紋 々

最近はプロボクサーやレブロン・ジェームスを筆頭にNBAなどのプロスポーツ選手の多くが身体に施しているタトゥー。

半ばファッション化している感がありますが、俗に(倶利伽羅)紋々ともいわれる


 入れ墨(刺青)

明治政府がこれを止めされるべく 『入墨禁止令』 を発布したのが、今から145年前の今日のことでした。


この入れ墨の歴史は古く、アルプスの氷河から冷凍状態で発見された約5,300年前の遺体〝アイスマン〟に入れ墨のような文様があり、また2,500年前の王女のミイラには、腕に施された入れ墨がほぼ完全な形で残っています。

また日本でも縄文時代に造られた土偶の体表に見られる文様は入れ墨と考えられており、魏志倭人伝にも倭人が入れ墨を施していたという記述が。

ただそういった古代の入れ墨は、個人の特徴を身体に刻むことにより個体の確認のため、あるいは入れ墨を施すのは身分の高い者だけだったといわれています。


しかし儒教が伝来した奈良時代に律令制が確立すると、入れ墨は刑罰として入れられるように。


江戸時代に入ると、前科者が〝入れ墨者〟と言われた反面、遊女がなじみ客の名を〝〇○命〟と上腕に彫ったり、経文や仏像を身体に彫り込む僧侶が登場。

末期には発達した浮世絵を装飾として身体に彫り込む者も現れ、同時に彫り師の技術が格段に進歩したそうな。


江戸時代の入れ墨というと、どうしても遠山の金さんの桜吹雪が頭に浮かびますが、実際に彫り込んでいたかどうかは分かっていません。

ただ彼には普段から袖がめくれ上がるとすぐそれを下ろすクセがあったともいわれており、やはり役人である以上、身体に彫り物があることは隠したかったようです。


カッコよく右半身をはだけて 「やいやいやい、黙って聞いてりゃいい気になりやがって・・・」 な~んて啖呵を切るのは、どうやらドラマの中だけだった模様。


     


しかし明治時代に入ると、新政府は近代的国家体制の樹立を目指し、1872(明治5)年3月29日に発布した太政官令で入れ墨刑を廃止すると同時に、装飾目的であっても入れ墨を入れることを禁止。

(とはいえ、その間外国の皇太子などが来日時に入れ墨を入れています。

それだけ日本の彫り師の技術が高かったということなのかも。)


この禁止令が解かれるのは、1948年のGHQ占領下でのこと。

しかしその後入れ墨を彫り込むのは、ヤ〇ザやマフィアの構成員がそれを誇示するため・・・というイメージが強かったことは否めません。

私が小学生時代に銭湯に通っていた時、幼稚園児くらいの子が

「このおじちゃん、背中に変な絵があるョ~。」

と指差して笑い、父親が慌ててその子を抱えて浴場から出て行ったのを目撃した記憶があります。

現在では銭湯はもちろん、ゴルフ場の風呂でも入れ墨を彫った人は入場禁止のところが殆どですから、こういった光景はまず見られないでしょう。


ただ2020年の五輪開催絡みで、入れ墨禁止が緩くなりそうな気配が・・・今後どうなるのか、ちょっと注目です。

さて既に入れている方には愚問ですが、皆さんは自分の身体に入れ墨彫ろうと思いますか?

私は痛いことは嫌いですし、「親からもらった身体に傷をつけるな」 と子供の頃から言われていたので、入れるつもりはなし。

それから、「入れ墨をすると肝臓を傷める」 って、映画 『ミンボーの女』(1992年公開)の主役・井上まひるが言ってましたし。あせあせ

若い方の中には、ファッション感覚でプチ入れ墨ならって思う方もいらっしゃるでしょうが、一度彫ったらそれを除去するには再び痛みに耐えなければならず、更に高額な手術費がかかることを覚悟しておいた方が良いでしょう。

