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謹賀新年 【お年玉写真付き】

旧年中は拙ブログをご愛読いただき、


誠にありがとうございました。


今後とも相変わらずのご愛顧をお願い申し上げますと

共に、
皆様のご多幸を心よりご祈念申し上げます。


             門松     しめかざり     門松


「一年の計は、元旦にあり」 と申します。

そしてその元旦は、今年最初の〝国民の祝日〟。

日本と国民の安寧を願いつつ、国旗を掲揚しましょう!


       


さて年頭にあたり、私が自らに課す今年のスローガンは、


 鍛 錬


昨年葬儀屋家業を引退して、17年ぶりにゴルフを再開した私ですが、やはり還暦を過ぎると体力の衰えは否めません。

そこで東京オリンピックが開催される今年は、毎朝行っている筋トレの回数を更に増やしてその下降線を少しでも鈍らせる所存です。

こんな感じで・・・。


        


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自律自助

今日は、我が愛読誌・月刊『致知』1月号より、致知出版社・藤尾秀昭社長の巻頭エッセーを一部編集にてご紹介致します。

           ◆     ◆     ◆     ◆

JR東海の葛西敬之(よしゆき)名誉会長は、1963(昭和38)に国鉄入社。

当初は国鉄の枠の中で与えられた使命をいかに完遂するかに集中して仕事をしてきた。

だが、その国鉄は赤字と累積債務が拡大し、経営危機に陥る。
折しも、国の財政も破綻をきたしていた。

となれば増税である。 しかし、国民の反対は免れない。

そこで政府は増税なき財政再建をテーマに行政改革を決意し、第二次臨調行政調査会をスタートさせた。

国家財政再建には、国鉄の問題を解決しなければ先へ進めない。 
ということで、国鉄問題は増税なき財政再建のメインテーマとなった。

国鉄で予算と長期計画と労働問題の3つを経験してきた葛西氏は、第二臨調の担当調査役に任命された。

これがきっかけで、氏は国鉄の分割民営化及びJR東海の創業に携わり、以後32年間同社の発展に懸命に尽力、今日に至ることになる。


       

国が運営する巨大組織・国鉄は、なぜ崩壊したのか?

当時、国鉄は毎年国から7千億円を超える助成金を受けていた。
にもかかわらず、毎年の赤字は1兆円を超えていた。
赤字最大の要因は、労働生産性の低さにあった。

人件費が年収の90%近くを占めていたのである。
稼いだ金の90%近くが賃金に支払われるという異常状況にあった。

しかも一方では東北・上越新幹線を建設中で、経常的な赤字分に加えその工事費分も借金で賄っていたため、毎年2兆円ずつ借金が増加。

昭和56年当時、借金の合計は16兆円を超えていた。
借金が利子を生み、その利子が新たな借金を生む。
国鉄の台所はまさに火だるまになっていたのである。

なぜこのような状態になったのか?

公共事業体という組織の在り方そのものに原因があった・・・と、葛西氏は言う。

公共事業体は国の一部であり、運賃・賃金・要員総数・設備投資など予算全てが国会で決まるが、国会の議決には国鉄労働組合が支持母体となっている社会党の合意が必要であるなど、迅速かつ合理的な意思決定ができない。

こういう状況では対策は常に不十分で時期遅れとなる。 
そこに国鉄赤字の真因があった。

この根本的解決には、一旦国鉄を解体、清算する必要がある。
ということで、国鉄の分割民営化に向けた取り組みがスタートし、1987(昭和62)年にJR各社が誕生した。


 ※国鉄の分割民営化に関する過去記事は、こちら。(↓)


