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【葬儀屋時代の思ひ出】 S L

「あの、そちらで葬儀をお願いしたいんですが・・・。」

突然高齢と思しき女性から電話がかかってきました。

聞き覚えのないお声でしたし、お名前を伺っても記憶のないその方は、以前お手伝いさせていただいたご葬儀の喪主様から弊社を勧められて電話されたとのこと。

大変ありがたいご紹介をいただいたわけですが、お話を伺うと予てより入院されていたご主人がその日の朝逝去され、まだ病院にいらっしゃる由。


すぐに寝台車のお迎えを手配し、ご自宅に搬送・安置させていただいた後、葬儀の打ち合わせに入りました。

奥様のお話では、90歳近い故人様はかつて国鉄で蒸気機関車の運転士をなさっており、その仕事に大変誇りを持っていらっしゃったとのこと。

葬儀には国鉄時代の後輩も何人か参列されると聞き、私はあることを思いついたのです。

通夜・告別式と葬儀は滞りなく進行し、導師様がご退堂なされた後に生花祭壇のお花を参列者の皆様から全て御柩に手向けていただき、喪主を務められた奥様からのご挨拶が済みました。


私は参列された数人の元・国鉄マンの方々に声をおかけし、御柩をお持ちいただくと、

「故人様、ご出棺でございます。」

と口上を述べると同時に、後方にいる女性スタッフに手で合図を・・・。

それを見た彼女が音響機器のスイッチを入れると、式場内には

〝ポォォォ~~~ッ〟


という蒸気機関車の汽笛が鳴り響き、その直後、

〝シュボッ・・・シュボッ・・・ボッ、ボッ、ボッボッボッ・・・〟

という蒸気の排気音が。


       


故人様のお旅立ちは、長年運転した蒸気機関車の汽笛と共に・・・そう思った私は、葬儀の前日にショップに行ってSLの音源が入ったCDを探し、ちょうど発車の瞬間の音が出るようにセットしておいたのです。

これは、奥様や会葬者には内緒のサプライズ。

ですから実際に皆さんがどんな反応をされるか分からなかったのですが・・・蒸気音と共に柩を外の霊柩車に運ぶ元運転士の方々の目からは、一様に涙が溢れているではありませんか。

そして式場内には、蒸気音と共にすすり泣く女性会葬者の嗚咽も・・・予想以上の反応に、仕掛けた私自身も感動。

そして火葬後の精進落としを召し上がり、会葬者を見送られた奥様からは

「渡辺さん、あの出棺の時のSLの音は、ビックリしましたョ。

でも後輩の方々も感じ入ったみたいだし、なにより主人が喜んだと思います。 本当に、ありがとうございました。」


と最後に言っていただけて、私はホッと胸をなでおろした次第。

式中のBGMに故人様のお好きだった曲を流すことはよくするのですが、たとえ一瞬でも人々の心に深く突き刺さる音がある・・・そんなことをあらためて認識させられました。笑3


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制 動

中高年世代で、特に寒冷地にお住まいだった方には馴染みがあると思いますが、30代以下の若者の殆どはコレが何だか分からないかも。 (↓)

       


接地面に金属が埋め込まれている、

 スパイクタイヤ

ですネ。 

これを若者が知らないのは、今からちょうど30年前の今日、『スパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する法律』 が制定・施行されたからでしょう。


凍結・圧雪路を安全に走行するため、タイヤに金属製の鋲を埋め込むスパイクタイヤは、1959年に北欧のフィンランドで開発され、以後急速に欧米で広まりました。

日本で国内生産が開始されたのは1962(昭和37)年でしたが、氷結路面では従来のスノータイヤに比べ抜群の制動性を発揮することから、その後1970年代に普及したとのこと。

しかしこのタイヤの普及によって、1980年代に入るとスパイクによって舗装路面が削られ粉じんとなって飛散し人体への悪影響があると指摘されると共に、再舗装費用がかさむことが問題化。