健康保険も適用除外ですし・・・。


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逃 亡

3日前、拙ブログ記事 『空転』 で、私は安倍政権叩きばかりに固執して国会議員本来の職務を怠っている民進党ら野党に苦言を呈しました。

しかしその直後、永田町には思わぬ〝藪蛇〟が・・・。

公開された安倍総理夫人と森友学園・籠池理事長夫人の間で交わされたメールの中に、民進党・辻元清美議員の名が出てきたのです。

そして彼女が学園の敷地内に無断で入ろうとしたり、土木作業員を装ったスパイを潜り込ませてニセ情報をメディアに発信させたという記述が・・・。

これに関して説明すると非常に長くなるので割愛しますが、詳しく知りたい方は 【辻元 森友 生コン】 等で検索してみて下さい。

凄まじい闇の世界が広がっていることが分かります。うー

この話が出てからの民進党と左翼メディアの対応が、実に滑稽というか酷いものでした。

まずこのメールを一度は掲載した毎日新聞が、記事を削除。
しかしネット住民によってスクショを撮られ、拡散されてしまいます。

すると民進党は、そのメール内容についてデマだとしてマスコミ各社に報道しないよう通達して火消しに躍起。

一昨日の日曜朝に放映されたフジテレビ『新報道2001』の生放送中に、日本維新の会所属の足立議員がこの辻元疑惑に言及すると、司会者は慌ててCM挿入。

(一説には、この放送開始前に出演者は局側から辻元疑惑を口にしないよう釘が刺させていたとか。)

その際に出演していた民進党所属・玉木議員の狼狽えぶりがネット上で笑いのタネになりました。

          

この玉木議員、その後自身のツイッターで翌27日午後に辻元議員が記者会見すると公表し、「逃げも隠れもしない」 と大見えを切ったのですが、その当日ドタキャン。(↓)



卑しくも野党第一党である民進党の幹事長代理とは思えぬ発言の軽さと、逆ギレに近い言い訳(屁理屈)には呆れるばかり。

またブーメラン発言を繰り返す同党の蓮舫代表も、この疑惑に関してはダンマリ。

しかも驚くべきことに、その民進党の公式ツイッターでは批判的なコメントをするユーザーをブロックするという暴挙に出たのです。



国民の声を遮断する政党なんて、考えられません。

新聞・雑誌記事をネタ元にして散々安倍総理の批判を繰り返しながら、ひとたび自分の名が出たらデマだと決めつけて逃亡する民進党と所属議員、そして彼らを擁護しこの疑惑を報道しない左翼メディアには怒りを覚えます。

しかし一連の流れを見ていて、もうひとつ感じたことが・・・。
それは、国民がマスメディアの扇動・捏造報道に騙されなくなってきたこと。

この辻元疑惑が出る直前の世論調査では、あれだけ森友疑惑で野党やメディアが批判したにもかかわらず、内閣支持率は殆ど下がりませんでした。

もし一昔前なら、確実に10ポイント以上は落ちたはずなのに。

それは多くの国民がネットから様々な情報を入手し、マスコミ報道を鵜呑みにしなくなったからだ、と思うのです。

少なくとも今後は、以前の政権交代のようにメディアに乗せられる形で無責任な左翼政党に政権を委ねるような愚行を、国民は犯さないでしょうネ。

〝マスメディアが報道しないところにこそ、真実はある。〟

これをしっかりと認識しなければなりません。


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報 恩

宇宙は百億くらいある。 その百億の内のひとつが我が地球の属する銀河系宇宙だ。

その大きさはほぼ分かっている。


楕円形で直径が10万光年、厚さが最大1.5万光年・・・あまりりのスケールに言葉が出ない。

その宇宙の中で地球だけに生命が宿されている。
宇宙から見た地球は物凄く美しいと宇宙飛行士たちは口を揃える。
地球に住む生命体が発するオーラが、地球を浮く敷く輝かせているに違いない。


その地球に住む生命体の中に宇宙は等しく天敵を与えた。
天敵がいなければあらゆる生命体は増殖し、蔓延・跋扈する。
それは調和を愛する宇宙の心に反するということだろう。

ただ、限りない生命体の中で人間にだけ天敵がいない。 何故か?
長い間の疑問だったが、ある時思い至った。


人間の天敵は外ではなく、心の中にいるのだ、と。

人間を襲い、蝕む天敵。 それは心の中に巣食う不満不平である。
事ある毎に湧き起ってくる不平・不満・愚痴こそ、人間を滅ぼす天敵である。

歌人・生方たつゑの母は、少女の頃ともすれば不満顔をするたつ


「不満を持つ間は、人は幸せからはじき返されますのや。」


と、よく言い聞かせたと言う。 

人生を知り尽くした人の英知の言葉であろう。

人間を損なう天敵の対極にあるもの・・・それが、感謝である。
心が感謝の思いに満ち溢れた時、あらゆる不平不満は一気に消え去る。
感謝こそ人間という生命体を健やかに成長させる根幹である。