この国鉄崩壊の事実から我々が汲み取るべきものは何か。

自律自助のないところには、どんな経営も成り立たない、ということである。

自律とは自分で自分を律すること。
他に振り回されず、自分をコントロールし、自分のリズムを創っていくことである。


自助とは自分で自分を助けること。
「自分の力で自分の向上発展を遂げること」と辞書にある。

即ち自律自助とは依存心を捨て、すべてを自分の責任として対処していくことだと言える。

他人や環境のせいにせず、自分の最善を尽くすことだとも言える。

「天は自ら助くる者を助く」 という格言がある。
自律自助の精神がある人にのみ、天はその力を与えてくれる、ということだろう。

明治初期、福澤諭吉『学問のすゝめ』と共にベストセラーとなったサミュエル・スマイルズ『自助論』の冒頭の言葉をかみしめたい。

「自助の精神は人間が真の成長を遂げるための礎である。
自助の精神が多くの人々の生活に根付くなら、それは活力にあふれた強い国家を築く原動力となるだろう。」

今、日本は自律自助の精神を失ってはいないか。 今こそ私たちは、自律自助の精神をこの国に甦らせなければならない。


           ◆     ◆     ◆     ◆

確かに現代日本は、如何にして楽をするか、何とか補助金や税金をせしめて暮らそうと考える人が増えている気がします。

働かざる者、食うべからず・・・これが人間の基本のはずなのに。


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名 前

今日は人生で成功を収めるための、その気になれば誰にでもできる秘訣を、D・カーネギーの名著 『人を動かす』 から抜粋・編集にてご紹介致しましょう。

          ◆     ◆     ◆     ◆

ジム・ファーレーは、妻と3人の息子とわずかな保険金を残して死んだ。

長男もやはりジムといったが、まだようやく10歳になったばかりで、煉瓦工場へ働きに出された。

ジム少年には、学校に通うひまがなかった。

しかしこの少年には、アイルランド人独特の快活さを持っていて、皆に好かれ、やがて政界に進出したが、人の名前を覚える不思議な能力を発揮した。

ジムは高校など覗いたこともなかったが、46歳の時には4つの大学から学位を贈られ、民主党全国委員長になり、合衆国郵政長官になった。

ある日、私(カーネギー)は彼と会見した。
彼に成功の秘訣を尋ねると、答えはこうだった。

「勤勉。」

「冗談はいけません。」

私がそういうと、彼は逆に私の意見を求めた。

「では、あなたはどう思いますか?」

「あなたは1万人の名前を憶えておられると聞いていますが・・・。」

私がそう答えると、彼はそれを訂正した。

「いや、5万人です。」


       

彼は石膏会社のセールスマンとして各地を巡り歩いた時から、人の名を覚える方法を考え出したのである。

初対面の人からは、必ずその氏名・家族・職業、それから政治についての意見を聞き出し、それをすっかり頭の中に入れてしまう。

そしてたとえ1年後に再会しても、その人の肩をたたいて、細君や子供のことを聞いたり、庭の植木のことまで尋ねることができた。

支持者が増えるのも当然である。


          ◆     ◆     ◆     ◆

これと同じことができた政治家が、日本にもいました。

その人の名は・・・今日が命日・二十七回忌(1993年に75歳で逝去)である、田中角栄氏。


         

彼はどんなに飲んだ日でも必ず真夜中の午前0時に起きだして、午前3時まで毎晩国会便覧や各省庁の資料を精読し、政治家だけでなく官僚の氏名・入省年次・家族構成・趣味などを頭に叩き込んだとか。

そしてパーテイー等で出会った官僚に、

「おっ、〇△※◇君か。 ゴルフの調子は、どうだ? 今年はお子さんが受験だろう。 いろいろ大変だろうが、頑張ってくれたまえ。」

と初対面にもかかわらずフルネームで名前を言い、家族のことまで気遣ったといいます。

飛ぶ鳥落とす勢いの有力政治家に、こんな気配りをされたら・・・その官僚が一発で田中角栄氏のファンになったことは、容易に想像できますょネ。

カーネギーは、こう言っています。

〝名前は当人にとって最も快い、最も大切な響きを持つ言葉である〟

皆さんは、出会った人の名前をフルネームで憶えていますか?

