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応対辞令

今日は、我が愛読誌・月刊『致知』4月号より、JFEホールディングス名誉顧問・數土(すど) 文夫氏による[巻頭の言葉]を、一部編集にてご紹介します。

         ◆     ◆     ◆     ◆

先知先賢の説く君子の1つに、『応対辞令』 というものがあります。

応対辞令とは、文明社会における多様な人間関係にどう対処していくか、その対処法であり、人間学そのものてもいえます。

古典の随所で論じられ、人々の心に刻まれてきた言葉ですが、昨今の国家リーダーの発言、国会での論戦、一部メディアの論調、SNSのコメントには殆どそうした意識が窺えず、私は大変危うさを感じています。

日本の国会では、野党が一所懸命に政権を問い詰めるものの、一向に支持が上がりません。

応対辞令についての認識に乏しいことも大きな要因ではないでしょうか。

二千年以上前から伝わる支那の著名な古典のひとつに『戦国策』があります。

秦・魏・趙・斉・韓・楚・燕の七ヶ国がその覇権と存亡を懸けて競い合った、戦国時代の熾烈な対人折衝を活写している歴史書です。

同書には、各国の王・宰相・武将はもちろん、一介の遊説の徒・説客をも交えた権謀術数が対面形式で詳細に描写されており、彼らが常人には想像し得ない奇想天外な発想、巧みな論理構成・比喩を駆使して交渉を行う様子に引き込まれます。

       
        
 『戦中策』 (近藤光男・訳 講談社学術文庫・刊)

有名な〝漁夫の利〟の故事も、その一例です。

趙国が燕国を攻めようとした時、燕の昭王はこれを阻止するため、重用する説客・蘇代を趙の恵文王の説得に当たらせました。

蘇代は恵文王に「シギとハマグリが争っているところへ漁夫がやってきて、やすやすと両方とも捕らえてしまった」という寓話を用いて、今趙と燕が争えば強国・秦が漁夫となって両国を平らげてしまうだろう、と恵文王の侵攻を思い止まらせたのです。

当時の説客の卓越した見識と胆力が窺えますが、こうした逸話を収めた 『戦国策』 こそは、相手の置かれた立場・心情を理解した人間学の核心を成す応対辞令の事例集なのです。

『戦国策』 で共通しているのは、説得せんとする相手に対して、真っ向から反対したり非難中傷したりする場面が殆どないことです。

相手の立場を理解し常に敬意を表しつつ、相手も納得し得る道理・事例を示し、「ご賢察を」 と利害得失を覚(さと)らせる。

このことが、賢くあらねばと自意識十分な相手の心に鋭く迫り、説得を成功に導くのです。

今は情報の溢れる時代です。 

このため、自分はいっぱしの物識りになったという錯覚に陥りやすく、安易な言動に走りがちになりますが、これは危険であり有害にもなります。

また人は自分を過大評価し、自分を見失ってしまいがちです。

社会的地位が高くなるほどその傾向は強くなり、やがて悲惨な結末を迎えます。

歴史を繙(ひもと)けば、織田信長、そして大東亜戦争に望んだ日本軍部と日本国などは、その端的な事例といえるでしょう。

これに対して戦国時代の説客たちは、相手の置かれている状況を鋭く正確に分析し、また自らの実力、他者からどう見られているかまでも検討し尽くして説得に当たりました。

かの老子は説いています。

「人を知る者は智なり 自ら知る者は明なり」

(人を知ることは智者に過ぎない。 

  自分自身を知ることこそ明とすべき。)


他者について知ることは重要ですが、自らについて知ることは更に重要であり、難しいことでもあります。

老子とほぼ同時代のギリシャの哲学者・ソクラテスは、「知る」 とは「知らないことを知ること」 と喝破しています。

老子やソクラテスが説き、そして 『戦国策』 に描かれる見識と胆力を備えた謙虚さこそ、応対辞令の基本です。

人間学の核心とも言える応対辞令を学ぶことが、この困難な時代に道を拓く鍵になると私は考えています。


         ◆     ◆     ◆     ◆

本当の馬鹿とは、自分が馬鹿であることに気付かない者のこと・・・自戒したいものです。


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1日1話

今日は、良書のご紹介です。

それは、拙ブログで時々取り上げている月刊『致知』の出版元・致知出版社から、昨年11月末に刊行された、

  『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』

    