       地球


以前、東京で開催された 『人体の不思議展』 を見た時、人間の生命に畏怖に近い感動を覚えた。

殊に全身に行き渡った血管網と神経細胞の標本は、人知を遥かに超えていた。

身体の隅々に至るまで、微妙かつ精巧に、そして見事な調和の中に一点のネジレも縺れもなく配列されたそのさまは、神の領域そのものだった。

しかもその1本1本がそれぞれの役割を与えられ、その役割を果して全体に帰依している。
全知全能の神でなければ想像し得ない世界が、そこにあった。

人間は既に鬼籍のような生命をいただいて生きている。
〝生きて〟いるのではなく、限りない恩の中に〝生かされて〟いる。
理屈なしに、そう直感するしかない世界が、そこにあった。

恩という字は 『口』・『大』・『心』 から成っている。
『口』 は環境、『大』 は火とか手足を伸ばしている姿である。


何のおかげでこのように手足を伸ばしておられるのは、と思う 『心』 が、〝恩を知る〟ということであろう。

安岡正篤師の言がある。

「我々は天地の恩、人間の恩、道の恩、教えの恩など、あらゆる〝恩〟の中にあります。 これに絶えず報いていくのが生活であります。」

感謝報恩の人生を歩みたいものである。


          『小さな人生論・3』(致知出版社・刊)より抜粋・編集にて


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余 計

多くの方が(オークションを含めた)ネット通販を利用されていると思いますが、中には代金を振り込んだのに商品が届かない等というトラブルもあると聞きます。

幸い私はそういうトラブルを経験していませんが・・・先日、こんなことがありました。


ある大手通販を通じて中古本を購入し、注文から4日後に商品が届いたのですが、包装を解いて中から出てきたのは全く別の本だったんです。

添付されていた納品書はちゃんと私の注文通りなのに・・・楽しみにしていた分裏切られた気持ちになって、すぐに送り主に電話を入れました。

出たのは、明らかに私より年上のおじ(い)さん。

違う本が届いたことを告げると、

「あぁ、そうですか~。 それはすみませんネ。」

とさして悪びれる様子なし。 更に

「返送してくれますか? 受取人払いで結構ですから。」

・・・って、そんなの当たり前でしょうに。  


       


私はすぐコンビニに行って送り返すと、翌日その業者からメールがきました。

「早速にありがとうございます。 なお、ご希望の商品の発送は今しばらくお待ちください。」

なに、いつ発送するか分からないって?

おそらく私の注文した本も間違って送ったため、それがいつ戻って来るか分からないからでしょうが・・・呆れた私はこの業者への発注はキャンセルし、
すぐ別の業者に注文を入れました。

別業者からは、その2日後に無事商品が届きました・・・が、話はこれで終わりませんでした。

それから更に2日後、キャンセルした業者からこんなメールが届いたのです。(※原文まま)

『とりいそぎの連絡メールとさせていただきます。


今日あたりもしかすると〇〇〇〇(注文した書籍名)が届くかも知れません。


もしかするとこの〇〇〇〇が渡辺様ご手配の品よりも早く渡辺様のもとに届くのではないかと考慮したためです。


そうなれば少しは渡辺様様のお役に立てるのではないか。


お詫びの印になるのではないかと思いました。


それ以外の意味はありません。


返品の必要も一切ありません。


お役に立つ事が叶わなかった場合はお手数をお掛けして申し訳ありませんが、渡辺様にご処分をお願いします。』

渡辺様様ってのには笑いましたが・・・皆さんはこういう対処、どう思いますか?

いつ発送するか分からないと言っておきながら、また私が別の業者に発注しているのを知っているのに、頼んでもいないことをする。

そして勝手に処分しろとは・・・。

これって、小さな親切・大きなお世話ですょネ。

私は、即座にこう返信しました。


『△△ 様  メール拝読しました。


△△様なりの心配りなのでしょうが、はっきり申し上げて迷惑です。

発注をキャンセルしたのは当然のことながら他業者で手配したか
らであって、既に私の手元に届いており、半分以上読み終わっています。

同じ中古本を2冊持っていても仕方ないでしょう。

せっかくのご厚意を無にするようですが、送られた本は
当方では不要ですので返品させていただきます。

他のお客様に対して二度とこういう事態を引き起こさぬよう、
お気をつけください。』


ちなみにその本が届いたのは、これから更に2日後・・・既に読み終えた後でした。

サービス業は、クレーム対応が肝心。

独りよがりの好意の押し付けは、却ってお客様を不快にさせることも・・・他山の石としなければなりません。

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楽 聖

クラシック音楽の作曲家といえば、多くの方がまず最初にその名を思い出すであろう、古典派音楽史上に燦然と輝く巨星・・今日は、その


 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

        Ludwig van Beethoven


の命日・没後190周年にあたります。


      


