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打 電

2日後には新年度に突入・・・入社式など節目の機会に祝電を打つ機会があるかもしれませんが、皆さんはご自身で祝電や弔電を打ったことがありますか?


友人や親戚宛てに打つ場合もあれば、上司から依頼されて会社名義の打電をした経験のある方もいらっしゃるかと思います。


その場合、どんな文面にされたでしょう?


「ご尊父様のご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈り致します。」


などという、NTTの例文をそのまま使った方、意外と多いのではないでしょうか。


私は葬儀屋時代、殆どの告別式の際に 『弔電奉読』 をしましたが、近年はそういった〝定型文〟だけの弔電ばかりで、オリジナルの電文を目にするケースがめっきり減った気が。


故人様や喪主様、あるいはご遺族の勤務先からいただく弔電などは、ほぼ100%定型文といってよろしいかと。


確かにいただく方がありがたいとは思いますが、あまりに儀礼的な電報って如何なものでしょう。


漆塗り調の高価な台紙を使うと5,000円前後もする弔電でも、決まりきった電文ではちょっともったいない・・・そう思うのは、私だけなのでしょうか?


        ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草


大企業の場合、発信人は社長であっても実際に電報を打つのは故人様や喪主様の同僚であることが多いと思いますし、また中小企業の場合は社長自らが当事者をよくご存じのはず。


ならば、その人となりを慮った文章を一行でも付け足していただければ、受け取る側の気持ちは全く違うと思うのです。


「一日も早く悲しみから立ち直り、いつも通りの元気な姿を職場に見せてください。」 とか、「御尊父様の遺志を継ぎ、これからもお身体に気を付けて頑張ってください。」 とか・・・。


きっと受け取られた方に、その想いは通じるはずです。

告別式には、往々にして発信者である社長らご本人が参列され、その弔電奉読を聞かれます。


数が多い場合、定型文だけだと社名しか読まれない場合もありますし、キラリと光るオリジナル文章ならば全文を読まれる可能性は大。


それが社名 (や社長名) と共に読み上げられれば社長ご本人も満足されるでしょうし、弔電を打った方の株も上がるはず。


是非ちょっとした心配りをお願いします。


心配りといえば、もうひとつ。


社名はともかく、代表者の方のお名前にはフリガナをお付けください。


せっかく弔電をいただいても、お名前の正しい読み方が確認できないものは原則的に読みませんし、意外とご喪家も勤務先や取引先の社長・役員名をフルネームで知らないもの。


フリガナつきの弔電を目にすると、「おっ、さすが!」 と私自身その会社名を憶えてしまいますし、受け取る側の記憶にも残るはず。


こういうちょっとした気配りも、間接的な会社の宣伝になること請け合いですョ。笑3


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悪 女

『三代目が身上を潰す』 という格言がありますが、これは洋の東西を問わない・・・いや世界的に有名な企業にも当て嵌まるようです。


〝G〟を2つ並べたロゴマークでお馴染みのブランドといえば、


グッチ

これはグッチオ・グッチ(Guccio Gucci ) が1923年に皮革製バッグの製造・販売する会社として立ち上げたのが始まりでした。

       

そして1953年に創業者グッチオが亡くなると、三男アルドが経営を引き継ぎ、女性服や靴・香水など扱い品目を増やして1970年代に事業を拡大させました。

しかし、良かったのはここまで。

80年代に入ると、アルドの息子即ちグッチオの孫・パウロが高級化路線に反発し独断で低価格ブランドを立ち上げます。

これに激怒したファミリーは、パウロを追放。

パウロは仕返しとばかりに1982年にテレビ番組で内情を暴露し、父親を脱税で告発・・・アルドは逮捕されてしまいます。

ここで後継者として白羽の矢が立ったのが、アルドの弟でグッチオの五男・ロドルフォの一人息子・・・つまりバウロの従兄弟にあたるマウリツィオでした。

(ロドルフォは元々俳優志望でハリウッドで働いていた時期がありましたが、そのコネでグッチ製品を映画の小道具として使わせ、これがアメリカの女性に好評を博したことからエリザベス・テーラー、オードリー・ヘップバーンらハリウッドスターやジャクリーヌ・ケネディら世界のセレブ御用達にした功労者。)

真面目な仕事ぶりを評価されていたマウリツィオでしたが、問題はその妻・パトリツィア。

実は彼女、将来ルドルフォが亡くなればその財産をマウリツィオが相続することを見込んで、彼に色仕掛けで接近したのです。

       