タイトルの通り、各界の第一人者365人の言葉を1日1話というスタイルで1冊にまとめたもの。

例えば、今日3月15日は人間国宝の織物作家・志村ふくみ氏のこんな言葉が・・・。

          ◆    ◆    ◆    ◆

すべては色が導くんですよ。

皆さんは単に色がついていると思われているかもしれませんが、そうじゃない。

お洋服だって食べ物だって、気が付かない蹴れで、全部色で見分けて選んでいる。

いや、選んでいるというよりも、本当は色に選ばれているというか、それくらいに決定的なものなんです。

仮に色が何もない世界を想像してみてください。
完全に無色だったら、死のような世界ですよね。

今の若い人たちは恵まれているんですよ。
色が豊富にあるから、逆に色に気がつかない。

もっとも、自分の色というものは、たった一つしかないのかもしれません。 それを求めてもらいたいと思いますね。

一つしかない色だけど、喜びや悲しみなど様々な感情・刺激によって輝いていく。 その色に出会うための人生じゃないですか。


       

それと同じように、人の人生も織物のようなものだと思うんです。

経糸(たていと)はもうすでに敷かれていて変えることはできません。

人間で言えば先天的なもので、生まれた所も生きる定めも、全部自分ではどうすることもできない。

ただ、その経糸の中に陰陽があるんです。

何事でもそうですが、織にも浮かぶものと沈むものがあるわけです。

要するに〝綾(あや)〟ですが、これがなかったら織物はできない。

上がってくるのと下がってくるのが1本おきになっているのが織物の組織です。

そこへ緯糸(よこいと)がシュッと入ると、経糸の1本1本を潜り抜けて、トン、と織れる。

私たちの人生もこの通りだと思うんです。

いろいろな人と接する、事件が起きる、何かを感じる。
でも最後は必ず、トン、とやって1日が終わり、朝が来る。
そしてまた夜が来て、トン、とやって次の日が来る。

これをいいかげんにトン、トン、と織っていたら、当然いいかげんな織物ができる。

だから一つひとつ真心を込めて織らなくちゃいけない。

今日の一織り一織りは次の色にかかっているんです。

先程自分の色は一色だというお話をしましたが、やっぱり人の人生には何色もあるわけじゃなし、気がつくとその一色をひたすら織っているんでしょう。

だけどその一色の中に多様な色が含まれていることはありますね。

単なる一色ではなく、無数の色が含まれていて、自分の自分の人生の一色。

だから皆さん織物を織っているんですよ、自分の人生の織物を・・・。


          ◆    ◆    ◆    ◆

やはり一流の仕事人の言葉には重みがありますネ。

1日1話と銘打たれていますが、1日に何話も読んで損はないかと。

一家に1冊、如何ですか?

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編 集

私のような昭和世代には、教師から勧められて読んだことのある方が多いと思います。

大東亜戦争末期、戦地に駆り出され戦没した学徒兵の遺書を集めた、その


 『きけ わだつみのこえ』

が出版されたのは敗戦から4年後、今から71年前の今日・1949(昭和24)年10月20日のことでした。

※〝わだつみ〟とは、日本神話における海神の意。

       

                                     初 版 本

同書は、1947年に東京大学協同組合出版部から出された東京大学戦没学徒兵の手記集『はるかなる山河に』に続いて出版されたもの。

勉学に励もうとしていた若者たちが、戦争という時代の流れに抗えなかった無念や、免れようのない死に直面した心情を吐露した文章は、読む者の心を揺さぶります。

私も親が買ってきて読まされた記憶がありますし、それに触発されて勉学に身を入れようと決意したもの・・・って、ほんの一時期ですが。

出版直後から同書は反響を呼び、これを端緒として翌1950年には日本戦没学生記念会(わだつみ会)も結成されました。

しかし多くの読者を感動させた同書には、その編集を巡って少なからず批判があったことをご存知でしょうか?

というのは、出版前に 「歴史的な記録を世に発表したい」 との呼びかけに応じて遺族から寄せられた遺稿は309人分に上りましたが、実際に採用されたのは75人分。

選ばれたのは戦争に疑念を抱き最後まで戦争を呪って亡くなった学生の手記のみが採用され、祖国の危機に臨んで決然と出陣し散華された学生の手記はボツになったから。

それ故、特攻隊員として散華された学徒兵の遺族から抗議が寄せられ、立花隆さんも自著の中で 「
左側からの歴史の改竄」 だと批判。

また同書が反戦平和運動に利用された、という声もありました。

それを受けて出版された第2集には右翼的な遺稿も掲載されましたが、また一方で
当時ごく少数であった高等教育を受けたインテリの文章を集めたものであり、彼等の死だけを美化したのではないかとの意見や、インテリと教育を受けていない一般民衆との間には価値観の違いがあり、一般民衆の戦争観の視点に編集側が欠けているのではないかという批判も。