1770年、祖父が宮廷楽長・父が歌手という音楽一家に生まれたベートーベンは、父が酒浸りであったことと、16歳の時に最愛の母を病気で失ったため、早くから音楽で一家の生計を立てなければならないという宿命を背負います。


14歳年上だったモーツァルトへの弟子入り直前に母の病状悪化が重なってしまい、その願いを果たすことが出来なかったものの、ウィーンに移住後はピアノの名手として名声を得たベートーヴェン。


しかし20歳代後半から聞こえにくくなった耳の病状は悪化の一途を辿り、40歳代後半からは殆ど聞こえなくなっていたにも拘らず、数々の大曲・名曲を残したことは皆さんもご存知の通り。


古典派からロマン派への大きな流れの中ブラームスやワーグナーに多大な影響を与え、ピアノを習う方ほぼ全員がお世話になる (リストの師でもあった) ツェルニーが優秀な弟子でもあったというベートーベンの存在は、音楽史の中で最重要の位置を占めています。    


残されている彼のエピソードには、その変人・奇人ぶりを伺わせるものがたくさん・・・。


◆ 生涯で70回以上転居を繰り返した引越し魔。

◆ 服装に無頓着で、浮浪者と間違えられて逮捕されたことがある。

◆ 強い癇癪持ちであり、弟子たちはしばしば楽譜を投げつけられたり、

   噛みつかれたりした。

◆ 部屋の中は乱雑だった一方、飲むためのコーヒー豆は、必ず60個

   数えて挽いていた。


等々、枚挙にいとまがありません。


(※一方で、有名な交響曲第5番の 「運命はこうドアを叩く・・・」 というエピソードなどは、彼の伝記を著したA・シンドラーの虚言癖が明らかにされていることから、信憑性に乏しいとされてはいます。)


しかし驚嘆すべきは、彼の計り知れない精神力の強さ・自己確立の素晴らしさだと、私は思うのです。


音楽に生きる者が聴力を失うことは、どれほど絶望的なことか・・・自身、有名な 〝ハイリゲンシュタットの遺書〟 を32歳の時に認め自殺も考えるまで追い込まれながら見事そこから立ち直り、大作曲家として名を残したことは、並の精神力ではないでしょう。


また、それまでの音楽家は貴族などのお抱えとして生計を立てていたのに対して、彼は一切の施しを拒否し、あくまでも一般大衆に対して作品を発表するという画期的なスタイルの転換をも果たしました。


肺炎などを悪化させ、1827年3月26日に56歳で天に召された彼の葬儀には、2万人以上もの一般大衆が押し寄せた一方、曲を献呈された貴族は誰一人として参列しなかった・・・という逸話が、彼の信念を彷彿とさせます。


       

               ベートーヴェンのデスマスク

彼の生涯や作品に関してもっと詳しく知りたい方には、この書籍がオススメ。

 『ベートーヴェンの生涯』(青木やよひ・著 平凡社・刊)


       ベートーベンの生涯


著者は、東京薬学専門学校(現・東京薬科大学)卒業後に出版社勤務を経てノンフィクション作家に転進したという、一風変わった経歴の女性。

ですが後半生をベートーヴェン研究に捧げ、1959年には世界で初めてベートーヴェンの“不滅の恋人”をアントーニア・ブレンターノと断定するエッセイを発表。

以後この説が資料によって裏付けられるなど、その研究内容はドイツ語に翻訳される程非常に高い評価を得ているとのこと。


ベートーヴェンの伝記といえば、ロマン・ロランのものが有名。


同書は、自らをベートーヴェンの親友(秘書)と名乗っていたシントラーの著作 『ベートーヴェンの生涯』 をベースにしていますが、前述の通り現在では彼に虚言癖があったため、その信憑性は著しく低下しています。