なぁんて言ってる私、サラリーマン時代は電話番号など数字を記憶することは得意だったんですが、実は名前を憶えるのが大の苦手。

で、顔は憶えていても名前を忘れた取引先やお得意様に出会った時は、いつも 「あっ、社長!」 ってごまかしてました。

時々、「ナベちゃん、オレは専務だょ。」 などと言われたりしましたが、「えっ、そうでしたっけ? もうとっくに社長になられたとばっかり」 な~んて・・・。

まぁ、こんなんじゃあ出世できませんわナ。うー


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進 呈

先日、エネゴリ君の店でいつものようにランチを食べていると、カウンター越しに彼が突然、

「渡辺さん、コレ差し上げますョ。」


と、細長い筒を差し出してきたんです。

「何? コレ。」

と聞くと、

「渡辺さん、最近熱心にゴルフやってるじゃないですか。
だから、マスターズのカレンダーをプレゼントしようと思って。

先日『紅葉』をいただいたんで、そのお返しです。」


彼の言う紅葉とは、枯れ葉じゃなくて私と女王様が大変好きな日本酒の銘柄。(↓)



店のオーナーが日本酒好きなこともあり、日頃お世話になっているお礼として毎年1本お店に進呈しているんです。

「へぇ~、今までそんなお返しなんてしなかったのに・・・随分気が利くようになったじゃない。」


「いやァ、いつも渡辺さんに鍛えられてますから~。」


「おぅおぅ、オベンチャラまで言えるようになったとは、随分進歩したネ。
とにかく嬉しいョ。 サプライズ・プレゼントありがとう!」


「ウッホッホ~。」

と、彼も鼻の穴を膨らませて満面の笑み。

私はカレンダーを手に、木枯らしの吹く道をテクテク歩いて帰宅すると、早速ビニールの筒からカレンダーを取り出して広げてみました。

昨年優勝したタイガー・ウッズの勝負服の赤と、マスターズ・トーナメントの開催コースであるオーガスタ・ナショナルの緑色が眩しい表紙にウットリ。

ところが、その下には『〇〇産業株式会社』という、聞いたことのない企業名が入っているじゃありませんか。


    


数日後再び店に行った私は、カウンター席に座るなり、

「おい、エネゴリ君ョ。 
この前くれたカレンダー、買ったんじゃないの?」


「えぇ、友達がボクにくれたんです。
わざわざカレンダーなんて買いませんョ。」


「ってことは、貰い物かョ。 
じゃあ 『紅葉』 のお返しが、横流し品ってこと?」


「そういうことになりますかねェ。 
でもいいじゃないですか、渡辺さんあんなに喜んでくれたし。」


「そりゃ嬉しかったけど、そういうもんじゃないんじゃない?」

「そうなんスか?」

と怪訝そうな顔をするエネゴリ君・・・やっぱり、まだ私の指導が甘いのかも。


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予 約

先日の夜、葬儀屋時代の取引先で今でも親交のあるU社長と、少々早めの忘年会をしました。

予約したレストランは・・・あのエネゴリ君の店。

当日の午前中、彼とこんなメールのやり取りをしました。

「今夜はU社長と2人で行くから、よろしく。」

「はい、分かりました。」

「久しぶりのディナーだから、ちゃんとオススメ料理考えといてネ。」

「期待に添えるか分かりませんが・・・。」

「添わなきゃ、ダメ!」

「ホントですか? どんな感じのがいいですか?」

「お前さんに任せる。」

「ありがとうございます。」


        


最初は殊勝な返信だと思ったんですが、徐々にいつも通りのズレた会話になって、最後の「ありがとうございます」 ってのは・・・漠然とした不安を抱えながら、私は予約時間に入店。