国内で最初に問題提起されたのは宮城県仙台市で、1983年には
宮城県が全国初のスパイクタイヤ対策条例を制定。

スパイクタイヤの販売が1985年にピークを迎える中、粉塵問題はますます問題となり、1986年には通産省がスパイクタイヤの出荷制限を指導。

そして1988年、公害等調整委員会において、スパイクタイヤメーカー7社と長野県の弁護士等との間で、スパイクタイヤの製造・販売中止の調停が成立。

翌1990(平成2)年6月27日に、前述の法律が発布・施行されたのです。

もちろんタイヤメーカーも手をこまねいていたわけではなく、粉じん問題が提起された直後の1984年には社団法人日本自動車タイヤ協会がスタッドレスタイヤ制動試験を実施するなど、後継となるスタッドレスタイヤの開発に着手。

同法施行後スタッドレスタイヤの発売を開始しています。

       

私自身、このスパイクタイヤ禁止の話題が出た頃は、ちょうど雪国・青森に赴任中。

雪がちらつくころになると、営業車のタイヤを自らジャッキアップしてスパイクタイヤに付け替えてました。

(スタッドレスはスパイクタイヤ同様の制動力があるんだろうか?)

と不安だったのですが、幸いにも同法施行直前に関東地方に転勤となり、スタッドレスタイヤでの運転はしなくて済みました。

その数年後新潟支店に転勤になって初めてスタッドレスタイヤで運転しましたが、メーカーの品質改良が進んだのか、私が思った以上に制動力があって安心したことを憶えています。

そうそう、その新潟で夏場でもスタッドレスタイヤをはいている取引先の社長がいらっしゃって、その理由を聞いたら、

「雪が降りそうになったら新品のスタッドレスにして、そのまま1年間乗るのサ。 そうすれば次の年に新品にするまで、タイヤ交換しなくていいだろ。」

と言われ、なるほど~と感心したことも。

さて私のようにスパイクもスタッドレスも経験した方は、スタッドレスに満足・安心されてますか?


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貧乏食 <下>

(一体、どうやって食うんだ?)


私が横目で、また店員もチラチラと見る中・・・彼はカウンターに置かれた餃子用のラー油と醤油をドボドボとライスにかけて、食べ始めたのです!驚き顔


全く無表情のままでライスを口に運ぶ彼を見て、私はただただ呆然。


そして1枚目の皿を食べ終わろうとした時、店員が彼に声をかけました。


「兄ちゃん、それじゃ寂し過ぎるだろ。 

コレ食いな、サービスだから。」


そう言いながら、野菜炒めをカウンターに置いたのです。


彼は上目遣いで店員を見てコクッと頭を下げると、その野菜炒めをラー油まみれの2枚目のライスと共に、さっきよりも美味しそうに食べていました。


       


それを見て思わず 「オ、オレにも・・・」 と言いそうになり、喉元で危うく言葉を飲み込んだ私。うー ナサケナイ・・・


(慶応にも自分より金欠な学生がいるんだなァ)


 と、妙にホッとした夜でした。


今にして思えば、以前爆発的にヒットした 〝食べるラー油〟・・・開発した桃屋さんの担当者は、昔似たような経験をしたことがあるのかもしれません。


でも私、本当は彼のことを笑えないんです。 


子供の頃空腹に耐えかね、炊飯器に残っていた冷や飯に醤油と味の素をふりかけ、そこにお湯を注いだ〝醤油茶漬け〟をオヤツ代わりに何度も食べていたんですから。あせあせ


これに負けない貧乏食を見たり聞いたり、また食べたことのある方は是非経験談をご披露下さい。


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貧乏食 <上>
>>続きを読む
良 書

20年前に発刊され、250万部も売れる大ベストセラーになった 『金持ち父さん 貧乏父さん』 ・・・読まれた中高年代の方も多いと思います。


でも、この本の出版元はどこか? と聞かれてパッと答えられる方、いらっしゃるでしょうか?