青木氏は彼の残した情報を否定し、自らドイツ・オーストリアを訪れるなどして膨大な資料・書簡等から時系列でベートーヴェンの行動を紡ぎ出し、検証しています。


彼女の遺著となったこの渾身の一冊は、クラシック音楽ファンならずとも読む価値は十分あると思います。


ベートーヴェンが遺した最期の言葉は、「諸君、喝采を。喜劇の終わりだ。」 だったとか。


彼の人生が喜劇だというなら・・・私の人生は悲劇? それとも、三文芝居? うー

そんなことを考えつつ、今宵は季節外れ(?)の〝第九〟を聴きつつ〝楽聖〟の冥福を祈りたいと思います。

皆さんにとって、最も思い出深きベートーヴェンの曲は何ですか?


            


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空 転

一昨日国会で行われた森友学園・籠池理事長の証人喚問をご覧になった方も多いと思います。

皆さんは、この喚問について、どんな感想を持たれたでしょうか?

もともとこの〝森友学園疑惑〟というのは、同学園が大阪に開校を予定した小学校の用地を異様に安い価格で取得していたことが発端でした。

おそらく同学園が行っている愛国教育を良く思わない反日左翼勢力が動いたのでしょう。
(実際、この疑惑を最初に報じたのは朝日新聞。)

そして土地取引には政治家の関与があったに違いないと踏み、更に同学園の名誉校長に安倍総理の妻・昭恵氏が就任していたことで、野党や左翼メディアが一斉に食いつきました。

しかし実際に用地買収に関してはゴミ投棄の問題が絡んでいたに過ぎず、追及は空振り・・・すると諦め切れない彼らは、籠池理事長の 「安倍総理から100万円の寄付金があった」 という発言に飛びつき、国会での参考人招致を主張。

でも、ちょっと考えてみてください。

政治家が民間企業から口利き目当てでカネを受け取ったというなら収賄ですが、仮に政治家が学校法人に寄付をすること自体、全く違法性はありません。

しかも安倍夫人は明確に否定しています。

野党・左翼メディアは、ただただ安倍政権を揺さぶりたいがために、叩く材料に見境なく飛びついただけ。

参考人招致より重い証人喚問を自民党があっさり認めたことで、却って腰が引けてしまいました。

では、なぜ彼らはそれ程までに森友疑惑に拘ったのか?

それは、まず安倍政権を叩くこと。 

そしてひの延長線上には、現在国会に提出されている(共謀罪を含む)『集団犯罪処罰法改正案』の成立阻止にある、と私は思っています。

森友疑惑を追及し、あわよくば国会の会期末まで引っ張って同法案の見送り・廃案を目論んだと・・・。

しかし、結果的には籠池理事長の発言に振り回された格好。

   


そればかりか、北朝鮮がミサイルを発射し我が国の排他的経済水域(EEZ)に落下した日もこの疑惑追及に委員会審議の時間を割いたことで、多くの国民から批判を浴びました。


2000年11月に、国連総会で国際的な組織犯罪を防止し,またこれと戦うための協力を促進することを目的とした 『国際組織犯罪防止条約』 が採択され、昨年9月に発効しています。

当然我が国も先進国の一員として同条約に加入することが不可欠なのですが、そのためには共謀罪の国内法制化が必要条件。

3年後に東京五輪を控えた我が国にとって、国際協調と国内の安全確保のため同法案は絶対に成立させなければならない、と私は考えます。

野党や左翼メディアは、盛んに極端な事例を挙げて反対していますが、それは今までと変わりません。

60~70年代の安保闘争時、彼らは 「安保は日本を戦争に巻き込む」 と言って反対しましたが、どうなったでしょうか?

4年前に議論された 『特定秘密保護法』 では、「一般人も逮捕の対象になる」 などと反対しましたが、成立後誰か一般人が捕まったのでしょうか?