ロドルフォはそれに気づき、息子との結婚に猛反対。

しかしマウリツィオは美しきパトリツィアの誘惑に勝てず、父親の反対を押し切って結婚。

そして彼女の思惑通り、ルドルフォが亡くなり遺産を相続しましたが、野心家の彼女はそれだけで満足せず、社長夫人になることをアルド家のゴタゴタに乗じる形で画策します。

夫をけしかけて父親と衝突していたパウロから株式を買い取らせ、総株式の50%以上を手中に収めると、三代目社長に就任させることに成功。

見事社長夫人の座を射止めた・・・までは良かったのですが、その後彼女は勝手に自らデザインしたバッグを作らせるなど女帝ぶりを発揮。

その本性にようやく気付いたマウリツィオは、1993年に彼女と離婚。

そして真面目なだけで元々経営手腕の無かった彼が指揮するグッチの業績は低迷し、結局彼は離婚した年に全株式をアラブ資本に売却し、グッチの経営から離れることに。

さて、収まらなかったのがパトリツィア。

社長夫人の座を追われた彼女は、その復讐を果たすべくマフィアに元夫の殺害を依頼。

マウリツィオは今からちょうど25年前の今日・1995年3月27日・・・多くの人が行き来する路上で射殺されてしまったのです。


パトリツィアはマウリツィオ暗殺のわずか数時間後に裁判所に行き、マウリツィオの住宅などの差し押さえの申請をしたといいますから、何とも・・・。

犯人が分からぬまま数年が経過しましたが、暗殺の報酬(7千万円)に対する不満から実行犯が警察にチクッだことで事件の真相が発覚。

パトリツィアは逮捕され、懲役29年の判決を受け服役しました。


    

その彼女、実は10年ほど前に 「外に出ても働きたくないから」 という理由で、保釈を拒否すると発言。

更には「グッチ一族の一員として戻るのが夢」とも・・・呆れてモノが言えません。

世の男性諸氏、伴侶を選ぶ時はくれぐれも慎重に・・・って、私のような平民にそんな女性は近寄ってこないでしょうけど。


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温 故

今日は、我が愛読誌・月刊『致知』4月号から、同誌の表紙を飾った茶道裏千家・第15代家元を務められた千 玄室 氏の特別講話より、その一部を抜粋・編集にてご紹介致します。

           ◆     ◆     ◆     ◆ 

日本の茶の間には、昔はちゃぶ台が置いてありました。

その小さなちゃぶ台を囲んで家族皆が肩を寄せ合って食事やお茶をいただく。
そうしながらいろいろな話に花を咲かせる。

そこに日本の家という一つの情の雰囲気が生まれました。

お父さんは忙しく働き、その間、お母さんが一所懸命に子供たちの面倒を見る。
お櫃(ひつ)からご飯をよそってくれるお母さんに子供たちは感謝の言葉を伝える。
兄弟喧嘩をしながらも、少ないご飯を分け合っていただく。

その共存共栄の中で、日本独自の情が育まれていったわけです。

    

ところが戦後、残念ながらその情はすっかり薄れてしまいました。
妙な民主主義が蔓延(はびこ)り、「自分だけは、自分だけは」という世の中になりました。

もちろん生きる上で「我」や「自分」というものは大切です。

しかし人間が生まれ育って、今ここにいることは自分一人の力ではありません。

まずは父・母、そして血を分けた兄弟たちのおかげです。
そして学校に行くと、足りないところを助け合う仲間がいる。
日本人は少なくとも戦前はそういう共存共栄の道を歩み、それが当然だと思って生きてきました。