東大OBである三島由紀夫氏も同書に関して

「テメエはインテリだから偉い、大学生はむりやり殺されたんだからかわいそうだ、それじゃ小学校しか出ていないで兵隊にいって死んだやつはどうなる」

と、厳しい論評をしています。

更には編集部が原遺稿を無断で改竄したという批判もあり、また1995年に岩波書店から出版された『新版 きけ わだつみのこえ』の内容に関しては、その前年に内紛が表面化したわだつみ会で対立が激化し、岩波書店や旧わだつみ会を相手取って訴訟沙汰まで起きています。

       


こんなゴタゴタを、遺稿を記した英霊たちはさぞ苦々しい思いで草葉の陰から眺めていたことでしょう。

その編集を巡る一連の動きを追った著書があります。


 『きけ わだつみのこえ』の戦後史 

                             (保坂正康・著 文藝春秋・刊)

    

何事にも表と裏がある、と言う意味で併読をオススメ致します。

個人的には、戦後史の方が面白い・・・と言っては失礼ですが。


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大衆路線

私のような昭和世代の方なら、何冊かお読みになったことがあるはず。

そのソフトカバータイプの新書レーベル


 カッパ・ブックス

が刊行されたのが、今から65年前の今日・1954(昭和29)年10月10日のことでした。


発行元は、講談社が軍部に協力した出版社としての摘発から逃れるべくトンネル会社(?)として1945年10月に急遽設立し、現在も 『女性自身』 などを出版している光文社。


そして創刊を発案したのは、当時同社の常務取締役出版局長を務めていた、神吉晴夫氏(1901-1977)でした。


        


神吉氏は、1938年に創刊された知識人向けといわれる 『岩波新書』に対し、アンチ教養主義を掲げ分かりやすさ・親しみやすさに重点を置く大衆向けの新書路線を提唱。

 ※岩波新書に関する過去記事は、こちら。(↓) 



そして1954(昭和29)年10月10日、『文学入門』(伊藤整・著)と 『小説 サラリーマン目白三平』(中村武志・著)が出版され、世にカッパ・ブックスが登場したのです。

   

〝カッパ〟は河童が由来。 

神吉氏が自宅の壁にかかっていた画家・清水崑先生の河童の絵を見て閃いたそうな。 創刊の言葉は


「カッパは、日本の庶民が生んだフィクションであり、みずからの象徴である。 

カッパは、いかなる権威にもヘコたれない。 
非道の圧迫にも屈しない。
なんのへのカッパと、自由自在に行動する。


その何ものにもとらわれぬ明朗さ。 その屈託のない闊達さ。

裸一貫のカッパは、いっさいの虚飾をとりさって、真実を求めてやまない。


たえず人びとの心に出没して、共に楽しみ、共に悲しみ、共に怒る。


しかも、つねに生活の夢をえがいて、飽くことを知らない。
カッパこそは、私たちの心の友である。」 (以下略)


と綴られており、ロゴマークはホルンを吹く河童でした。

現在では主流ですが、当時としては初めて9ポイントの大きな文字を使用し、また初めて
裏表紙に著者の写真・略歴を入れる装丁を採用。

創刊当時はあまり売れなかったものの、「カッパの本はみんなヒットする」 などのキャッチコピーを使って広告を打って大量生産を行い、生活実用書からノンフィクションなど分野も広げたことで販売部数は急伸。


創刊から5年後の1959年には総発行部数が1千万部を突破。

1961年に出版した 『英語に強くなる本』(岩田一男・著)は 「パンのように売れる」 というキャッチコピーが受けてか、3ヶ月で100万部を突破し、カッパ・ブックス初のミリオン・セラーに。


また1966年に第1作目を出版した 『頭の体操』 (多胡輝・著 シリーズ累計1,200万部以上) や、1966年に出版した 『五味マージャン教室』 (五味康祐・著)、また1970年に第1作目を出版した 『冠婚葬祭入門』 (塩月弥栄子・著 シリーズ累計616万部以上)もベストセラーとなり、1972年には累計販売部数が1億冊を突破。

光文社はこの勢いに乗じて、『カッパ・ノベルス』(1959年)、『カッパ・ビジネス』(1963年)、『カッパ・ホームス』(1969年)、『カッパ・サイエンス』(1980年)の各シリーズを創刊。

『カッパ・ノベルズ』では、当時無名だった松本清張さんを売り出し、共に清張・・・じゃなくて、成長を果たしました。
あせあせ

これらシリーズ合計で17冊ものミリオンセラーを出したのは、他に類を見ない快挙だそうな。

※因みに最後のミリオンセラーは、今月3日の拙ブログでご紹介した盛田昭夫氏の 『「NO」と言える日本』 (1989年) の123.8万部。

しかし、山あれば谷あり。

安保闘争が吹き荒れ労働運動が盛んだった1970年から、社長に就任していた
神吉氏の斬新な経営手法(現在で云うところの成果主義・抜擢人事)に労働組合が反旗を翻したことで、〝光文社闘争〟といわれる労働争議が勃発。