私の故郷・信州に縁がある会社なのですが・・・その社名は


 筑摩書房


この出版社が設立されたのが、今からちょうど80年前の今日のことでした。


創業者は、長野県生まれの古田 晁 (ふるた あきら)さん。

       


社名は、彼の出生地が東筑摩郡筑摩地村(現・塩尻市)だったことに因むとか。


1906年に生まれた彼は、東京帝国大学文学部を卒業後結婚・渡米し、父親の経営する日光商会に勤務。


そして帰国後、旧制松本中学の同級生であった臼井吉見さんを編集担当に迎え、1940(昭和15)年1月に筑摩書房を設立。


処女出版の 『中野重治随筆抄』 を発売した同年6月18日を創業の日としたのです。


1942年に株式会社化し、古田さんが初代社長に。


1946年には臼井さんを編集長として月刊誌 『展望』 を創刊する傍ら、『明治文学全集』・『現代日本思想大系』・『井伏鱒二全集』・『定本柳田国集』 など、多数の全集を発刊し、〝全集の筑摩〟といわれました。


古田さん本人も多くの作家と交流があり、太宰治は古田さんの元を訪れたものの不在・・・その翌日に入水自殺を遂げるといった出来事もありました。

 ※太宰治に関する過去記事は、こちら。(↓)



しかしその時古田さんが不在だったのは、精神的に追い詰められた太宰氏を静養させるために必要な食料の調達に出かけていたから。


自殺を知った彼は、「もしその時会えていたら、太宰さんは死ななくて済んだかもしれない・・・。」 と悔いたとか。


その思いが、1964年に同社が 『太宰治賞』 を創設した伏線なのかもしれません。


そんな面倒見の良さに加えて、創業精神が 「損をしてもいいから良書を出そう」 だったため、採算は度外視。


また労働組合を恐れて従業員にボーナスを大盤振る舞いするなどしたため経営は苦しく、古田さん自らが所有する山林を売って赤字を補填していましたが、その彼が1973年に逝去したことで万事休す。


1978年に会社更生法を申請し、倒産。


しかしその後は全集・教科書など強みのある分野に出版物を絞り、なおかつPOSデータの活用などで情報解析に力を入れ、業界に先駆けて全員にパソコンを持たせるなどの経営革新を行い復活。


現在はちくま文庫・ちくま学芸文庫・ちくま新書など出版分野を広げるまでになっており、「良書を出そう」 という創業精神は経営危機を乗り越えて同社に生き続けているようです。

       


※ ↑は同社のロゴ。 青山二郎さんが創業を記念して1940(昭和15)年に青空をはばたく鷹をデザインしたもの。


出版する書籍には地味な内容のものが多いですが、拙ブログでは過去に澁澤栄一の 『現代語訳 論語と算盤』 や 『責任 ラバウルの将軍 今村 均』 『忘れられた日米関係 ヘレン・ミアーズの問い』等々、何冊も紹介しており、創業精神通りの良書が多いです。

書店に行かれた際は、是非ロゴマークを目印にして筑摩書房の書籍に注目してください。笑2


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褒められ下手

先日エネゴリ君の店に行った際、入口に


〝本日のオススメ ローストビーフ〟

の看板が。 中に入ってすぐ、

「ローストビーフなんて作ったんだ。 ちょっと食べてみようかナ。」

と彼に言うと、

「えっ、渡辺さんローストビーフ食べるんですか?」

ですって。 

「ナニ言ってるだョ。 オレが肉好きなの知ってるだろ。」

「だって、先週来られた時、注文してくれなかったから・・・。」


「えっ、先週からやってたの?」

「ちゃんとメニューに載せてましたョ。」

「そんなの見なかったぞ。 入口に看板なかったし。
そもそもお前さんに今日のオススメ料理は?って聞いた時、何も言わなかったじゃん。」

「そうでしたっけ?」

「そうだョ。ったくいい加減なんだから・・・まぁいいや。 

とにかく、食べさせておくれ。」

とオーダーして、出てきたのがこちら。


             