今回のテロ等準備罪も同じこと。 

一般人が井戸端会議やっていただけで逮捕されるなど、有り得ません。

私に言わせれば、同法案に反対する人間こそ身に覚えがあるってこと。 あるいは成立すると困る反日国と関係があることを、自ら公表しているようなものでしょう。


国会議員本来の仕事は〝立法〟であり、警察・検察のような捜査や芸能レポーターのような他人の粗探しではありません。

週刊誌や新聞のネタで低レベルな質問や追及ばかりしている野党議員は職務怠慢であり、真に国民の安全や領土・領海を守るつもりがないことを、有権者は再認識すべきです。


コロコロ変わる籠池証言を真に受けて、民進党・蓮舫代表は安倍夫人の証人喚問を要求していますが、私に言わせれば笑止千万。

それを言うなら、まず二重国籍疑惑に未だ明確に答えていない彼女自身を喚問する方が先・・・まさに 「お前が言うな」。

それどころか公開された安倍夫人と籠池夫人とのメールのやりとりから、逆に民進党・辻元議員の疑惑が噴出する始末。

にも拘わらず喚問が終わった昨日の予算委員会も、この森友問題の質疑に終始しています。

国政と直接関係のない疑惑追及で国会を空転させている責任、一体誰がどう取るのでしょうか?うー


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 俥

今日のタイトルは比較的簡単なようですが、漢字検定一級に属する難度の高い漢字。

さて、これはなんと読み、どんな意味の漢字なんでしょう?

にんべんに車ですから、ちょっと考えるとお分かりになると思うのですが・・・正解は、〝くるま〟と読んで、〝人力車〟のこと。 今日は、その


 人力車発祥の日

なのだそうな。


古くは16世紀、中国で書かれた文献には手押し車に乗った諸葛亮孔明が描かれており、また17世紀後半にオランダ人作家が日本について描いた著書の中にも女性が手押し車に乗せられた絵が。

しかし公式の記録としては、横浜で西洋人の馬車にヒントを得て荷車に腰掛を附けた人力車を考案した和泉要助らが改良を重ね、高山幸助・鈴木徳次郎を加えた3名が共同発明者として明治政府から認定されたのが最初とのこと。

彼らが東京府から人力車の製造・販売の許可を受け、今から147年前の今日・1870(明治3)年3月24日に東京・日本橋のたもとで営業を開始したことが、この記念日の由来だそうな。


それまで日本国内の交通手段といえば、駕籠。

しかし、ゆさゆさ揺れる駕籠よりも楽に乗れ、しかも早くて引き手が1人だから料金も安いのですから、アッと言う間に人力車は人々の世間に浸透したといいます。

     

営業開始から2,3年後には人力車は全国に広がったばかりか中国にも輸出され、1876年には東京府内で2万台以上になったといいます。

現在東京都内を走るタクシーが約5万台だそうですが、当時の人口は約110万人と現在の1/10・・・そう考えると、いかに人力車の数が多かったかが分かります。


しかしその人気も市街電車や自動車の出現により、大正期に入ると一気に下火に。

現在では、観光地でお客さんを乗せて走っているだけに留まっています。


都内でも時々人力車を見かけますが、皆さんは乗ったことがありますか?

約90kgある私は、引き手の俥夫さんがイヤな顔をされると思うので遠慮して乗ったことはないですが、気恥ずかしさと優越感・解放感で何とも言えぬ気持になるんじゃないでしょうか?

浅草近辺だけでも人力車を運行する会社が10社以上あるそうですから、結構需要があるんでしょうネ。

料金は60分の観光コースで1名だと9,000円、2名なら15,000円。

また1km強の1区間なら1名3,000円、2名なら4,000円などと、ほぼ横並びの料金だとか。

ただ俥夫さんによってトークが違うでしょうし、お客様との相性がありますから、どんな旅になるかは運次第かも。

ところでこの人力車、買うこともできるんです。

この2人乗り1台で、おいくらだと思いますか? (↓)


     


・・・約170万円なんですって。

乗用車より安いですし、車検もガソリン費用も不要ですから、かなりリーズナブル。

ただジュギングするより、これに奥さんや子供さんを乗せて近所を走る方が健康にも良くて家族サービスにもなるはず。

どうですか、お宅に1台! 笑2


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波模様

東京在住の方は、〝4号線〟というと、何をイメージされるでしょうか?

多くの方は、中央高速とつながる首都高4号新宿線もしくは日光街道ともいわれる国道4号線だと思いますが・・・それでは、ここで問題です。

東京における地下鉄4号線とは、どの路線のことを指すでしょう?