1977年に収束したものの、その間神吉社長は辞任・退職して 『かんき出版』 を創業。
他の役員やカッパ・ブックスの編集長も退職して 『祥伝社』 を設立。

その煽りで、一時カッパ・ブックスも出版を停止する状況に。


労働争議終息後復刊したものの、1990年以降は勢いが衰え、光文社新書と入れ替わる形で2005年に新刊発行を停止しました。

消滅する形となりましたが、新書ブームを巻き起こし、また労働争議で人材が流出したもののその出版手法が広まったことは、業界にとって有難い存在であったことは確かでしょう。

私自身何冊も購入しましたが、本棚を確認したところ残念ながら友人や部下にあげてしまい、1冊も残っていませんでした。

が、こんな本が・・・。


 『カッパ・ブックスの時代』 

               (新海均・著 河出書房新社・刊)


        


これを読むと、神吉氏の戦略やカッパ・ブックスの勢いが如何に凄かったかが分かります。

出版不況の今、もし神吉氏が生きていたら一体どんな手を打ったんでしょう?・・・そのアイデアを、是非聞いてみたいものです。
笑3

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侵 略

私は過去記事に於いて、大東亜戦争前後におけるソ連軍(ロシア人)の極悪非道ぶりをご紹介してきました。 (↓)




その一方で、現在のロシアの最高指導者プーチンは柔道を愛する親日家などと報じられ、安倍総理と親しいから交渉次第で北方領土が一部でも返還されるのではないか・・・という楽観論もあります。

果たして、本当に返還が実現するのか?

それに関して、ロシアの隣国から語学来日した国際政治学者グレンコ・アンドリー氏が、自著で日本に対し警告を発しています。

 『ウクライナ人だから気づいた 日本の危機 

                                  (育鵬社・刊)


       

本のタイトルにある通り、著者は1987年にロシアの隣国キエフで生まれたウクライナ人。


2010~11年にかけて早稲田大学に語学留学し、日本語能力検定試験1級に合格。

2013年には京都大学に留学し、2019年3月に京大大学院を卒業後、ウクライナや世界情勢について講演・執筆活動を行っている親日家です。

そのアンドリー氏が同著を通して、祖国ウクライナと日本が極似しており、このままだと日本はウクライナと同じ轍を踏む・・・と警告を発しているのです。

同書の冒頭、彼は 「この国はどこ?」 とこんなクイズを出しています。

◆ 国民は平和ボケしている。
◆ 「軍隊はなくてもいい」という論調が強い。
◆ 近年、国益を明らかに損なった売国政権を経験している。
◆ 外国に媚びた弱腰外交を行っている。
◆ 愛国者はナショナリスト・ファシストとレッテル貼りされている。


すぐに 「日本じゃないの」 と答える方が多いと思いますが、正解はウクライナだそうな。

※更に言うなら、ウクライナには日本同様スパイ防止法が無く、ロシアの工作員が自由に活動しているとのこと。

そのウクライナがロシアに侵略されているから、状況が酷似している日本も危ない・・・というわけ。

    

ロシアがどんな戦略でウクライナを支配するに至ったかは本書をお読みいただくとして、彼はロシアの民族性をこう指摘しています。

「彼らの歴史認識は大国主義に基づいている。 過去にどんな酷い事をしていても、それを正当化する。 一切間違いを認めない。だからロシアは、過去に犯した全ての侵略を称賛する。」


「ロシア人は自国が世界中から恐れられている、脅威と思われていることを最も誇りに思っている。」

「彼らは第二次世界大戦で勝利したことを最も誇りに思っている。その認識の中では、日本はいつまでもロシアが負かした敗戦国。」

「ロシア人は、約束を破るために約束をする。」

これじゃあ対等に日本を扱うわけがありませんし、信用できるわけがありません。

また彼に言わせれば、ロシア人の領土に対する執着心は非常に強いとか。

そんな国が、話し合いで北方領土を返還するはずがないでしょう。

それにロシア人の民族性や歴史認識が支那・朝鮮人にも共通していることは、皆さんもお気づきのはず。

尖閣諸島はもちろん沖縄本島を虎視眈々と狙い、竹島を不法占拠したまま返さない両国についても、同様の警戒をしなければなりません。

某国会議員が、「北方領土は戦争で取り返すしかない」と言ったことを左翼勢力は批判していますが、そういう国家からは力で取り返すしかないでしょう。

同書をお読みいただき、子々孫々のためにも私たち国民が危機感を持って隣国と同調する勢力を排除しなければ、日本は近い将来第二のウクライナ、ウイグル・チベットになってしまいます。