席に着いた私は、U社長に

「今日は、予めエネゴリ君にオススメ料理考えとくように言ってあるんですョ。」

と言ってから、彼をテーブルに呼び寄せました。

「ちゃんと考えといてくれた?」

「いえ、ランチが忙しくて考えてません。
って言うか、どれもオススメ料理ですから~。」


「コラお前、そんな言い訳が通用すると思ってんのか?
と言いたいところだけど、どうせそんなことだと思ってたョ。 じゃ、メニュー見せて。」

と、手に取って暫し・・・。

「このマグロとアボガドのコンフィと、岩中豚のミラノ風カツレツってのをちょうだい。」


「おっ、さすがですねェ。 

ボクもそれをお出ししようと思ってたんですョ。」

「だったら、最初に言わんかいっ!」

このやりとりを聞いていたU社長は、大笑い。

実は彼とは以前からこの店で何回か食事を共にしていて、エネゴリ君のことは先刻ご承知であり、かつファンの一人なんです。

「いやぁ相変わらずですネ、エネゴリ君は。」

「私の教育が至りませんで。 でも面白いでしょう? 

喜んでいただければナニヨリです。」

「えぇ、楽しませていただいてます。」

「どうですか? 彼を従業員として雇ってみては。
きっと職場の雰囲気が和みますョ。」

「いやァ、それはちょっとご勘弁を。」

その言葉を聞いていた店のオーナーの顔は、心なしか引きつっていたような・・・。うー


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新嘗祭

今日は、『勤労感謝の日』。


国民の祝日に関する法律により 「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう日」 と定められ、1948年から公布・施行されている祝日。


ですが、1947(昭和22)年までは数ある神事の中で最も重要とされる


    にい  なめ  さい
   新 嘗 祭


が執り行われる、同名の祝日でした。


これは宮中祭祀のひとつで、天皇陛下が五穀の新穀や新酒を神々に供え、またご自身もそれを食して収穫に感謝する儀式であり、全国の神社でも同様の儀式が執り行われます。


新嘗祭は古くから行なわれており、1872(明治5)年までは旧暦11月の2回目の卯の日に行われていました。


それが太陽暦の導入と共に新暦11月の2回目の卯の日に行うこととなり、その最初が11月23日だったため、そのままこの日に固定され現在に至っています。   


宮中での式典は午後6時~8時の『夕(よい)の儀』、午後11時~翌日午前1時の 『暁(あかつき)の儀』

の2回、神嘉殿において催されるとのこと。


       
 
         夕の儀』のご様子


嘗て10年半にわたり侍従長を務められた現・宮内庁参与の渡邉 允(まこと)氏が以前月刊 『致知』 で天皇陛下の祭祀に臨まれる姿勢について語られていましたので、以下に抜粋・編集にてご紹介させていただきます。


       ◆    ◆    ◆    ◆


両陛下は毎朝6時にはお目覚めになり、お二方で吹上御苑の森の中を散歩なさっています。 驚くべきことに、ご病気の時を除いて、この6時起床を変えられたことはありません。

普通はその日の予定に合わせて起床時間を決めたり、休みの日は遅くまで寝ていたくなるものでしょう。


しかし1年を通じて時間を変えないという規律を自らに課しておられる・・・そこに私は陛下の一貫した強靭な意志力を垣間見る思いがします。

そんな陛下の1日は、本当にお忙しいものです。

例えばまず午前中、宮中三殿で宮中祭祀を執り行われた後、午後は宮殿において社会福祉関係者の拝謁や認証官任命式
※国務大臣その他の官吏を任命し、辞令を交付する儀式)がある。 


その後新しく着任した外国大使夫妻のためにお茶会をなさり、夜は御所で近く訪問予定の国の歴史について、学者の話をお聴きになる。

通常、夜10時半が御格子
【※みこうし=陛下が御寝(おしずまり)になること】ですが、大抵両陛下はそれ以後も翌日の行事のための資料や式典で読まれるお言葉の原稿に目を通したり、外国の国王・王妃にお手紙を書かれたりされているようです。