正解は、


 東京メトロ・丸の内線


なんです。  そして同線が現在の池袋~方南町まで全線開通したのが、今から55年前の今日のことでした。

  

1925(大正14)年に内務省が告示した 『東京都市計画高速度交通機関路線網』 の5路線のうち新宿-四谷見附-日比谷-築地-蠣殻町-御徒町-本郷三丁目-竹早町-大塚の第4号を前身とした同線は、1942(昭和17)年6月に赤坂見附-四谷見附間の工事が始まりましたが、戦局の悪化により中止。

1946(昭和21)年に改めて告示された 『東京復興都市計画高速鉄道網』 の新ルートに基づき、1951(昭和26)年に池袋で工事開始。

その後ルートが多少変更されながらも、1954(昭和29)年1月に池袋-御茶ノ水間が開業。

徐々に路線を伸ばしながら、1962(昭和37)年3月23日に中野富士見町 - 方南町間が開業し、現在の丸の内線が全線開通したのです。


ちなみに、この丸ノ内線』という名称の由来は、地下鉄として唯一乗り入れている東京駅周辺の地名・丸の内から。

ここで、「あれっ?」 と思った方は、鋭い!?

地名は丸〝の〟内なのに、路線名は丸〝ノ〟内・・・実は、当初地名も〝ノ〟だったのですが、1970年に町名が〝の〟に変更。

しかしなぜか路線名は〝ノ〟のまま残されたんですネ。
紛らわしいですけど音声は同じですから、まァいいか。

実はこの丸ノ内線、私にとっても懐かしい路線・・・というのは、生まれて初めて見た地下鉄がコレだったから。

小学生時代、やはり初めて水道橋の後楽園遊園地に連れてきてもらった際、高架を走る電車を見つけて、親父に

「あれ、なぁに?」

と聞いたら、

「地下鉄の丸ノ内線だょ。」


と言われ、地下鉄なのに地面より上を走っていたことに驚いたのなんの。

日光に反射するピカピカの赤い電車の横っ腹に波模様(サインウェープ)が描かれていたことと合わせ、今でもはっきり憶えています。

  

この波模様は、同地下鉄の設計当時営団地下鉄総裁だった鈴木清秀氏が、欧米視察の飛行機の中で買ったタバコの箱と、ロンドン遊覧バスの銀色の波模様からヒントを得て、東京芸大にデザインを依頼したそうな。

私が就職した後も暫く走っていたこの赤い電車も、1988年には現在のアルミニウム合金製・銀色の02系車両に。

  

新しくなったのは結構でしたけど、懐かしい波模様がなくなって寂しかったのですが・・・やはり私同様に感じた方の声が多かったのか、2010年から復活したのは嬉しい限り。(↓)

  

画像を見てお気づきの方もいらっしゃると思いますが、同線の車両にはパンタグラフがついていません。

これは電源を走行レールの横にもう1本別の給電用レールを走らせる〝第三軌条方式〟を採用しているから。

東京メトロ・銀座線も同じ方式ですが、うっかり触ると感電死する恐れがあります。

丸ノ内線・銀座線を利用する方は、くれぐれも酔っぱらって線路上に転落しないようご注意ください。


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J T

・・・と言っても、日本たばこ産業の話ではありません。


今からちょうど120年前の今日、日本初の本格的な英字新聞が創刊されました。 それが

 
ジャパンタイムズ
   The Japan Times


創刊者は、山田季治(すえはる 1848-1916)という人物。

       

彼の父・土岐鍋吉は、福沢諭吉の妻・錦の実父・土岐太郎八の弟。

その縁からか、明治維新後に上京して慶應義塾に入塾。


卒業後に青谷小学校の初代校長、その4年後に愛知県立中学校の舎長を務めた教育者でした。

その後日本郵船に入社し北海道支社長も務めた彼は、当時国内には諸外国と結んだ不平等条約に対し不満が鬱積し、条約の改正と日本の独立と権威復活の機運が高まったことを察知。

日本の情報を海外に発信する必要性を痛感し、日本郵船を退職して国際経験豊かな英語通の頭本元貞を主筆に迎えて、福沢諭吉から 『時事新報社』 の印刷機3台を売り渡してもらいジャパンタイムズ社を設立。


1897(明治30)年3月22日に6ページの創刊号が発売されました。

        

                      創 刊 号


個人的には同紙を購読したことはありませんが、高校時代に英語の勉強の一助に・・・ということで、同社が発行している 『週刊スチューデントタイムズ(The Student Times )』 を購読したことが。