一昨日内閣を改造した安倍総理はあらためて改憲に意欲を示しましたが、もうそれは待ったなし。

平和憲法の条文だけで国防は出来ませんから。


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同 時

私と同世代もしくは若い男性でも、お世話にならなかった方は殆どいないでしょう。

それは、漫画雑誌の

 週刊少年マガジン (講談社)
 週刊少年サンデー  (小学館)


この2誌が同時に創刊されたのが、今からちょうど60年前の今日・1959(昭和34)年3月17日のことでした。


  少年マガジン少年サンデー


漫画本とはいえ、漫画自体の紙面占有率が4割程度で残りは文字だったという両誌の価格は、マガジンが40円でサンデーが30円。

何で価格が違ったのか? 


それは、たまたま両誌とも大日本印刷が契約先だったことから、当時のサンデー誌編集長がライバル誌の情報を入手し、


「もしサンデーがマガジンと同じ値段だったら、付録つきのマガジンにお得感で負:ける」


と判断。 マガジンの印刷開始を確認してからサンデーの値段を決めたのだそうな。


今だったら非難されてもおかしくない反則スレスレ(?)の手を使った故の価格差だったそうで・・・それが功を奏してか、創刊号の売上げはマガジン20万5千部に対し、30万部売ったサンデー側の戦略勝ち。


しかしすぐさまマガジンが価格を30円に値下げするなど、両誌はその後激烈な販売競争を繰り広げてきましたが、昨年後半時点ではマガジン74.5万部に対しサンデー29.6万部と、かなり差がついています。


しかしそのマガジン誌もかつて記録した最高部数450万部からはかなり落ち込み、首位の少年ジャンプ170.7万部からは100万部近く水をあけられての2位。


私が生まれた翌年から刊行された両誌・・・いつ頃から読み始めたのかはさすがに記憶がありませんが、毎月通った近所の床屋さんで、両誌をまとめ読みしていたことを憶えています。


髪の毛を切り終えても、待合席にドカッと座って、全部読み終えるまで帰らなかったなァ~。あせあせ

さすがに社会人になってからは両誌を手に取ることはなくなりましたが、今でも記憶に残っている漫画では、『巨人の星』・『あしたのジョー』・『愛と誠』・『おれは鉄兵』・『空手バカ一代』・『野球狂の詩』(マガジン)、『赤いペガサス』・『プロゴルファー猿』・『六三四の剣』(サンデー)等々・・・。


こうやって並べて見ると、小さい頃はマガジン、少し大きくなってからはサンデーの作品が好きだったみたいですネ。


いずれの作品にも、少なからず感化されたことは間違いありません。


今では歴史本や資格試験参考書までもが漫画になる時代・・・昭和時代より若者に与える漫画の影響は大きいはずなのに、発行部数が最盛期より大きく減少しているのは何故なんでしょう。 


その原因が少子化だけでなく、漫画の内容が昔よりもレベルが落ちたからなのか? 漫画ファンとしては少々気になります。


さて、皆さんにとって思い出深い漫画・・・どんな作品ですか?笑2


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発 禁

今から81年前の今日・1938(昭和13)年2月18日、発売されたばかりの雑誌 『中央公論』 3月号が、即日発禁処分となりました。

それは、同誌に掲載された


 
『生きてゐる兵隊』

という小説が問題視されたから。


        


style="font-family: "MS Pゴシック";">この小説の作者は、昭和世代には『金環触』『青春の蹉跌』 などでお馴染みの小説家・石川達三(1905-1985)さん。


        


 


同小説は、支那との歴史問題として長年論争になっている、いわゆる『南京事件』 の従軍記として上梓されたものでした。

実際石川さんは
中央公論社特派員として、南京陥落(1937年12月12日)直後の翌年1月に上海に上陸し、その後南京入り。

南京事件に関与したといわれる第16師団33連隊を取材した上で、帰国後に執筆したもの。

約1/4が伏字削除されていたのですが、それでも日本軍は即日発禁処分にしました。

ただしそれは事件の隠蔽を図るためではなく、全編にわたって

「日本兵が戦闘員・非戦闘員に殺戮を加え」
「日本軍が掠奪主義を肯定しているが如き」
「日本兵が支那非戦闘員に対しみだりに危害を加え掠奪する状況」
「性欲のために支那人婦女に暴力をふるう」