しかし、今はそれがみられなくなりました。

親が子を殺す、子が親を殺す、他と関わり合うのが面倒くさい、自分だけが生きていけたらいい。
そんな思想が世界中に蔓延(はびこ)っています。

美味しいものを食べて好きなことをやってさえいたら人間は幸せになる、という考え方は間違っています。

釈尊の教えに、〝一切皆苦(かいく)〟という教えがあります。
人間は生まれた時から死ぬまで全てが苦しみだというのです。

いいものを食べたり、遊んだりすることが幸せだと思っている人がいますが、そんな幸せは一瞬に過ぎない。

私たちの人生は、いつ何時どんなことが起きるか分かりません。

東日本大震災の苦しみから立ち上がるべく、沢山の人たちが今でも頑張っておられます。

私も現地に行きまして被災者の方とお目にかかってお話をさせていただいたり、お茶を差し上げたりしました。 

あるお婆さんにお茶を差し上げた時、

「あぁ、このお茶がいただけてよかったな。 
私はお茶のことは知らんけど、この点(た)ててもろうたお茶が、どんなに心を癒してくれたことか」

としみじみ、そう仰いました。 それを伺った時に、私は

「たった一椀のお茶でも、こんなに役に立つのだな。 ありがたいな。 もっともっと多くの方にこの一椀のお茶を飲んでいただいて、皆さんが少しでも苦しみや悲しみから逃れられようにしなければならない。」

と自分に言い聞かせたものです。

大切なのは、苦しみの多い人生であったとしても、そういう思いやりの気持ちを失わないで、他の人に対して手を差し伸べていくことではないかと思うのです。

自分の手を使って他の人のために少しでも何かをして差し上げる。
その喜びが自分に返ってくる。

その時に人生の本当の幸せを感じられるのではないでしょうか。

「ありがたいな、もったいないな」

という気持ちを一人でも二人でも三人でも多くの人が持っていただけたら、平和という言葉を使わなくても本当に落ち着いた世の中になっていくのではないでしょうか。


           ◆     ◆     ◆     ◆ 

大東亜戦争時には特攻隊に所属し、仲間に頼まれて茶を振る舞い、それを飲んで飛び立っていた仲間を見送る体験をしたという玄室氏は、1923(大正12)年生まれ。

97歳とご高齢ながらも、多くの聴衆の前に背筋を伸ばして立ち、講演をこなされるという玄室氏の言葉に、私たちは真摯に耳を傾けるべきでしょう。

〝温故知新〟という言葉がありますが、現代日本人は特に温故が必要なのかも・・・。


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対象者

昨日の昼下がり、ランチを食べた後ゴルフ専門チャンネルの番組をテレビで観ていたら、「ビンボーン」 とチャイムが。

てっきり宅配便かと思ってインターホンのボタンを押したら、背広姿でスポーツ刈りの男性が立っていました。

どこかの会社のセールスでもなさそうだし、誰だ? と思いつつ、

「はい、どなたですか?」

と尋ねたら、

「私、〇〇警察署の者なんですが。」

あらま、警察官の訪問とは珍しい。 


刑事さんの聞き込みなのかと思って玄関を開け、

「何か近所で事件でもあったんですか?」

と聞いたら、

「いえ、そうじゃないんです。

私、〇〇警察署巡査部長の△△と申しますが、今日は振り込め詐欺について少々ご説明をと思いまして・・・。」


と警察手帳を見せつつ、私にチラシを3枚手渡しました。


       

聞き込みじゃないことに少々拍子抜けというかガッカリしつつ受け取ると、△△さんは

「最近、区内でこういった詐欺が多発しているんですョ。
その手口をいくつかここに・・・」


と言いかけたところで、

「せっかくお越しいただいたのに申し訳ないですけど、私も詐欺の手口に関しては結構知ってますから、大丈夫ですョ。

それに、我が家には引っかかるような高齢者はいませんし・・・。」

そう申し上げたら、△△さんは手持ちのリストに目を落としてから私の顔を見て、

「恐れ入りますが、正さん・・・ですょネ?」

「えぇ、私ですけど?」

と答えた瞬間、分かりました。彼が誰をターゲットに訪問してきたかを。

振り込め詐欺の被害者はもはや7,80歳代ではなく、60歳代にまで低年齢化(?)しているようです。

4年程前、靴専門店でシニア扱いされた時以上に高齢者認定(?)されたことがショックでした。



しかし顔では平静を装いつつ、

「大丈夫ですョ、ウチは。 

固定電話はいつも留守電にしていて出ませんから。」

すると、△△さんは安心したような表情で

「そうですか、じゃあ大丈夫ですネ。
是非ご近所の方にも教えてあげてください。」


と言って、帰られました。

まぁご近所さんにイチイチそんなことは触れ回りませんが、ブログ読者の方には一言。

還暦過ぎたら、もう立派な高齢者・・・振り込め詐欺のターゲットですョ。
くれぐれもご注意を~!