一見して気付いたのは、よくホテルのブッフェで見かけるローストビーフにかかっているホースラディッシュのソースじゃないこと。

「これ、何ていうソースなの?」

「カニマスタードです。」

「えっ、ローストビーフに、カニ?」

「カニじゃないですょ、ハニー・マスタード。
渡辺さん、耳悪くなったんじゃないっスか?」


「ナニ言ってんだょ、お前の発音が悪いんだっての。」

と言いつつ、一口食べてみると・・・これが意外と美味。

「おっ、ウマイじゃん! これ、オーナーが作ったの?」

とオーナーに聞くと、彼はプルプルと首を横に振ってエネゴリ君を指差すじゃないですか。

「へぇ~、キミが作ったんだ。」

「コイツ、時々オリジナルでイイもの作るんですョ。」

とオーナーが珍しく褒めたのに、彼と来たら

「ホントに美味しいですか?」

って私に聞くんです。

「美味しいから美味しいって言ってるの。 それとも何か? お前さんは味に自信がない料理を客に出すのかい?」

「いや、ホントは自信あったんです。」

「だったらありがとうございますとか、素直に喜ばんかい。
ったく、褒め甲斐のないヤツ。」

「そんなこと言わずに、もっと褒めてくださいョ~。
滅多に褒められることないんですから。 ウッホッホ!」


その後15分以上、このボケツッコミ会話が続きましたとさ。 うー

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習 慣

我が愛読誌・月刊『致知』7月号に掲載された、JFEホールディングス名誉顧問・數土(すど)文夫氏の巻頭エッセーに共感すること多々あり、以下に一部編集にてご紹介致します。

           ◆     ◆     ◆     ◆

21世紀に入り、世界には金融危機・自然災害・貿易戦争・技術革新など、多種多様な問題が続出しています。

そんな中、武漢肺炎が世界的に流行し、厳しさは増すばかりです。

私は収束・回復までに数年を要すると見ていますが、企業は規模の大小を問わず、いつ潰れるか分からないと覚悟してかからなくてはなりません。

古来、国家や企業をはじめとするあらゆる組織にとって、リスク管理と危機管理はその存続に関わる重大事でした。

〝リスク〟と〝危機〟は同じ意味だと思われている方が多いかもしれませんが、異なっています。

〝リスク〟は近い将来起こり得る危険や異常事態のことで、〝危機〟は現実に発生してしまった危険や異常事態のこと。

共に管理と言っているのは、具体的には対処法であり実践そのものだからです。

そこには大きな負担や犠牲を伴いますし、取捨選択のスピードこそ肝腎。

碩学・安岡正篤氏の 『六中観』 に 「死中活有り」 とあるように、トップは己を捨てて初めて果敢な決断ができるのです。

こういう非常時には特に、先人の多様な事例を学んでいるかどうかが、成否の分かれ目になるでしょう。

何かにつけて 「想定外だ」 と言う人は、「自分は歴史を学んでいない」 と告白しているようなものです。

       

18歳で鎌倉幕府の執権となり、蒙古襲来の危機から日本を救った北条時宗は南宋の禅僧・無学祖元に教えを乞い、同様に17歳で米沢藩主となり困窮していた藩の財政再建を成し遂げた上杉鷹山は儒学者・細井平洲に師事し、共に十代の時に漢籍の素養と実践の基礎・重みを修得しました。

徳川家康にしても幼少の頃に禅僧・太原雪斎の感化を受けています。


家康に比して織田信長や豊臣秀吉がその晩年リスク管理と危機管理に欠けていたのは、師と呼べる人物に恵まれなかったこと、更には 『貞観政要』(※唐代に兢が編纂したとされる太宗の言行録)などを読んでいなかったことに因(よ)るでしょう。