場面が描かれており、当時の出版警察法に基づく誹謗の規制としてなされたものでした。


後日、石川さんと編集者・発行者の3名は新聞紙法第41条(安寧秩序紊乱)の容疑で起訴され、石川さんは禁固4ヶ月・執行猶予3年の判決を受けました。


そして発禁処分となったのには、別の理由があったと言われます。

それは、同作が事実に基づいたノンフィクションではなかったこと。 


著者自らが初版自序で


「この稿は実戦の忠実な記録ではなく、作者はかなり自由な創作を試みたものである」

と記していましたから。

戦後、当初伏字だった部分も復刻して出版され、1948年に行われた読売新聞インタビューでは


「入城式に遅れて正月私が南京へ着いた時、街上は死体累々大変なものだった。」


と答えていますが、その一方で亡くなる直前のインタビューには

「私が南京に入ったのは入城式から2週間後です。

大殺戮の痕跡は一片も見ておりません。

何万の死体の処理はとても2,3週間では終わらないと思います。

あの話(虐殺)は、私は今も信じてはおりません」


という回答を寄せていますし、石原慎太郎氏も都知事としての定例会見(2012年3月)時、記者の質問に

「(南京大虐殺は)なかった、と(石川達三)本人から聞いた」

と答えていますから。

現在もこの小説は文庫本として発売されていますが、前述した著者自身の自序は削除されており、中央公論社の売り文句は

〝虐殺があったと言われる南京攻略戦を描いたルポルタージュ文学の傑作〟

南京に8日、上海に4日滞在しただけで戦闘の現場にも居合わせなかった特派員の作品を、あたかもノンフィクションであるかのように宣伝しており、それがために読んだ方の多くが真実だと思っているようですから、私に言わせれば殆ど詐欺商法。

        


芥川賞の第1号受賞者にして日本ペンクラブの会長をも務めた作家としては、実に残念且つ無責任な作品であり、出版社に何らかの意図があると疑わざるを得ません。
うー

いわゆる 『南京事件』 の真偽を知りたい方には、この作品ではなく以下の検証本のご一読をオススメします。

まずは実際に南京に入場した兵士らから複数の証言を集めた


 『「南京事件」 日本人48人の証言 

                (阿羅健一・著 小学館文庫・刊)


        


 


前述の石川さんが亡くなる直前のインタビューも、掲載されています。

もう一冊は、この証言を織り込んで各国の公文書や文献、報道を徹底検証した


 『「南京事件」の総括』 

                (田中正明・著 小学館文庫・刊)


           




この2冊を通して、いわゆる 『南京事件』 は国際法上違法な極東軍事裁判で日本を貶めるためにでっち上げられたものであり、『生きてゐる兵隊』 からも引用した朝日新聞・本多勝一記者の記事を端緒に刷り込まれた捏造事件であったことを、是非知っていただきたいと思います。