それにしてもこんな事で戸別訪問するなんて、警察のお仕事も大変ですネ。

少々同情しちゃいます。


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案 内

毎年11月に発売され、そのたびに何かと話題になるグルメ本・・・といえば『ミシュランガイド東京』。

これは2007年から発売されていますが、その他にも日本国内では2009年から京都・大阪(関西)版が、その他にも福岡や北海道など主要都市版がスポットで発売されています。 その大元となる


 
ミシュランガイド

  the Michelin Guide

が初めて出版されたのは、今からちょうど120年前の今日のことでした。

発行元のミシュラン社は、ご存じの通りフランスのタイヤメーカー。

1900年にパリ万博が開催された折、同社がドライバー向けに郵便局や電話の位置を記載した市街地図やガソリンスタンド・ホテルの位置などを掲載したガイドブックを35,000部印刷し、無料配布したのがルーツ。


    

これによって自動車を使う人を増やし、タイヤの売れ行きアップを目論んだわけです。

実際に現在でもこのガイドブックを販売した国では、同社のタイヤ売り上げが3%上向くとか。


1920年から有料となり、毎年話題となるレストランを☆付き・3段階で評価するようになったのは1933年から。


フランス国外版として最初に発行されたのは1956年の北イタリア版だったそうですが、その後スペイン版などが発行され、本格的に海外版が出版されるようになったのは、2004年に第6代の総責任者にジャン=リュック・ナレ氏(1961-)が就任してから。

       

翌年にニューヨーク・シティ版が出版されたのに続き、その後ラスベガス・ロサンゼルス版が、その流れで東京版も登場したのです。


ナレ氏は 「東京は世界一の美食の街」 と高く評価、そのせいもあってかこのミシュランガイド東京2008は発売後4日で初版12万部を完売、4ヶ月で30万部近くが売れたといいます。


これ以降、掲載された店にはお客が殺到したり、店主が取材攻勢にあったりと一時は大フィーバーしましたが・・・毎年このガイドブックは更新されるわけですから、一度掲載されると店側がそのステータスを維持するのは大変でしょうネ。

過去には評価が下がったことを苦にフランス人シェフが自殺したこともありましたし、かつては3つ星の常連だったあのトゥール・ジャルダンも星の数が減っていますから・・・。


ただその一方で、その判定の公平性・客観性に疑問を投げがられてもいます。

曰く、「フランス人に日本料理の味が分かるのか?」 とか、「ラーメン店が選ばれるのはいかがなものか」 とか。

まぁその評価の正当性については、実際にお店に足を運んで自らの舌で確かめるしかないでしょうが・・・でも選ばれるお店って、だいたいお高いんですョネ~。


皆さんは過去に掲載されたお店に、行かれたことはあるでしょうか?

我が家はというと・・・ウチの女王様曰く、


「2つ星や3つ星がついた店にはいくつか行ったことがあるけど、大して美味しくなかった店もあるし、ランクインすると予約が集中するから行かないワ。」

と見向きもせず。

・・・って、おい! オレはどこにも行ったことないゾ。

「お前、一体誰といつ行ったんだ?」


と問い詰めたいけど、怖くて出来ませぬ。うー


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【葬儀屋時代の思ひ出】 司 会 <下>

いきなり司会役を放り投げた(?)Sさん・・・結局やりたかったのは、どうやら葬儀委員長だったみたいです。


そして私はいきなり後を託されたわけですが、実は昼下がりにSさんが突然式場にやってきて、二言三言やり取りをさせていただいた時に、


(ハハァ~ン・・・このSさんって、殆ど司会経験はないナ。)


って(失礼ながら)何となく感じていました。


ですから口には出しませんでしたが、

①「やっぱり、や~めた」とドタキャン。
②途中で行き詰まって固まる。

等のアクシデントを想定して、何通りかの進行パターンを予め考えてはいたんです。


さすがに冒頭からこういう展開になるとは予想していませんでしたが、ヘタに中途半端なところでバトンタッチさせられるよりも、私にとって “初期段階での丸投げ” はかえって助かりました。


(司会経験のある方なら、この感覚はお分かりいただけるかと・・・。)


マイクを引き取った私は、

「それでは、まず故人様に黙祷を捧げていただきたいと存じます。
恐れ入りますが、皆様ご起立をお願い致します。」


と進行を引き継ぎ、以降故人様の愛した曲をお聴きいただく “献奏”、そして“献花” 等々・・・時計とにらめっこをしながら式を進め、最後は “喪主様のご挨拶” をいただいて、午後7時過ぎに無事閉式することが出来ました。笑3 ホッ