十代までの学び、特に古典を中心にした読書が、思索や精神修養を深める上で重要な役割を果たしていたことが伺えます。

ちょうど百年前、世界はスペイン風邪に席巻され、全体で感染者5~6億人、死者2~5千万人を記録しました。

日本でも感染者数約2千3百万人、死者約38万人といわれています。

各国はその時の体験を今回のリスク管理・危機管理に十分生かすことが出来なかった、と言わざるを得ません。

新聞報道によれば、武漢肺炎感染拡大の影響で休園・休校となった幼児から中学生までの保護者を対象に、ある大学院の准教授か子供の1日の過ごし方について調査したところ、増えた時間は

  テレビ・ビデオ視聴  80%
  インターネット動画視聴  62%
  ゲーム機器利用  52%

で、読書の項目はありませんでした。

また全国大学生活協同組合連合会の最新調査では、1日の読書時間がゼロと答えた大学生は48%と報告されています。

エズラ・ボーゲルは1979年、日本の高度経済成長の要因を分析した著書 『ジャパン・アズ・ナンバーワン』 の中で、

「日本の成長基盤をなすものは、その高い学習意欲と読書習慣である」

と述べ、一国の経済的隆盛の主因をその国民の学習意欲と読書習慣にあると喝破・・・凄まじい見識だと思います。

国や企業の存亡に関わるリスク管理と危機管理には、健全な国家観・歴史観・倫理観が重要です。

それまで読書を殆どしてこなかった人が、組織の要職に就いたからといって、急に国家観・歴史観・倫理観が涌き出てくるはずがありません。

『論語』 に次の章句があります。

「人にして遠き慮無ければ 必ず近き憂有り」
(目先のことに因われず、先の先まで思いを巡らせていない者には、必ず近いうちに思いかけない難事が起こるものだ)

幼少時の読書習慣こそ、遠き慮りの原点だと思います。

人生百年時代になればなるほど、エボラ・ボーゲルと孔子の言葉はその重みを増してくるのです。

日本の将来のために、外出自粛の今こそ子供に読書習慣を身につけさせる。

それにはまず親自身が読書を楽しむ姿を背中で示すことが遠き慮りではないでしょうか。


           ◆     ◆     ◆     ◆

〝賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ〟
〝鉄は熱いうちに打て〟
〝親の背を見て子は育つ〟

先人の言葉には、素直に耳を傾けるべきですネ。


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規 制

今からちょうど70年前の今日・1950(昭和25)年6月1日・・・私たちに今でも大きな関わりのある法律、

 電波三法

が施行されました。 


その3つの法律とは、

① 電波監理委員会設置法

これはその名の通り電波監理委員会の組織について規定したものですが、1952(昭和27)年4月のサンフランシスコ条約調印により主権回復したことで、廃止されています。

② 電 波 法

電波の公平かつ能率的な利用を確保することによって、公共の福祉を増進することを目的とする法律で、現在でも適用されています。

そして、これが我々国民にとって最も身近というか関係が深い法律と言えましょう。

③ 放 送 法


同法は、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的としています。

特に重要なのは、以下の第四条。 


『放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。 』


1.公安及び善良な風俗を害しないこと。
2.政治的に公平であること。
3.報道は事実をまげないですること。
4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

誰が読んでもごもっとも・・・だと思うのですが、これが4年ほど前に注目を集めました。

当時の高市総務相が3月の衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法第4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及したからです。

※放送法第76条・・・総務大臣は、免許人等がこの法律、放送法若しくはこれらの法律に基づく命令又はこれらに基づく処分に違反したときは、3箇月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ、又は期間を定めて運用許容時間、周波数若しくは空中線電力を制限することができる。


この発言に対し左翼メディアは激しく反発。


やれ 「言論統制だ」、「政府の横暴だ」などと反発し、テレ朝やTBSのキャスターらが記者会見まで開きましたが・・・皆さんは、どう思われるでしょうか?