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絶 版

誰にでも子供の頃読んだり、親に読んでもらった絵本や童話で記憶に残る作品があると思います。


私の場合は、『きかんしゃ やえもん』 と、


『ちびくろ・さんぼ』


特に後者は、赤や黄色の鮮やかな色使いの絵と、走り回るトラが溶けてバターになるという奇想天外なストーリーが今でも忘れられません。


元々この童話は、軍医の夫と共にインドに滞在していたスコットランド人のヘレン・バンナーマンさんが、我が子のために書いた手作りの絵本だったとか。


これがイギリスの出版社に紹介され1899年に発刊されたのですが、著作権がはっきりしていなかったこともあり、アメリカではストーリーや設定を変えた海賊版が横行。


日本で最もポピュラーであり、1953年に岩波書店から発刊され私も読んだ 『ちびくろ・さんぼ』 も、その海賊版を元にしています。


確かによく考えたら、アフリカにトラはいませんものネ。あせあせ


       ちびくろサンボ


しかし今からちょうど30年前の今日・1988(昭和63)年12月12日、岩波書店が突如この絵本を販売中止・絶版にすると発表したのです。


当時約70種類に及ぶ 『ちびくろサンボ』 が発刊されていたそうですが、それから2ヶ月弱の間に全て同様に絶版扱いされ、書店から完全に消えてしまいました。


その理由は、内容が 「黒人蔑視・人種差別にあたるから」 。


きっかけは、その年にアメリカ 『ワシントン・ポスト』 紙が日本のデパート等で使用していた黒色のマネキン人形を黒人蔑視だとする記事を掲載。


それを発端として 『黒人差別をなくす会』 という、両親と子供3人で立ち上げた市民団体(?)がこの本の発行元全てに廃刊を訴える手紙を出したことでした。


当時この本が黒人を差別していると指摘された理由は、


◆登場人物の〝サンボ〟という名が、奴隷の名として一般的

◆地面に落ちたバターを食べる表現が野蛮

◆169枚もホットケーキを食べるのは非常識な大食漢で、馬鹿にしている


等々だったそうですが・・・個人的にはこの絵本を読んだ時、これをもって黒人を蔑視しているなどという気持ちには全くなりませんでしたけどねェ。うー


またこんなことで逐一イチャモンをつけていたら、『みにくいアヒルの子』 など多くの童話も廃刊する羽目になると思うのですが。


差別感に関しては個人差がある故これ以上は申し上げませんが、私が驚いたのは出版社の対応です。


: widow-orphan;">岩波書店が廃刊を決定したのが、抗議文を受け取った僅か4日後だったこと。


同書店では既に100万部以上売っていたそうですから 「もう十分」 と思ったのかもしれませんが、表現の自由を憲法が保障しているにも関わらず、こんな簡単に絶版するとは。


アメリカでは、これより遥か前から同書に関して黒人差別問題が起きていますが、議論の対象になりこそすれ絶版にはなっていません。


他の出版社も一斉に追随した背景には、差別問題に対するマスコミの過剰な報道姿勢にあったのではないでしょうか?


バッシングを恐れて即座に絶版を決めた・・・これが真相のように私には思えるのです。


それが証拠に、その後複数の出版社から復刊され、2005年には瑞雲社から岩波書店版とほぼ同じものが出版されましたが、マスコミが取り上げられなかったせいか問題視されることもなく5ヶ月で15万部も売れ、現在でも販売されていますから。


一部の先鋭的(というより左翼的)な意見をセンセーショナルに取り上げ、対象者・企業を一斉かつ一過性で叩くマスメディアの手法は、当時も今も変わっていませんネ。


この一連の〝ちびくろサンボ問題〟に関して、詳しくお知りになりたい方には、


 『ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ』 
                     (灘本昌久・著 径書房・刊)


        ちびくろサンボ  


という本がオススメです。(少々古いですが。)


子供たちに夢を与える本を大人たちの屁理屈(?)で世の中から抹殺することは、避けて欲しいものです。


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Encyclopædia

ご自宅に百科事典がある方、あるいは以前置いていたという方は少なくないと思います。

あらゆる分野の知識をABCあるいはアイウエオ順に配列し、解説を記した百科事典の歴史は意外と古く、紀元前2世紀頃には古い書物を収集・整理したものが出されています。


また日本では400年余り前・・・江戸時代の1712年に図解書に漢文で解説を加えた 『和漢三才図会』 という書物が寺島良安という人物によって発刊されています。

現在のような本格的な百科事典としては、1751~72年の20年以上かけて完成されたフランスの 『百科全書』 が世界初と言われていますが・・・皆さんも耳にしたことがあるであろう、英語で書かれた世界初の百科事典


 ブリタニカ百科事典
  Encyclopædia Britannica


が発刊されたのは、今からちょうど250年前の今日・1768年12月6日のことでした。

銅版画家のアンドルー・ベル、コリン・マックファーカー、ウィリアム・スメリーの3人が中心となって、スコットランドのエディンバラで刊行

と言っても、当初は予約購読者に週刊・分冊で提供されました。


そして翌1769年に"Aa" "Bzo" までが第1巻、1770年に "Caaba" "Lythrum" までが第2巻。

1771年に "Macao" "Zygophyllum" までが第3巻にまとめられ、ベルの銅版画160点を挿入し2,659ページの初版本として刊行されました。


        


内容は長文の論文的項目と専門用語などに関する短い定義的項目からなり、アルファベット順配列。

多くの項目は数行程度に簡潔にまとめられていましたが、科学技術関連の中には数十ページから百ページ以上を割いて詳細に解説している項目もあったそうな。


その後第2版で10巻、1801年から出された第4班では20巻と、内容は次第に拡充され、第11版から版権がアメリカに移行してからは、北米市場で売れやすくするため内容は簡潔化されました。

1974年には、10年余りの歳月と拒否を投じて全面改稿され、
Macropædia(大項目事典)19巻、Micropædia(小項目事典)10巻、Propædia(知識体系の手引き)1巻の計30巻からなる第15版が刊行され、更に1985年には大幅な改訂が行われて全32巻に。

110人のノーベル賞受賞者と5人のアメリカ大統領を含む4,000人以上の寄稿者と、専任編集者約100人によって執筆されたこの百科事典は、学術的にも高い評価を得てきました。