このように朝から晩まで次々と性質の異なるお仕事に取り組まれており、それが1年を通じて続くことになります。


両陛下がお出ましになる大きな行事や式典は休日・祝日に行われることが多いため、5日働いて2日休むという生活のリズムもないのです。


そこまでしてご公務に邁進される陛下の根底にあるもの

・・・それは、「国民のために」 という思いにほかなりません。


陛下のその思いが一つの形として具現化される場が


『宮中祭祀』 です。 


これは陛下が国家国民の安寧と繁栄をお祈りになる儀式のこと。

陛下の一年は、元旦朝5時半から執り行われる 『四方拝』 で始まります。


外は真っ暗、しんしんと冷えている中、白い装束に身をまとい神嘉殿の前に敷かれた畳の上に正座され、伊勢神宮をはじめ四方の神々に拝礼される。

その後宮中三殿に移られて 『歳旦祭』 を執り行われ、五穀豊穣や国民の幸福をお祈りになるのです。

このように陛下が執り行われる宮中祭祀は年間20回程度ありますが、この中で最も重要とされるのが11月23日の 『新嘗祭』 です。


夜6時から8時までと、夜11時から翌午前1時までの2回、計4時間にわたって執り行われる間、陛下はずっと正座で儀式に臨まれます。


我々も陛下がいらっしゃるお部屋の外で同じように2時間正座を続けるのですが、これは慣れている人でも難儀なことです。 


私は毎年夏を過ぎると正座の練習を始めていました。


ある時、陛下の元に伺うと、居間で正座をされながらテレビをご覧になっていたことがありました。

やはり陛下も練習をなさっていると思ったのですが
、後でお聞きしてみると陛下はこうおっしゃったのです。

「足が痺れるとか痛いと思うことは一種の雑念であって神様と向き合っている時に雑念が入るのは良くない。 


澄んだ心で神様にお祈りするために、普段から正座で過ごしている。」

その取り組み方ひとつとっても、専ら肉体的苦痛を避けたいと思っていた私とはまるで次元が違うと感服した一瞬でした。

これらさまざまな宮中祭祀の多くは国民の祝日に行なわれています。


つまり私たちが休んでいる時に、陛下は国民の幸福をお祈りされているのです。

そのことを私たちは忘れてはなりません。


     ◆    ◆    ◆    ◆

渡邊氏の仰るように、多くの人々が祝日の楽しいひと時を過ごしたり寝入っている本日の昼夜、農耕民族たる日本人の代表としてその祭祀を司る天皇陛下自らが長時間正座しながら神々に感謝の祷りを捧げられていることを、国民はしっかりと認識すべきでしょう。


また同記事には、その他にも大きな地震や災害が起きた際にも狼狽えず即座にテレビをつけて情報を収集し、ご自身よりも国民の安全を気にかけておられたエピソードなどが記されておりました。

〝国民が第一、自分は二の次〟・・・普段からのこうしたお考えや姿勢が両陛下から滲み出ているからこそ、東日本大震災や水害被災地をお見舞いされた際、多くの被災者に希望と勇気を与えて下さったのでしょう。

逃げるように現場を離れようとして被災者から厳しい言葉を浴びせられた当時の総理大臣とは、比べることすら憚られます。


今年は既に大嘗祭が今月14~15日にかけて執り行われたため、宮中での新嘗祭はありません。

    

しかし日々私たちのために祈りを捧げられている両陛下に感謝し、その思いに応えられるような国民にならねば!・・・と改めて今日、気を引き締める次第。


そして敗戦後GHQによって葬り去られた伝統ある祭祀の歴史や由来を次世代に語り継ぐことも、私たち大人の義務であり、〝日本を取り戻す〟ためには、まず 『勤労感謝の日』 という意味不明の呼称を 『新嘗祭』 に戻すべきだと私は考えます。

今日はそんな思いを込めつつ、厳粛な気持ちで国旗を掲揚しましょう!