       

私は高市総務相の発言は法律に則った至極まともな発言であり、むしろそれに色めき立つメディアの方がおかしいと思います。

法律上公平かつ様々な意見をできる限り放送するのは当然ですし、それに違反したら罰則を加えることは法に定められているのですから。

それを批判するのは、自分たちがそうしていないという自覚があるからでしょう。

記者会見したキャスターたちは、『放送法遵守を求める視聴者の会』 から公開討論を申し込まれても、逃げの一手。

もはやその時点でジャーナリストを語る資格などない、と私は思います。

テレ朝やTBSなどの左翼メディアは政権批判に重点を置いたり、街の声も野党支持のものばかり集めて垂れ流しているんですから、公平性なんてあったもんじゃありません。

そういう放送局には上記電波法第76条とはいかずとも、以下の放送法の罰則を科すべきでしょう。


第174条・・・総務大臣は、放送事業者(特定地上基幹放送事業者を除く。)がこの法律又はこの法律に基づく命令若しくは処分に違反したときは、三月以内の期間を定めて、放送の業務の停止を命ずることができる。


あるいは、放送法を廃止して、世界的には標準化している電波オークションの導入をすべきかと。

そうすれば、民放だけでなく反日左翼化が著しいNHKも規制することができますから。

しかし放送局には、放送法があるだけまだマシ。

問題は、新聞。 
何故なら、新聞にはこういう法規制がないんです。

つまり、新聞社や記者の方針・思想を好きなように書けるし、反論を併記しなくても、更には捏造記事を掲載しても罰せられません。

未だに 「新聞は公正中立で、ウソは書かない」 と信じている方がいらっしゃるようですが、はっきり言ってそれは妄想ですョ。 うー

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決 戦

今から115年前の今日・1905(明治38)年5月27日から2日間にわたり、日本の将来を大きく左右した戦闘が行なわれました。 


それは、司馬遼太郎さんの名作・『坂の上の雲』 の主人公の一人、秋山真之が参謀として大活躍した


 日本海海戦


南下政策を進めるロシア帝国を相手に、これを阻止せんとする日本が朝鮮半島・満州地域を主戦場として1904年2月から開戦した日露戦争は、陸海軍とも一進一退。


長期戦を嫌気した日本がアメリカ・ルーズベルト大統領に依頼した和平交渉も、当時世界一といわれたバルチック艦隊を有するロシア側が拒否。


遂に(対馬沖を中心とした)日本海で、我が連合艦隊とバルチック艦隊の全面対決が不可避となりました。


前年8月に起こった黄海開戦で自国の太平洋艦隊が日本に敗れたロシアは、その2ヵ月後にバルチック艦隊の主力を極東に派遣することを決定。


バルト海沿岸の軍港を出航し、大西洋から南アフリカの喜望峰・インド洋を回る7ヶ月もの大航海を経て日本海に到達。

    


迎え撃つ我が国連合艦隊は、東郷平八郎司令長官指揮の下、

「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」

を意味するZ旗を旗艦・三笠に掲げ士気を鼓舞。


 ※三笠に関する過去記事は、こちら。(↓)



2倍の兵力を持つバルチック艦隊に対し、当時常識外とされた敵艦の鼻先で舵を切ってターンする〝丁字戦法 (トーゴー・ターン)〟を敢行して一気に優勢に立つと、翌日の昼前にはロシア側が降伏。

       


バルチック艦隊は被撃沈16隻(戦艦6・他10)、自沈5隻、被拿捕6隻という、艦隊の大半を失う大損害を被り、一方連合艦隊の損失は水雷艇3隻沈没のみ。


大艦隊同士の決戦としては、史上稀に見る一方的勝利を収めました。扇子


この決戦の大勝利によって戦局は大きく日本側に傾き、ポーツマス講和会議での和平交渉成功に至ります。


当時世界最強といわれたバルチック艦隊を東洋の島国艦隊が撃破したことは、世界中から驚異の目で見られました。


何故なら世界史上初めて、非白人小国が白人大国に勝利したのですから!


