するところ、後より見て成就の人なり。」

修行に完成はない。 死ぬまでまだまだと思って修行する。
そういう人こそ、死んだ後に見ると成就の人だと分かる、の意である。

以上、四十年『致知』の一道を通じて得た学びを記させていただいたが、最近、人間学の究極はこの言葉に尽きるのではないか、と思うようになった。

それを釈迦が端的に表現している。


  じょうぐぼだい   げけしゅじょう 
〝上求菩提 下化衆生〟 

である。 

どこまでも自分という人間を向上させていくこと・・・それが上求菩提である。

下化衆生とは、その自分をもって人のために尽くしていくこと。

人間は何のために生きるのか? 何のために働くのか? そして何のために学ぶのか?

その全ての問いに対する答えを、この言葉は包含している。

人生の法則は常にシンプルである。
それを身につけるには一生を要する。


          ◆     ◆     ◆     ◆


〝継続は力なり〟という言葉の重みと凄みを、あらためて痛感させらけます。


 


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