やさしい英語で、映画の脚本など読みやすい記事が多かった記憶があります。

しかし紹介しておいてこう言うのも何ですが、この新聞には監視が必要。

同紙は現在朝日新聞社の販売網を使っていますが、記事内容はその朝日新聞よりも左翼化が激しいから。

一昨年末、慰安婦問題を巡って日韓合意が為された1ヶ月後、同紙は

〝第二次世界大戦前および大戦中に日本軍に強制的に性行為を行わされた女性たちのことを 『性奴隷』 と表現することは妥当だというのが、ジャパンタイムズの方針です〟

という署名入り記事を掲載。

自国の外相が 「性奴隷という言葉は不適切であり使用すべきでない」 と公式に発言しているにも関わらず・・・です。


日本の情報を海外に紹介するという創業者精神は立派でも、こんな記事を発信されてはたまりません。

数年前、毎日新聞も海外向け英語版で何年にも渡りとんでもないデタラメ記事を発信していたことがネット上で問題になったことがありました。(↓)


  http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/33.html


私たちは国内マスメディアには注目しますが、こういった海外・英語版にも目を光らせないと、とんでもないことになります。うー


 


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指名手配

皆さんは、歌舞伎の演目『青砥稿花紅彩画(あおとぞうし はなの にしきえ)』をご存知でしょうか?

「読み方すら分からない」という方も多いと思いますが・・・通称が 『白波五人男』 と聞けば、中高年の方ならご存じのはず。

これは5人の盗賊が活躍(?)する物語ですが、今日はその頭で

「問われて名乗るも おこがましいが、生まれは遠州浜松在・・・」


の大見栄でお馴染み、日本駄右衛門のモデルである実在の盗賊

  
にっぽん  ざ え  もん

  日本 左衛門


の命日・没後270周年にあたります。


国名を苗字に持つ恐れ多いこの盗賊(※本名:濱島庄兵衛)は、1719(享保4)年に尾張藩の下級武士にして七里役だった濱島富右衛門の子として生まれました。

七里役とは、藩が街道の七里毎に置いた公文書の取継ぎや情報収集を役目とする公式の飛脚のこと。

彼らは〝仕事を妨げる者は切り捨て御免〟の特権を持っていたため宿場の役人では抑えが効かず、派手な井出達で無頼者などを大勢集めては賭博をする者も多かったとか。

そんな父親の日常を見て育った子供が真っ当に育つわけもなく、頭は良かったのに17,8歳頃から飲む・打つ・買うの放蕩三昧で、20歳の時には勘当の憂き目に。


そして23歳頃から幕府直轄領で警備が手薄だった遠州見附宿(現・静岡県磐田市)を根城に、最大200人以上もの手下を抱えて盗賊団を結成、東海道沿いの諸国を荒らしまわったと言います。

         

まるで江戸時代版リーゼントみたいなヘアスタイルですが、身長は当時としては高い175cmで、色白・鼻筋が通った二枚目だったそうですから、カリスマ性は十分。

そりゅあ歌舞伎でも頭領になるのは分かりますが、盗みの手口も大胆不敵。

5,60人で目を付けた商家や庄屋に押し入り、見張り役まで立てて大金を奪うというもの。

被害総額が2千両を超え、さすがに地元庄屋から幕府・北町奉行に訴状が出され、老中・掘田正亮の命により火付盗賊改方頭・徳山秀栄が捕縛のため現地入り。

数人の手下は捕えたものの、肝心の日本左衛門は逃走。

そこで徳山は盗賊に対して日本史上初となる全国指名手配を行い、手配書を津々浦々に手配。(↓)

      

西に逃亡を図った日本左衛門でしたが、遠く安芸国(現・広島)の宮島で手配書が回っていることを知ると、観念。

事細かに人相・風体が書かれていたことと、高い身長が逆に目立ったことが彼を諦めさせたのかもしれません。

1747(延享4)年1月に京都町奉行所に自首した彼は身柄を江戸に送られ、北町奉行所にて吟味の上、市中引き回しの上獄門。

同年3月21日(※11日説あり)、手下6名と共に29歳で処刑されました。

大胆な犯行手口の割にあっさりと自首したのは、彼なりの美学だったのか?

それでも後世に歌舞伎や演劇、映画でその名を残したわけですから、彼としては本望だったのかもしれません。

余談ですが、彼にはしょっちゅう首を右に傾ける癖があったとか。

ということは、もしかしてビートたけし師匠は、彼の生まれ変わり?

あ、師匠は左に傾けるんでしたっけ?あせあせ


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