        

 


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キャンペーン狂騒曲 <下>

キャンペーンに入賞を果たしたのに、なぜ私が窮地に追い込まれたのか?


実はD社長、最初に私からのキャンペーン内容の説明をロクに聞いていたかったため、抽選会があるなんてことは全く頭になく、売上トップになれば自動的にビデオレコーダーが貰える・・・そう思い込んでいたんです。


そのことを私が知ったのは、打ち上げ抽選会の前日。 D社長が、


「おい、明日もらえるんだろ。 その〝ビデオ何とか〟っていうヤツ。」


と嬉しそうに電話口で私に言った時でした。


今更抽選で外れたら貰えないなんて言えるわけもなく、電話を切った私はすぐに上司に報告・相談したんですが、


「そもそも抽選会を考えたのはオマエなんだし、事前に周知徹底できなかったのもオマエの不手際。 
だからもし外れたら、オマエが自腹で買うしかないだろ。」


と、突き放されてしまいました。うー


当時ビデオレコーダーの価格は10万円以上。

私の給料の、手取りほぼ1ヶ月分ですョ。


嗚呼、あとは運を天に任せるのみ・・・。

(もしかしたら、1ヶ月タダ働きになるかも・・・。)


そんな恐怖感で前夜一睡もできなかった小心者の私は、命運を握る 〝ガラポン抽選機〟を自ら手配し、(頼むゾ!) と念を込めつつ玉をセット。


         


試しに自分で10回程トライしてみましたが、全部ハズレの赤い玉。ダメだぁ顔


イヤ~な予感を引きずったまま、全ての準備が整ってから1時間後の午後6時、キャンペーン表彰式が始まりました。


会場は社員や取引先総勢50名近くの参加者で熱気ムンムン。


乾杯後にしばし酒宴が盛り上がったところで、いよいよ抽選会の始まり始まり~。


司会役の私から


「それではまず最初に、今回のキャンペーンでまたまた売上第1位のD社長にご登場願いましょう!」


と振って、抽選機の前に引っ張り出します。


怪訝な顔をしているD社長に、


「ここは盛り上がりどころですから、勢いよく回してくださいョ。」


と耳打ち・・・すると、かなり酒が入ったD社長は、


「お、おう。 分かった。」


と言って、ガラポンの前に。


すると次の瞬間、なんと両手でガラポン本体を鷲掴みにしてユサユサ揺らし始めたのです。


「社長、社長。 そ~じゃないですって。 回すんですョ。」


「分っとるョ、そんなことくらい。 ちょっとおまじないをかけたのサ。


よ~し・・・まぁ、見てなって!」


と言うが早いか、取っ手を持ってグルングルンと全速力で5~6回は回転させたかと思うと、


「キェ~~~ッ!」


という気合(というか奇声)とともに急に手を止めると・・・ポロッと玉が一つ出てきました。


な、何とコレが一等大当たりのキンタ・・・あ、いや〝ゴールデンボール〟。驚き顔 ワォッ


「やりましたァ~、いきなり1等大当たりィ~!」


手にしたリンをガランガランと鳴らしながら叫ぶ私は、おそらくD社長以上に興奮していたはず。


他人の福引当選を心から喜んだのは、後にも先にもこの時だけでしょうネ。


しかし100分の1以下の当選確率だったゴールデンボールをいきなり最初に出すとは、類まれなる強運の持ち主ですワ。


皆にヤンヤの喝采を受け、ビデオレコーダーを手に上機嫌でタクシーに乗って帰ったD社長。。


結果的に全て丸く収まって、ホッと胸をなでおろした私や先輩社員は、その後遅くまで祝杯をあげたのです。


翌朝・・・少々酒が残って頭がガンガンしている私に、D社長から電話が。


「お~い、ナベちゃん。 この機械とテレビのつなぎ方、分かんねぇぞ!