お食事の席へと皆様をご案内し、皆さんが箸を付け始めた頃・・・部屋からは


「どうだA子ちゃん、ビシッといい通夜になっただろ!」


というSさんの大声が、ロビーにいる私にまで聞こえてきました。あせあせ


       


食事も終わって帰り際、SさんとA子さん、そして私の3人で翌日の打ち合わせをした際には、


「明日は、もうアンタに任せるワ。」


とおっしゃっていたのに、翌日また開式時間ギリギリに式場入りしたSさんが、


「あのさぁ、やっぱりオレ・・・今日の精進落としの料理について最初に説明したいんだけどなァ。」


と言い出すではありませんか。


しかし、さすがに告別式は出棺時間の問題があるので、


「Sさん、お食事の件は告別式の時でなくても、火葬中の待ち時間が約1時間ありますから、その時にお話しされたら如何ですか?」


と申し上げました。 でも、どうしても喋りたいらしくて


「う~~~ん。」

と唸っていたSさんに、それまでズ~ッと見て見ぬふり(?)をしていた奥様が、遂にシビレを切らせたのか、


「アンタ、いい加減にしなさいョ。 今日は静かにしてなさい!」 怒


と一喝。 さすがのSさんも、シュ~ンとして式場に入りました。


おかげさまで告別式は予定通り進行し、皆さんに手向けていただいた花々で一杯になった故人様の棺は、無事火葬場へと向かわれました。


ちなみに火葬場でのSさん、4,5人ずつ座っていたご親戚のテーブルを逐一回って、精進落しの説明を一生懸命していた・・・と、同行した女性スタッフから後で報告がありました。


全ての式次第が無事終了し、A子さんのご自宅に伺って後飾りを設えさせていただいた時、


「一時はどうなることかと心配しましたけど、おかげさまで無事母を送ることができました。 本当にありがとうございました。」


というお言葉をいただき、ホッと一息。


A子さん、さすがにかなりお疲れのご様子でしたが・・・私にとってもドキドキの連続、も~グッタリの2日間でした。

最後に、皆様にお願いがございます。


式当日に「司会をやらせろ」というお申し出だけは、何卒ご容赦いただきますよう・・・って、そんな無茶を仰る方は、拙ブログ読者にはいないでしょうけど。あせあせ


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【葬儀屋時代の思ひ出】 司 会 <中>

開式5分前になっても姿を見せないSさん・・・ヤキモキする私を尻目に、ご親族の皆さんは涼しい顔。


不思議に思ってお聞きすると、ナントSさんのお住まいは式場から自転車で5分もかからない距離にあるとの事。


(道理で、さっきあんな格好で式場に来られたんだ・・・)


と妙に納得したちょうどその時、定刻の午後6時ジャストにSさんが姿を現しました。


「おっ、皆揃ってるようだネ・・・。んじゃ、始めようか?」


と言って、スタスタと式場に入ろうとするものですから、私は慌てて

「す、すみません。 ちょっとだけ打ち合わせさせてください。」


と言ってロビーの片隅に来ていただき、

「司会はお任せしますが、私から開式の口上だけは述べさせてください。 その後はよろしくお願いしますネ。」


と申し上げました。 するとSさんは


「おう! 分かった、分かった。」


と返事をしつつ、式場内へ。


(ホ、ホントに分かってるのかなぁ・・・)うー


そして予定より10分遅れて、兎にも角にも通夜式は始まったのです。


        


式場中央に綺麗な花々で囲われた棺をご安置し、その周囲を囲むようにご親族全員が着席されました。


私は開式の口上を述べた後、


「ではこれより、S様のお取り仕切りによりまして、通夜式を開式とさせていただきます。 それではS様、よろしくお願い致します。」


するとSさんは、席を立つとその場でマイクを手に持ち、何やら準備してきた原稿をポケットから取り出し、それを読み始めました。


内容は・・・故人様と本家(というかご自分!?)の略歴、そして今回無宗教葬形式になった経緯の説明でした。


(あらら、Sさん・・・それって喪主様が喋る内容ですョ。)うー


なんて思っている内に〝司会者〟Sさんのスピーチ(というか原稿朗読)が終わりました。


するとSさん、こうおっしゃったんです。


「で、このたびの葬儀につきましては、葬儀社ウォームハートの社長さんに大変お世話になりました。 ありがとうございました。」


(Sさ~ん、そんなことは言わなくても・・・。

それにまだ開式したばかりで過去形はマズいでしょ。)


そして、これまた予想外の一言がSさんの口から!