しかし時代の流れには逆らえず、こういった書籍としての販売は6年前の2012年に終了。

現在はインターネットを中心に電子媒体で提供されています。

科学は常に発展し、時事・社会分野も日々変化していきますから、紙媒体から電子媒体に取って代わられるのは、百科事典の性格上必然といえましょう。

ただ、書斎にズラッと立派な装丁本が並ぶ壮観な眺めが見られなくなるのは、ちょっと残念な気もしますが・・・。
うー


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感 涙

今月8日、論語の音読が子供の学力向上に有効だ・・・という記事を掲載しました。



しかし当然のことながら、論語は大人にとってもためになる古典であることは言うまでもありません。

かの安岡正篤先生も 『論語に学ぶ』 などの著書や講演で折に触れて論語について語られておられます。
(お孫さんの安岡定子さんも論語に関する著書を何冊も出版し、論語塾を主宰されています。)

今日は、安岡先生の著書


 『論語の活学』 (ブレジデント社・刊)


       

から、特に私が感じ入った部分を抜粋・編集にてご紹介致します。


           ◆     ◆     ◆     ◆


昔の日本人はよく泣いております。


私もいろいろ明治に関する文献を点検したのでありますが、そのうちに一つ気がついたことは、当代一流の明治の人たちは、皆よく泣いておるということです。


橋本左内の 『啓発録』 を読むと、これは左内が14歳の時に書いた物でありますが、夜、四書を勉強して床に入り、どうして自分はこんなに勉強ができないのだろう、と夜具に顔を埋めて泣いたと告白しておる。


日清・日露戦争当時の軍人や大臣といった人たちでもそうです。 


日本海々戦に勝ったといっては泣き、つらい任務を引き受けてくれるといっては泣き、それも相抱いてオイオイ泣いておる。


例えば日露戦争の時、国際借款のために代表をアメリカやイギリス等の諸国へ派遣することになり、その白羽の矢が後に二・二六事件で射殺された高橋是清蔵相 (※当時は日銀副総裁) に立てられた。


そして築地の料亭に(首相の)桂さんをはじめ重臣たちが集まって、高橋さんに命じたのですが、高橋さんは 「とても自分にはその能力も自信もない」 と言って百方辞退する。 


けれども聞き入れてくれない。 


とうとう引き受けざるを得なくなって、「承知しました」 ということになった時、桂さん以下皆 「ああ、よかった、引き受けてくれた」 と、やっぱり相抱いて泣いておる。


その時銚子を持って部屋に入ろうとした15,6の女中がおったが、あまり皆が泣いておるのでびっくりして引っ込んでしまった。


この女中が後に料亭の女将になり、私が知った時はもう相当な年齢になっておられたが、その時の有様を私も直接本人から聞いたことがある。


        安岡正篤


とにかく昔はよく泣いておる。 


天下国家を論じては泣き、書を読んでは泣いておる。 


ところが後世になるほど泣かなくなってしまった。 


そういう感激性がなくなってしまった。


これは一面から言えば、民族精神の悲しむべき衰退に他ならない。


卑屈な利害・打算・私利・私欲にのみ走って、最も人間らしい天下・国家、仁義・道徳、情緒・情操、感激性、溢れる行動、そういったものを失った民族は衰退しておる証拠である。


衰退は最悪の場合には滅亡に通じる。


           ◆     ◆     ◆     ◆


う~ん・・・如何でしょうか?


あまり論語と関係ない内容ですが、私自身映画などを見てもらい泣きをすることはあっても、〝感涙〟や〝号泣〟とは、最近とんとご縁がないような気がします。


言われてみれば若かりし頃、野球等のスポーツで試合に負けた時、いや勝った時もボロボロに泣いたことが何回もありましたが、それは自分自身が本気で一生懸命に取り組んでいたからなのでしょう。


久しくそういう涙から遠ざかっているということは、それだけ本気で生きていない証拠なのかもしれません。


本気で泣ける一生懸命の自分・・・取り戻さねばなりません。


あっ、そうそう。 同書には、こんなことも書かれていましたョ。


論語には 「過ぎたるは及ばざるが如し」 という言葉がある。 


実に面白い、また味わい深い言葉であります。


はっきりとは書かれておりませんが、どちらかと言うと、「過ぎたるよりは及ばざる方が良い」という意味が言外にあるわけです。


   ~ (中略) ~


家庭においても同じことで、亭主関白というのはあまりよくない。 


といってカカア天下になってはいけないが、亭主が 「一応」 女房の尻に敷かれておるのがよい。


さすがは安岡先生、おっしゃる通りでございます!


もっとも我が家の場合〝一応〟という文字は不要な状態ですけど。あせあせ


 


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