すぐウチに来て、見えるようにしてくれヤ!」


・・・私ゃ、電気屋か!怒


もう、クッタクタ。


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キャンペーン狂騒曲 <中>

当時の私は取引先を40程担当していたのですが、その中で最も売上が大きかったのが、以前拙ブログ記事『五目並べ』シリーズに登場した、あのD社長の会社。(↓)


今回のキャンペーンにも是非ご協力を、と中身の説明に伺ったところ・・・D社長の口から予想せぬ一言が。


「ナベちゃんョ。 そのビデオレコーダーって・・・何だ?」


驚いた私が思わず、

「え゛っ、 ご存じないんですか?」

とうっかり口を滑らせたのが気に障ったらしく、Dさんは口を尖らせて、


「そんなワケの分からん物、ワシは要らん!」


と言って、プイッと横を向いてしまったのです。


(あちゃ~、しまった。) 


と思っても後の祭り。 自ら発案したキャンペーンに、自分にとって最大取引先の協力を得られなくなってしまったのです。


しょうがないので、他の取引先に足繁く通って何とか売上目標を達成しようと頑張ったんですが、苦戦が続きます。


そしてキャンペーンもあと1週間で締め切り・・・という某日。 


突然D社長から 「事務所に来い」 というお呼び出しが。

打ち合わせ用の机に手招きされて座ると、
なぜかDさんはいつになく上機嫌。


                 


そしていきなりこう言い出すのです。


「ナベちゃんょ~、いくら契約出せばキャンペーンのトップになるんだ?」


「えっ? この前までキャンペーンなんか知らないって言ってたじゃないですか?」


「いいから、教えろョ!」


後で分かったんですが、どうやらD社長はビデオレコーダーがあると、大好きな演歌番組を録画して好きな時に何度も観られることを誰かから教えてもらい、俄然やる気になったんです。


D社長の豹変で、めでたく私はイッキに個人目標を突破!扇子


営業課全体でも無事入賞ラインを突破したのですが、ここで一難去ってまた一難。


自分が考え出した事で、まさかあんな思いをすることになろうとは・・・。


                 ・・・・・To be continued


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キャンペーン狂騒曲 <上>

官公庁ならいざ知らず、民間会社であれば 〝販売強化キャンペーン〟 を行う会社は多いと思います。


(葬儀業界でもキャンペーンを実施する会社があるという話を以前耳にしたことがありました。 一体ナニを販売強化するのか?・・・私にはちょっと理解できませんでしたが。)うー


かつて私が勤務していた損保会社でも、毎年11~12月に〝積立保険キャンペーン〟なるものがあり、その時期が近づくと憂鬱になったものです。 


(生保業界でも、11月は昔から〝保険月〟って言われてますょネ。)


とは言え、これもお仕事・・・何としても入賞しなければ勤務評定にも響きますから、営業社員は必死になります。


そこで販売代理店さんに頑張ってもらおうと、各支店・支社では知恵を絞っていろいろな施策を打ち出すわけですが・・・。


約20年にわたる在職経験の中、何度も苦労させられたこの恒例行事(?)で、私には忘れられないキャンペーンがあります。


それは今から約30年前のこと。


毎年繰り返される積立保険キャンペーンに、代理店さんも食傷気味・・・何か今までと違うやり方はないか?・・・と営業課の社員全員で頭を捻る中、当時平社員だった私が提案した 『お楽しみ福引抽選会』 が採用されました。


従来は契約高上位の方から順に高額賞品をゲットしてしまうために、途中で諦めてしまう方が何人も出てしまっていたんです。


それを防ぐために、売上高○○万円につき1回の福引券を差し上げて、キャンペーン終了後に全員集まって福引大会を開催・・・これならば運次第で、売上げトップを取れなかった方でも一等賞が当たる可能性があるわけです。


そして皆さんがやる気の出る目玉賞品として、一等賞は 『ビデオレコーダー』 に決定!      