「それでは社長さん、あとはよろしく!」


そう言うなり、ドッカリ椅子に座ってしまうではありませんか。驚き顔


(えっ? ち、ちょっとSさん、貴方さっきまで司会進行やるって言ってたじゃないですかぁ。)


喪主席に座っているA子さんが、もう涙目で私をすがるように見つめています。


嗚呼、一難去ってまた一難・・・どうする、ナベちゃん!?


                ・・・・To be continued!


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【葬儀屋時代の思ひ出】 司 会 <上>

葬儀屋稼業から足を洗って早や1年が経ちましたが、17年間お世話させていただいた現場では、今もって忘れられない出来事がいくつもありました。

ということで、今後拙ブログでは折を見てそのエピソードをご紹介したいと思いますが、今日はその第一弾を・・・。

           ◆     ◆     ◆     ◆

亡くなられた女性は、娘のA子さんと同居されていた70歳過ぎの方でした。


生前より 「私の葬式は親戚だけお呼びして、無宗教葬でお願いネ。」 とA子さんに伝えていたとのこと・・・。


私は喪主をお務めになるA子さんとご要望に沿う形での打ち合わせをさせていただき、ご親族様のみ約20名での家族葬ということで、特に問題もなく粛々と準備を進めていきました。


通夜当日の昼過ぎまでは・・・。


       


通夜当日の午後、私たちが式場でお通夜の準備を始めた直後、故人様の弟(つまりA子さんの叔父様)と名乗るSさんが、ポロシャツ1枚というラフ(?)なスタイルで突然お見えになったのです。


(開式までまだ何時間もあるのに・・・なんで?)


といぶかる私に、Sさんは予想だにしない言葉を口にしたのです。

「あのさァ、葬儀屋さん。 悪いけど今日の通夜・・・オレが司会進行やるからさァ。 そのつもりで頼むョ!」


「え゛っ!?」

呆気に取られている私にSさんは、


「じゃ、よろしくねぇ~。」


と言い残し、スタスタと式場から出て行ってしまいました。


(い、一体どういうこと?)


頭が混乱しているところへ、入れ替わるようにA子さんが来られました。


早速その出来事をお話しすると、A子さんはため息混じりに


「やっぱり・・・。」


何でも、亡くなったお母様は5人姉弟のご長女。 


上から4人は全員女性、末弟であるSさんのみが男性ということで、本家を継いでいらっしゃるのだとか。


Sさんはご自分が本家筋だという意識が大変強いとの事。 


これまでも事ある毎に親戚が絡む行事に介入してきたそうで、この日も午前中にA子さんに電話をよこして、


「A子ちゃん、オレが仕切ってあげるから大丈夫。 

心配しなくていいから!」


と言って一方的に電話を切ってしまったのだそうです。


A子さんの立場としては、Sさんの〝ご好意(?)〟を無碍に断るわけにも行かず・・・


「渡辺さん、どうしましょう?」


と、不安な面持ちで問いかけられた私は、

「無宗教葬ですので、いざとなれば私の方で何とかしますから、どうかご心配なく。」

と胸を張ったものの、一抹の不安は拭えず。
うー


(まぁ、開式前に打ち合わせさせていただくしかないか・・・。)


そう思いながら、お通夜の準備を再び始めたのですが・・・。


時間は進み、開式10分前の午後5時50分。 

既にご親族は全員式場に到着されています。


ところが、肝心カナメのSさんだけがまだ姿を見せてくれません。


司会進行を自ら申し出られている以上、私が勝手に始めるわけにもいかず。


開式前から風雲急を告げるご葬儀・・・一体どんな展開になるのやら?


                  ・・・・・To be continued!

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謹賀新年 【お年玉写真付き】

旧年中は拙ブログをご愛読いただき、


誠にありがとうございました。


今後とも相変わらずのご愛顧をお願い申し上げますと

共に、
皆様のご多幸を心よりご祈念申し上げます。


             門松     しめかざり     門松


「一年の計は、元旦にあり」 と申します。

そしてその元旦は、今年最初の〝国民の祝日〟。

日本と国民の安寧を願いつつ、国旗を掲揚しましょう!