当時ロシアの圧政に苦しんでいたトルコでは、この一報に狂喜乱舞。


東郷元帥は国民的英雄となり、子供に 〝トーゴー〟 と名づける親が続出。


また 道路にも〝トーゴー通り〟が現存しています。

       


そして私が誇りに思うのは、同海戦で6,000名以上出たロシア人捕虜に対し、我が国は当時の戦時国際法を忠実に遵守し手厚く保護したこと。

この行為は世界各国から賞賛されたのですが・・・現在の学校教育における歴史の授業では、こういった功績を殆ど教えていません。うー


 

先人の立派な行為を子供たちに教えないどころか、いつまでもお詫びを繰り返す現代のヘタレ政治家・官僚たち。

私はどこかおかしいと思うのですが、皆さんはいかがお考えになりますか?

因みに大東亜戦争後GHQによって廃止させられましたが、5月27日はこの海戦の勝利を祝う 『海軍記念日』 でした。


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執 拗

今や、すっかり世間に定着した言葉に 〝ストーカー(stalker )〟があります。


このストーカーの防止を目的とした


ストーカー規正法

(※正式名称 : ストーカー行為等の規制等に関する法律)


が公布されたのは、今からちょうど20年前の今日・2000(平成12)年5月24日のことでした。 (施行は同年11月24日)


この法律が出来たキッカケは、この前年に起きた 『桶川ストーカー殺人事件』でした。

 ※同事件に関する過去記事は、こちら。(↓)



ちなみにストーカーと認定される行為とは、次の通り。


① つきまとい、待ち伏せ、立ちふさがり、見張り、又は住居等への押し掛け。

② 監視していると思わせるような事項を告げ.る。

③ 面会、交際の要求。

④ 著しく粗野又は乱暴な言動。

⑤ 無言電話や連続電話・FAXの送信。

⑥ 汚物、動物の死体などの送付。

⑦ 名誉を害する事項の告知。 

性的羞恥心を侵害する物品等の送付。

その後2012年に起きた 『逗子ストーカー殺人事件』 を教訓として翌2013年に電子メールの連続発信が、更に2016年に起きた 『小金井ストーカー殺人未遂事件』 を契機に翌2017年にはツイッター・LINESNS上のメッセージ連続送信や、個人のブログへの執拗な書き込みもつきまとい行為に加えられました。


同時に罰則も厳格化され、ストーカー行為をした者は1年以下の懲役または100万円以下の罰金に、また禁止命令に違反し「ストーカー行為をした者は、2年以下の懲役または200万円以下の罰金に処せられます。


 


「ストーカー行為なんて、自分はしてない」 と思っている、そこの貴方。


もしかしたら無意識にストーカー行為をしているかもしれませんョ。


ストーカーしている度、されてる度双方の自己診断できるサイトがありますので、是非チェックしてみてください。(


    https://matome.naver.jp/odai/2136032442608820901


警察庁によると相談件数は年々増加し、平成30年度は若干減ってはいるものの、21,556件。(↓)


 


これだけ法規制が厳格化しているにもかかわらず、ストーカー犯の検挙数は、犯罪検挙数全体が減少している近年でも増加の一途を辿っています。(↓)



そして被害者の10%以上が男性であるというのもそうですが、被害対象者が(内縁を含む)配偶者というケースが10%近くもある、という事実には驚かされます。


夫婦関係でストーカー行為って、一体何なのでしょう?

別居中のトラプルってことですかねェ。 


 


恋人時代にはいつも一緒にいたい・・・なんて思って結婚したはずなのに、いつしか 「うっとうしい」 と思ってしまう。うー


行為者の30%以上が4,50歳代という事実と考え合わせると、男女関係って本当に不可思議なものですネ。


・・・ウチは、大丈夫か? うー


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