当時はホームビデオ規格戦争がVHSの勝利で決着がついた直後。

 ※その戦争に関する過去記事は、こちら。(↓)


誰もが欲しがる最新の電化製品ということで、キャンペーンのキックオフでも代理店さんの評判は上々、スタートの盛り上げは大成功。


ところがその翌日、予想外の問題が勃発したのです。うー


                   ・・・・・To be continued

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こころ

今日は、私の愛読誌・月刊『致知』11月号より、アサヒビール社友・福地茂雄氏の〝巻頭の言葉〟をご紹介します。

           ◆     ◆     ◆     ◆

「心だに 誠の道にかなひなば 祈らずとても 神や守らん」

菅原道真の作と伝えられるこの歌を私の母は生前よく口にしていました。

母は毎朝4時に起床し、神棚や井戸端の水神様、仏壇などに茶湯・米飯をお供えするのが日課でしたが、神仏に手を合わせる姿はついぞ見たことがありません。


しかし信仰心は人一倍篤く、ご先祖様を心から敬っておりました。

一方の父はも極めて熱心な日蓮宗の信者で、朝夕の朗々とした度胸の声は僧侶を凌ぐほどのものでした。

台東区の某仏具店の看板に、「こころはかたちを求め、かたちはこころをすすめる」 とあります。

こころは神仏を敬う心、かたちは神棚や仏壇を指しているのでしょうか。

かたちを整えることによって、神仏を敬うこころが養われることを説いているように思われます。

これを踏まえて両親の姿を振り返れば、父の信仰はかたちの後でこころに至り、母の信仰はこころを大切にしていたことが実感されます。

思いがけないところで、人間の生き方、さらには経営の在り方にも示唆を得た気がして、この言葉は深く印象に残っています。


       

今の我が国は、かたちにおいてはあらゆる方面で整ってきたと言えるでしょう。

しかし、かたちに伴うこころをどこかに置き忘れてきてはいないか、と私は憂慮しています。

サッカーや野球の国際試合では、顔に日の丸を描き、必勝と書かれた鉢巻を締めた若者たちが 「ニッポン、ニッポン」 と連呼する姿をよく見かけます。

しかし彼らには、自分の国を自分で守ろうとする愛国心はあるのでしょうか。

スタジアムで大きな旗を振りながら熱狂的な声援を送る彼らの中に、自分たちを育んでくれた郷土の〝かたち〟に愛着を持ち、郷土愛という〝こころ〟を育んでいる人がどれ程いるでしょうか。

企業においても、売上高や利益水準などの経営数値はかつてとは比べものにならないくらい大きくなりましたが、企業統治の不良や検査不正は後を絶ちません。

自分が求めて入った企業を愛する〝こころ〟が希薄になっているところに、その真因があるように思います。

教育においても同様です。

キャンパスという〝かたち〟だけは立派になりましたが、教育内容という〝こころ〟が近隣諸国や諸外国と比較して著しく劣っていることは、統計資料の示す通りです。

知識はもとより、人格を育み、人間をつくる教育は欠如していないでしょうか。

家庭も例外ではありません。

家屋は総じて立派になったものの、肝心の家庭がなくなった現状では、三世代同居という言葉も虚しく響くばかりです。

私の母は『あゝ玉杯に花うけて』『風の又三郎』といった少年小説を買い与えるなどして私の〝こころ〟を育んでくれ、父はご先祖様を敬う〝こころ〟の大切さを教えてくれました。

親は子を大切にし、子は親を敬う。

家庭の〝こころ〟はどこへ行ってしまったのでしょう。

国を愛するこころも、自分たちを育んでくれた郷土を愛するこころも、母校を愛し先生を尊敬するこころも、祖父母や両親に感謝するこころも、子や孫を慈しむこころも希薄になってきている今、私たちは〝かたち〟と同様に〝こころ〟も大切にしなければならないことを、胸に刻まなければなりません。


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祖国を愛する若者の比率が、日本は国際的に見て大きく劣るという統計がありました。

仏作って魂を入れ忘れた結果が、そこに出ているといえるかもしれません。


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