       


さて年頭にあたり、私が自らに課す今年のスローガンは、


 鍛 錬


昨年葬儀屋家業を引退して、17年ぶりにゴルフを再開した私ですが、やはり還暦を過ぎると体力の衰えは否めません。

そこで東京オリンピックが開催される今年は、毎朝行っている筋トレの回数を更に増やしてその下降線を少しでも鈍らせる所存です。

こんな感じで・・・。


        


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自律自助

今日は、我が愛読誌・月刊『致知』1月号より、致知出版社・藤尾秀昭社長の巻頭エッセーを一部編集にてご紹介致します。

           ◆     ◆     ◆     ◆

JR東海の葛西敬之(よしゆき)名誉会長は、1963(昭和38)に国鉄入社。

当初は国鉄の枠の中で与えられた使命をいかに完遂するかに集中して仕事をしてきた。

だが、その国鉄は赤字と累積債務が拡大し、経営危機に陥る。
折しも、国の財政も破綻をきたしていた。

となれば増税である。 しかし、国民の反対は免れない。

そこで政府は増税なき財政再建をテーマに行政改革を決意し、第二次臨調行政調査会をスタートさせた。

国家財政再建には、国鉄の問題を解決しなければ先へ進めない。 
ということで、国鉄問題は増税なき財政再建のメインテーマとなった。

国鉄で予算と長期計画と労働問題の3つを経験してきた葛西氏は、第二臨調の担当調査役に任命された。

これがきっかけで、氏は国鉄の分割民営化及びJR東海の創業に携わり、以後32年間同社の発展に懸命に尽力、今日に至ることになる。


       

国が運営する巨大組織・国鉄は、なぜ崩壊したのか?

当時、国鉄は毎年国から7千億円を超える助成金を受けていた。
にもかかわらず、毎年の赤字は1兆円を超えていた。
赤字最大の要因は、労働生産性の低さにあった。

人件費が年収の90%近くを占めていたのである。
稼いだ金の90%近くが賃金に支払われるという異常状況にあった。

しかも一方では東北・上越新幹線を建設中で、経常的な赤字分に加えその工事費分も借金で賄っていたため、毎年2兆円ずつ借金が増加。

昭和56年当時、借金の合計は16兆円を超えていた。
借金が利子を生み、その利子が新たな借金を生む。
国鉄の台所はまさに火だるまになっていたのである。

なぜこのような状態になったのか?

公共事業体という組織の在り方そのものに原因があった・・・と、葛西氏は言う。

公共事業体は国の一部であり、運賃・賃金・要員総数・設備投資など予算全てが国会で決まるが、国会の議決には国鉄労働組合が支持母体となっている社会党の合意が必要であるなど、迅速かつ合理的な意思決定ができない。

こういう状況では対策は常に不十分で時期遅れとなる。 
そこに国鉄赤字の真因があった。

この根本的解決には、一旦国鉄を解体、清算する必要がある。
ということで、国鉄の分割民営化に向けた取り組みがスタートし、1987(昭和62)年にJR各社が誕生した。


 ※国鉄の分割民営化に関する過去記事は、こちら。(↓)


この国鉄崩壊の事実から我々が汲み取るべきものは何か。

自律自助のないところには、どんな経営も成り立たない、ということである。

自律とは自分で自分を律すること。
他に振り回されず、自分をコントロールし、自分のリズムを創っていくことである。


自助とは自分で自分を助けること。
「自分の力で自分の向上発展を遂げること」と辞書にある。

即ち自律自助とは依存心を捨て、すべてを自分の責任として対処していくことだと言える。

他人や環境のせいにせず、自分の最善を尽くすことだとも言える。

「天は自ら助くる者を助く」 という格言がある。
自律自助の精神がある人にのみ、天はその力を与えてくれる、ということだろう。

明治初期、福澤諭吉『学問のすゝめ』と共にベストセラーとなったサミュエル・スマイルズ『自助論』の冒頭の言葉をかみしめたい。

「自助の精神は人間が真の成長を遂げるための礎である。
自助の精神が多くの人々の生活に根付くなら、それは活力にあふれた強い国家を築く原動力となるだろう。」

今、日本は自律自助の精神を失ってはいないか。 今こそ私たちは、自律自助の精神をこの国に甦らせなければならない。


           ◆     ◆     ◆     ◆

確かに現代日本は、如何にして楽をするか、何とか補助金や税金をせしめて暮らそうと考える人が増えている気がします。

働かざる者、食うべからず・・・これが人間の基本のはずなのに。


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